神の目と心は常に聖別されたクリスチャンに注がれている | ぶどうの木 Good News

神の目と心は常に聖別されたクリスチャンに注がれている

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今週は、預言者ダニエルを通して、クリスチャンとしてのきよさと、たとえ、ししの穴に投げ入れられても神に守られるクリスチャンの特権について学びました。

 

イスラエル人であったダニエルはバビロン捕囚(紀元前6世紀ごろ、南ユダ王国のイスラエル人たちがバビロンなどの都市へ捕虜として連行された)によってバビロニアに連行されましたが、バビロンの王ネブカデネザルの命令により、王の宮に仕える者として連れてこられました。

 

ダニエル1:1~21本

ユダの王エホヤキムの治世の第三年にバビロンの王ネブカデネザルはエルサレムにきて、これを攻め囲んだ。主はユダの王エホヤキムと、神の宮の器具の一部とを、彼の手にわたされたので、彼はこれをシナルの地の自分の神の宮に携えゆき、その器具を自分の神の蔵に納めた。時に王は宦官の長アシペナズに、イスラエルの人々の中から、王の血統の者と、貴族たる者数人とを、連れて来るように命じた。すなわち身に傷がなく、容姿が美しく、すべての知恵にさとく、知識があって、思慮深く、王の宮に仕えるに足る若者を連れてこさせ、これにカルデヤびとの文学と言語とを学ばせようとした。そして王は王の食べる食物と、王の飲む酒の中から、日々の分を彼らに与えて、三年のあいだ彼らを養い育て、その後、彼らをして王の前に、はべらせようとした。彼らのうちに、ユダの部族のダニエル、ハナニヤ、ミシャエル、アザリヤがあった。宦官の長は彼らに名を与えて、ダニエルをベルテシャザルと名づけ、ハナニヤをシャデラクと名づけ、ミシャエルをメシャクと名づけ、アザリヤをアベデネゴと名づけた。

ダニエルは王の食物と、王の飲む酒とをもって、自分を汚すまいと、心に思い定めたので、自分を汚させることのないように、宦官の長に求めた。神はダニエルをして、宦官の長の前に、恵みとあわれみとを得させられたので、宦官の長はダニエルに言った、「わが主なる王は、あなたがたの食べ物と、飲み物とを定められたので、わたしはあなたがたの健康の状態が、同年輩の若者たちよりも悪いと、王が見られることを恐れるのです。そうすればあなたがたのために、わたしのこうべが、王の前に危くなるでしょう」。そこでダニエルは宦官の長がダニエル、ハナニヤ、ミシャエルおよびアザリヤの上に立てた家令に言った、「どうぞ、しもべらを十日の間ためしてください。わたしたちにただ野菜を与えて食べさせ、水を飲ませ、そしてわたしたちの顔色と、王の食物を食べる若者の顔色とをくらべて見て、あなたの見るところにしたがって、しもべらを扱ってください」。家令はこの事について彼らの言うところを聞きいれ、十日の間、彼らをためした。十日の終りになってみると、彼らの顔色は王の食物を食べたすべての若者よりも美しく、また肉も肥え太っていた。それで家令は彼らの食物と、彼らの飲むべき酒とを除いて、彼らに野菜を与えた。

この四人の者には、神は知識を与え、すべての文学と知恵にさとい者とされた。ダニエルはまたすべての幻と夢とを理解した。さて、王が命じたところの若者を召し入れるまでの日数が過ぎたので、宦官の町は彼らをネブカデネザルの前に連れていった。王が彼らと語ってみると、彼らすべての中にはダニエル、ハナニヤ、ミシャエル、アザリヤにならぶ者がなかったので、彼らは王の前にはべることとなった。王が彼らにさまざまの事を尋ねてみると、彼らは知恵と理解において、全国の博士、法術士にまさること十倍であった。ダニエルはクロス王の元年まで仕えていた。

 

