聖霊が自由に働く器となる | ぶどうの木 Good News

聖霊が自由に働く器となる

holygirlですニコニコ

 

17年前、2007年9月2日に「ぶどうの木 家族のあり方講座」として、私たちは初めて浜松市の施設、アクトシティに隣接する楽器博物館の研修室を借りて集会を行いました。当時、オウム真理教の問題もあり、聖書、宗教に敏感に反応する世の中で、なかなか市の施設を借りることはできなかったのですが、イエス様に祈り求めると、私の父が聖霊に使われてこの施設を教えてくれ、母(牧師)が門を叩くと、開かれたのでした。その後、他の施設にも門が開かれるようになり、参加人数の増加に合わせて浜松市の様々な施設で集会を行っていくことになりました。それによって、楽器博物館で行う機会は減っていったのですが、今週の集会はいつも使っている施設の予約が取れなかったこともあり、数年ぶりに楽器博物館の研修室に戻ってくることになりました。

会場に着くと、『響き渡る日本にやってきたラッパ』という垂れ幕が迎えてくれましたスター私たちは、このサタンの支配下の世に響き渡る真理のラッパ、この世の終わり、主の再臨を告げるトランペットなのだと語られました。

 

マタイ24:31本

また、彼(イエス様)は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。

 

ぶどうの木は今17年目の歩みをしていますが、家族のあり方講座という名目で、聖書を土台とした男女の出会いから結婚、子育て、家族のあり方を学んでくる中で、家族という小さな単位の中での訓練は全て、イエス様の花嫁、キリストの兵卒となるためであり、イエス様のために生きる人生に変えられていくのがクリスチャンであることを知り、体験してきました。それは全て聖霊の力、導きなしにはできないことでした。ぶどうの木ができて数年後、トラクト「神の国は力」(初版)を通して、聖霊を教師とした私たちの学びを知る事となった日本キリスト教団のS牧師が興味を持ち、集会に参加された事がありました。S牧師はキリスト教団の中で一人、聖霊の働きは今の時代もあると信じ、聖霊について知りたかった牧師でした。

この「聖霊の働きは今の時代もあるかどうか」についての見解は、教団教派によって違います。数々の聖霊の御業が行われた使徒行伝の時代は、イエス様の弟子たち、また、パウロが死んだ時点で、終わっていると教えている牧師たちも数多くいます。その結果、何の力も証もなく、サタンの攻撃の矢が当たり続け、悪霊にだまされ、翻弄されているクリスチャンが大勢います。教会は、生温い教えの中で、全部イエス様がやってくれる、イエス様に祈っていればよいという怠惰が身につくところか、逆にひたすら奉仕で肉に厳しく、魂が死んで、カルト化しているところかのどちらかに成り下がっています。

そんな既成の教会の現実・クリスチャンの実態を見せられた私たちは、ローマ人への手紙15章16節~21節を通して、いまだイエス様のことを全く知らない異邦人、まっさらな土台の人に福音宣教することを言われました。

 

ローマ15:16~21本

このように恵みを受けたのは、わたしが異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を勤め、こうして異邦人を、聖霊によってきよめられた、御旨にかなうささげ物とするためである。だから、わたしは神への奉仕については、キリスト・イエスにあって誇りうるのである。わたしは、異邦人を従順にするために、キリストがわたしを用いて、言葉とわざ、しるしと不思議との力、聖霊の力によって、働かせて下さったことの外には、あえて何も語ろうとは思わない。こうして、わたしはエルサレムから始まり、巡りめぐってイルリコに至るまで、キリストの福音を満たしてきた。その際、わたしの切に望んだところは、他人の土台の上に建てることをしないで、キリストの御名がまだ唱えられていない所に福音を宣べ伝えることであった。すなわち、「彼のことを宣べ伝えられていなかった人々が見、聞いていなかった人々が悟るであろう」と書いてあるとおりである。

 

アーメン宝石ブルー

そして、私たちはただの教会であってはならない、先人クリスチャンの心・バトンを受け継いで聖霊を正しく伝えていかなければならないと語られてきました。ですから、ぶどうの木第1回目の集会は、聖書で使徒行伝という意味をもつアクト(Act)から始まり、「ぶどうの木教会」ではなく、イエス様ご自身をあらわす「ぶどうの木」をヨハネ15章より頂いたのです。

