この国を守れ!―神がこの時に与えているメッセージと特権― | ぶどうの木 Good News

この国を守れ!―神がこの時に与えているメッセージと特権―

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日本の超過死亡(厚労省や国立感染研究所の予測値を上回る死亡者数)は、2022年はかなり多いとされる12万人ほどであり、2023年は2022年と同じほどの死亡数でしたが、超過死亡数でいうと、2万人ぐらいとされています。これは明らかに超過死亡数の予測値が引き上げられていて、超過死亡が起きていないかのようにされていると疑われています。そして、国立感染研究所の所長は、「超過死亡は出ていない」と断言しているそうです。なぜ、事実を隠そうとするのでしょうか?それは、コロナワクチン接種が始まってから、大災害が起きた時以上の、異常なほどの死者数が出ているからです。実際は、原因不明で国民の命が10万、20万規模で奪われており、超過死亡は、40万人を超えています。皆さん、ご存知でしたか?身近で人が亡くなった話をよく耳にするようになっているのではないでしょうか?

 

コロナパンデミックだと煽り、渡航禁止やワクチンパスポートの制定、ワクチン接種を勧めてきたのはWHO(世界保健機関)です。1948年4月7日に、すべての人々の健康を増進し保護するため、互いに他の国々と協力する目的で設立されました。そんなWHOが、次なるパンデミックにそなえて今締結させようとしているのが、パンデミック条約です。この条約が締結されると、パンデミック(感染爆発)下では、WHO加盟国がWHOの管理下に置かれます。つまりこれは、WHOのルールを守るための監視システムの構築です。国や憲法よりWHOを上とし、すべての人々の移動を制限、ワクチン強制、ワクチンパスポート、経済的、人権的制限をもたらすことになり、逆らえば罰則もあります。

そして、WHOは、感染症等の国際的な健康危機に対応するための規則、IHR法(国際保健規則)を、300ヶ所以上書き換え、国民に法的拘束力を持たせようとしています。この条約、IHR法の恐ろしさを一言でいうと、WHOが診察、隔離、治療を強制できる、WHOの一声で、強制的にワクチンを接種することが可能になるという事です。

IHR法の改正拒否期日は昨年の11月末日でしたが、その時点でどれだけの国民がこの事実を知っていたでしょうか?日本でも反対デモは行われましたが、政府は聞く耳を持たず勝手に進めています。そして、今年5月には、いよいよ締結されようとしています。そもそも次なるパンデミックが起きる兆候もないのに、なぜこんなに急いでいるのか。

 

そんなWHOに対抗して立ち上がったのが、WCH(ワールドカウンシルフォーヘルス:健康のための国際評議会)です。2021年9月にイギリスで、すべての人々の健康を実現させるためのプラットフォームを提供するために、アメリカ、カナダ、イギリス、南アフリカ、ドイツから集まった医師、科学者、法律家、人権擁護運動家たちによって設立されました。現在、世界45ヵ国以上、200以上の団体が賛同しています。日本でも、健康をめぐるより良い方法を目指した、各分野におけるトップレベルの専門家や国会議員が賛同し、官僚(厚労省や外務省の職員)との勉強会や、国会質問によって、パンデミック条約締結の危険性を訴えています。しかし、これが国家の政策決定に大きな影響力を持つ国家公務員の仕事か!?答弁か!?と呆れるほど、一社会人でも当たり前に行なうような対応がとれていない現状です。

2月27日には、日本で第4回超党派WCH議員連盟勉強会が行われました。相変わらず、WCH側の質問に対して、責任者が不在だと逃げる、先延ばしするなど、前回の質問内容にもまともに答えられない状態でした。厚労省は、パンデミック条約について「国民に説明してきている」との事でしたが、ホームページは11月28日以降更新されておらず、周知する姿勢がありません。

厚労省の職員は本当にこの危機が分かっていないのか・・・彼らはすでに思考が停止しているのかと思えるほどの解答内容でしたが、実際は、2月5日に行われたIHR作業部会第7回会合において、厚労省大臣 官房国際課課長補佐のN氏が、「IHR改正手続きに関する偽情報、誤情報についての懸念を日本からも追加させていただきます。日本が前向きに実行することを妨げる重要な懸念であると捉えています」とすでに発言していたことが、明らかになりました。これには、唖然としました。彼ら厚労省は、分かっていてやっていた!まともに取り合わず、誤魔化して先延ばしにしていたのです!