アーメン宝石紫

王のもとに連れて来られた王の血統の者や貴族たる者数人の中に、ユダの部族のダニエル他3人の若者がいました。彼らは、身に傷がなく、容姿が美しく、すべての知恵にさとく、知識があり、思慮深い者たちでした。ネブカデネザル王は、王の食べる物と飲む酒の中から、日々の分を彼らに与えて3年の間養い育てようとしましたが、ダニエルは、王の食物と飲む酒とをもって、自分を汚すまいと思い、他3人の若者ハナニヤ、ミシャエル、アザリヤと共に、10日間野菜を食べ、水を飲む生活をしました。すると、彼らの顔色は王の食物を食べたすべての若者よりも美しく、肉も肥え太っていたのです。

私たちは、このみことばを通して、王の食物と、王の飲む酒とは、この世のもの・快楽であると語られました。王様=この世の人と同じものを飲み食いできることを喜ぶ人は、欲望が強くなり、握るものも増えていきます。尽きる事のない自身の欲を満たすために生き、それを得て何になるのか・・・人生で得た勲章、栄華も一時的なことで、いつまでもその勲章・栄華を誇っているのは自分だけ。周りにはすぐ忘れられていきます。【人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。】(マルコ8:36〜37)と書かれてある通り、身を滅ぼしてしまったら、何の意味もありません。ダニエルが野菜を食べ、水を飲む生活をして、王の食物を食べた全ての若者よりも美しく、肉も肥え太った事からも、霊的に大事なのは、みことばを飲食して霊に蓄え、みことばに書かれてあることを行って、自分の身をきよく健康に保つことであると語られました。

そして、ダニエルの姿勢から、クリスチャンとして訓練を受ける時に、自分を汚すまいと心に思い定められるきよさがあるかどうか問われました。【きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。】(へブル12:14)と書かれてある通り、ダニエルのように、きよさがある者が、神から知識と知恵、幻と夢を理解する力を得て、後に神からの終末預言をする者として用いられました。飲むのも食べるのも何事をするのも神の栄光のためであって、自分のためではありません。きよさのために自分の欲と戦える者が、神の栄光をあらわせるのだと語られました。

 

へブル13:4~9本

すべての人は、結婚を重んずべきである。また寝床を汚してはならない。神は、不品行な者や姦淫をする者をさばかれる。金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい。主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。だから、わたしたちは、はばからずに言おう、

「主はわたしの助け主である。わたしには恐れはない。人は、わたしに何ができようか」。

神の言をあなたがたに語った指導者たちのことを、いつも思い起しなさい。彼らの生活の最後を見て、その信仰にならいなさい。イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。さまざまな違った教によって、迷わされてはならない。食物によらず、恵みによって、心を強くするがよい。食物によって歩いた者は、益を得ることがなかった。

 

アーメン宝石緑

 

ダニエルがネブカデネザル王に仕えるようになった頃、王は夢にうなされるようになりました。その夢の意味を知るために、王は占い師や賢者などを呼び集めましたが、誰一人として夢を解き明かせる者はいませんでした。激怒した王は、バビロンにいる頭の良い人々を皆殺しにしようとし、ダニエルとその同僚も殺そうとしました。そこでダニエルは王に「夢の解き明かしをするためにしばらく時間がほしい」と願い、神に夢の解き明かしを祈り求めました。そして、神が幻を通して語って下さった夢の意味を、翌日王に解き明かしたのです。ダニエルは、王から夢の内容を聞いていませんでした。それなのに、王が見た夢の内容からその解釈まで完璧に説明したため、王はひれ伏してダニエルを拝し、「あなたがこの秘密をあらわすことができたのを見ると、まことにあなたがたの神は神々の神、王たちの主であって、秘密をあらわされるかただ」と答えました。こうして王はダニエルに高い位を授け、多くの大いなる贈り物を与えて、彼をバビロン全州の総督とし、またバビロンの知者たちを統轄する者の長としました。

 

