クリスチャンになるとは―自分自身が神の宮― | ぶどうの木 Good News

クリスチャンになるとは―自分自身が神の宮―

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今週の集会では、トラクト『未来へのプレゼント』の<はじめに>を皆で読みました。このトラクトは、ぶどうの木でつくった2冊目のトラクトであり、クリスチャンになるとはどういう事か、聖書は何を教えているかを、分かりやすく未信者に伝える内容となっています。

 

『今、人には言えない悩みや苦しみ、解決のできない問題や病気を抱えていませんか?この先の人生に対しての不安、恋愛・結婚・夫婦生活、子育て、老後など困っていることはありませんか?自分なりにやってはみたけれど・・・何が正しくて何が間違っているのか、果たしてこのままでいいのか、答えを見出すのはたやすいことではありません。しかし、ただお一人、あなたのすべてをご存じの方がいらっしゃいます。それは、天地を造り、あなたを母の胎内で組み立て誕生させた“神”です。神は愛です。あなたの人生の最善の道を知っており、いつもあなたを祝福したいと思っておられます。そして、直接ご自身をあらわすために、絶対的な信頼をおいている“イエス・キリスト”をあなたに送ってくださろうとしています。あなたにとって、人生最大の贈り物になると約束します。今まで、あなたが知らなかった本当のこと(真理)が、ここに書かれています。それを悟った時、あなたにとってこの世の中で、神ほど現実的なものはないことを確信できるように祈っています。

 

◎あなたの中にある、キリスト教のお話をするつもりではありません。ある哲学や、一連の規則を受け入れたりすることではありません。あるいは、頭で理解できる人の教え(考え方)を信じるということではありません。クリスチャンになるということは、“神をあなたの内にお迎えし、住んでいただく”という意味です。』

 

改めて、私たちは自分自身がどんなところから贖い出されたのかを思い出し、「神を自分の内にお迎えし、住んでいただいているのがクリスチャンである」という定義を自覚しなければならないと語られました。救われる前は、仏壇に手を合わせ、神社にお参りに行っていた私たちでしたが、今は自分が神の宮、イエス・キリストがおられる教会です。クリスチャンであっても、この定義がなければ、毎週教会に通っているからクリスチャン、イエス・キリストに祈っているからクリスチャンという認識であり、神の宮である自分自身がつくりかえられ、変わっていくのだという自覚は生まれません。ですから、救われる前と何ら変わらないのです。肉を打ち叩いて肉の人から霊の人へ180度真反対に変えられていなければ、結局同じ罪を繰り返し、神を信じていると言いながら、神を軽んじ、あざけり、自分の思いや考えの方が正しいと高ぶり、不信仰になり、祈りがきかれなければ呪う者となっていきます。しかし、霊の人になるなら、神がいつも心を見ておられること、ただ見るのではなく観察して(物事の状態や変化を客観的に注意深く見て)おられることを知ります。私たちが何を考え、何を思い、どう行動しているのか、目の前の状況から逃げていないか、目の前の人に偽りなくまっすぐ語っているか、妥協していないか、神は私たちの内におられるのですから全て御存じです。それをわきまえ知って神を畏れる心をもち、肉の人から霊の人になること、完全に肉の自分と決別することを『聖別される』と言うのだと確認しました。

そして、私たちは牧師を通して聖別されているのか問われました。クリスチャンになるとは、もう一つ、「神の子になる」という事でもあります。ぶどうの木では、箴言1章8節~9節【わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教を捨ててはならない。それらは、あなたの頭の麗しい冠となり、あなたの首の飾りとなるからである。】というみことばより、クリスチャンになったら、父は天の父・神となり(肉の父は兄弟となる)、母は牧師(ぶどうの木は牧師が女性のため)であると羊たちの啓示によって証言され、学んできました。天の父の教訓を聖書を通して学び、御霊によって語る母・牧師の教え、寺子屋教会で学んだことを捨てずに身にしていくのが神の子である私たちクリスチャンです。

 

世の中には、神の教訓に逆らって生きる悪人が大勢います。息を吐くように平気で嘘をつく人、心にもないことをその場の雰囲気や相手を見て言葉にする人がいます。聖書はその事を的確に教え、クリスチャン・神の子として彼らを警戒すること、神が彼らを裁くことを伝えています。

 