 

さらに、2月27日のWCH議員連盟勉強会終了後、同日に行われた衆議院予算委員会第3分科会で、衆議院議員の原口一博氏が、国際保健規則IHRが国会承認のないまま決められようとしている現状に、「法的拘束力があるものなのか?」と、上川陽子外務大臣に問うと、「WHO憲章は、昭和26年に国会に提出をしてその締結、承認をいただいている。疾病の国際的蔓延防止するために、出来る限り多くの加盟国が採択された規制を同時に実施することが望ましい。こうした考えのもとで、加盟国から構成される保健総会により採択された規則は、全加盟国に対して効力を有する。国際保健規則IHRもそのような規則の一つであると認識している。すでにWHO憲章の締結は国会の承認を得てきているため、個々の規則また採択やその改正については、逐一国会の承認を求めることはしておらず、我が国としてこれらを締結するという行為を取らずに、その拘束力を受け入れることになる」と答えました。WHO憲章という大枠はすでに締結、承認されているのだから、中身の細かな変更については承認は要らないと・・・。今のWHOは、昭和26年時とは違い、医者でもない事務局長であるテドロス氏が、製薬会社とビルゲイツ財団などの利権絡みで行なっている機関です。なのに、昭和26年時と同じ考えを持ったままで良いわけありません。このように、私たちが選挙で選んでもない人々が国の代表となり、国民の命に関わる法案を承認していくことの恐ろしさを、どれだけの国民が危機と感じているでしょうか。ここまで来ると、厚労省、外務省の中から、良心ある内部告発者が現れなければ、止めることができません。

アメリカのトランプ氏が、大統領に就任した時、WHOから脱退を決めました。この時、世間はこの判断を理解できませんでしたが、コロナパンデミックを経た今となればよく解ります。WHOがしてきた対応は、すでに失敗に終わっています。全世界で、コロナワクチン接種で超過死亡を出し、後遺症に苦しむ人々が大勢います。なのに、なぜここからまだ彼らに聞き従う必要があるでしょうか。実は、これは、闇側の人間が、WHOをつかっておこなった人口削減計画であると言われています。バイデン政権1日目の最初の仕事が、WHO脱退を取り消したことであり、その後のコロナパンデミックでしたから、今のアメリカ大統領がどちら側の人間かは明らかです。人口削減計画という点においては、日本においても失敗です。コロナワクチンを拒否した人々が予想以上に多く、日本人にはもともと自己免疫力があったからです。

 

しかし今回のパンデミック条約締結への流れは、WHOと日本政府が共謀して行なっている「日本人根絶やし作戦」と言っても過言ではありません。今や、日本政府が一番WHOに協力的な立場にあります。岸田首相は、はっきりと「治験がしやすい国にする」と発言し、実際、5月にパンデミック条約が締結されたら、日本人全員に強制ワクチンとなります。そのワクチンとは、自分の体の中でmRNAを自己増殖するワクチンと言われる「レプリコンワクチン」です。この治験を行っているのは、世界で日本だけです。日本国民がモルモットにされています。このワクチンは生物兵器で、狂牛病のように脳がブヨブヨになって、考え方が狂わされ、誰の助言も聞けなくなり、どんどん頑固になり、視野が狭くなって自分が一番偉いのだと高ぶりの極みになっていくのだと解説する医師もいます。

そして、3月1日、大谷翔平選手の結婚報道に、世の中も、マスコミも騒いでいる裏で行なわれたのは、「地方自治法改正案」の決定です。つまり、重大事態発生時には、特例をもうけることができ、地方は国に従わなければならないという法律です。コロナワクチンに対して反対の声をあげ、独自のやり方で市民を守ってきた市長たちもいましたが、この改正案によって、それができなくなったという事です。着々と悪しき企みがすすめられています。

 