ぶどうの木牧師はただの専業主婦です。潰瘍性大腸炎という10万人に一人の難病宣告を受け、絶望して死ぬところから、イエス様に癒されて命を頂きました。生かされた命だと思ったら、この世のどんな権威に対しても、恐れることなく、臆することなく、言いたいことを言えます。何のしがらみもなく、聖霊に自分自身を明け渡したら、誰の前に置かれても、何時間でも神の御心を知って語ることができます。そうやって、ぶどうの木集会は第1回目から牧師への油の注ぎによって、毎週全ての羊の必要を満たすメッセージが与えられてきました。集会に参加したS牧師は、「イエス様、次はどうしますか?イエス様、分かりました。この箇所を読むのですね」と、牧師がイエス様と会話しながら進める集会に驚いていました。

 

4年前、アメリカ大統領選挙が不正により、トランプ氏絶対当選のはずが、バイデン氏が大統領になった時、聖霊が教えてくれたのは、ものすごい悪の力が人間界へ挑戦してきているという事でした。子どもの人身売買、小児性愛、アドレノクロム・・・信じがたい事実を知らされると共に、世界には、1部の悪魔崇拝者と言われる者たちがおり、彼らが利益を得る金融システムと、彼らの欲(性欲)を満たすために子どもたちが犠牲になっていることが明らかになりました。さらに、彼らは人口削減計画をもとに、コロナウイルスを生物兵器としてばらまき、絶対的害・毒であるコロナワクチンを全人類に打たせました。聖霊はすぐに牧師を通して、絶対に打つなと教えてくれました。国とこの世の権威である医者のほとんどは、打つことでコロナウイルスから守られると言いましたし、拒む者は、割引特典を受けられらず、他者への思いやりのない身勝手な陰謀論者、頭がおかしい人だと差別を受ける事にもなりました。しかし、それが正しい選択であったことは、超過死亡とコロナワクチン後遺症で苦しむ人々が大勢いて訴訟が起きている現実を見れば明らかです。

日本の教会の牧師の多くも、コロナワクチン接種を信徒にすすめてきました。打たなければ、礼拝に参加できないというルールまでつくった教会もあります。この責任を今後問われていくことになるでしょう。神はコロナを使って、私たち人間一人一人の善悪を見抜く力、クリスチャンとしていかにこの世に流されずに神の声を聞いて歩めるかを試されたのです。

そして、トランプ氏はずっとその勢力と戦い、追い詰めてきた人物です。だから、闇側の者たちはトランプ氏の再当選(第2期目の当選)を阻んだのです。これは今ではアメリカ国民はじめ、全世界で周知されていることですが、日本ではいまだトランプ氏を悪く言う偏向報道が行われています。しかし、今年トランプ氏が大統領として帰ってきます。実際は、ずっと裏で彼が大統領であったと言われていますが。クリスチャンは聖書神学だけを知っていたら良いのではありません。社会の動き、流れを見抜く力も、聖霊によって与えられてこそ、この時代に人々を救いに導くことができるのです。

 

今週の集会で、私たちは第1回目の集会の時に牧師が語ったメッセージを受け、さらに、私たちがずっと守られ、導かれてきた聖霊の働きについても再確認しましたひらめき電球

 

ヨハネ15:16~17本

あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである。

 

アーメン宝石赤

私たちは自分から好んで教会に行きクリスチャンになったのではなく、神に選ばれ、福音を聞いて救われました。そして、ただ選ばれただけではなく、年代ごとに、世代の代表として、この場所に、神に立てられたのです。それは聖書に、【あえて無きに等しい者を選ばれた】と書かれてある通り、決して“私はすごい人間だ”と高ぶることではありませんが、神に立てられた者には、神の御心を知って行い、福音宣教をし、実を結んでいくという責任があります。そして、その実はいつまでも残るものです。例えば、単発的な癒しを得るご利益宗教ではなく、病気になった原因(自分が吐いてきた言葉、生活習慣、考え方)から変え、二度と再発しないように180度新しい自分を建て上げるなら、癒しの実はいつまでも残るでしょう。