箴言1:10~19本

わが子よ、悪者があなたを誘っても、それに従ってはならない。彼らがあなたに向かって、「一緒に来なさい。われわれは待ち伏せして、人の血を流し、罪のない者を、ゆえなく伏してねらい、陰府のように、彼らを生きたままで、のみ尽し、健やかな者を、墓に下る者のようにしよう。われわれは、さまざまの尊い貨財を得、奪い取った物で、われわれの家を満たそう。あなたもわれわれの仲間に加わりなさい、われわれは共に一つの金袋を持とう」と言っても、わが子よ、彼らの仲間になってはならない、あなたの足をとどめて、彼らの道に行ってはならない。彼らの足は悪に走り、血を流すことに速いからだ。すべて鳥の目の前で網を張るのは、むだである。彼らは自分の血を待ち伏せし、自分の命を伏してねらうのだ。すべて利をむさぼる者の道はこのようなものである。これはその持ち主の命を取り去るのだ。

 

箴言30:11~33本

世には父をのろったり、母を祝福しない者がある。世には自分の目にみずからを清い者として、なおその汚れを洗われないものがある。世にはまた、このような人がある――ああ、その目のいかに高きことよ、またそのまぶたのいかにつりあがっていることよ。世にはまたつるぎのような歯をもち、刀のようなきばをもって、貧しい者を地の上から、乏しい者を人の中から食い滅ぼすものがある。

蛭にふたりの娘があって、「与えよ、与えよ」という。飽くことを知らないものが三つある、いや、四つあって、皆「もう、たくさんです」と言わない。すなわち陰府、不妊の胎、水にかわく地、「もう、たくさんだ」といわない火がそれである。自分の父をあざけり、母に従うのを卑しいこととする目は、谷のからすがこれをつつき出し、はげたかがこれを食べる。

わたしにとって不思議にたえないことが三つある、いや、四つあって、わたしには悟ることができない。すなわち空を飛ぶはげたかの道、岩の上を這うへびの道、海をはしる舟の道、男の女にあう道がそれである。遊女の道もまたそうだ、彼女は食べて、その口をぬぐって、「わたしは何もわるいことはしない」と言う。

地は三つのことによって震う、いや、四つのことによって、耐えることができない。すなわち奴隷たる者が王となり、愚かな者が食物に飽き、忌みきらわれた女が嫁に行き、はしためが女主人のあとにすわることである。

この地上に、小さいけれども、非常に賢いものが四つある。ありは力のない種類だが、その食糧を夏のうちに備える。岩だぬきは強くない種類だが、その家を岩につくる。いなごは王がないけれども、みな隊を組んでいで立つ。やもりは手でつかまえられるが、王の宮殿におる。

歩きぶりの堂々たる者が三つある、いや、四つあって、みな堂々と歩く。すなわち獣のうちでもっとも強く、何ものの前にも退かない、しし、尾を立てて歩くおんどり、雄やぎ、その民の前をいばって歩く王がそれである。

あなたがもし愚かであって自ら高ぶり、あるいは悪事を計ったならば、あなたの手を口に当てるがよい。乳をしめれば凝乳が出る、鼻をしめれば血がでる、怒りをしめれば争いが起る。

 

アーメン宝石紫

 

クリスチャンと言いながら、霊の父・神をのろい、霊の母・牧師を祝福せず、自分の目にみずからを清い者として、その汚れを忌み嫌わない人、訓戒を受ければすぐに自分の意見を言って神より高ぶり、牧師を裁く人、貪欲で与えられることばかりを求め、「もうたくさんです」と言わないあつかましさがある人・・・そのような人に成り下がっていないか、自分を吟味するよう語られました。

また、箴言30章16節の【すなわち陰府、不妊の胎、水にかわく地、「もうたくさんだ」といわない火がそれである。】という箇所の【不妊の胎】を通して、霊的に何も生み出さない状態であると語られました。先週の群れの羊たちの状態がまさにそうでした。兄弟姉妹からたくさんの報告メールがあがっているにもかかわらず、それに対して言葉が出てこない、寄り添う言葉が出てこない羊が多く、牧師から訓戒を受けると、一人のメールの形式にならって、皆が同じような文面でメールを打つ異様さがあらわれました。自分の言葉も思いもない、まるでロボットのような状態・・・霊から溢れる言葉が出ない人がどうやって他者に福音を伝えられるのかと、よく注意を受けてきましたが、学んでいることが身についておらず、その週に語られた事を行わず、黙って1週間を過ごして平然と集会の席に着いているのなら、霊の糧や経済的支援をもらうだけもらっているだけなら、貪欲で、あつかましい霊力に捕らわれており、すでに陰府にいるのだと訓戒を受けました。地獄の火は、「もうたくさんだ」と言わない、死人・悪人をどんどん受け入れる場所です炎

