妊娠に至るまでの私たち夫婦の証 | ぶどうの木 Good News

妊娠に至るまでの私たち夫婦の証

ハレルヤ!holygirlですニコニコ現在、私は39歳、妊娠9ヶ月(35週)です。

2021年12月5日に、K兄弟と結婚し、1年10ヶ月が経った昨年2023年10月10日、新しい命が宿った事が分かりました。妊娠に至るまで、神は私たち夫婦に新しい命を迎える家庭の受け皿が整うようにと訓練し、導いてきてくださいました。出産を迎える前に、その歩みを遺したく、ここに記します。

ずっと牧者と羊という関係で交わってきたK兄弟を、初めて結婚相手ではないかと意識してデートした時、K兄弟は40歳、私は37歳でした。この世的には、自然妊娠が難しいと言われる年齢に入っていました。私はK兄弟に、「私はイエス様のためにここまで働いてきて、何一つ後悔のない人生を送ってきた。結婚は求めてきたけれど、神が与えてくださるならするという思いできたし、独身者として生きることが神の御心ですか?とも聞いてきた。もし、K兄弟と結婚したとしても、年齢的に子どもを授かれるかどうかも分からない。子どものいない人生も神の御心ならば私はそこにも祝福が与えられていくだろうと思っているけど、K兄弟は、子どもを授からない夫婦2人の人生も考えられる?」と尋ねました。K兄弟は、「神は愛でしょ?子どもが大好きなholygirlさんに子どもを与えない神ではないと思っている。神のタイミングで与えてくださると信じている。でも、たとえ授からなかったとしても、それが神の御心なら感謝して、2人でイエス様のために仕えていけばよい」と答えました。私は、その言葉になんだか安堵し、K兄弟の優しさと信仰に励まされました。
そして、最初のデートから丸6か月が経った2021年10月23日にプロポーズを受けたのですが、その日は絵本「一つになろうよ!」が燦葉出版社から出版されて丸7年が経った日でもありました。絵本の内容、夫婦の在り方、家族のあり方に共感し、これからも共に体験していきたいと言ってくれたK兄弟が持っていた絵本には、沢山の印と線が引かれており、自分が著者となった絵本をこれだけ真剣に読み込み、共感してくれた彼こそが私のあばら骨の人だと確信できました。

K兄弟と結婚して最初の数か月は、生活面においては自分のやり方(ルール)、考え方の違いでぶつかり、信仰の面においては牧者と羊の関係でもあるため、私は今まで以上にK兄弟の様々な言動が目につき、クリスチャンとしてどうなのか!?という事から責め、そこから言い争いが絶えませんでした。イライラしたり、泣いたり、顔も見たくないと思ったり・・・“あぁ、今妊娠してなくて良かった”と思ったこともあり・・・今や2組に1組の夫婦が離婚する時代の中で、こうやって離婚に気持ちが向くのだなと分かってしまい、子どもが欲しいなんていう思いも吹っ飛ぶぐらい、大荒れの新婚生活の始まりでした。
それでも、互いに聖書・イエス様がカシラのクリスチャンでしたから、どんなにケンカしても、最後は互いにゆるし合い、悔い改め、祈り合える関係であったことが幸いでした。結婚式で歌った賛美歌のみことばを思い出し、いつもこのみことばの土台に立っていなければならないと思いました。

コリント人への第一の手紙13章4節~8節a本
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。

敵は私たち夫婦の関係を潰そうとしてくるサタンなのだとはっきり見分けて、互いに血肉の戦いをしなくなったこと、自分の気持ちをぶつける前に、相手の気持ちを聞き、受け入れた上で冷静にイエス様=みことばをカシラに話をすることで、感情をむき出しに怒鳴り合うようなケンカの数はいっきに減っていきました。