いつまでも日本という国が存在すると思っていたら大間違いです。ローマ帝国もオスマン帝国も、滅ぼされてきた歴史があります。日本人を全滅させることで、日本列島を欲しがり、奪おうとする人がいるという現実・・・これは陰謀論ではなく、陰謀です。衆議院議員の原口氏は、「沈んでいく船の中で、椅子取りゲームをしている日本人」と表現していますが、まさにその言葉通りで、この世で今だけ!金だけ!自分だけ!で生きて競ったところで、皆同じ船の中でいつ命を落としてもおかしくありません。この国(船)がどこに向かっているのか、どのような状態なのか、目を覚まして知り、反対の声を上げる国民が増えていくことが求められます。

5月まであと2か月、もう時間がありません。日本のWCH議連には、幸いにも、この人たちこそ政治家、首相になるべきではないかと思える逸材が揃っており、国の嘘、異常さを暴き、我が国の未来のために戦ってくれています。彼らが守られるように、クリスチャンである私たちは祈ることができます。肉が強すぎると、日本人を救う術を神が伝えてくださっていても、気づくことができません。先週語られたように、古いパン種・肉の自分を捨て去らなければなりません。そして、今週は、肉はあっても、霊に従って生きる意志を日々向け続けることで、このような途方に暮れる日本の現状であっても、神ご自身が私たちを通して働き、目的を成し遂げてくださるのだとみことばを通して語られ、励まされました。

 

イザヤ45:14~25本

主はこう言われる、「エジプトの富と、エチオピヤの商品と、たけの高いセバびととはあなたに来て、あなたのものとなり、あなたに従い、彼らは鎖につながれて来て、あなたの前にひれ伏し、あなたに願って言う、『神はただあなたと共にいまし、このほかに神はなく、ひとりもない』」。イスラエルの神、救主よ、まことに、あなたはご自分を隠しておられる神である。偶像を造る者は皆恥を負い、はずかしめを受け、ともに、あわてふためいて退く。しかし、イスラエルは主に救われて、とこしえの救を得る。あなたがたは世々かぎりなく、恥を負わず、はずかしめを受けない。

天を創造された主、すなわち神であってまた地をも造り成し、これを堅くし、いたずらにこれを創造されず、これを人のすみかに造られた主はこう言われる、「わたしは主である、わたしのほかに神はない。わたしは隠れたところ、地の暗い所で語らず、ヤコブの子孫に『わたしを尋ねるのはむだだ』と言わなかった。主なるわたしは正しい事を語り、まっすぐな事を告げる。

もろもろの国からのがれてきた者よ、集まってきて、共に近寄れ。木像をにない、救うことのできない神に祈る者は無知である。あなたがたの言い分を持ってきて述べよ。また共に相談せよ。この事をだれがいにしえから示したか。だれが昔から告げたか。わたし、すなわち主ではなかったか。わたしのほかに神はない。わたしは義なる神、救主であって、わたしのほかに神はない。

地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。わたしは神であって、ほかに神はないからだ。わたしは自分をさして誓った、わたしの口から出た正しい言葉は帰ることがない、『すべてのひざはわが前にかがみ、すべての舌は誓いをたてる』。

人はわたしについて言う、『正義と力とは主にのみある』と。人々は主にきたり、主にむかって怒る者は皆恥を受ける。しかしイスラエルの子孫は皆主によって勝ち誇ることができる」。

 

イザヤ46:1~13本

ベルは伏し、ネボはかがみ、彼らの像は獣と家畜との上にある。あなたがたが持ち歩いたものは荷となり、疲れた獣の重荷となった。彼らはかがみ、彼らは共に伏し、重荷となった者を救うことができずかえって、自分は捕われて行く。

「ヤコブの家よ、イスラエルの家の残ったすべての者よ、生れ出た時から、わたしに負われ、胎を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、わたしに聞け。わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。

あなたがたは、わたしをだれにたぐい、だれと等しくし、だれにくらべ、かつなぞらえようとするのか。彼らは袋からこがねを注ぎ出し、はかりをもって、しろがねをはかり、金細工人を雇って、それを神に造らせ、これにひれ伏して拝む。彼らはこれをもたげて肩に載せ、持って行って、その所に置き、そこに立たせる。これはその所から動くことができない。人がこれに呼ばわっても答えることができない。また彼をその悩みから救うことができない。