この世はすでに貪欲に満ち、お金がカシラの世界。ワクチンで人を殺してでもお金、利益を得たい国と製薬会社に誘導され、結果たくさんの人が命を落としています。どんなにこの世で善人と言われる人であっても、イエス様を内にお迎えし住んでいただいているクリスチャンでなければ、さらに聖別されたクリスチャン(「主よ、主よ」と言う者が皆天国に行けるのではなく、神のみ旨を行うクリスチャン)にこの地上で生まれ変わっていなければ、地獄行きです。神を恐れない人は平気でこの世で悪事を行い、自分をごまかし、人に対して偽ることができますが、必ず最期に全ての思いを探り、試みられてきた神に裁かれる日が来るのです!

 

神はずっと一人一人を観察しておられます。そして、神の御心、みことばに従って善を行なえるように、聖霊を助け主として送ってくださっています。しかし、牧師の中には、聖霊の働きは使徒行伝の時代に終わった、今の時代に聖霊はいないと教える牧師や、「聖霊」と言っていても机上の空論で、実際どんな働きをするのか分からずにいる牧師もいます。聖霊体験がなければ、聖霊対悪霊の霊の世界も分かりませんから、今のキリスト教会にはサタンの策略を見分けることも、それに打ち勝つだけの力もなく、一番攻撃を受けてしまっています。また、肉と霊が聖別されていなければ、肉の思いが強いですから、聖霊の導きがあったとしても従うことができず、タイミングを逃してばかりでしょう。

先週語られた通り、聖霊によって門が開かれている時は、自分に証があり、喜びがあり、勢いをもってその狭い門、細い道を通っていくことができますが、頭に戻ってぐずぐず考えていたら、門が閉じ、牧師に言われたからとしぶしぶ行なった時には聖霊の助けもなく上手くいきません。そうすると、「言われているからやらなければ!」という強迫観念になり、牧師への裁きも生まれてくるのです。今の時代は、皆が忙しく、自分のことで精一杯にさせられています。“牧師に言われても、今はできない!無理!やりたくない!まず明日が締め切りのこれを終わらせなければ!先にこれとこれをしなければ!”と理由をつけ、自己弁明して、後回しにするのが私たちの肉の習性です。ズルズルとやるべきことを先延ばしにすれば、サタンに別の武器をつくらせることにもなります。しかし、そのような自分の肉を忌み嫌い、まず神の国と神の義を求めて、信仰で一歩踏み出しやってみる、時を逃さずに発言してみるなら、あとのものは全て添えて与えられると約束されています。肉の習性にとどまるのか、霊の思いに意志を向けるのか、クリスチャンとしての真価が問われます。

 

そして、たとえ遊女に出会い、彼女に従うことになったとしても、内側にイエス様と助け主聖霊がおられるなら、「あなたのしたことは間違っているでしょ!」「あなたはあの時逃げたね!妥協したね!」「あなたはせっかくあの人に会ったのに、語るべきことを語らなかったね!」と教えられ、必ず心にチクっと刺さる罪悪感があるでしょう。肉がうるさい時には、「自分は正しい!」と言い張っていても、静まってイエス様こそ自分の主であることを知るなら(霊は神の子である証拠)、こんな状態でずっといるのは気持ち悪い、嫌だという思い、違和感が生まれてくるはずです。今週の集会でも聖霊に示されたタイミングを逃さないこと、語らせて下さるのは聖霊なのだからいちいち頭に戻って止めないことを改めて語られ、聖霊に示されたことを忠実に行いに移した兄弟姉妹たちの証が教材となり感謝でした。また、進展なく、どんよりと自分の置かれている状態にとどまっていたり、主に追及するよう、指摘するよう語られているにもかかわらず黙っているなら、霊がしぼみ、魂が衰え、体に刈り取りを来たらせるのだという事も聞き、与えられたみことばの数々から、何度も「怠惰になっていないか」とイエス様から問われました。