主にあって、まず自分が変わりなさい!自分の生き方、価値観を変えなさい!人がどう思うかではなく、神がどう思うかを考えて言動しなさい!とおっしゃるのが真の神であり、それが真理の教えです。これは人生をかけて死ぬまで学ぶこと、学び続ける教えです。祈ることだけを教え、自分の罪を悟って悔い改めることも、聖霊対悪霊の戦いを知って、悪霊の追い出しをすることも教えない教会で成長したクリスチャンや、自分自身に甘く、気ままにやりたい事だけ選んでやってきた人には、受け付けられないでしょう。自分を変えていく神の訓練が始まったら、辛い、きつい、これがイエス様なの!?と文句つぶやき、逃げ出していくのです。しかし、訓練から逃げ出さず、耐え忍んだ者には平安な義の実が結ばれていきます。そのように豊かに実を結んでいく姿勢のあるクリスチャンに対して、イエス様は、「父(神)に求めるものはなんでも、父が与えて下さる」とおっしゃいました。なんでも!です。神に不可能はなく、神のやり方をもって、私たちが求めるものは必ず与えてくださるのです。

そして、少し前の12節~14節に【わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。】と書かれてある通り、これらの事を神が命じるのは、私たちが互いに愛し合うため、愛によって働く信仰に至るためですハート

このように、ぶどうの木第1回目の集会で、イエス様は私たちにクリスチャンとはどうあるべきかを分かりやすく教えてくださいました。このように、神に選ばれ、置かれた家庭や、職場、学校に立てられてきた兄弟姉妹の忠実な福音宣教によって、ぶどうの木にはたくさんの選びの民が導かれ、真理を知って変えられ、多くの実=証のある群れへと成長していったのですぶどう

 

第1コリント9:16本

わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇にはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである。

 

第1コリント9:23~27本

福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。

あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい。しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。そこで、わたしは目標のはっきりしないような走り方をせず、空を打つような拳闘はしない。すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。そうしないと、ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない。

 

アーメン宝石ブルー

 

そして、クリスチャンとしての歩みの中では、迫害、患難もあります。自分の肉欲のまま生きているなら、サタンは相手にしませんが、神の御心を行いたい!と求め、特に互いに愛し合おうとするところに迫害が来ます。それに対して、イエス様は次のようにおっしゃいました。

 

ヨハネ15:18~27本

もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい。もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。わたしがあなたがたに『僕はその主人にまさるものではない』と言ったことを、おぼえていなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害するであろう。また、もし彼らがわたしの言葉を守っていたなら、あなたがたの言葉をも守るであろう。彼らはわたしの名のゆえに、あなたがたに対してすべてそれらのことをするであろう。それは、わたしをつかわされたかたを彼らが知らないからである。もしわたしがきて彼らに語らなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう。しかし今となっては、彼らには、その罪について言いのがれる道がない。わたしを憎む者は、わたしの父をも憎む。もし、ほかのだれもがしなかったようなわざを、わたしが彼らの間でしなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう。しかし事実、彼らはわたしとわたしの父とを見て、憎んだのである。それは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と書いてある彼らの律法の言葉が成就するためである。わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのであるから、あかしをするのである。

 

アーメン宝石紫

私たちが迫害されるのは、私たちの内に神・イエス様がおられるからです。この世の人は、自分の考えによって神とイエス様を憎みました。そこに理由はないとイエス様はおっしゃいます。ですから、迫害された時に、“私の何がいけなかったのだろう”と落ち込んだり、“なぜ分かってくれないの!あんなひどい言い方しなくてもいいのに!”と情欲にまかれて腹を立てるのではなく、まず「イエス様、迫害、患難は喜び踊れですね!」と言って気持ちを切り替え、喜びます。その上で、イエス様に、「私が相手を怒らせてしまうような事をしたのであれば教えてください」と聞きます。すると聖霊は、「それで良い!」と教えてくれたり、「あの時の言い方が良くなかった」「なぜあのような態度を取ったのか?」とその場面を思い出せてくださいます。それ以前に、自分の何がまずかったかは、自分自身が分かっているはずです。霊が神の子であるとはそういう事です。そして、悔い改め、迫害してきた相手をとりなす祈り(ゆるし、愛し、祝福し、尊敬する祈り)で、自分自身を聖別します。いつも光側を見て、前向きになり、愛の人に生まれ変われるのが、神の愛に根差したクリスチャンであると語られました。