K兄弟は、私と交際を始める約半年前に、毎週集会に通えるよう浜松市に引っ越すよう主に示されました。そして、大分県にある家業(酒蔵)の仕事を辞め、新たな職場として、食品機械製造会社が与えられました。浜松にあるぶどうの木の副牧師としての召しを受けている私が、酒蔵に嫁ぐことも、大分に住むことも到底考えられませんでしたから、この転職、引っ越しがなければ、彼との結婚はあり得ませんでした。ですから、K兄弟の転職、引っ越しは、「イエス様、彼が私の結婚相手であるなら、彼をこちらに導いてください」という私の祈りの成就でもありました。
しかし、職場は浜松市ではなく、浜松市から電車、車どちらを使っても約1時間離れた場所にありました。結婚を機に、住まいをどこにするか考えた時、最初は私がK兄弟の会社の傍に引っ越すのが当然かと思いましたが、兄弟姉妹から反対の声が上がりました。そして、群れの働きのためには、私が実家にいる母(牧師)と密に会って交わりができる距離にいること、兄弟姉妹との交わりもスムーズに行なえる場所にいることが何より大切であると語られ、K兄弟が浜松市から会社に通うことが御心であると示されました。そこで無理のないよう電車通勤を考え、駅の近くの住まいをイエス様に求めて探しました。なかなか、条件に合う物件がなく、やはり会社に近い地域に住むことが御心なのか?と思い始めた時、物件サイトに「ここが空いていればいいのに!」と思っていたマンションの物件がいきなり入ってきました。1件だけ、賃貸の部屋があいており、最寄り駅まで徒歩3分の場所に、私たちは新居をかまえることができました。結婚式の数日前のことでした。

K兄弟は、職場でエンジニアとして働いていましたが、結婚当初は工場勤務もあり、朝5時半発の始発電車に乗らなければ就業時間に間に合わず、お弁当も持参する必要があったため、4時45分に起きる生活が続きました。結婚前は実家で夜型の生活を送っていた私にとっては、肉を打ち叩いて生活リズムを変えることから始まりました。
2か月ほど経ち、ようやく工場勤務が毎日ではなくなり、出勤時間も1時間遅くなっていきましたが、エンジニアとしての仕事が入ってくると、今度は残業が多くなりました。19時台に帰宅できれば良い方で、21時、22時帰宅も当たり前となり、終電で帰宅する日もありました。いつ仕事が終わるか分からないため、平日は基本的に一人で食事をし、入浴を済ませ、ひたすら帰りの連絡を待つ日々・・・K兄弟は帰宅してすぐに食事を済ませ、入浴し、家について1時間も経たないうちに就寝するような状況が何か月も続きました。また、土曜日出勤、長期休みを返上しての仕事もあり、夫婦での予定や、大分への帰省の計画を立て、切符まで買っていても、前日にキャンセルしなければならない事もありました。
K兄弟の霊的状態も悪く、うっかりミスや忘れ物が多いため、その都度フォローが必要でした。また、ミスの積み重ねによって上司から暴言を吐かれたり、同僚から暴力を受けている話も聞かされ、K兄弟自身だけでなく、私も精神的ストレスが大きくなっていき、肉的にも霊的にも、こんな状態で子どもを授かるわけがない、授かってもやっていけない、育てていけないだろうと思っていました。当然神側も、子どもを授かる家庭の受け皿ができていないところに、子どもを授けるようなことはなさいませんでした。

2022年9月1日に、牧師である母が、潰瘍性大腸炎の完治、寛解期というレッテルを剥がすための聖霊の導きで、銀座にある吉野医師(歯科医)の病院でメタトロン診療を受けました。当時、K兄弟も霊の病の後遺症が体、特に顎や舌に残っており、霊的状態も悪かったため、牧師から、「一度メタトロンを受けてみたらよい」と勧められました。まずは歯科診療の予約をとり、吉野夫人の治療を受け、顎関節症になっていることが分かりました。夜中に歯ぎしりをし、無呼吸になり眠りが浅くなっていることも指摘され、顎や舌の状態を治すためにマウスピースをつくり、定期的に通院することになりました。
10月中旬にはメタトロン診療も受けることになりました。K兄弟は食後すぐに就寝していましたし、夫婦でパンや甘いものを好み、冷凍食品や揚げ物もよく食べていたため、二人そろって結婚前より体重が3キロほど増えていました。K兄弟はメタトロンによって、心臓(血管)、前立腺、腎臓、膵臓に未病が見つかり、夏に、毎日水筒にスポーツドリンクを入れて飲んでいたことで、必要な栄養が摂れていない、つまり栄養失調状態である事が発覚しました。毎日食事を作っていた私にとっては衝撃的事実でしたが、確かにその時点で、K兄弟は腹痛から下痢をすることが多くなっていました。
メタトロンによって、今までの食生活を3か月間まずは改善するよう言われ、その日から二人で実践していくことになりました。職場で注文できる弁当には揚げ物や添加物が入っているため、再び毎日弁当を持っていくことにしました。しかし、結婚当初とは違い、小麦粉、油を使わない、冷凍食品や添加物の入った調味料に頼れない弁当づくり、食事づくりは、私にとって主に与えられた訓練でもありました。先に食事改善を始めていた母から知恵をもらい、手づくりの調味料(麹)を分けてもらい、体に良いものを探求し、値は上がっても、安全なものを買うようになりました。そんな食生活の変化は体にすぐにあらわれ、K兄弟の腹痛はなくなり、便通がよくなり、マウスピースを装着してぐっすり眠れるようになったことで心身共に元気になっていきました。体重も2人そろって結婚前に戻りました。
2023年1月に再度受けたメタトロンでは、食事改善の成果があらわれ、K兄弟は健康体になっていました。それ以降も、食事には気をつけています。歯科診療も、吉野夫人を救いに導き、口腔状態も改善されたことから9月に終診となりました。

