霊の世界は見える世界より現実的 | ぶどうの木 Good News

霊の世界は見える世界より現実的

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私たちは少し前に、アイコ・ホーマン博士(Dr.あいこ)の動画を知りました。彼女は横浜出身で日本人で、東京に移ったあと、1948年にアメリカのミズーリ―州の大学で学ぶ奨学金を受け、後に違う大学へ編入し博士号を取得しました。そして、科学研究員となり、最初はウェスティンハウス研究所で、後にアメリカ国防総省で働きました。人工知能研究のプロジェクトリーダーとなり、国家機密の安全審査基準を得て、様々な情報を手に入れました。アイコ氏は当時、霊的な領域に関しては疎く、自分は非常に素晴らしい人生を送っていると思っていたそうです。なぜなら、最高機密や新知識の最先端の研究をしていたからです。

1958年、そんな彼女が物理学者で科学研究員でもある友人から聖書を読んでみないかと手渡されました。友人にいつ書かれた本なのかと聞くと、「数千年前」と言うので、アイコ氏は「必要ないわ。この最新の研究分野では、2年前の情報でも時代遅れなのよ。必要なのは最新情報で、古代の知恵なんて要らないわ」と答えたそうです。しかし、友人は「超自然的な方法で、神が人間に啓示した多くのものに驚かされるよ」と言って聖書をくれたのです。そして、彼女は読んで驚愕しました。あらゆる時代、場所、人々によって書かれた救い主とされる一人の人物についての旧約聖書にある多くの預言が、イエス・キリストの人生のおいてその通りに成就されていたからです。当時の彼女はまだ懐疑的で、この預言が偶然に成就する確率を計算してみたそうです。すると、なんと10の30乗(1の後にゼロが100個)分の1の確率という天文学的数字となったのです。それによって、聖書には重要な情報が書かれているということが知識として分かったそうです。

そんなアイコ氏の動画を、聖霊によって示されるがままにいくつか観ていくと、人間は霊・魂(知性、意思、感情)・体でできていることを土台に宣教しており、この世界は、神対サタン、聖霊対悪霊の戦いであること、霊の世界を知り、キリストの権威を行使してサタン・悪霊に勝利する時、癒しを勝ち取ることができるということ、問題解決は、霊的な原因を知ることからであるという、ぶどうの木で学んできた教えと一致することが多く驚きました。今週の集会では、アイコ氏の動画を通して牧師が霊で受けたことを、私たちに語ってくださいました。

 

救われて、素直に聖書の教えに聞き従って歩んでいるクリスチャンであれば、「私の霊はここ(へその下)にあり、こう思っている。魂=肉ではこのように思っている」というように、自分の内にある霊と魂の所在がはっきりと分かり、霊の思いと、魂・肉の思いを自覚しています。そして、魂の領域では、絶対にやりたくない!無理!許せない!と思っている事でも、みことばが臨んだ時には、イエス様がおっしゃっているのだからやってみよう!という気持ちになり、肉の思いを打ち叩いて、従っていけます。それが霊の思いに、魂も伴っているクリスチャンの在り方であり、神に喜ばれ、世の中の人の肉だけではどうしようもない気持ちも分かるため、周りに共感し、寄り添い励ますこともでき、人にも受け入れられていきます。

しかし、魂で何も考えず、感じることなく、霊から体へただただイエス様、牧師に言われたことを行なっているのであれば、それはカルト宗教です。この世の人に対して、「イエス様がおっしゃったので」と言えば何でも許されると勘違いして、そしりをかっていきます。また、喜べないのに、喜んでいるふりをしたり、やりたくないことを、強迫観念で行なったり、地獄に行きたくない、人を見て、周りに、兄弟姉妹に認められたいという思いだけで、納得せずに従っているというように、自分の肉がピンピン生きている中で、努力して、イエス様に応え、従っているのであれば、我慢の限界がきて爆発してしまいます。規律(律法)や束縛から抜け出したいという思いで、救われる前より7倍悪い状態に陥り、善悪の判断、清さと汚れの判断もつかないまま、神の目から見たら悪と言われることを行っていくようになってしまいます。何が霊で、何が肉か分からなくなる状態、霊と魂がぐちゃぐちゃになっている状態を、私たちは「霊性がパァになる」と表現してきましたが、クリスチャンは悪い交わりをすることによって、どんどん狂わされていくのです。