あなたがたはこの事をおぼえ、よく考えよ。そむける者よ、この事を心にとめよ、いにしえよりこのかたの事をおぼえよ。わたしは神である、わたしのほかに神はない。わたしは神である、わたしと等しい者はない。わたしは終りの事を初めから告げ、まだなされない事を昔から告げて言う、『わたしの計りごとは必ず成り、わが目的をことごとくなし遂げる』と。わたしは東から猛禽を招き、遠い国からわが計りごとを行う人を招く。わたしはこの事を語ったゆえ、必ずこさせる。わたしはこの事をはかったゆえ、必ず行う。

心をかたくなにして、救に遠い者よ、わたしに聞け。わたしはわが救を近づかせるゆえ、その来ることは遠くない。わが救はおそくない。わたしは救をシオンに与え、わが栄光をイスラエルに与える」。

 

アーメン宝石ブルー

今まで人間がつくった神を偶像化し、無知ゆえに救うことのできない神に祈ってきた日本人ですが、真実の神であるイエス・キリストとの関係を取り戻していかなければなりません。神の御前にへりくだる心があるか、改めて一人一人が問われています。

先週のブログで、今やキリスト教者の代表となっているO氏が、「プロテスタントは排他的である」と言い、宗教戦争について、「宗教は表面的に良いことを言っているが、戦争ばかりやっているという批判はその通りである。その原因は、自分たちの教え、自分たちの神様だけが正しいという考え方にある。キリスト教はイエスという神様で一緒だけど、その解釈で違っていて、殺し合いまでしている。その中で、ロシア正教の信仰があるプーチン大統領は、他のキリスト教と違う。ロシア正教はカトリックでもプロテスタントでもなく、ギリシャ正教から広がっていったもの。キリスト教の教義の中にあるのは贖罪説(人間は生まれた時から罪を持っているが、その原罪をイエスの十字架があがなってくださった)。だから、イエスを受け入れることによって、あなたが持っていた原罪は消える。これがキリスト教の根幹。これを突き詰めると、人間は生まれた時からものすごく悪い者で、イエスへの信仰によってマイナス100を0に戻すという感じがある。しかし、ロシア正教は、0に戻すのではなく、神に近づきましょう!プラスにしていこう!という発展的な教えである。それがあるだけで、他の宗教に対して、寛容になる」という発言をしていたことを取り上げましたが、改めて、戦争をしているのは、自分なりのキリスト像をもつ、宗教をしている人であって(宗教の悪霊の働きによる)、偶像のイエス様ではなく、神の言であるイエス様を信じ、従っているキリスト者は、決して戦争を起こしません。

また、自身を罪人として認め、マイナス100からの自分であることを知っているから、神を認め、神に対してへりくだれるのです。0からの自分であると思っているなら、「私は私のままでいい」という持論をもってきて強情になり、神に対して高ぶり生きることになります。そんな人間があふれてきたからこそ、悪がはびこる今の世の中、世界になっているのです。そんな悪人たちに対しての神の警告として、エレミヤからもみことばが与えられました。

 

エレミヤ5:20~31本

これをヤコブの家にのべ、またユダに示して言え、「愚かで、悟りもなく、目があっても見えず、耳があっても聞えない民よ、これを聞け。主は言われる、あなたがたはわたしを恐れないのか、わたしの前におののかないのか。わたしは砂を置いて海の境とし、これを永遠の限界として、越えることができないようにした。波はさかまいても、勝つことはできない、鳴りわたっても、これを越えることはできない。ところが、この民には強情な、そむく心があり、彼らはわき道にそれて、去ってしまった。彼らは『われわれに雨を与え、秋の雨と春の雨を時にしたがって降らせ、われわれのために刈入れの時を定められたわれわれの神、主を恐れよう』とその心のうちに言わないのだ。あなたがたのとがは、これらの事をしりぞけ、あなたがたの罪は、良い物があなたがたに来るのをさまたげた。わが民のうちには悪い者があって、鳥をとる人のように身をかがめてうかがい、わなを置いて人を捕える。かごに鳥が満ちているように、彼らの家は不義の宝で満ちている。それゆえ、彼らは大いなる者、裕福な者となり、肥えて、つやがあり、その悪しき行いには際限がない。彼らは公正に、みなしごの訴えをさばいて、それを助けようとはせず、また貧しい人の訴えをさばかない。主は言われる、わたしはこのような事のために、彼らを罰しないであろうか。わたしはこのような民に、あだを返さないであろうか」。