結婚して1年が経っても、妊娠に至らなかった時、私は「神の御心に従う」と日々祈りながらも、実際は焦っていました。以前、産婦人科医が「1年経っても自然に子どもが授からないなら、不妊症だから、不妊治療を始めた方がよい」と言っていたのを聞いていたからです。ネットで検索しても、同じような答えが出てきて、私は不妊の胎なのか?ならば、不妊治療をした方が良いのか?と考えるようになっていました。なかなか子どもを授からなくて落胆する私に、「大丈夫!神は愛なんだから!神のタイミングで与えられるよ!」と言い続けてきたK兄弟も、「もしかしたら自分に原因があるのかも?検査した方がいいかな・・・」と言い始めるようになりました。
一方で、世の中の状況を見れば、闇側の悪事が次々に暴かれ、こんな時代、社会に子どもを授かっても大変だ!生まれてくる子がどんな時代を生きることになるのだろうか・・・と考えると途方に暮れました。神があえて授けないようにしておられるなら感謝だという思いもあり、毎月生理が来るたびに、落胆と安堵が同時に来て複雑な思いの中、「神は全て御存じで、私たち夫婦にとって最善を与えてくださるのですよね!」と祈り、立ち上がっていました。結局不妊治療に踏み出す気持ちは生まれず、全てを主にゆだねて過ごし続けました。

2023年4月7日、私は交通事故を起こしてしまいました。雨風が激しい夕方17時すぎでした。軽自動車を運転中に強烈な眠気におそわれ、一瞬意識がなくなった拍子に車体の左前方が道路標識にぶつかり、そのまま車が右に横転し、運転席側が下の状態で止まりました。軽自動車の軽さ、もろさを痛感しました。被害者はおらず単独事故でした。誰も傷つけず、人の命を奪わずに済んだことが不幸中の幸いでした。右側のサイドミラーはつぶれ、窓ガラスが粉々に割れましたが、横転する際に身がまえることができ、自分の顔を守ることができ、体に傷も痛みもありませんでした。車内で“どうしよう・・・どうやって出よう・・・”と思っていると、ある会社の前で横転したため、すぐにその会社の方々はじめ、たくさんの方々が駆けつけてくれ、救急車と警察を呼んでくれました。私自身は数名の男性の助けをかりて、自力で車内から出てくることができました。呆然としながらも、イエス様に守られたことを全身で感じ、命があったことにまず感謝しました。
助けて下さった方の会社の軒先に座らせてもらい、近くにいる母(牧師)に電話をし、状況を説明しました。しばらくすると救急車が到着し、救急車の中で処置を受けていると、母が駆け付けてくれ、救急隊員と警察とやりとりをしてくれました。私はその時点で自覚する体の痛みはありませんでしたが、とんでもない事になってしまったという思いから足の震えが止まりませんでした。救急隊員からは、「運転中に意識がなくなりましたか?コロナワクチンは何回接種されていますか?」と聞かれました。おそらくワクチンによって運転中に気を失ってしまう人が多いのでしょう。しかし、私はコロナワクチンを打っておらず、理性や自制では耐えられないほどの眠気、抗えないほどの眠気との戦いの中での事故でした。集会での学びをブログに書き表す際、よく寝落ちしてしまうほどの眠気に襲われる事があり、これはよほどサタンが書かせたくないのだなと思いながら、戦ってきました。事故当日も、朝から同じような感覚の眠気が一日ありながら久しぶりの保育園勤務を終え(マスクを外しての勤務だったのでシェディングによる眠気もあったのか?)、帰宅途中に襲ってくる眠気の霊と戦っていました。そこまで眠気があるなら休憩するべきでしたが、自宅が近づいていた事もあり「あと少しだから」という思いで運転を続けた矢先の事故でした。判断ミスでした。
私は救急車で病院に搬送されてしまったので、実際車がどのような状態になったのか、その場もどのような状況かよくわからなかったのですが、誰もが、私が無傷であったことに驚くほどの事故現場だったそうです。私は全身のCT検査を受けましたが、脳、骨などどこも異常なく、すぐに迎えに来てくれた父の車で帰ることができました。