 

動画の中でアイコ氏は、引き寄せの法則、人間の周りにある波動についても話しており、それはメタトロンにも繋がることでした。私たちは、自分の霊性を汚さないためにも、どんな色を好み、どんな服装をするのか、何を食べ、家の中には何を置いているのか、いつも清潔であるか、礼儀正しい言動をしているか、タバコやお酒を好んだり、人殺しのゲームや、占い、魔術をしていないか、姦淫・性交の場面が多いドラマや漫画を見ていないかなど、自分自身の日常生活や、環境下の中で、サタン・悪霊を引き寄せないように気をつけなければなりません。例えば、黒い服を好み、露出の多い服を着、派手な髪形と化粧で街を歩いたり、酒場に行けば、軽い女に見られて、性的目的で男性が声をかけてくるでしょう。それは自ら悪霊に門を開き、引き寄せていることになります。

脳科学者でもあるアイコ氏は、人間の心臓、内臓にも脳がある、つまり、感覚があるのだと言っています。私たちは全身で物事を受け、感じているのです。それゆえ、外側から受ける霊力と、自分の内側から込み上げる霊力によって、体はつくられると同時に、悪い霊力であれば、滅ぼされていきます。レントゲンや脳を調べるMRIでは分からない霊の世界があり、それは見える世界より現実的です。アイコ氏は、聖書の学びから霊の世界を知り、癒しを止める霊的原因(悪霊の存在)を探り知り、そこからイエス様の御名とイエス様の血の力により人々を解放させる癒しのミニストリーを行なっています。

 

先週の土曜日(16日)に、証人Kの動画「第8回ぶどうの木牧師の潰瘍性大腸炎の完治①」がアップされましたぶどう

アイコ氏同様、ぶどうの木牧師も自身の難病の肉的原因と、霊的原因をイエス様に示されたことによって、『寛解:病気の症状が、一時的あるいは継続的に軽減した状態。または見かけ上消滅した状態』ではなく、『完治』したことを医者に認めさせ、勝利を得ることができました。今回の動画は、その証の前編です。ぜひ、ご覧くださいピンク薔薇

 

 

そして、証人Kの動画がアップされたタイミングで、牧師は改めて自身の癒しについて霊的に解き明かしてくださいました。

牧師が潰瘍性大腸炎と診断された時、「原因はストレスですね」と医師に言われました。腸や胃の不調は精神的なものと結び付けられがちです。そして、病状とストレスに対症療法で薬が出され、さらにその薬を飲む事であらわれる副作用に対する薬まで処方されます。実際、当時の牧師(救われる前)は、人を裁き、妬み、憎しみ、人を蹴落としてでも自分の成功を追い求めていました。大酒飲みで、贅沢な外食をする機会も多く、深夜まで仕事をするため、毎晩のようにインスタントラーメンやケーキを食べていました。ストレスがたまり、ストレスを食事や買い物、旅行で発散する日々でした。

牧師は、救われてまずそのような自分の生活と魂の状態を悔い改め、腸に潰瘍をつくらせる悪霊の門を閉じました。そして、自分のおなかに手を置いて、何度も【信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる】(マルコ16:17~18)と宣言しました。みことばの力によって霊が立ち上がると、心が平安になり、体が元気になることを実感しました。そして、潰瘍性大腸炎の症状である腹痛からの下痢、血便はおさまっていき、大腸カメラをすると潰瘍もなくなっていました。肉(のストレス)による潰瘍性大腸炎は癒されたのです。そして、寛解期と言われるようになりました。

