そもそも今時FAXで書類を送れなんて、時代遅れを通り越して時代錯誤もいいところだ。FAXを送るには徒歩15分かかるコンビニへ行かなければならない。

 「めんどくさいのが苦手でね」と課長は言うが、彼が便利になる生活は私たち部下のめんどくささの上に成り立っている事に気が付いていないのだろうか。

 私の住んでいるシェアハウスは基本的に何でもそろっていて快適だ。乾燥機もあるし、空気清浄機もある。共用のパソコンとプリンターもそろっている。お風呂はなんとジェットバス付きだ。

 だけどFAXはない。もちろんあるはずがない。FAXがあるかないかなんてシェアハウス選びに関係ないと思っていた。というかFAXは間違いなく部屋選びに関係ない。私以外の住人がFAXを必要としている所に居合わせたことなんてないし。私がこのシェアハウスを選んだのは間違いなく正解だ。FAXつきのシェアハウスを求めて引越しするなんて有り得ない。

 FAXって一体何の略だろう。もうFAX、FAXって、考えるのも疲れてきた。クレープ作りにまで嫌気がさしてきて、リビングの椅子にだらしなく腰掛ける。

 

 プルルー、プルルー。また電話、ではない。インターホンが鳴っている。ここのインターホンは電話みたいな呼び出し音なのだ。リビングに設置してある受信機のモニターには何が面白いのかうっすらと笑みを浮かべたおじさん、いやお兄さんが立っている。

 「はい」 インターホン用の声を出す気にもなれない。課長にぶつけたい怒りを玄関の前のお兄さんに今にもぶつけてしまいそうだ。 

 「お忙しいところすみませーん」妙にテンションが高い。姿の見えない私に向かってお兄さんはしゃべり続ける。

 「あのぉわたくし、生活に役立つ節約情報やストレスに上手に向き合う方法を聖書から提案しー・・・」

お兄さんは一生懸命インターホンに口を近づけて喋っているので、モニターにはお兄さんの少し寂しくなった頭頂部が写っている。課長の頭に少し似ている気がする。

 「えー、よろしければパンフレットをポストに入れておきますので、お時間あるときにご覧ください。」

 「はい、ありがとうございまーす」

プチっと通話終了ボタンを押して、モニターからお兄さんを消した。別に宗教が嫌いなわけじゃない。むしろ宗教には寛容な方だと思う。こういう勧誘もきっと、面白い映画や本を見たときにそれがどれだけ面白いか、見たらどれだけ感動するか、人生が変わるかもしれないとか熱弁したくなる時の心境と同じなんだと思うのだ。

 プルルー、プルルー。また呼び出し音が鳴った。実はプ↑ル↑ル~↑♪とプからだんだん高くなるメロディーになっているのだが、それがまた今日は気に障る。

 「はい」 モニターにはさっきのお兄さんが立っている。まさか、直接交渉に持ち込むなんてことはないよね。今の私にはそんな体力はない。

 「ポストの番号を聞いてなかったので・・・」と、申し訳なさそうに言うお兄さんにほっと胸をなでおろす。

 そっか、ポストの番号。私はリビングの隣の7号室だ。7号室です、って言えば良いんだけど5号室ですって言おうか迷った。5号室は今空き部屋になっているからそこのポストに入れてくれれば、後からパンフレットを処分する手間が省けるし、お兄さんも傷つかないですむ。

 「・・・7号室です」

 「どうも、ありがとうございまーーす」ひと際高いテンションでお兄さんはモニターから滑るようにフレームアウトした。

 こういうズルができない。損な性格だなぁと自分でも思うのだが、子供の頃からの性格はなかなか変わらない。明日FAXを出す時、ついでにポストの整理もしよう。プチっと通話終了ボタンを強めに押す。真っ暗になったモニターに映ったふてくされた自分の顔に、にらまれた。


                                       つづく

 


シェアハウスに住んでもうすぐ3ヶ月が経つ。新しい仕事とともに始まった新生活にもだいぶ慣れてきた。見ず知らずの人間と一つ屋根の家の下で暮らす事に家族や友人は消極的だったけど、今流行ってるから、と押し切って東京に出てきた。今のところ特に大きな問題もなく、住人とも仲良く暮らしている。リビングやキッチン、バストイレは共用スペースなので自然と顔を合わせることになる。ここのシェアハウスは8人部屋でそれぞれ鍵付きの個室が用意されており、私の部屋は2階にあり共用スペースのすぐそばだ。だから朝だれかがキッチンを使う音で目が覚めてしまったりする。でもそんなことはシェアハウスなのだから仕方がない。

 家の中で、人間いつまでも気を使っていられない。これは私が身につけた教訓だ。初めのうちは共用スペースだからとけっこう気を使っていた。シンクにたまる生ゴミをこまめに捨てたり、どうして洗面台に落ちている髪の毛を気づいた人が掃除しないんだろうと疑問に思って片付ける日々だった。でも私はもともとそんな性格じゃないから、今ではバスルームにたまる髪の毛にも気づかないフリを決め込んでいる。隠そうと思っても本性がでてしまうのだ。外でも内でも気を使っていたら疲れてしまうから。2号室の山田さんなんか、初めは優しくて穏やかな人だと思っていたけど、バラエティを見ながら司会者に罵声を浴びせることもしばしばある。でもこういうこともシェアハウスなのだから仕方がない。

