3代4代に渡る呪いたたりの霊を断ち切るイエス様の力
holygirlです
申命記5:6~10
『わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
あなたはわたしのほかに何ものをも神としてはならない。あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水の中にあるものの、どのような形をも造ってはならない。それを拝んではならない。またそれに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には恵みを施して千代に至るであろう。
アーメン
今週の集会は、ぶどうの木16年目最後の集会となりました。夫婦、親子、家族のあり方について聖書に基づいて教えてきた群れですが、先週も語られたとおり、家族の問題を深く聞いていくと、仏教、そして神道の弊害(問題)がどの家庭にもあり、それを一つ一つ乗り越えてきての今であると語られました。
そもそも、日本においての結婚は、お墓と仏壇を守るための結婚であると言っても過言ではなく、代々受け継がれてきた嫁ぎ先の仏教・神道儀式に嫁はまきこまれていきます。男性は実家に帰省してのんびり過ごせても、女性は姑と共に家事をし、子供の世話をし、神仏への供え物を準備したりと休む暇がありません。信仰の自由もなく、せっかく福音を聞いて救われ、聖書を学びたいと思っても、家族親戚の目を気にしてとどまります。日本人にとって当たり前だと思わされてきた習慣が、悪習となり、特に女性たちを苦しめてきました。「墓と仏壇を守れない嫁は要らない!」と迫害してくる世の中です。先週の教えに対するブログコメントには、いかに仏教・神道に家族が翻弄され、福音から遠ざけられてきたかを兄弟姉妹たちも詳しく書いてくれており、実態をよりはっきりと知らされました。
(注:墓がダメだという認識が兄弟姉妹の中に見られたので、牧師が追加で説明して下さいました。クリスチャンとして、欧米がそうであるように、お墓はあります。ただ、お墓は拝みに詣でるところではありません。寺にあれば、仏教のしきたりが墓までつきまとうため気をつけなければなりません。墓に手を合わせ、先祖・故人を神のようにして祈ることが偶像礼拝の罪になるのだとおっしゃいました。)
私の祖父母がイエス様しかないと悟って救われた後、旧家に嫁いできてからの苦悩を祖母が母に話したそうなのですが、祖母は神仏のしきたりに対する親族からの命令を聞きたくない!これ以上言わないで!と心の中で叫んできたそうです。両耳が聞こえなくなっており、母とは筆談だったそうですが、母は「聞きたくないと思って耳を塞いでいたら、本当に両耳が聞こえなくなってしまったんだね」と解き明かし、祖母は涙を流していたそうです。都会から旧家に嫁いできた母(牧師)も、3代4代に渡る呪いたたりの霊力があらわれるとされる大腸に潰瘍ができ、十万人に一人の難病であると宣告されました。その時はじめて、母は憎く裁いてきた姑(祖母)が、実は同じ家に嫁いで苦労してきた同志だと思えたそうです。その瞬間、憎しみ裁きの思いが消え、嫁姑関係も変わり、互いに慕い合う仲の良い関係になりました。そして、祖母は祖父亡きあと、イエス様の御手の中で残りの生涯を過ごし、天に帰ることができました。
【そむくことは占いの罪に等しく、強情は偶像礼拝の罪に等しい】と語られた通り、神にそむき、自分の意見、やり方を変えようとしない強情な日本人の血は、3代4代に渡って受け継がれ、特に仏教・神道儀式といった悪習慣は、病気、貧困、家庭不和、何をやってもうまくいかないなどといった呪いたたりを来たらせます。日本人が救われないのは、人にどう思われるかを気にする占いの霊と、神の愛より人間の情をカシラとさせる女預言者イゼベルの霊に囚われているからであると、今週の集会ではさらに深く語られました。
ヨハネの黙示録2:18~23
テアテラにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。
『燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足とを持った神の子が、次のように言われる。わたしは、あなたのわざと、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐とを知っている。また、あなたの後のわざが、初めのよりもまさっていることを知っている。しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせている。わたしは、この女に悔い改めるおりを与えたが、悔い改めてその不品行をやめようとはしない。見よ、わたしはこの女を病の床に投げ入れる。この女と姦淫する者をも、悔い改めて彼女のわざから離れなければ、大きな患難の中に投げ入れる。また、この女の子供たちをも打ち殺そう。こうしてすべての教会は、わたしが人の心の奥底までも探り知る者であることを悟るであろう。そしてわたしは、あなたがたひとりびとりのわざに応じて報いよう。
アーメン
テアテラとは、異教に支配されている教会でした。イゼベルという女預言者は神の言に反することを教え、惑わし、不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせます。そして、この女と姦淫する者は、病を含む大きな患難の中に投げ入れられるのです。さらに恐ろしいのは、子供も打ち殺されるという事です。霊的には、イゼベルの声を聞く者、仏教・神道という異教を信じ仕える親の子も、影響を受けていくのだと語られました。
クリスチャンでなかったら、皆自分偶像礼拝であり、全てにおいて土台が違い、神からは来ない様々な悪霊力を動かしてしまいます。聖書のみことばがなく、肉の頑張りだけではもはや一歩もいけない日本人です。ずっと女預言者イゼベルの声に従ってきました。女預言者イゼベルの霊は仏壇や神棚から来るので、我が家・我が身に知らない内に3代4代に渡る呪い祟りの霊がまとわりつきます。結果、老人から生まれたての子供までも、身体、精神が病んでいくのです。
特に今の時代は、母親が違う神々に仕え拝んでいると子どもに影響が出るのだと、イエス様は新たな角度から語って下さいました。