しかし、寛解期であっても、突然腹痛におそわれて下痢をしたり、血便が出る時がありました。それは、集会に出掛ける時であったり、大切な交わりの途中だったりと、明らかにサタンが行かせまい、語らせまいとして持ってきているものだと分かりました。牧師は、「イエス様の御名によってサタンよ退け!私は神の子だ!私に指一本触れることを許さない!地獄に帰れ!」とキリストの権威でサタン・悪霊に命じることによって、その霊的戦いに勝利していきました。そんな中で、大腸カメラを行った際、潰瘍ではなく、ナイフで切られたような跡が3カ所大腸にあり、主治医が「これは潰瘍性大腸炎の症状か!?」と驚きました。牧師がイエス様に聞くと、それは当時対峙していた3人の羊(反キリストの霊)との霊的戦いによってついた傷であると示されました。まさに、魂の状態が体にあらわれることを知った瞬間でした。さらに、相手から放たれる裁きや憎しみの霊力に対しては、無条件の愛と無条件のゆるしで向き合うしかありません。それを怠り、相手を裁けば、自分の霊性が狂わされ、一歩も行けなくなってしまうことも、イエス様は教えてくださいました。そして、翌年大腸検査を受けた時には、その3つの跡はきれいになくなっていました。

 

その後も、霊的攻撃は続き、見える状態においては、次の大腸カメラ検査ではどんなひどい状態になっているだろうと思うこともありましたが、毎回大腸カメラをしてもきれいな腸であり、血液検査も問題なしでした。しかし、主治医は「寛解期だから。いつまた発症してもおかしくない。薬をやめたら、またひどくなる」と言い、薬の処方を続けました。牧師は毎回主治医の指示に従って薬を飲んでいましたが、ずっと「イエス様、いつまでですか!?薬から解放されたいです」と祈り求めていました。

どのように主治医に完治したと納得させることができ、寛解期というレッテルを剥がすことができるのか・・・そこで聖霊の導きによって知ったのが、東京にいる歯科医師が、メタトロン(人間の発する周波数の波動と外部から発せられる波動を共鳴させることで、病気や体調不良の原因を類推する測定器)診療によって、患者の食事改善をさせ、潰瘍性大腸炎やクローン病といった難病や癌、精神疾患を完治させてきたという事でした。「この医師の診察を受けたい」と牧師が主治医に話すと、主治医は「歯科医師じゃないか!私は長年この難病の研究をしてきた!歯科医師に何ができるのか!あなたは大腸癌になって死にたいのか!」と激怒しました。しかし、牧師はイエス様が導いて下さったと信じ、メタトロン診療を受けにその医師を訪ね、そこで示された食事改善を徹底的に行なうことで『完治』を勝ち取ったのですグーまじかるクラウン

 

さらに、証は続きます。先週、牧師が歯のレントゲンを撮ると、医師も驚くほどとてもきれいだったそうです。「歯並びもよく、歯周病もなく、歯が強くて硬いです。私(牧師より10歳ぐらい若い)があなたの年齢になった時に、同じような状態を保てる自信はありません」と言われ、牧師自身も驚きました。なぜなら、潰瘍性大腸炎になった当時、医師からは「これからは重湯か、豆腐しか食べれない」と言われ、実際、腹痛からの下痢を恐れて、何も食べれなくなって体重は減り、カルシウム不足でしたし、栄養失調状態で、骨も歯もダメになっていたからです。処方された薬の中には、副作用として唾液が出なくなるものもあり、虫歯になったり、欠けることも多々ありました。そのように30年近く難病のレッテルを貼られていたにもかかわらず、歯が健康な状態に戻っていたことは奇跡でした。無から有を生みだす神!神は再生する力のある方であることも、改めて語られたのでした。

 

「霊的巨人」と言われたスミス・ウィグルスワース氏(1859年~1947年)が、次のような言葉を遺しています。

 

私は見ることによって動かされません。

私は感じることによって動かされません。

私は自分の信じることによってのみ動かされます。

霊的なことは自然のことよりも現実的であることを知りなさい。

自分の霊に目を向けることを学びなさい。

あなたの霊があなたに語ります。

あなたの霊はあなたの頭が知らないことを知っています。

 