大変だったのは、現場に残り警察と対応してくれた母の方でした。駆け付けた母は、事故現場を見て、死んでいてもおかしくないと思ったそうです。事前に私から連絡を受け、無事であることは確認できていたから良かったと・・・。現場は渋滞し、警察官4人が交通整理している状況で、横転した事故車両を早くレッカー車で動かさなければなりませんでした。救急隊員にも病院まで後ろをついてくるよう言われていましたが、警察官から「道路標識を早く直し、レッカー車を手配しなければならない」と言われ、続けて「お母さんが病院に行っても検査中待っているだけだから、ここの処理をした方がいいです。契約している保険会社はどこですか?」と聞かれました。母は、保険会社が分からず、保険のことを分かっている私の主人(K兄弟)となかなか連絡が取れなかったため、保険会社を通して対応することは一先ずやめ、皆に迷惑をかけている状況を一刻も早く解決しなければという思いで、警察が使っているレッカー車屋に来てもらうようお願いしたそうです。高額な費用がかかると警察官に言われたそうですが、ならば自分が払えばいいと思ったそうです。そして、母は父に電話をかけ、お世話になっている車のディーラーまで事故車を運べるよう、ディーラーの担当者に連絡してもらったそうです。担当者も、事故車両を見ていたので、私が病院からディーラーに行くと、無事であったことに驚き「本当に良かったです」と言ってくださいました。そこから、保険会社との対応をして下さいました。

車は修理するよりも、新しく購入した方が良いぐらいの状態で、K兄弟が自分の車両に対する保険をかけていなかった事もあり、新車を購入することにしました。入っていた保険でレンタカーを30日借りられることになり、新車が手に入るまではレンタカーで過ごすことになりました。しかし私は、“新車を購入してもすぐに納車されないかもしれない・・・それなら1日でも多く実家の車を借りていたほうがいいか”と思い、すぐにレンタカーを借りることを一度断ってしまいました。そこを母(牧師)に指摘され、「あなたにはすぐに新車が与えられるという信仰がないのか?30日以内で与えられることをなぜイエス様に求めないのか!?」と戒められました。確かに私は現実問題だけを見て物事を判断していることに気付かされ、悔い改めました。
そして、K兄弟と新車がすぐに与えられるよう祈り求め、2日後、日曜日の集会の前に、ディーラーに行きました。すると、担当者が30日以内に納車できる普通自動車を紹介してくださり、車種、色ともに二人の思いが一致して、すぐに購入手続きをすることができました。K兄弟が結婚する前に買っていた軽自動車(事故車両)を、結婚しても夫婦一台で使っていたのですが、もともとその軽自動車を購入した経緯についても、当時K兄弟は牧師から忠告を受けており、将来的にはやはり普通自動車に買い替えよう、子どもを授かったタイミングで買おうかと話していました。なので、自分の命をかけての事にはなりましたが、我が思いよりも早いタイミングで普通車が与えられ、車に対する保険も見直せたことは喜びとなり、K兄弟の肉の思いで選んだ軽自動車から、二人で主にあって選び決めた普通車に乗り換えて、互いに全てが新しくスタートできることに感謝しました。
また、事故日の前日に遅れていた生理が来ていたことからも、この時に妊娠に至らずに良かったとほっとしていました。携帯電話を手元に置かず、事故直後すぐに電話に出られなかったK兄弟も悔い改め、そこからはいつでもすぐに反応できるよう意識するようになりました。これも、一家の長となっていくために大切なことでした。
事故から数日後、むち打ち症状が現れたため、7月末まで約3か月間、接骨院に通うことになりました。電気治療は妊娠していたら行えません。まずは自分の体を整える事が必要なのだと感謝して通いました。