驚くべきこと、恐るべきことがこの地に起っている。預言者は偽って預言し、祭司は自分の手によって治め、わが民はこのようにすることを愛している。しかしあなたがたはその終りにはどうするつもりか。

 

エレミヤ6:16~21本

主はこう言われる、「あなたがたはわかれ道に立って、よく見、いにしえの道につき、良い道がどれかを尋ねて、その道に歩み、
そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ。しかし彼らは答えて、『われわれはその道に歩まない』と言った。わたしはあなたがたの上に見張びとを立て、『ラッパの音に気をつけよ』と言った。しかし彼らは答えて、『われわれは気をつけることはしない』と言った。それゆえ国々の民よ、聞け。会衆よ、彼らにどのようなことが起るかを知れ。地よ、聞け。見よ、わたしはこの民に災をくだす。それは彼らのたくらみの実である。彼らがわたしの言葉に気をつけず、わたしのおきてを捨てたからである。シバから、わたしの所に乳香が来、遠い国から、菖蒲が来るのはなんのためか。あなたがたの燔祭はわたしには喜ばしくなく、あなたがたの犠牲もうれしくはない。それゆえ主はこう言われる、『見よ、わたしはこの民の前につまずく石を置く、人々は父も子も共にそれにつまずき、隣り人もその友も滅びる』」。

 

エレミヤ6:27~30本

「わたしはあなたを民のうちに立てて、ためす者、試みる者とした。あなたが彼らの道を知り、それをためすことができるようにするためである。彼らはみな、強情な反逆者であって、歩きまわって人をそしる。彼らは青銅や鉄であって、みな卑しいことを行う。ふいごは激しく吹き、鉛は火にとけて尽き、精錬はいたずらに進む。悪しき者がまだ除かれないからである。主が彼らを捨てられたので、彼らは捨てられた銀と呼ばれる」。

 

アーメン宝石紫

 

そして、今週歌った賛美歌のみことば音符(ぶどうの木で歌う賛美歌は全てみことばです)を通しては、ここからどんな社会、国になろうと、クリスチャンとして自分にある特権を認識しなければならないと語られました。

 

音符マルコ16:17~18本

信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。

 

音符ルカ10:19本

わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。

 

音符マタイ16:18本

そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。 

 

アーメン!聖書に書かれてある!と宣言し、この3つの特権を頂いているのは、プロテスタント、イエス・キリストを信じる者だけです。私たちは、自分が何者か、神がどんな特権をこの時代に与えているか、ここからはイエス・キリストにしか救いがないこと、クリスチャンにならなければ逃れる道がないことを、霊魂で受けました。

 

音符第3ヨハネ2本

愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている。

 

アーメンピンクハート

先週語られた通り、クリスチャンになるとは、社会的にも経済的にも、健康面においてもすべてに祝福されることです。クリスチャンは貧困で、我慢して、圧迫されて、病気がちで・・・イエス様の十字架の姿と同じ姿でこの世で嘲られ、踏みつけられて生きる・・・ではありません。たとえそういう時があっても、いつまでも続きません。それはこのみことばが証明しています。魂がいつも喜び、恵まれているようにと書かれてある通り、自分の考え方や心の状態も、病院(精神科)に通うような状態にはなりません。いつまでも悲しみ、嘆きには沈みません。全てのことに恵まれて、すこやか(健康)であるようにと神は祈って下さっているのだと語られました。

また、苦しい状況ほど、「私はこう状況ですが、これも訓練です。主の御心です」と言いながら、実際は喜びを失い、信仰を奪われていくクリスチャンが多いですが、それは聖書で約束されている事、聖書の根幹にある事とは違います。クリスチャンになって集会に行き、牧師のメッセージを聞いたら、「あれダメ、これダメ、あぁしろ、こうしろ」と言われ、我慢しながら生きているというところにとどまっているなら宗教です。本来の目的は、そこで霊魂体が一から変えられ、整えられていく人間になっていく事です。