その後、ネブカデネザル王の息子であるベルシャザル王の頃にも、ダニエルは夢の解き明かしを行いました。ダニエルを召した王妃は、聖なる神の霊、すぐれた霊、知識、分別があって、夢を解き、なぞを解き、難問を解くことができると認めていたのです。そして、ダニエルは国で3番目に偉い位を与えられました。その夜、ベルシャザル王は殺され、メデア人のダリヨスが新しい王になりました。

ダニエルは、3人しかいない大臣の一人でしたが、その優秀さは群を抜いており、ダリヨス王はダニエルに国全体を治めさせようと考えていました。しかし、他の大臣や総督たちはこれを良く思いませんでした。そこで彼らはダニエルを陥れようと、ダリヨス王に、「これから30日間、王様以外の人間か神を拝む者は、ししの穴に投げ込まれる」という法律を出すよう提案しました。彼らはダニエルが神様を信仰していることを知っていたのです。その後、ダリヨス王は言われた通りに法律を出しました。

ダニエルは法律が出ても、いつも通り神に祈りと賛美を捧げました。これを見た大臣や総督たちは、新しい法律に背いたという理由でダニエルをダリヨス王の前に突き出しました。ダリヨス王はダニエルを何とか助けようとしますが、法律で決まっている以上どうにもなりませんでした。

 

ダニエル6:16~28本

そこで王は命令を下したので、ダニエルは引き出されて、ししの穴に投げ入れられた。王はダニエルに言った、「どうか、あなたの常に仕える神が、あなたを救われるように」。そして一つの石を持ってきて、穴の口をふさいだので、王は自分の印と、大臣らの印をもって、これに封印した。これはダニエルの処置を変えることのないようにするためであった。こうして王はその宮殿に帰ったが、その夜は食をとらず、また、そばめたちを召し寄せず、全く眠ることもしなかった。

こうして王は朝まだき起きて、ししの穴へ急いで行ったが、ダニエルのいる穴に近づいたとき、悲しげな声をあげて呼ばわり、ダニエルに言った、「生ける神のしもべダニエルよ、あなたが常に仕えている神はあなたを救って、ししの害を免れさせることができたか」。ダニエルは王に言った、「王よ、どうか、とこしえに生きながらえられますように。わたしの神はその使をおくって、ししの口を閉ざされたので、ししはわたしを害しませんでした。これはわたしに罪のないことが、神の前に認められたからです。王よ、わたしはあなたの前にも、何も悪い事をしなかったのです」。そこで王は大いに喜び、ダニエルを穴の中から出せと命じたので、ダニエルは穴の中から出されたが、その身になんの害をも受けていなかった。これは彼が自分の神を頼みとしていたからである。王はまた命令を下して、ダニエルをあしざまに訴えた人々を引いてこさせ、彼らをその妻子と共に、ししの穴に投げ入れさせた。彼らが穴の底に達しないうちに、ししは彼らにとびかかって、その骨までもかみ砕いた。

そこでダリヨス王は全世界に住む諸民、諸族、諸国語の者に詔を書きおくって言った、「どうか、あなたがたに平安が増すように。わたしは命令を出す。わが国のすべての州の人は、皆ダニエルの神を、おののき恐れなければならない。彼は生ける神であって、とこしえに変ることなく、その国は滅びず、その主権は終りまで続く。彼は救を施し、助けをなし、天においても、地においても、しるしと奇跡とをおこない、ダニエルを救って、ししの力をのがれさせたかたである」。

こうして、このダニエルはダリヨスの世と、ペルシャ人クロスの世において栄えた。

 

アーメン宝石赤

ダニエル6章を通して、どこまでも神・イエス様に信頼するなら、聖霊が働かれ守られるのだという事を語られました。ダニエルの神、ししの害を免れさせて下さった神はその国の神となったのです。クリスチャンがどこまでも神に信頼して忠実に物事を行うなら、周りがその神の力を見ておののき恐れ、認めざるを得ません。逆に、不忠実な人や、偽の神々を信じて守りの中にいない人は、しし=サタンに襲われ、命を落とすことになることも、このみことばは警告してくれています。