 

へブル6:1~12本

そういうわけだから、わたしたちは、キリストの教の初歩をあとにして、完成を目ざして進もうではないか。今さら、死んだ行いの悔改めと神への信仰、洗いごとについての教と按手、死人の復活と永遠のさばき、などの基本の教をくりかえし学ぶことをやめようではないか。神の許しを得て、そうすることにしよう。いったん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、また、神の良きみ言葉と、きたるべき世の力とを味わった者たちが、そののち堕落した場合には、またもや神の御子を、自ら十字架につけて、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔改めにたち帰ることは不可能である。たとえば、土地が、その上にたびたび降る雨を吸い込で、耕す人々に役立つ作物を育てるなら、神の祝福にあずかる。しかし、いばらやあざみをはえさせるなら、それは無用になり、やがてのろわれ、ついには焼かれてしまう。

しかし、愛する者たちよ。こうは言うものの、わたしたちは、救にかかわる更に良いことがあるのを、あなたがたについて確信している。神は不義なかたではないから、あなたがたの働きや、あなたがたがかつて聖徒に仕え、今もなお仕えて、御名のために示してくれた愛を、お忘れになることはない。わたしたちは、あなたがたがひとり残らず、最後まで望みを持ちつづけるためにも、同じ熱意を示し、怠ることがなく、信仰と忍耐とをもって約束のものを受け継ぐ人々に見習う者となるように、と願ってやまない。

 

アーメン宝石紫

先に語られたように、黙っていることは愛ではありません。信仰の仲間に寄り添い言葉を出すことはもちろん、自分を吟味した上で、悪しき者に対して指摘すること、愛にあって真理を語ることを止めてはなりません。指摘することを裁きだと思ってる人がおり、指摘されたらすぐに裁かれたと思う人がいますが、その誤解が人を堕落させ、世の中をダメにしているのだと語られました。

 

詩篇40篇本

わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。主はわたしを滅びの穴から、泥の沼から引きあげて、わたしの足を岩の上におき、わたしの歩みをたしかにされた。主は新しい歌をわたしの口に授け、われらの神にささげるさんびの歌をわたしの口に授けられた。多くの人はこれを見て恐れ、かつ主に信頼するであろう。主をおのが頼みとする人、高ぶる者にたよらず、偽りの神に迷う者にたよらない人はさいわいである。わが神、主よ、あなたのくすしきみわざと、われらを思うみおもいとは多くて、くらべうるものはない。わたしはこれを語り述べようとしても多くて数えることはできない。あなたはいけにえと供え物とを喜ばれない。あなたはわたしの耳を開かれた。あなたは燔祭と罪祭とを求められない。その時わたしは言った「見よ、わたしはまいります。書の巻に、わたしのためにしるされています。わが神よ、わたしはみこころを行うことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心のうちにあります」と。わたしは大いなる集会で、救についての喜びのおとずれを告げ示しました。見よ、わたしはくちびるを閉じませんでした。主よ、あなたはこれをご存じです。わたしはあなたの救を心のうちに隠しおかず、あなたのまことと救とを告げ示しました。わたしはあなたのいつくしみとまこととを大いなる集会に隠しませんでした。主よ、あなたのあわれみをわたしに惜しまず、あなたのいつくしみとまこととをもって常にわたしをお守りください。数えがたい災がわたしを囲み、わたしの不義がわたしに追い迫って、物見ることができないまでになりました。それはわたしの頭の毛よりも多く、わたしの心は消えうせるばかりになりました。主よ、みこころならばわたしをお救いください。主よ、すみやかにわたしをお助けください。わたしのいのちを奪おうと尋ね求める者どもをことごとく恥じあわてさせてください。わたしのそこなわれることを願う者どもをうしろに退かせ、恥を負わせてください。わたしにむかって「あはぁ、あはぁ」と言う者どもを自分の恥によって恐れおののかせてください。しかし、すべてあなたを尋ね求める者はあなたによって喜び楽しむように。あなたの救を愛する者は常に「主は大いなるかな」ととなえるように。わたしは貧しく、かつ乏しい。しかし主はわたしをかえりみられます。あなたはわが助け、わが救主です。わが神よ、ためらわないでください。

 