この世から選び出された者として、自分は何を伝えることができるのか・・・牧師は「潰瘍性大腸炎という難病は、食事改善で完治します」と主治医に伝え、この世の権威・医学に対して先日その事を身をもって証明しました。聖霊を受けたら、信仰が強くなります。イエス様が絶対的に癒してくださる!問題を解決して下さる!と信じているので、ならば、どうすれば良いか、積極的にイエス様に聞くことができ、その信仰の行い通り身になっていきます。聖霊に満たされていたら、何も恐れることはありません。聖霊はイエス様についてあかしするために来られました。自分の肉欲を満たすためではなく、イエス様のために証をし、働く人に聖霊は働かれるのです。

 

さらに聖霊については次のように書かれています。

 

ヨハネ16:12~15本

わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。

 

アーメン宝石緑

私たちの肉に答えはありません。自分の中に答えがあると思って頭で色々考えるなら、サタンは先回りして、それよりもはるかに上のやり方で妨害してきます。ですから、私たちは自分の意見を言うのではなく、常にイエス様から聞いたこと=【神の言】を語り、聖霊によって知らされる来たるべき事=【預言】を語れる器でなければなりません。また、聖霊はイエス様が語ること、みことばに根差したことしか言いません。毎週集会でメッセージを語って下さる牧師の姿が、自分自身を神に聖霊に明け渡した器の姿の模範として与えられているので、それがどういう事であるのか私たちは理解できることに感謝です。そして、それは自分を誇るためではなく、神が栄光を受けるためです。誇り始めたら、自分が神・教祖になっていき、完全に油の注ぎを失います。

 

また、イエス様が内に入られた時から、生きているのはもはや自分ではなく、自分の内におられるイエス様です。私たちの細胞はみことばでできており、呼吸をするようにイエス様の御名前が出てきます。イエス様のことを語っていないなら、死んだも同然です。イエス様のことを語るな!と言われたら、何も語ることがありません。そのような自分に変えられてはじめて、肉と霊が聖別されたクリスチャンと言えるのだと語られました。

 

そして、異言が出るのは聖霊に満たされている証拠です。自分がピンチな時でも、イエス様に自分自身を明け渡しているなら、異言が溢れ出て止まらなくなるのだと語られました。「イエス様、なぜこんな事が起きているのですか!?」と聞きながら異言を語っている間に、私たちの萎んでいた霊は充電されていきます。そして、異言がおさまると、神・イエス様が一つ一つ、自分の質問に答えながら、聖霊の導きを解き明かしていってくださるのだと語られました。

 

ヨハネ16:21~24本

女が子を産む場合には、その時がきたというので、不安を感じる。しかし、子を産んでしまえば、もはやその苦しみをおぼえてはいない。ひとりの人がこの世に生れた、という喜びがあるためである。このように、あなたがたにも今は不安がある。しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう。そして、あなたがたの心は喜びに満たされるであろう。その喜びをあなたがたから取り去る者はいない。その日には、あなたがたがわたしに問うことは、何もないであろう。よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。

 

ヨハネ16:33本

これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。

 

アーメングー炎

私たちは問題とみことばを妊娠しています。そして、いよいよ出産、問題と向き合う日が来ると、ちゃんと乗り越えられるかな?できるかな?大丈夫かな?と不安になります。しかし、必ず解決の時が来ます。神がのぞませた妊娠、出産であるなら、聖霊の導きに従うことで、神のなさり方で乗り越えることができ、そこに伴うのは喜びだけです音符クリスチャンになったら、問題がなくなるのではなりません。それを勘違いして、「クリスチャンになったら迫害も受けるし、大変なことが増えた」と文句つぶやき、信仰から離れる人がいますが、クリスチャンだからこそ、神の御手の中で様々な試練にあうのです。しかし、主が共におられる!必ず勝利できる!という信仰があるからこそ、いつも喜んでいることができ、主を喜ぶ力によって問題が問題ではなくなる時が来ることが約束されていることを、私たちは忘れてはならないと語られました。