救われクリスチャンになった自覚がなくても、神は忘れずに天に名を記して下さいますし、サタンにとっては一番の憎き攻撃対象になります。だからこそ、救われたのに集会に来ず、みことばに背いた生き方をしていることは危険です。群れの牧者と歩く羊ではなく、自由気ままに動き回るヤギになっていたら、囲いから出ているため狙われます。神に覚えられた自分がどう生きて行くのか・・・日曜日に1週間の糧、サタンに対抗する武具をしっかりと身に付けて歩むこと、何の霊に自分が誘導されているのか速やかに見分けて神の声に聞き従うことができているのか問われました。

 

さらに牧師は、ご自身の体験がまさにダニエル6章のししの穴と同じであったと証してくださいました。

 

牧師の次女が小学5年生の時、学校、PTA、自治会から大迫害を受けたことがありました。次女がイエス様に救われたことを喜び、学校中にイエス様の福音を伝えるために自分で作ったトラクトをまいたからです。次女の友人たちも神の霊を受けて「イエス様」と言い始めるようになり、親たちは戸惑い、その声を受けた学校側も賛同して、「イエス様の話をするな!するなら、この地域から出て行け!」と言ってきたのです。次女は担任から、広辞林(国語辞典)で“宗教”と引かれ、その意味を言われましたが、「イエス様は宗教ではありません!」と強く反発し、自宅に校長まで来る事態となりました。

牧師は、当時まだ救われたばかりの幼子でしたが、迫害患難喜び踊れだ!と思っていたそうです。そして、いよいよPTAの集まりに出てくるように言われ、夫と共に出向くことになりました。信仰のなかった夫は、「マンションを購入したばかりなのにこの地域から出て行く事になったらどうするんだ!とにかく皆の前で謝罪しろ!」と言いましたが、牧師はそんな夫の心配をよそに、「ケーキを買って行きたいから、マッターホーンに寄って」と言いました。マッターホーンは当時有名なケーキ屋でした。日曜日の夕方に呼び出され、一刻も早く向かわなければならないと焦っている夫は、「なんでケーキなんか買っていくんだ!もうこんな時間だからケーキなんて残ってないだろ!」と言ったのですが、牧師は「手土産ぐらいあったほうがいいでしょ!大丈夫、イエス様があると言ってるから!」と言いました。不思議なのは、夫がその言葉に従ってケーキ屋に向かったことです。

実は、この事態が起きる直前に、神はあらかじめ武具として牧師に母教会の牧師の証を思い出させて下さっていました。「自分を迫害してきた人の家に、有名なピーチパイを持っていくと、その人はピーチパイをすぐに受け取り、一緒に食べている間に黙って福音を聞けるようになったのです。自分が持っていった肉の食物を食べるなら、その人は霊の食物も頂けます。肉を満たしてあげたら、霊の話も聞けます」という証でした。その証を思い出して、牧師もマッターホーンのケーキを買って行こうと思ったのです。ケーキ屋には、フルーツのケーキが9つ残っていたので、全部購入しました。

しかし、皆が集まっている家に到着して、玄関でケーキを差し出すと、「要りません!」と言われました。牧師は、“あれ?証と違うぞ”と思いながらも、「では、玄関のこちらに置かせてください」と言って、皆が待つ部屋に入りました。霊は喜び平安で、何も臆することなく福音の機会だと思って、牧師は自分が体験してきた神の力について笑顔で話しました。皆に責め立てられる状況下で、“これはダニエル6章に書かれてあるししの穴の中だ!”と分かり、主に信頼して喜んでいなかったら噛まれると思ったそうです。最終的に、「福音をやめなかったら、地域と学校で次女さんをいじめにあわせる!」と言われた時、明らかにサタンが言わせていると思ったそうです。すると、夫が「本当に申し訳ありませんでした。私の方からちゃんと言って聞かせますので、娘をいじめにあわせることだけはやめてください」と土下座し、「でも家内は本当にイエス・キリストによって10万人に一人の難病が癒されたんです!これは本当です!」と弁明してくれたのです。その一言でその場にいる人たちは静まり、何も言えなくなったそうです。そして、帰る際に、牧師が「ケーキ、持ち帰りますね」と言うと、その家の人が「いいえ、せっかくだからもらっておきますね」と笑顔で受け取ったことで勝利を確信しました。その後、次女の友人たちは、「親が〇ちゃんと遊ぶなと言ったけど、私は〇ちゃんと遊ぶから」と言ってくれ、誰一人離れることも、いじめてくることもありませんでした。