箴言31:1~9本

マッサの王レムエルの言葉、すなわちその母が彼に教えたものである。わが子よ、何を言おうか。わが胎の子よ、何を言おうか。
わたしが願をかけて得た子よ、何をいおうか。あなたの力を女についやすな、王をも滅ぼすものに、あなたの道を任せるな。レムエルよ、酒を飲むのは、王のすることではない、王のすることではない、濃い酒を求めるのは君たる者のすることではない。彼らは酒を飲んで、おきてを忘れ、すべて悩む者のさばきを曲げる。濃い酒を滅びようとしている者に与え、酒を心の苦しむ人に与えよ。彼らは飲んで自分の貧乏を忘れ、その悩みをもはや思い出さない。あなたは黙っている人のために、すべてのみなしごの訴えのために、口を開くがよい。口を開いて、正しいさばきを行い、貧しい者と乏しい者の訴えをただせ。

 

アーメン宝石ブルー

 

そして、私たちはクリスチャン、正しい者に約束されているみことばは以下の通りであることを確認しましたぶどう

 

詩篇36:10~37:40本

高ぶる者の足がわたしを踏み、悪しき者の手がわたしを追い出すことをゆるさないでください。悪を行う者はそこに倒れ、彼らは打ち伏せられて、起きあがることはできない。

悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである。主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。怒りをやめ、憤りを捨てよ。心を悩ますな、これはただ悪を行うに至るのみだ。悪を行う者は断ち滅ぼされ、主を待ち望む者は国を継ぐからである。悪しき者はただしばらくで、うせ去る。あなたは彼の所をつぶさに尋ねても彼はいない。しかし柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができる。悪しき者は正しい者にむかってはかりごとをめぐらし、これにむかって歯がみする。しかし主は悪しき者を笑われる、彼の日の来るのを見られるからである。悪しき者はつるぎを抜き、弓を張って、貧しい者と乏しい者とを倒し、直く歩む者を殺そうとする。しかしそのつるぎはおのが胸を刺し、その弓は折られる。正しい人の持ち物の少ないのは、多くの悪しきの者の豊かなのにまさる。悪しき者の腕は折られるが、主は正しい者を助けささえられるからである。
主は全き者のもろもろの日を知られる。彼らの嗣業はとこしえに続く。彼らは災の時にも恥をこうむらず、ききんの日にも飽き足りる。しかし、悪しき者は滅び、主の敵は牧場の栄えの枯れるように消え、煙のように消えうせる。悪しき者は物を借りて返すことをしない。しかし正しい人は寛大で、施し与える。主に祝福された者は国を継ぎ、主にのろわれた者は断ち滅ぼされる。人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。たといその人が倒れても、全く打ち伏せられることはない、主がその手を助けささえられるからである。わたしは、むかし年若かった時も、年老いた今も、正しい人が捨てられ、あるいはその子孫が
食物を請いあるくのを見たことがない。正しい人は常に寛大で、物を貸し与え、その子孫は祝福を得る。悪をさけて、善を行え。そうすれば、あなたはとこしえに住むことができる。主は公義を愛し、その聖徒を見捨てられないからである。正しい者はとこしえに助け守られる。しかし、悪しき者の子孫は断ち滅ぼされる。正しい者は国を継ぎ、とこしえにその中に住むことができる。正しい者の口は知恵を語り、その舌は公義を述べる。その心には神のおきてがあり、その歩みはすべることがない。悪しき者は正しい人をうかがい、これを殺そうとはかる。主は正しい人を悪しき者の手にゆだねられない、またさばかれる時、これを罪に定められることはない。

主を待ち望め、その道を守れ。そうすれば、主はあなたを上げて、国を継がせられる。あなたは悪しき者の断ち滅ぼされるのを見るであろう。わたしは悪しき者が勝ち誇って、レバノンの香柏のようにそびえたつのを見た。しかし、わたしが通り過ぎると、見よ、彼はいなかった。わたしは彼を尋ねたけれども見つからなかった。全き人に目をそそぎ、直き人を見よ。おだやかな人には子孫がある。しかし罪を犯す者どもは共に滅ぼされ、悪しき者の子孫は断たれる。正しい人の救は主から出る。主は彼らの悩みの時の避け所である。主は彼らを助け、彼らを解き放ち、彼らを悪しき者どもから解き放って救われる。彼らは主に寄り頼むからである。


