人間と言うもの、どうしても
自分の仲間かそうでないかで、
扱いを変えたがる生きモノです。

ある場合には、それが正当だと思われる
事もあるんですが、
どうも排他的に使われることが多いようです。

人里離れた村で、その村の掟を守らないなら
村八分にしてしまう、なんていうのは
わかりやすい例かと思います。

※村の掟は村の大多数の命を守るという
 理にかなった面も否定できない状況も
 あるとは思いますが…。



さて、ここでマルコ9:38-41を参照して
仲間意識が露呈されたある出来事を
見てみます。


ヨハネが彼に言った,
「師よ,わたしたちは,ある人があなたの名を使って
悪霊たちを追い出しているのを見ましたので,
それをとどめようとしました。
彼はわたしたちと一緒に従って来ないからです」



一世紀のイエスと一緒に旅行していた使徒たちも
仲間内(グループ)感覚を持っていました。

もちろん、仲間どうしで、つるんで行動したいというのは
自然な行動ではあります。


さてこの場合、イエスの名によって悪霊たちを追い出していた
ある男の人がいたのですが、
その人はそうする力を神から与えられていたようです。

でも、
その人が自分たちと一緒に行動を共にしなかっため、
ヨハネと他の使徒たちは
その行ないを阻止すべきだと思ったのです。

ものみの塔誌の説明によると、
ヨハネは、使徒たちだけが資格を持つ治療者団だと
考えていたようです。

それで,自分たちのグループに属さないその人が
強力な業を行なうのは間違いだと思っていたのでしょう。


しかし、イエスはこう言われました。

「彼をとどめようとしてはなりません。
わたしの名によって強力な業を行ないながら,
すぐさまわたしをののしることのできる者はいないからです。
わたしたちに敵していない者は,わたしたちに味方しているのです。
……その者は決して自分の報いを失わないでしょう。」



ここに、イエスを通しての信仰の基本があると思います。

JW組織は、みずからの組織だけが
神の是認を受けた唯一真の組織であると
主張しています。

それは多くの宗教組織が「自分のところが一番だ」と
主張するのと何ら変わらるところはありません。


その是認を受けるためには
組織の取り決めに忠節に従う事を
その成員に逐一求めています。


では、この世の中に古くから存在してきた
キリスト教世界の中で活躍してきた人々、
真理を愛するために命を顧みずに仲間を助けようとした
人々はイエスが是認されたグループでは
ないのでしょうか?

また、この世界に生きている、
イエスを信仰している幾千万の人々も
神から命を受け継ぐ資格があるとは
思えないのでしょうか?


とにかく自分たちの組織が一番と言いたい気持ちは
わからなくはないですが、
このイエスの言葉の重みについて
どのように感じているのか
統治体成員に聞いてみたい気がしますね。


あ、聞く前に門前払いですわな(笑)