 

第1コリント10:9~13本

また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。主を試みた者は、へびに殺された。また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。

 

アーメン宝石赤

ゴールは一つですが、道はつながっています。私たちが自分の【意思(意見と思い)】でフラフラするなら、迷子になりますが、イエス様のために生きたい!絶対勝利してゴールにたどり着きたいという【意志】をもって進むなら、必ずゴールにたどりつくことができるのだと語られました。

 

最後に、聖霊の導きを見えなくさせ、聖霊の流れを止めてしまうのは、情欲、自分の義であると語られました。

肉と霊の世界の中で、クリスチャンが情欲に流され、これが善だ!と思って自分の義(自分のやり方)で行なっていけば、倒されていきます。先日、群れの姉妹が40代の牧師経験のある男性に出会ったのですが、その人から「若くして牧会に成功し、信徒が100人ぐらいになり、リバイバルが起きた教会としてテレビに取り上げられたこともあったのですが、弟子訓練をしていても、信徒が成長せず、昼夜関係なく信徒から悩み相談や呼び出しを受け、寝る時間もなく対応していたら力尽きました。私は牧会に失敗し、解散して教会はなくなりました」という話を聞いたそうです。立派な教会を構え、信徒を大勢集めても、聖霊の力によらず、自分の力で行うなら、そうなるでしょう。宣教師や伝道者は、大胆にイエス様の御業を宣べ伝えて、その場にいる人々を救っていく一期一会の仕事ですが、牧師は、その救われた人々をケアしていく、一番地味でしんどい仕事です。主にあってでなければ、何事も行なっていくことはできないのだと語られました。

 

また、情欲の霊にまかれると、相手の発言がおかしい、身勝手で理不尽だと思っても、発言できなくなります。腹立たしく、言いたいことがあるのに、言われっぱなしで黙り、ただ相手を無条件でゆるしているなら、魂が死に、宗教になります。魂でぶつかり、「それはどういう事か!?」と納得できないことは追及すること、怒って攻めるのではなく、相手の責任を問うことはクリスチャンの姿勢として大切であり(パウロも論破して納得させていった)、相手をサタンの獄屋から引っ張り出すためにも必要なことであると語られました。誰の前に立たされても、神を通して相手を見、神から受けたことを直接語るのです。

 

イザヤ62:4~5本

あなたはもはや「捨てられた者」と言われず、あなたの地はもはや「荒れた者」と言われず、あなたは「わが喜びは彼女にある」ととなえられ、あなたの地は「配偶ある者」ととなえられる。主はあなたを喜ばれ、あなたの地は配偶を得るからである。若い者が処女をめとるようにあなたの子らはあなたをめとり、花婿が花嫁を喜ぶようにあなたの神はあなたを喜ばれる。

 

アーメン宝石ブルー

情欲があれば、人のものとなり、神のものになりきれません。私たちクリスチャンは男も女も関係なく、「配偶ある者」=完全にイエス様の者、キリストの花嫁になれているかと問われました。神の好意が働かず、物事が停滞するのは、情欲や裁き、自分の義や不信仰な思いがあるからです。そんな自分を悔い改め、完全に自分自身を明け渡してイエス様の者となり、信仰で一歩踏み出すなら、聖霊が豊かに働いてくださいます。集会では、兄弟姉妹の証を通しても聖霊の働きと情欲の霊について分かりやすく語られました。自分の肉の思いで聖霊を汚すことのないよう、今週も聖霊の声に聞き従い、神の御心を行なっていけたことを感謝して祈ります!乙女のトキメキ

 

エペソ1:3~14本

ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである。わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜わり、御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。それは、早くからキリストに望みをおいているわたしたちが、神の栄光をほめたたえる者となるためである。あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。

 

アーメンダイヤモンド