乳房を全摘。




泣いても泣いても泣き腫らしても
現実、状況は変わりません。




親友に話をしてもその子自身がガンではないので、「大丈夫」が精一杯で、どう答えればいいのか戸惑ってしまい、電話を切ろうとします。





気持ちが沈むばかりでしたショボーン







切り取るくらいならガン諸共に死んでしまおうと

思いました。






死ぬ場所は、いっぱいある。
家の後ろは高速道路にJR
家の前は国道





生きるって何だろうか。





日頃から哲学していないのに答えなんか出ません。





そんな姿を母が見かねて、母の知り合いに乳がんになって治療を受けて元気になって今や畑仕事をして頑張ってる方がいると教えてくれました。




是非ともその方に会いたいと母に言うと連絡を取ってくれて、その日のうちに会ってくださることになりました。





初めて会うのに自身に降りかかった乳がんの話を教えてくださりました。 





そして、診てくださる先生は違ったけれど

「○○先生は、大丈夫。乳腺の世界で結構有名な人なんだよ。私の周りで乳がんになった人は、お世話になってるよ」




さらに
「○○先生の補佐になってる○○先生、あの先生、○○さんちの娘さんだよ」



○○さんちの娘さん。
それは、父の高校時代の友人の娘さんで、私と同い年の人だと知りました。




何か特別なことを施してくださると期待したのではなく「私は生かされている」と思いました。
そして、とても心強く、守られていると感じました。






それからしばらくして、




「○○先生から電話があったよ!先生、あなたが乳がんになった話を聞いたから心配して。先生も乳がんになったんだって」




私が小学校3、4年の時の担任の先生からの電話でした。




もう30数年以上も前です。
内向的で大人しかった私なんか影のようなもので、よくぞ覚えてくださっていた!!!!!





急いで電話しました。





「私も3年前に乳がんになって手術したのよ。あなたと同じ先生。こんな歳だけど、やっぱり乳房がなくなるのは辛かった。だから同時再建をしたの。今は同時再建はできないけれどね。」






私の左乳房の状態を話すると





「私が入院中、同じ乳がんの人と仲間になったのね。全摘した人、部分的に切除した人。乳がんと言っても本当に人それぞれ。その仲間の中で最近連絡が取れなくなった人がいてね、その人は再発してしまって最近亡くなってしまったの。本当にごくごく少量のガンが乳頭に残ってしまっていたようで、それが転移してしまって…」





背筋が寒くなりました。
微量のガンであってもそれが原因で人の命をさらっていく現実。






「あの先生が全摘と言うのならば間違いないのよ」



そう言って全摘が悪いことでもなく生きるためにはその選択がいいのだと諭して下さいました。




こんな歳になっても恩師の言葉は私の背中を押してくれるのでした。