創世記1章1~2節に、【はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。】と書かれてある通り、この世界は神の霊から始まり、私たちは霊の生き物でした。しかし、最初の人間であるアダムが善悪を知る木から実をとって食べたことにより、霊は死に、その後、人間は見える状態で判断し、自分が感じることに忠実になり、自分の知識から答えを出して生きるようになってしまいました。

しかし、そのアダムの犯した罪・原罪を取り除き、もう一度人間の霊をよみがえらせるために来られた神の長子・イエス様は、【人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である】とおっしゃいました。いつかは滅びゆく肉により頼まず、自分の内・霊におられるイエス様に目を向けるなら、私たちの霊=イエス様は、私たちに語り、私たちの頭が知らないことを教えてくださるのだと語られました。

 

牧師は、「イエス様を外から見ているなら宗教を信じているのと同じです。イエス様は私たちの内におり、イエス様に自分を明け渡しているのがクリスチャンです。癒しをただ受け取るために信じるのならご利益宗教であり、神の御心にかなう人に変わっていくのがクリスチャンです。そして、今回アイコ氏の動画を通して再確認させられたのは、私たちは神の内に生き、イエス様という霊の世界におおわれているということです」とおっしゃいました。

まず、【生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。】(ガラテヤ2:20)と書かれてあるように、イエス様は私たちの内におられるのですから、私たちはイエス様がおっしゃること=みことばに従うことしかできない自分に変えられていきます。キリストの肢体なのですから、自分勝手な、我がままな言動はできなくなります。それは自分を殺して生きることではありません。そのように勘違いする人は、自分の思うような生き方ができないと言って不満がたまり、それが爆発して反キリストになってしまうわけですが、聖書を読めば、イエス様ご自身が、自分を明け渡して生きるとはどういう事なのか、模範を示してくださっています。

 

ヨハネ5:19〜21本

さて、イエスは彼らに答えて言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができない。父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである。なぜなら、父は子を愛して、みずからなさることは、すべて子にお示しになるからである。そして、それよりもなお大きなわざを、お示しになるであろう。あなたがたが、それによって不思議に思うためである。すなわち、父が死人を起して命をお与えになるように、子もまた、そのこころにかなう人々に命を与えるであろう。

 

アーメン宝石赤

イエス様は、天の父のおっしゃること、父のなさることを見て行うことしかせず、自分からは何もすることができませんでした。

そして、天の父は愛する我が子に、みずからなさることはすべてお示しになったのです。これは、肉の親子関係にも通ずることです。なぜ、ダメなのか、なぜやらなければならないのか、一つ一つ丁寧に教育していく中で、イエス様は、天の父がお示しになったことよりも大きなわざを行う者となっていかれたのです。このみことばの真意、明け渡した器という事に対する深い解釈を

知ると、「イエス様に言われた」とは言えなくなります。イエス様は天の父に言われたことを行なってきただけだからです。そして、天の父は、私たちをも愛して、長子であるイエス様を送ってくださいました。なのに、私たちは天の父がイエス様を通しておっしゃっていることを悟らず、自分の見えるところで判断して行い、自分の思い通りにならないと文句つぶやきながら生きていないかと問われました。

イエス様と天の父の関係に目を向けたら、イエス様と自分の関係も分かってきます。そのように主との関係を築き、明け渡して御心を行う自分になることで、神がお示しになる大きなわざ、しるしと奇跡も伴っていきます。救われる前の古い自分にいつまでもしがみつき、こうなりたい!あれをしたい!これをしたい!と求めるのではなく、新しい自己を認識し、肉はなんの役にも立たない、神のなさることは、人知では到底はかり知ることができない、私は神の霊によって生かされているのだと早く悟ること、そのように内におられる神・イエス様と共に歩む人生を喜べるものは幸いです。

イエス様を信じる信仰によってのみ動かされる者となれているのか・・・イエス様は、誰が信じ、誰が裏切るのかも知っておられることも私たちはわきまえ知り、選ばれたことへの感謝と神への畏れをもって生きなければならないと語られました。

 

ヨハネ6:63~66本

人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。しかし、あなたがたの中には信じない者がいる」。イエスは、初めから、だれが信じないか、また、だれが彼を裏切るかを知っておられたのである。そしてイエスは言われた、「それだから、父が与えて下さった者でなければ、わたしに来ることはできないと、言ったのである」。

それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった。

 

ヨハネ5:22~32本

父はだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子にゆだねられたからである。それは、すべての人が父を敬うと同様に、子を敬うためである。子を敬わない者は、子をつかわされた父をも敬わない。よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。よくよくあなたがたに言っておく。死んだ人たちが、神の子の声を聞く時が来る。今すでにきている。そして聞く人は生きるであろう。それは、父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に、子にもまた、自分のうちに生命を持つことをお許しになったからである。そして子は人の子であるから、子にさばきを行う権威をお与えになった。このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。

わたしは、自分からは何事もすることができない。ただ聞くままにさばくのである。そして、わたしのこのさばきは正しい。それは、わたし自身の考えでするのではなく、わたしをつかわされたかたの、み旨を求めているからである。もし、わたしが自分自身についてあかしをするならば、わたしのあかしはほんとうではない。わたしについてあかしをするかたはほかにあり、そして、その人がするあかしがほんとうであることを、わたしは知っている。

 

アーメン宝石紫

 

そして、イエス様の内にいるという事については、アイコ氏が次のような啓示の話をしていました。

 

主は私に竜巻のような炎を見せてくれました。どういう意味かと思い見ていると、主が「中に入りなさい」というので、「怖いです」と言いました。炎が凄い速さで竜巻のように回っているのですから、「嫌です、怖いです」と言うと、「心配しないでよい。私が共にいる。あなたは私の中にいるのだから」と言うのです。その主の声を聞いた瞬間に、私の中から「はーい!」と子どものような声が出てきて、その中に入ったのです。その経験は素晴らしいものでした。それは、周りは凄いスピードでグルグル回っていたのですが、真ん中には完全な静けさと、完全な平穏があったのです。まばゆい光の中にありました。主は私がどんなに安全なのかを見せてくれたのです。主の中は完全に平穏で安全だったのです。私の中にある子どものような信仰によって踏み出したのでした。これは私の人生を変える体験となりました。どこにいても私は安全なのです。

 

これは、アイコ氏が、現実の世界から霊の世界に入った瞬間であったのだと、私たちは牧師を通して語られました。ぶどうの木牧師も、西洋医学の薬をやめて、主に語られるまま、身をゆだねてメタトロン診療を受け、食事改善しました。一歩踏み出す時には、勇気がいります。しかし、肉と霊は真反対ですから、絶対無理!嫌だ!と思うことほどやるのがクリスチャンです。主に信頼して幼子のように両手を広げて現実の世界から霊の世界に飛び込むなら、その真ん中(イエス様の内)は穏やかで平安なのです。私たちはその特権にあずかっており、自分の肉の限界をこえていける無敵な神の子であることを忘れてはならないと語られました。

 

ヨハネ4:12~14本

あなたは、この井戸を下さったわたしたちの父ヤコブよりも、偉いかたなのですか。ヤコブ自身も飲み、その子らも、その家畜も、この井戸から飲んだのですが」。イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。

 

アーメン宝石緑

このみことばからも、霊の世界に生きる私たちの望みはイエス様、みことばであると改めて語られました。さらに、次のみことばも与えられました。

 

へブル12:2本

信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。 

 

アイコ氏の聖書は、【信仰の導き手】が、【信仰の創始者】となっているそうで、イエス様は信仰というものの創始者であり、完成者であるということにアーメンでした。私たちはその方と共にいっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて走っている者です。そのように自分は何者であるか自覚しているなら、世の中の患難・くびきは負いやすくなります。イエス様の内で、イエス様に学ぶなら、魂に休みが与えられるのだと語られました。

 

マタイ11:28~30本

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。

 

アーメン宝石ブルー

魂が騒がしい人は、現実問題に自分の力で対処しているため、疲れさせられ、どんどん重荷を負うてしまいます。自分で自分の問題、悪霊力を引きつけてしまっているのです。しかし、私たちが、イエス様が内におられる明け渡した器であると同時に、イエス様の内にいるという特権を覚え、喜んでいたら、悪霊は去るしかありません。