アーメン宝石赤

 

さらに、クリスチャンになるとは、「キリストの花嫁になる」こと、それこそがクリスチャンの真の姿であると箴言31章10節より語られましたひらめき電球

 

箴言31:10~31本

だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い。
その夫の心は彼女を信頼して、収益に欠けることはない。
彼女は生きながらえている間、その夫のために良いことをして、悪いことをしない。
彼女は羊の毛や亜麻を求めて、手ずから望みのように、それを仕上げる。
(←物事を見極め、解決する力をもつ)
また商人の舟のように、遠い国から食糧を運んでくる。
彼女はまだ夜のあけぬうちに起きて、その家の者の食べ物を備え、その女たちに日用の分を与える。
(←神の国のためにどう働くか計画を立てる)
彼女は畑をよく考えてそれを買い、その手の働きの実をもって、ぶどう畑をつくり、
力をもって腰に帯し、その腕を強くする。
(←臆したり、恐れという感情に縛られない)
彼女はその商品のもうけのあるのを知っている、そのともしびは終夜消えることがない。
彼女は手を糸取り棒にのべ、その手に、つむを持ち、
手を貧しい者に開き、乏しい人に手をさしのべる。
(←隣人に寄り添い、愛を注ぎ出すことができる)
彼女はその家の者のために雪を恐れない、その家の者はみな紅の着物を着ているからである。
彼女は自分のために美しいしとねを作り、亜麻布と紫布とをもってその着物とする。
その夫はその地の長老たちと共に、町の門に座するので、人に知られている。
(←肉の夫婦も、妻がクリスチャンになり主に仕えるようになれば、夫が祝福を受けていく)
彼女は亜麻布の着物をつくって、それを売り、帯をつくって商人に渡す。(←夫は妻次第。妻は家計をやりくする。←福音宣教はクリスチャン次第。キリストの花嫁は神の国に収益をもたらす)
力と気品とは彼女の着物である、そして後の日を笑っている。(←クリスチャンとして品性ある立ち居振る舞いが備わり、未来への祝福を確信している)
彼女は口を開いて知恵を語る、その舌にはいつくしみの教がある。(←魂が静まれば、霊から知恵の言葉が溢れ出る。うわさ話や悪口ではなく、いつくしみの教えを語ることができる)
彼女は家の事をよくかえりみ、怠りのかてを食べることをしない。(←悪霊と戦うことを怠って自分の声を遊ばせない)
その子らは立ち上がって彼女を祝し、その夫もまた彼女をほめたたえて言う、
「りっぱに事をなし遂げる女は多いけれども、あなたはそのすべてにまさっている」と。
あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである、しかし主を恐れる女はほめたたえられる。
その手の働きの実を彼女に与え、その行いのために彼女を町の門でほめたたえよ。
(←主の推薦状は御霊の実。主に信頼されているかどうかは、良い実・祝福の証が伴っているかどうかで分かる)

 

アーメン宝石緑

みことばを学んでも、みことばを書かせた神、夫であるイエス様の心が解らなければ、的外れな歩きを続けることになります。神が望まれるキリストの花嫁になれているか、改めて一人一人が自分を吟味しました。

 

 

4月の初めに、ぶどうの木は「寺子屋教会」であると示されましたひらめき電球私たちは神が望む家族のあり方を学び、社会問題とみことばを照らし合わせて、今の世の中を見る目を養い、置かれた場所、家庭、学校、職場、今の日本社会に対してクリスチャンとしての自分をあらわし、神に与えられている責任を果たすよう語られてきました。4月中旬には、パンデミック条約に対する2万人規模の反対デモが池袋で行われ、署名運動が様々な呼びかけにより行われています。闇側の人間・ディープステートは、人々が目覚め、声を上げると怯むのだそうです。現にWHOも、IHR(国際保健規則案)にあった危険条項を大量に削除し、後退し始めました。しかし、大事なのはこの国自身の問題、社会の問題です。コロナ対策禍の検証を行わなかった結果、再び「封じ込め」すなわち「行動制限」中心の対策強化を図る「政府行動計画」改定案が閣議決定されようとしています。意見を政府に直接伝えることができるのはゴールデンウイーク明けの5月7日まで。国民の連休中にこのような改定案を通そうと企む狡く汚い、この国の政府との戦いが続いています。サタンよ、退け!!ムキーパンチ!