忘れ物がひどい、突拍子のない行動をする、自分の言ったことを忘れる(指摘されてもそんな事言っていないと言う)、今は痴呆になる老人と、精神疾患の若者、発達障害と診断される子どもが多いですが、それらの霊的原因は、先祖代々イエス・キリスト以外の神々に仕えてきたからであると語られました。また、曾祖父、祖父、父と代々名前の一文字をとって名前がつけられることも、子はそんな自分の名前から霊力を受けてしまうのだと語られました。家系の霊力であれば、本人はなぜ自分がそうなるのか分かりませんし、これが自分であると思い込まされています。子どもは親の罪性によって悪影響を受けると聖書は教えています。それを断ち切れるのは、十字架上で罪の呪いを引き受けられたイエス・キリストの御名と血だけです。そして、イエス・キリストに仕えるクリスチャン、霊を見分けることのできるクリスチャンにだけ、的確にこの女預言者イゼベルの霊を縛り上げることはできるのです。
また、神の愛の前にしゃしゃり出る女預言者イゼベルの霊は、義理人情、ヒューマニズム、道徳教育をカシラとさせる霊、親子間に動く情欲の霊とも言えます。親に対する感謝の気持ちを持つことは大切ですが、みことばに基づいた神の愛ではなく、「これだけやってあげた」という母の愛情に子どもが応えようとするならば、霊的に子どもは女預言者イゼベルという蜘蛛の巣にかかってしまった身動きができない蛾と同じ状態であるのだと語られました。子どもに対して母親の愛情(感情的であり、見返りを求める)ではなく、神の愛(みことば)で育てることも、神の望まれる子育ての在り方としてぶどうの木で徹底的に教えられてきたことです。
そして、私たちクリスチャンに対しては、改めて自分の中にイエス様を越えるものがあってはならないと語られました。どんな時もイエス様の御用を一番にできる自分であるか、主が幻の中に現れて「アナ二ヤよ」と呼ばれた時、「主よ、わたしでございます」とすぐに応じて、サウロ(後のパウロ)を祈りに行ったアナ二ヤのようになれているのか吟味しました。
そして、イエス様の御用を一番にできていないのであれば、何によって出来ていないのか問われました。睡眠?食事?趣味?主人の食事の支度?周りの目を気にして?・・・イエス様に呼ばれた時に、「ちょっと待ってください!もう寝ないといけません」「ちょっと待ってください!まず食事をさせてください」「この日は予定が入っています」と言っているのであれば、強情であって、その握っているものを偶像礼拝しているのだと語られました。
牧師は、ハンカチのたたみ方が分からなくなった証と、やかんに水をどのように入れたら良いのか分からなくなった証をして下さいました。夜明け前に、気づいたらリビングに座っていた牧師は、自分がどうやって寝室からリビングに来たのかも分からず、驚きました。すると、前日にかもいに干していたハンカチが目に留まり、イエス様からたたむようにと言われました。ハンカチを膝に置いたのですが、たたみ方が全く分からなかったそうです。そこで、「イエス様どうすれば良いですか?」と尋ねると、イエス様は「まず右端と左端をもって、半分にしなさい」と教えてくださいました。言われた通りに行なって半分にたためると、幼子のように「できた!」と喜んでいる自分がいたそうです。その後も指示に従って行うことでハンカチがたためました。そして、イエス様から「この事を忘れてはならないよ!」と言われたそうです。そこに太陽の光が差し込んできて、ミラーボールがあるかのように部屋中が神々しくキラキラと輝き、イエス様の臨在を感じたのだと証してくださいました。
次に、娘たちのお弁当を作ろうと台所に行ったものの、同じくやかんに水をどう入れるのかも分からず、また一つ一つイエス様に教えてもらいながら、水を沸かし、お弁当を作ることができたことも証して下さいました。今でもイエス様に聞きながら料理をするため、冷蔵庫の中にあるもので無駄なく作れるそうです。野菜をつくっているのも神ですから、その野菜の状態を一番よくご存知です。何分煮れば良いのか、何をつけて食べたら良いのか、全て御存知であるイエス様に聞きながら料理をすることの楽しさも証して下さいました。
ハンカチをたたむこと、やかに水を入れることは簡単に思えます。しかし、そのように当たり前にできると頭で思っていること、分かると思っている事こそ強情であり、自分の慣れ親しんできたやり方、自分の意見、価値観なのだと、神・イエス様は牧師に教えて下さいました。だとしたら、どれだけ私たちは日常生活で、自分でできる!と思い、自分の意向のままに言動し、神の事よりも自分の事を優先しているでしょう。神の御旨を行っている、聖霊と言いながら自分の力、頭で解決している事があまりにも多いのではないかと問われました。
聖霊に満たされている状態とは、自分の力ではハンカチをたたむことが出来ず、御霊によって、イエス様の声を一つ一つ聞きながらでしかできなくなるという事です。そのようにして、朝起きた瞬間から、夜寝る直前まで行えているのか、何事も主にあって行なえていなければ、3代4代に渡る呪いたたりの霊力、イゼベルの霊力を受け、神以外のものを一番にする偶像礼拝の罪を犯しているのだと語られました。
そして、今週の集会では、神に従わない、特にイゼベルの霊にとらえられてきた(囚人として獄屋で仏教と神道に仕えてきた)日本人について、もはや望みがない、裁きの時、刈り取りの時であるとテサロニケ人への第2の手紙を通して語られたと共に、主の再臨が近い事も実感しました。
第2テサロ1章
パウロとシルワノとテモテから、わたしたちの父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。
父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