K兄弟は電車通勤のため、半年ごとに定期を購入しているのですが、新しい定期を買う時期になった2023年6月末ごろに、「イエス様から、3か月分で良いと言われた。転職を考えている」と言い出しました。確かに今の職場、働き方では、将来的に不安もあったため、転職が神の御心であるならば与えられるであろうという思いで、私も応援することにしました。K兄弟は、その時点で42歳・・・年齢的にも転職は厳しい状況でしたが、勤務地を浜松市に絞り、転職サイトに応募すると、大手2社から連絡があり、仕事をしながら転職活動を行っていました。K兄弟はどちらかに受かるだろうと確信していました。しかし、結果的に両方採用されませんでした。神はK兄弟の転職の動機、心をお見通しでした。エンジニアとしての能力の限界を感じていたこともありましたが、一番の動機は、暴力をふるう同僚がゆるせず、逃げ出したいという事でした。K兄弟が一度毅然とした態度で「暴力はやめてください!」と言うと、その同僚の暴力はしばらくおさまっていたのですが、時が経つと、手が出ることもありました。立場上一緒に仕事をしなければならない時もあり、K兄弟は恐れの霊と裁きの霊に囚われていました。履歴書や面接で伝える転職理由も、「同僚の暴力」にしていました。そのように書いた方が、正当な理由となるというエージェント(この世)の知恵でもありました。会社の上司(役員)にもなかなか相談できずにいましたが、辞める覚悟ができた時、ようやく事実を話すことができました。

8月に入り、2社採用試験を受けました。1社落ち、2社目の合否は9月4日に分かると言われた時、K兄弟も私も、これは神が与えて下さった素晴らしい花道だと思っていました。なぜなら、9月3日日曜日に、ぶどうの木は17年目の集会を迎え、その日は絵本「1つになろうよ!」の出版記念祝賀会も行われる事になっていたからです。私たち夫婦は、私が著者となったこの絵本に、K兄弟が賛同し、この絵本に書かれているような夫婦、家族を築いていきたいという思いで一致し、絵本を土台に結婚していたため、絵本の出版を祝った翌日に、新たな職場も決まるのだ!と確信して、喜んでいたのです。さらに、祝賀会でのじゃんけん大会で、私は【いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい】(第1テサロ5:16~18)というみことばの壁掛けを景品で頂き、私たちの歩みへの裏付けだと思っていました。だからこそ、翌日2社目も落ちた時には、イエス様なぜですか!?と問うたのでした。しかし、それは先に書いたように、K兄弟の動機が神の御心に反していたからでした。K兄弟は、会社を裁き、逃げ出したいという気持ちからカルトの霊にまかれ、転職をしようとしていた事を悔い改めました。やり残している事がある限り、神は次の職場には導きません。K兄弟は、無条件のゆるしを行ない、エンジニアとしても主にあってできる!で、しっかりと神の栄光をあらわしていくことにもう一度意志を向け、神が与え、訓練して下さっている職場に感謝して、一から出直す決心をしたのでした。
 

すると1週間後、上司に呼ばれ、部署変更を言い渡されたのです。会社としては、暴力問題を重く受け止め、これ以上、二人が関わることのないように配慮し、K兄弟のために新たに「企画」という部署をつくってくれたのです。しかし、それはエンジニア職をはずれ、給料も下がるだろうという話で、私は最初、これは栄転なのか?K兄弟は窓際にやられてしまったのか!?と思い、素直に喜ぶことはできませんでした。一方、K兄弟は、エンジニアではない、自分の別の能力を上司が見て、上司の右腕として会社をより良くしていくために用いられることになるのだと受け、喜んでいました。この話を受けるのかどうか、改めて返事がほしいと言われたとの事で、私たちは「イエス様、どういう事ですか?分かるように教えてください」と改めて尋ね、二人で祈りました。
 

その後、K兄弟は試しに新部署での仕事をしてみることになったのですが、その仕事内容が自分でも驚くほど向いていることが分かったのです。心配していた給料面についても改めて上司に尋ねると、「できるだけ変わらないように配慮します!」という事でした。何より、K兄弟が喜びの内に仕事ができていること、思いもよらなかった同じ会社内での部署変更に神のなさり方を見た私たちは、これはイエス様からだと確信しました。そして、9月中旬から、K兄弟は「企画」という新部署で働くようになり、仕事も定時17時には終われるため、18時半には帰宅できるようになりました。私も、いつ帰ってくるかと思い煩う必要なく、毎日一緒に夕飯を食べ、夫婦で会話する時間もゆっくりとれること、休日出勤に振り回されることなく予定が立てられること、結婚当初から祈り求めてきた事が叶い、ようやく一つ訓練を終えたのだと感謝しました。