 

そして、4月の終わりについに情報開示されたのが、1985年8月12日に起きた日航機123便事件の真相です。当時の中曽根首相による判断・嘘によって、520名もの助かるはずの命が奪われたのです。

自衛隊が訓練中に誤って尾翼を壊したことによる事故・・・当時、「自衛隊があるのは憲法違反だ!」という声が高まっていました。自衛隊が必要ならば、事故の原因を正直に話した上で、国民を納得させれば良かったにもかかわらず、中曽根政権は、日航機事故が自衛隊のせいであると知られることを恐れ、それを隠蔽するために、長年ボーイング社のミス、圧力隔壁のせいにしてきたのです。

尾翼を壊された日航機123便には、緊急着陸できるチャンスが2回ありました。アメリカ軍が、横田基地への着陸を許可してくれたのですが、政府が妨害しました。次に、長野県のレタス畑への着陸への道がありましたが、それも妨害しました。御巣鷹山に墜落後、横須賀基地から米軍が救出にすぐに向かってくれたのですが、日本政府が「自分たちでやるから帰ってくれ」とさらに要請し、マスコミも共に妨害しました。そして、嘘を隠し通すために、火炎放射器でそこにいた人間は炭化するまで焼かれたのです。

圧力隔壁損傷による事故であるならば、急減圧で目や耳に異常が出て、酸素マスクをつけなければ低酸素症になって思考停止状態になるそうですが、パイロットは酸素マスクなしで20分飛行していました。墜落しても生存者がもっといたことでしょう。機体が真っ二つに割れ、後ろの席に座っていた4名は崖からすべり落ちていたため、火炎放射器で焼かれることなく一命をとりとめました。彼らの目や耳に異常がなかった事からも、圧力隔壁損傷説はなくなりましたが、彼らも政府から口を封じられました。

 

その後、中曽根政権は、アメリカに弱点を握られ、事故の翌月、1985年9月に行われたプラザ合意(日本の対米貿易黒字の削減の合意)で、日本経済は衰退していきました。第2次世界大戦後のGHQの支配は、3S政策と日本の食文化の崩壊を招きましたが、日本の経済発展があったのも事実です。しかし、日航機事故を隠蔽するための嘘が、日本経済の破綻、30年給与が上がらない疲弊した社会、対米従属に貶めたのです。当時の中曽根首相は、「真実は墓場までもって行く」と言いました。2020年10月17日には、3度目の彼の国葬が行われました。今となっては、彼のしたことを忘れるな!と言われていたのだと思います。

 

そして今、この主権の無い日本国、嘘に嘘を重ねてアメリカの悪の思う壺で売国してきた年月の行き着いたところが、生物兵器であるワクチンの工場建設地となり、日本人をモルモットにして治験に差し出す自民党・岸田政権です。平気で嘘をつき、ごまかし、国民を騙す政権、上に立つべき人じゃない人が上に立った時の恐ろしさ。国民も目覚め、昨日の衆院3補選、ついに自民党が国民の支持を失い、3人共に立憲民主党が当選となりました。これも一つの大きな変化です。悪事を許さない!私たちはモルモットじゃない!と日本人が大きく声を上げ、悪しき者たちが後退していく5月になっていくことを祈ります!

そして、神が内に住んでおられるクリスチャンは、神との関係を常に思い、畏れ、嘘をつけません。どこまでも清さと聖さを求めるクリスチャンによって聖霊が働き、隣人たちに主の霊が臨み、救われ、真のクリスチャンが誕生していったことを感謝して祈ります!!まじかるクラウン

 

第2テサロ2:7~17本

不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までのことである。その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。

しかし、主に愛されている兄弟たちよ。わたしたちはいつもあなたがたのことを、神に感謝せずにはおられない。それは、神があなたがたを初めから選んで、御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救を得させようとし、そのために、わたしたちの福音によりあなたがたを召して、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせて下さるからである。そこで、兄弟たちよ。堅く立って、わたしたちの言葉や手紙で教えられた言伝えを、しっかりと守り続けなさい。

どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな望みとを賜わるわたしたちの父なる神とが、あなたがたの心を励まし、あなたがたを強めて、すべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さるように。

 

アーメンダイヤモンド