 

そして、このみことばは、無条件のゆるしについても教えてくれています。クリスチャンであっても、人に対してゆるせない!という裁きの罪は、ししの穴に向かう罪であり、また、ししに速やかに食われる罪です。裁き(高ぶり・審判者の霊)は滅びの始まりであり、サタンにやりたい放題にされる人生になります。だからこそ、ししの穴に落ち込まないように、サタンの策略にかからないように無条件に人をゆるさなければなりません。神の子であるイエス様も、無条件の愛で私たちをゆるし、その罪の清算をして下さるために十字架にかかって下さいました。私たちは、大嫌いだと思う人、この人だけは許せないと思う相手のためにも、イエス様は十字架にかかって下さったことを忘れてはならないと語られました。神の目から見たら、自分も、憎き相手も、一つとして同じものはない尊い神の作品であって、愛されています。ローマ14章4節には、【他人の僕をさばくあなたは、いったい、何者であるか。彼が立つのも倒れるのも、その主人によるのである。しかし、彼は立つようになる。主は彼を立たせることができるからである。】と書かれています。また、人を裁くな!自分が裁かれないためである!人の裁きは主に委ねよ!とも聖書は教えています。

長子イエス様を十字架にかけてまで、人類の罪を帳消しにしようとされた天の父である神の愛が身に染みた時、人は人を愛し、ゆるし、重荷をイエス様の足元におろして生きていけます。ダニエルを罪に定めた人は、妻子共々ライオンに食われて一瞬にして死にました。人の裁きさえ、神に委ねることができる特権をいただいたのがクリスチャンです。それは御霊の実以外の感情で自分を汚すことのないためでもあります。いつも清い心で生きていけるように、自分の舌でサタンを寄せ付けて喜ばせ、サタンの策略にかかることのないように、特権を行使して前進しなければなりません。罪の始まりは、「ゆるせない」という裁きの思いからです。ペロリと毒蛇の舌が余計なことを言葉にしたとたんに、悪霊を動かすことを身に刻まなければなりません。

神の言、無条件のゆるしを肉でやるなら、それは我慢であって、他者から見たら偽善者です。そうではなく、まずみことばを「アーメン」と言って霊で受け、「イエス様、どういう事か教えてください」と聞くことです。すると神は絶対的存在であって、私たちはその下に生かされていることを知るようになります。その神がゆるせとおっしゃる時、「ゆるせない」とは決して言えません。無神論者は絶対的存在がいないから平気で人を自分の基準で審判し裁けるのです。私たちは、自分の感情をまっとうする生き方ではなく、御言葉をまっとうする生き方を求めなければならないと語られ、パウロに遣わされたアナニヤの信仰からもそれを学びました。

 

使徒行伝9:10~19本

さて、ダマスコにアナニヤというひとりの弟子がいた。この人に主が幻の中に現れて、「アナニヤよ」とお呼びになった。彼は「主よ、わたしでございます」と答えた。そこで主が彼に言われた、「立って、『真すぐ』という名の路地に行き、ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい。彼はいま祈っている。彼はアナニヤという人がはいってきて、手を自分の上において再び見えるようにしてくれるのを、幻で見たのである」。アナニヤは答えた、「主よ、あの人がエルサレムで、どんなにひどい事をあなたの聖徒たちにしたかについては、多くの人たちから聞いています。そして彼はここでも、御名をとなえる者たちをみな捕縛する権を、祭司長たちから得てきているのです」。しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、また食事をとって元気を取りもどした。

 