コリント人への第一の手紙2章9節本
聖書に書いてあるとおり、「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。

そして、帰宅が早まったことで時間が与えられるようになったK兄弟は、その時間をぶどうの木の証の動画配信に使う思いを入れられ、夫婦でブログと動画によって主からのメッセージ、御業を伝える働きをしていくことになりました。この事も、夫婦にとっては大きな祝福となりました。

今まではK兄弟が「今の会社にずっといるつもりはない」と言っていた事もあり、転職するなら家はしばらく賃貸のままの方が良いかと思っていましたが、新部署に移り、生活の基盤が整ったことで、家の購入を考えるようになりました。2023年12月末には、2年契約が終わること、年齢的にも、ローンを組んでの購入をするなら今であること、毎月支払う家賃が高額だったため、ローン返済にあて、自分たちの家をかまえる方が良いと思っていると、目の前の駅をはさんで反対側にマンションができることを耳にしました。10月に入り、早速そのマンションのモデルルームに行きました。しかし、新築という事もあり、私たちが求めていた3LDK以上だと予算をはるかに上回る金額でした。予算内で購入できる部屋は2LDK・・・マンションとしては気に入ったのでその場で仮予約をしようとしましたが、高額な買い物であったため、一緒に立ち会ってくれた母と妹の一声で保留にし、もう一度イエス様に求め聞くことにしました。私の中には「2LDKの部屋を購入するという事は、私たちはこの先も夫婦2人の人生なのか?イエス様、子どもは授からないという事ですか?」という思いもありました。そして、家に帰り、K兄弟に私が抱いた思いを伝え、家族計画をどう考えるのか、現に3LDKの賃貸に住んでいることから、やはり家族が増えることを思うなら2LDKでは狭いのではないかという結論になり、その新築マンションの購入はやめることにしました。

物件探しを続けていると、今度は自分たちが賃貸で住んでいるマンションの中に中古売り物件があることが分かりました。もともと賃貸マンションではなく、部屋のオーナーが貸し出してくれている物件に私たちは住んでいました。K兄弟が同じ会社に通い続けるという事は、やはり駅近物件が良く、他にも探していましたが、実際、今住んでいるマンション以上に好条件の物件はありませんでした。
10月7日、不動産会社を通じて早速物件である1009号室を見に行くと、4LDKで状態も良く、すぐに子どもができたらこの部屋が子供部屋かな?と、家族が増えた時のイメージも持てました。金額も、私たちの予算と一致しており、無理なく購入できると思いました。人気物件のようで、私たちの後に、2組内覧予約が入っていました。不動産屋から、「気に入られたのなら、早めにおさえておいた方が良いですよ」と言われ、どうしようかと話していると、ちょうど売主が荷物を取りに来られ、顔を合わせることになりました。K兄弟も、共に立ち会った母(牧師)も、一致の思いでこの物件が良いとなり、その場で仮予約となりました。誰に売るかは、売主側が決めることであるとも聞いていたのですが、この時に顔を合わせていたこともあり、売主にもあの人たちならという良い印象を与えていたようで、その後、スムーズに購入手続きに入ることができ、イエス様に感謝でした。

ピリピ人への手紙2章13節本
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。

物件を見に行った日、生理が1週間遅れていたため、もしかして?と思っていました。でも、1週間遅れることは今までもあったため、妊娠検査薬をしようかどうか迷っていました。すると聖霊に、購入する物件が「1009」だということを示され、10月9日に検査薬をしてみようという思いが入れられました。当日、陽性反応が出ました!この時の喜びと驚きは忘れられません。祝日でK兄弟が家にいたため、すぐに泣きながら報告し、「ほんとに!?」と驚く主人と喜びを分かち合い、家族にも伝えました。そして、翌日受診できる産婦人科を探すと、インターネット予約ができる病院があり、ちょうど1枠だけ空きがありました。(10月9日は祝日だったため、翌日の電話予約をできる病院がありませんでした)産婦人科受診は妊娠6週ごろからとホームページには書かれており、その時点でおそらく妊娠5週だったので気は早かったですが、予約し受診しました。