今の時代、会社側が社員に何か指摘をすると、パワハラ、モラハラと言われることを恐れ、何も言えなくなっています。それゆえ、上に立つ権威が教えることもできず、顔色ばかり伺い、自由奔放にさせてしまっているというものすごい霊力がこの日本を覆っています。昔は、先生や親に怒られ、叩かれても、子供は、自分のために言ってくれている、自分が悪かったのだと反省できましたが、自分のために教えられていることが、全部逆さに入ってきて、自分の気分が悪く収まらないため、相手(会社側)を訴えるという言動になるのです。いつからこのような社会になったのでしょう。「あなたのためを思って言っている」という愛がいつから通用しなくなったのでしょうか。

 

今の時代こそ、誰かを通して神の御心が語られる場=教会が必要です。教会で、牧師、兄弟姉妹を通して、何か語られた時に、聖霊によって“これは自分に言われている”と悟り、へりくだって自分の言動を反省していくこと、この世の常識を学ぶ場所ではなく、神の言を学ぶ場所で、救われる前に形成されてきた魂(常識、良識、感情)がくずれる体験をし、もう一度霊魂体が整えられた時はじめて、みことばの重み、愛、深みが理解できるクリスチャン=キリストに似た者になっていけます。考え方、思考回路が変われば、自分をしっかり見つめ、悪い事は悪いと認め、素直に謝罪できるようになります。そんな人間は安定し、平安な気持ちでいられ、それが体にあらわれ健康も与えられていくのです。

クリスチャンは、自分自身が変えられていくと同時に、魂がめぐまれ、いつも喜んでいられるようになり、健康が与えられ、社会的に色んな人に認められ、受け入れられていくようになります。そうすれば、おのずと収入はついてきます。あなたが必要!失いたくないからという理由で給与が上がったり、自営業であれば、「あなたの店で買いたい!あなたにやってもらいたい!」と言われるようになり、経済面が満たされていくのです。

牧師が、羊に伝えてきた聖書の学びはそういう事であり、ここに至るまでに、自分勝手に生きて来た羊が「きつい、厳しい」と感じるのは当然です。そもそも日本の教育、家庭教育が聖書から外れてきたのですから。しかし、1週間にたった3時間半、自分の霊魂体を整えるために神の言を聞くことで、すべての面に祝福される生き方ができるのです。日曜日に神の言を聞き、明日からまた1週間がんばるぞ!と立ち上がり、それぞれ置かれたところで、勉強、仕事、家事、隣人と相和することに励むことに戻されていくだけの信仰の歩みがなぜできないのか・・・自分の肉に対する甘さは忌み嫌っていかなければなりません。

老若男女、いろんな境遇で、人生の先輩とこれから荒波にもまれていく子どもたちが、様々なことを共有し合える場所が教会であると牧師はおっしゃいました。そういう学び会をしているのが私たちです。だからこそ、自分たちが宗教的になってはならず、この土台に立ち、救われる前の自分より良くなるために学んでいることを忘れてはならないのだと語られました。

 

改めて、日本人を滅ぼす計画がある・・・あった!と語られ、心を見られる神の御前に、私欲を捨てて(脇に置き)、まずは各自自分を捧げ、出来ることを大胆に勇気をもって出来るように!と祈りました。新生日本を担うリーダになるような人々が、敵はサタンであるという真理を知るために、私たちクリスチャンは地上で訓練されてきたと言えます。ここからますます神出鬼没で働かなければならないと語られました。私たちが神の義を求めて行うなら、必ず聖霊は助けてくださり、神は御心を成し遂げてくださるのだと信じ、ますますこの国のため、世界のためにキリストの特権を行使して祈り、働いていけたことを感謝して祈ります!!

 

第1コリント15:50~58本

兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。

「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。

死のとげは罪である。罪の力は律法である。しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。

 

第1コリント16:13~14本

目をさましていなさい。信仰に立ちなさい。男らしく、強くあってほしい。いっさいのことを、愛をもって行いなさい。

 

アーメンまじかるクラウン