JWの世界では、非信者全体のことを
「世の人」という事が習わしになっています。

これは、恐らくイエスが言われた
「わたしが世のものではないのと同じように,彼らも世のものではありません」
(ヨハネ17:16 新世界訳)
という聖句から来ているのかもしれません。
※あくまでも新世界訳の表現です。


そして、いつも感じていますが、
この「世の人」という言葉を、
ほとんどの場合、JWはやや軽蔑的、否定的な意味合いで
使っている事は間違いありません。

文章や会話の中で、世の人=非信者一般 のことを
必ずと言っていいほど、軽蔑的、否定的な会話の中に
含めて使うからです。

なので、エホバの証人の間では
「世の人」という言葉の意味は良いものではないんです。


しかし、JWが良くない意味で使おうが思っていようが、
いわゆる「世の人」から救われたり、
親切をしてもらったりすることがしばしばあることを、
JW各人はよく心に留めておく必要がある

思っています。


ずいぶん前に、私の会衆の区域に
Kさんという、当時おそらく70歳位の
おじいちゃんがいました。

町中から少し離れた、小高い山の上に
ポツンとあったお家に一人で住んでいたんです。

ものみの塔の雑誌を受けとってくださったので、
私が、時々再訪問をしていました。


ところが、このおじいちゃん、
非常に貧しい暮らしをしていたのです。

これは誰もがすぐにわかるほど貧しい。

家は半分傾きかけていましたし、
水道も引かれていませんでした。

その証拠に、庭というか畑のあちこちに
バケツやタライが置いてあって、
水が溜められていたからです。

家(といっても二部屋?しかない)の中に入ると
その部屋の壁はススで真っ黒けでした。

なぜかというと、電気が来ていない?ので
かまど(若い方はご存知ないでしょう)に木切れを
くべて、明かりと暖をとっていたからです。

当然、身なりは綺麗ではないので、
すぐに貧しい暮らしをしている事が分かるのです。

おそらく生活保護を受けていたんじゃないかと
思います。


ところが、このおじいちゃん、
私が再訪問するたびに、
お菓子の一つをくれるのです。

もちろん、高価なものではなく、
スーパーで売れ残った安売りのお饅頭とか、
ビスケット、飴玉などでしたが、
必ずその時家にあったお菓子の中から、
一つ、二つをくれるのです。

自分も沢山食べたいでしょうに、
私に「これ食べて」って、下さるのです。

もちろん私が困っているのを見て
下さったわけではないでしょう。

むしろ、何かを人に分け与えることで
満足感を得ていたのかもしれません。


でも、この経験で感じたことですが、
JWがやや軽蔑的に使う「世の人」と
呼ばれる人の中には
JWよりもはるかに親切で、思いやりを示す人たちが
大勢いる
ということです。

これは、このたびの東日本大震災の件でも
実証されています。

JW一人ひとりは、
本当の親切というものが何であるのか
もう一度真剣に考えた方が
いいんじゃないでしょうかね…。