10月10日、妊娠5週、1.5センチの新たな命が宿っていることを確認でき、何とも言えないあたたかい気持ちになり、感動しました!小さな卵が、ここから人間になっていくのかと思うだけで、神の御業のすごさを思いました。すぐにK兄弟にメールで報告すると、「ついにお母さんだね。無事出産できるように神に従って歩んでいこう♪神の恵みだね、ありがとうイエス様」と返信がきました。家族も報告を喜び、母(牧師)からはその日の内に兄弟姉妹にも報告するよう言われました。2週間後に心拍を確認することになっていたため、まだ報告は早いのではないかと思いましたが、聖霊の導きに感謝してそのまま報告しました。すると執事が、「今日10月10日は、赤ちゃんの日だそうです」と教えてくれ、この日に報告した意味が分かりました。また、10月15日には、絵本「1つになろうよ!」が文芸社より新たに出版される日でもあり、絵本出版前に、絵本の第2章“神様からの贈り物”、子どもの誕生から父母として家族のあり方を学んでいけることから、神の秩序正しさに感謝せずにはおれませんでした。
神の家族からの祝福のメッセージを受け、K兄弟も「神の家族からの祝福のメッセージをありがとうございます。そして、今回、私たち夫婦に子どもを授けてくださったイエス様に感謝します。イエス様は全て秩序正しく必要なタイミングで与えてくださる神で、イエス様のなさり方に生きている神なのだと感じます。holygirl姉妹と結婚する前から子どもを授かることは霊から語られ、二人で祈る時もイエス様のタイミングで子どもが与えられたことを感謝しますと霊から言葉が出るので、そこが大事なことなんだと私は思っていました。ようやく家庭に子どもを授かる受け皿が備わったのだと感じ、ちょうど絵本が新たに出版される間近にholygirl姉妹の妊娠が分かり、そこも全てがイエスキリストで、ここから二人で絵本の続きを体現していきたいと思います。どうもありがとうございました」と喜び、感謝を捧げました。

予定日は、令和6年6月6日。666・・・サタン・獣の刻印の日か!と、最初はギョッとしましたが、私の中に宿った子は、サタンを足の下に踏み砕いてこの世に誕生する勝利の子であるのだと牧師を通して解き明かされ、アーメンでした!世の中に目を向ければ、この世界にこれから産み出され、生きて行かなければならないのかと、不安になることもありますが、神が授けて下さったのであれば、ここから闇は光に勝たず、きっと世界は明るく、主にあって良くなっていくのだろうと、不安という肉の思いを退け、霊の思いに立ち、日々サタンを縛り上げながら生活しています。

ヨハネによる福音書1章5節本
光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

そして、妊婦生活を通して、女性の体が胎児を養い育てるために神によっていかに精巧につくられているか、また、人間が神によっていかに一つ一つ丁寧に組み立てられていくのかという事を実感しています。子どもを授からずに夫婦二人の人生を楽しむこと、全ての時間を主の働きに用いていく人生も神の御心の一つであると思ってきましたが、この歳であっても、母親になることを体験させて下さった神の御心を、私は今も、そして、これからもしっかりと感じ取り、感謝して、クリスチャンとしても一回りまた大きく成長していきたいと思っています。
また、男性にとっても、“父親になる”ということは、大きな心の成長、男として、一家の長としてさらに強く変わっていくことなのだと思います。自分が母親になりたい!という思いと同じくらい、K兄弟を父親にしたい!という気持ちが結婚した時からありました。精神的に弱く、細かなことを周りに注意されてきたK兄弟でしたが、妊娠期間中に、一つ一つ正され、どんどん頼もしく変えられていきました。K兄弟自身は、男性が家事をするような家庭で育っていないため、結婚してから家事は全面的に私がしていました。私も人に頼るよりは自分でやってしまった方が良いと思っていたので、それで良しとしてきましたが、つわりや、お腹の張り、足のむくみなど、体の変化に伴って簡単にできないことも増え、一つ一つ協力してほしいことをお願いしていくようになりました。自分のやり方を押し付けてしまうのではなく、まずはやってくれたことに感謝すること、「ありがとう」の一言を忘れないこと・・・互いに体が疲れていたり、気持ちのすれ違いで衝突することもありましたが、今では私のことを気遣い、自分から家事の手伝いを積極的に行なってくれる夫であることに感謝しています。