 けれど、さすがに廊下にみかんの皮が落ちていたときは黙ってゴミ箱に捨てておいた。週に2回、掃除のおばさんが来てくれるとはいえ、みかんの皮を見過ごすことはできなかった。髪の毛は良いけど、みかんの皮はだめ。これが私の本性らしい。


 三枚目の生地を焼いている。一枚目に比べると随分腕も上がり、うすくて丸いお月様に近づいている気がする。ひっくり返すと、惚れ惚れするような美しい網目模様ができていた。少し生地は厚めだけど、すごくきれいだ。満月の模様みたい。さすがシュナイダーおじさん。隠し味は大成功だ。三枚目にして最高傑作のクレープを一番上にして平らな皿に重ねておいた。

 さて、これを超えるお月様を作らなきゃ。四枚目の生地をお玉ですくってフライパンにそっと流す。まあるくまあるくなるようにフライパンの柄を握る左手が慎重に動いている。

 プルルルル。電話が鳴っている。携帯を見ると、クレープのレシピだった画面は「島崎課長」の画面になっていた。私はフライパンを急いでコンロに置き、携帯を手に取った。何の用だろう。

 「はい、高橋です。」 勝手に声が仕事モードに変わる。肩や背筋にも自然と力が入る。上司からの電話ごときで姿勢が変わってしまう私は、やはり負け組かもしれない。 

 「高橋君。すまんね、休み中に」 いえいえ課長もお疲れ様です、と口では言いながらもすまないと思っているならかけないで欲しい、と私の心の声が聞こえる。

 「来週提出の資料のことなんだが」

 「ワーカービジョン株式会社のプレゼン用資料のことですか?」

 「うむ。それなんだがぁ」 

 あぁ。きた。島崎課長の語尾がのびている。こういう時は無茶な頼みごと、というか命令をするときだ。嫌な予感しか、しない。

 「明日までに会社宛にFAXで送ってくれんかなぁ」

 「あ、明日までですか?」

気づくとフライパンに流した生地は丸くならず、上のほうから二本の線が伸びていて青森県みたいな形になっていた。

 「どうしても必要らしいんだ。高橋君なら大丈夫だろう。おおむねできていると言っていたし」

高橋君なら。この言葉は卑怯だ。逆境を利用して正義の言葉を生み出す。だらだらと言い訳を続ける課長の声を聞きながら、フライパンを前後に振って青森県型クレープを空中に何度も投げた。パタン、パタン、とひっくり返される度クレープは切ない声をあげていた。


 電話を切ると、青森県型クレープは上下さかさまになって今度は鹿児島県型クレープになっていた。ぼーっとフライパンの中の鹿児島県を見つめる。網目模様だけは変わらず綺麗についている。さっきまで甘い幸せでいっぱいだったキッチンの空気は、急に居心地の悪いものに変わってしまった。まるで苦手な芳香剤のニオイのせいで息がつまるような、どこかのスーパーのトイレみたいだ。

 とりあえず元青森県、現鹿児島県のクレープをくるくる巻いて口に詰め込んだ。県民のみなさん、ごめんなさい。生地の淵はチリチリに焦げていたので少し、苦い。もぐもぐと必要以上に噛んでみる。気は治まらない。キッチンに突っ立ったまま、幸せだったはずの午後を思い浮かべていた。


                                  つづく

 甘い匂いがたちこめるキッチンは幸せの象徴だ。今日は三連休の二日目、午後二時半。朝ごはんを2回も食べて、昼ごはんも食べて、その後さらに勢いでクレープ作りを始めてしまった。私はすることがないとすぐに意識が食べ物に向いてしまうから、休みの日はなるべく掃除やら洗濯やらをするようにしているが、連休の一日目で家事がすべて片付いてしまったので、今日は本格的にやることがない。仕事帰りの駅の本屋で買ってまだ読んでない本があるけれど、なんだか今日も読む気になれず買った日の袋に入れたままベッドの横に置いてある。立ち読みをした時はすごく魅力的に思えたから購入したのに、電車に乗って家に帰るまでの間に普通の本になってしまったようだ。

 やることがないからと始めたクレープ作りだったが、やっているうちに家中がお菓子の家になったようなワクワクした匂いで充満すると自然と鼻歌を口ずさんでいるほど、夢中になっていた。小麦粉に牛乳と卵と砂糖を入れてぐるぐるとかき混ぜて、あまり粘り気のない生地にする。生地を流し込んだ瞬間にジュッと少し音が鳴るが、その後は静かにゆっくりと手首の力を加減しながらフライパンを傾けて薄くのばしていく。綺麗でまぁるいお月様みたいになるように、全神経を集中させる。

 「あ、そうだ。シュナイダーおじさん」

焦がしバターを生地に入れると綺麗な網目の模様ができる。小さいころに読んだ本に出てきたシュナイダーおじさんがそう言っていたのをふと思い出して、焦がしバターも加えてみた。隠し味ってやつだ。隠し味ってなんだか好きだな。作った人しか知らない秘密。見ただけじゃわからない。食べてみたってわからないかもしれない。と言っても食べるのは私一人なんだし、秘密もへったくれもないか。思わず笑ってしまったのをごまかすように、出来上がったクレープを一枚かじってみた。モチモチしてふわふわでほんのり甘くて、余計に口元が緩んでしまった。

 世の中は不景気なのに、クレープ作りくらいで休日を満喫できる私は意外と人生の勝ち組かもしれないとさえ思う。クレープの甘い匂いにはそう錯覚させるような麻薬に近い働きがあるのかもしれない。



                                                        つづく