アーメン宝石ブルー

主に呼ばれたら、すぐに答えてみことばを行なうアナ二ヤの忠実さが迫害者であったサウロを見える者とし、イエス・キリストを全世界に知らせる人として立たせました。アナ二ヤの中で、“迫害者サウロ”が一瞬にして“兄弟サウロ”に変わっている事からも、彼がサウロを無条件でゆるし、あわれみの心で祈っていることが分かります。私たちは自分の愛する人、家族のためなら、熱心に祈ることができますが、嫌いな人、関わりたくない人、迫害者のためにとりなし祈ることができているか問われました。一番危険なところにいる人ほど、無条件のゆるしをもってとりなし祈らなければなりません。私たちクリスチャンの内に、微塵でも裁きの思いがあったら、祈りはきかれませんし、神は用いて下さらないのだということも、アナ二ヤの言動から語られました。

難しい神学よりも、今の時代、新約の時代に救われた私たちに神が求めておられるのは、シンプルにただ一つ、互いに愛し合うことです。

 

ヨハネ15:12~13本

わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

 

アーメンピンクハート

 

今、この時代にも、ダニエルと同じように神の霊を受けたクリスチャンたちが、歴代志下7章13節~14節のみことばに立って祈っています。彼らはトランプ大統領を支えているクリスチャンたちであり、世の巨悪(サタン)と戦っています。トランプ氏は、「私はクリスチャンのために働く」と宣言しています。

コロナパンデミック(疫病)は、13節に書かれてあり、14節がクリスチャンたちに与えられました。

 

歴代志下7:13~14本

13節:わたしが天を閉じて雨をなくし、またはわたしがいなごに命じて地の物を食わせ、または疫病を民の中に送るとき、14節:わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、祈って、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天から聞いて、その罪をゆるし、その地をいやす。 

 

アーメン!今や、保守派とリベラル・極左との戦いではなく、善と悪の戦いです!まずはクリスチャンたちが、神の御前に祈り、へりくだり、妥協せずに悪い道・罪から離れなければなりません。そうすれば、私たちクリスチャンの祈りが聞かれ、罪がゆるされ、地はいやされるのです。

 

日本では、コロナワクチン接種後の死亡者数が311万人であると厚労省が発表しましたが、マスコミは報道しません。体がしんどいという理由で内科受診者が増えているという報道はしますが、原因は「寒暖差が激しいためである」と・・・いい加減にしろ!ワクチンが原因でしょ!と思っている人は一体どれだけいるのか。

日本だけワクチン接種がいまだに続く中、WHOのパンデミック条約が来年5月に採択されようとしています。この条約が採決されると、緊急事態において、国家権力より上にWHOがきて、ワクチンやワクチンパスポート、隔離(携帯アプリの位置情報で居場所を監視)を強制できるようになります。もともと公衆衛生については各国、自治体が決めることであるにも関わらず、今や、WHOは各国が資金を出して成り立っているのではなく、民間が70%以上、ビルゲイツや製薬会社などの利権が拠出している状況です。まったく中立公平、公的な機関ではありません。それゆえ、彼らWHOが法的拘束力のある権限をもつようになれば、世界的パンデミックをまた起こされ(すでに病原体を準備している)、ワクチンビジネスがはびこり、全人類はその言いなりになって人口削減されていきます。そこに気付いた国々は、WHOを脱退し始めました。トランプ氏は大統領に就任してすぐに脱退しようとしましたが、バイデン氏が大統領になり、アメリカは脱退を撤回しました。この条約に対して何も言わなければ合意したことになります。声を上げて反対できる期間は11月末までだそうです。本来もっと猶予がありましたが、アメリカと日本が反対を受け付ける期間を18ヶ月から10ヶ月に縮めるよう言い出し、11月末までになりました。そんな日本政府が反対の声を上げるとは思えず、当然今の時点で日本のWHO脱退はないでしょう。また、日本政府の緊急事態条項にはすでに感染症が入っており、パンデミック条約と同じ状況に陥りますし、このまま行けば、私たち日本人は、日本政府ではなく、その上にいる世界政府(WHO)に支配され、監視されるようになります。クリスチャンにとっては、パンデミック条約が黙示録にある獣の刻印666になると言えます。それでもワクチンを打たずにいられるのか、打たないものは拷問されて殺されるような時代になっても、イエス様だけを仰ぎ見て、信頼し続けることができるのか、ますます神に心を試される時代が来年には来るのかもしれないと語られました。