【罪を犯す者は、悪魔から出た者である。悪魔は初めから罪を犯しているからである。神の子が現れたのでは、悪魔のわざを滅ぼしてしまうためである。】(第1ヨハネ3:8)と書かれてある通り、私たちはサタンとの戦いのためにあらわれた神の子です。自分自身をもって、イエス様をあらわしていくことで、悪魔のわざを暴き、倒し、打ち勝つことができるのです。それゆえ、5秒とサタンの声を耳元で遊ばせないことです。「この思いは神から来ない!退け!」と追い出し、自分の霊、魂、体を常に正常であるようにしっかりと建て上げていかなければならないと語られました。

アイコ氏は動画の中で、弓をひくようにみことばの意味を黙想し、それから弓を放つのであれば、敵に的中すると表現されていましたが、ぶどうの木牧師は、その例えから、弓をひくようにみことばの意味を嚙みしめ、何が神の御心であるかをわきまえ知ってから、弓を放つ=行いに移しなさいとおっしゃいました。そうすれば、霊⇒体にはならず(言われたからやる、悔い改めなさいと言われたから納得してないけど謝るにはならない)、しっかりと霊から魂に連動させて体であらわすことができるクリスチャンになれるのだと語られました。主が再臨される時には、神の宮である自分の霊・魂・体を清く聖く守っている者だけが天に引き上げられます。改めて、私たちは、この世と妥協することなく、心を新たにすることによって、造り変えられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知らなければならないと語られました。

 

コロサイ人への手紙に、【神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。】、【キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、そしてあなたがたは、キリストにあって、それに満たされているのである。】と書かれてあるように、私たちの中には神の満ちみちた慈愛と力という性質が形をとって宿っています。それはつまり、イエス様=自分であるという事です。運転する自分の助手席にイエス様がいるのではありません。イエス様は内住されており、ハンドルを握っているのはイエス様ご自身です。

ぶどうの木では、毎日2つの祈りをするよう学んできました。1つ目は、「御心が天で行われる通り、地にも行われたことを感謝します」と宣言する祈りです。この祈りに自分の心の願いは集約されているはずです。天で行われることですから、病気も犯罪もありません。妬み、裁き、憎しみや、分断もありません。天に行われる祝福が、地にいる自分、また全ての人にも行われるように祈ることが、イエス様に明け渡した器である私たちのするべき事なのだと語られました。

2つ目は、「私をキリストの思いで満たしてください」という祈りです。イエス様が天の父のおっしゃること以外は何事もすることができなかったように、私たちもそのようになるためです。この2つの祈りは、私たちを目に見える世界から、霊の世界に移行してくれます。

何が私たちにとって“現実”でしょうか。目に見える状況、状態(症状)は、神の目から見たら“現実”ではありません。神対サタン、聖霊対悪霊という霊の世界こそが“現実”なのです。

アイコ氏は動画の中で、神の臨在を体験し、奇跡としるしが伴うための重要な鍵として、①“現実”という見方を変える、②主との関係を築く、③新しい自己を認識することであると伝えていました。私たちも、今週の集会を通してこの3つの重要な鍵を学び、確認できたことに感謝します。

 

教会の発展も、目に見える信徒の数の多さが、必ずしも発展とは言えません。在籍者数が増えても、一人一人が神に従順な器、主の御用に役立つ僕に育っていなかったり、牧師のプライドで、人集めのために霊を試すことなく教会に違う霊力の人を入れてきたら、内部からサタン・悪霊に倒されていってしまいます。たとえ人数は少なくても、しっかりと主の兵卒が育っている群れであること、今回学んだ3つの重要な鍵を握りしめ、霊の世界に目を向けて戦い、働けるクリスチャンの群れに私たちはなっていかなければならないと語られ、一人一人が自分はどうか吟味して、神の御心にかなったクリスチャンとなっていけたことを感謝して祈ります!乙女のトキメキ

 

 

私たちの学びの糧となったアイコ氏の動画も、ご紹介しておきます下矢印