女性は妊娠した日から体の変化と共に我が子がいることを実感し、母親になる自覚が生まれますが、K兄弟はやはり生まれなければ、実感がわかないようです。それでも、お腹が大きくなっていく私を見て驚きながら、また、エコーの写真を見て、私のお腹に手を置いて胎動を感じ、「おーい!」と呼びかけながら、そして、毎日「妻とお腹の子をイエス様が守ってくださったことを感謝します」と祈ってくれながら、K兄弟と共に成長を喜び合える幸せな妊娠生活を送れたことをイエス様に感謝します。
K兄弟の職場においても、さらに神の好意が働き、妻が扶養に入っていることで給与が上がり、さらに子供がいる家庭は給与が上がるそうです。また、子どもが生まれたら大変だろうからと、会社初の試みで週に何回かリモート勤務をしても良いという話も出ています。これでもか!と神が祝福を注いで下さっていることに感謝し、子育てという新たな段階に入ったら、ますます神に喜ばれるよう使っていただきたいと夫婦で祈り求めています。

ピリピ人への手紙4章19節~20節本
わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。わたしたちの父なる神に、栄光が世々限りなくあるように、アァメン。

世の中には、子供ができたからと慌てて結婚した夫婦が増えていますし、望まない妊娠により中絶を選んでいる女性たちもいます。「神が子ども授ける」、「子どもは神様からの贈り物である」という言葉が全ての人に通用するとは到底言えない時代ではありますが、私たち夫婦は、聖書真理に従い、家庭の受け皿ができたところに、神は子ども授けてくださることを身をもって体験しました。“子どもを授かったら”ではなく、“子どもを授かるために”互いが行うべきこと、夫婦として変わらなければならないことがあるのだと教えられました。そして、土台が整えられたからこそ、安心して、平安の内に、新しい命を迎える心構えができています。
また、肉的には、不妊の胎も食生活が原因であること、妊娠に至るためには、食生活の改善も重要であることを教えられました。実際、振り返ってみると、私の妊娠はメタトロンによって食事改善を始めて丸1年が経った時でした。産婦人科医が言っていた「1年経っても自然に授からなければ」という事に対しても、見事に神は食事が大切であったと実証して下さったのです。

伝道の書3章1節~14節本
天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。
働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない。またすべての人が食い飲みし、そのすべての労苦によって楽しみを得ることは神の賜物である。わたしは知っている。すべて神がなさる事は永遠に変ることがなく、これに加えることも、これから取ることもできない。神がこのようにされるのは、人々が神の前に恐れをもつようになるためである。

今、互いの両親が元気で、孫の誕生を楽しみに、協力的に迎える準備をしてくれることも、幸せなことです。特に私の母(牧師)は、イエス様に救われていなければ私が20歳になる前に難病の苦しみに耐えられずに命を落とし、この世にはいなかったでしょう。今、母と出産準備をする中で、改めてこの時を共に迎えることができ、相談できることに感謝が溢れます。
ぶどうの木の牧師である母は、男女の出会いから結婚、神が望まれる夫婦の在り方、親子の在り方、家族のあり方について、自分自身の体験と聖書のみことばを照らし合わせながら語ってきました。神が母を通して与えて下さったメッセージを一番近くで聞き、学んできた私には、さらに自分自身の体験をもって次世代に伝えていく責任が与えられたと思っています。
「妊娠した」と報告した時、母はすぐに男の子だと思ったそうです。その確信通り、生まれてくる子は男の子です。母は娘2人(私と妹)を育てましたが、私は息子・・・母が通ってきた道とはまた違う体験をさせてもらうことにもなるでしょう。神から預かった子どもとして、立派なクリスチャンに夫婦で育てていけたことを感謝して祈ります。

詩篇127篇本
主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。見よ、子供たちは神から賜わった嗣業であり、胎の実は報いの賜物である。壮年の時の子供は勇士の手にある矢のようだ。矢の満ちた矢筒を持つ人はさいわいである。彼は門で敵と物言うとき恥じることはない。

伝道の書4章9節~12節本
ふたりはひとりにまさる。彼らはその労苦によって良い報いを得るからである。すなわち彼らが倒れる時には、そのひとりがその友を助け起す。しかしひとりであって、その倒れる時、これを助け起す者のない者はわざわいである。またふたりが一緒に寝れば暖かである。ひとりだけで、どうして暖かになり得ようか。人がもし、そのひとりを攻め撃ったなら、ふたりで、それに当るであろう。三つよりの綱はたやすくは切れない。

アーメンダイヤモンド