感謝なことに、このパンデミック条約に反対する世界的連合体(ワールドカウンシルフォーヘルス)の日本支部ができ、世界45か国以上、200以上の団体が参加しています。彼らは、各国が独自の基準でパンデミックに向き合っていけばいいという考えです。このワールドカウンシルフォーヘルスの代表の女性は、もとWHOのコンサル(相談を受けアドバイスを提示する人)です。彼女はイベルメクチンの研究をしており、パンデミックが起きた際に、イベルメクチンの効果をWHOに報告しようとしたら迫害を受け、WHOがイベルメクチンに反対するなら自分がイベルメクチンを普及させるのだと立ち上り、その運動の延長線上でこの団体を設立しました。

とにかく多くの国民がこのパンデミック条約について知ることが必要です。情報を待ち、情報が揃ってから判断しているのでは手遅れです。その時には自分の命がある保障もありません。今は、陰謀論という言葉に惑わされず、情報がない不確定の中で正しい判断をしていくことが求められています。クリスチャンであれば、この世の人以上に聖霊によって確かな情報に導かれ、速やかに霊を見分けて判断していくことができるでしょう。

 

私たちは、10月最初の集会で、歴代志下7章14節の先も与えられましたぶどう

 

歴代志下7:15~18本

今この所にささげられる祈にわたしの目を開き、耳を傾ける。今わたしはわたしの名をながくここにとどめるために、この宮を選び、かつ聖別した。わたしの目とわたしの心は常にここにある。あなたがもし父ダビデの歩んだようにわたしの前に歩み、わたしが命じたとおりにすべて行って、わたしの定めとおきてとを守るならば、わたしはあなたの父ダビデに契約して『イスラエルを治める人はあなたに欠けることがない』と言ったとおりに、あなたの王の位を堅くする。

 

アーメン宝石赤

クリスチャンが分派分裂している場合ではありません。真に神に選ばれ聖別されたクリスチャンは、みことばによって一つとなり、その神の義・善をもって悪に打ち勝つことができるのだと語られました。私たちがきよく、神に信頼して忠実であることによって、ダニエルと同じ霊が授けられ、聖霊によって時代を見分け、霊の世界を解く力が与えられていると信じます。今月も霊の目を開いて、目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮かびもしなかった神の御業を体験できたことを感謝して祈ります!

 

第1コリント2:1~16本

兄弟たちよ。わたしもまた、あなたがたの所に行ったとき、神のあかしを宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった。なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。わたしがあなたがたの所に行った時には、弱くかつ恐れ、ひどく不安であった。そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。

しかしわたしたちは、円熟している者の間では、知恵を語る。この知恵は、この世の者の知恵ではなく、この世の滅び行く支配者たちの知恵でもない。むしろ、わたしたちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵である。それは神が、わたしたちの受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし知っていたなら、栄光の主を十字架につけはしなかったであろう。しかし、聖書に書いてあるとおり、

「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」

のである。そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。しかし、霊の人は、すべてのものを判断するが、自分自身はだれからも判断されることはない。「だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか」。しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。

 

アーメンダイヤモンド

 

 

最後に、お知らせですピンク薔薇

昨日10月1日より、ぶどうの木の兄弟が「証人K」として、ぶどうの木の証をYouTubeで紹介していくことになりましたニコニコ

【兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。】(黙示録12:11)このみことばを握りしめ、祈りの力と共に証の力によっても、サタンに打ち勝ち、全世界に神の愛と栄光をお届けしていきます。第1回目の証は、ぶどうの木の教えが凝縮されています。私たちの信仰とはどういうものなのかを知って頂ける内容です。ぜひご視聴ください!!キラキラ