兄弟たちよ。わたしたちは、いつもあなたがたのことを神に感謝せずにはおられない。またそうするのが当然である。それは、あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたひとりびとりの愛が、お互の間に増し加わっているからである。そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、神の諸教会に対してあなたがたを誇としている。これは、あなたがたを、神の国にふさわしい者にしようとする神のさばきが正しいことを、証拠だてるものである。その神の国のために、あなたがたも苦しんでいるのである。すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報い、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、休息をもって報いて下さるのが、神にとって正しいことだからである。それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。その時、主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。その日に、イエスは下ってこられ、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚嘆されるであろう――わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのである。このためにまた、わたしたちは、わたしたちの神があなたがたを召しにかなう者となし、善に対するあらゆる願いと信仰の働きとを力強く満たして下さるようにと、あなたがたのために絶えず祈っている。それは、わたしたちの神と主イエス・キリストとの恵みによって、わたしたちの主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためである。
第2テサロ2章
さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの来臨と、わたしたちがみもとに集められることとについて、あなたがたにお願いすることがある。霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。わたしがまだあなたがたの所にいた時、これらの事をくり返して言ったのを思い出さないのか。そして、あなたがたが知っているとおり、彼が自分に定められた時になってから現れるように、いま彼を阻止しているものがある。不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までのことである。その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。
しかし、主に愛されている兄弟たちよ。わたしたちはいつもあなたがたのことを、神に感謝せずにはおられない。それは、神があなたがたを初めから選んで、御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救を得させようとし、そのために、わたしたちの福音によりあなたがたを召して、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせて下さるからである。そこで、兄弟たちよ。堅く立って、わたしたちの言葉や手紙で教えられた言伝えを、しっかりと守り続けなさい。
どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな望みとを賜わるわたしたちの父なる神とが、あなたがたの心を励まし、あなたがたを強めて、すべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さるように。
第2テサロ3章
最後に、兄弟たちよ。わたしたちのために祈ってほしい。どうか主の言葉が、あなたがたの所と同じように、ここでも早く広まり、また、あがめられるように。また、どうか、わたしたちが不都合な悪人から救われるように。事実、すべての人が信仰を持っているわけではない。しかし、主は真実なかたであるから、あなたがたを強め、悪しき者から守って下さるであろう。わたしたちが命じる事を、あなたがたは現に実行しており、また、実行するであろうと、わたしたちは、主にあって確信している。どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせて下さるように。
兄弟たちよ。主イエス・キリストの名によってあなたがたに命じる。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言伝えに従わないすべての兄弟たちから、遠ざかりなさい。わたしたちに、どうならうべきであるかは、あなたがた自身が知っているはずである。あなたがたの所にいた時には、わたしたちは怠惰な生活をしなかったし、人からパンをもらって食べることもしなかった。それどころか、あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力して働き続けた。それは、わたしたちにその権利がないからではなく、ただわたしたちにあなたがたが見習うように、身をもって模範を示したのである。また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。ところが、聞くところによると、あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわっているとのことである。こうした人々に対しては、静かに働いて自分で得たパンを食べるように、主イエス・キリストによって命じまた勧める。兄弟たちよ。あなたがたは、たゆまずに良い働きをしなさい。もしこの手紙にしるしたわたしたちの言葉に聞き従わない人があれば、そのような人には注意をして、交際しないがよい。彼が自ら恥じるようになるためである。しかし、彼を敵のように思わないで、兄弟として訓戒しなさい。どうか、平和の主ご自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和を与えて下さるように。主があなたがた一同と共におられるように。
ここでパウロ自身が、手ずからあいさつを書く。これは、わたしのどの手紙にも書く印である。わたしは、このように書く。どうか、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように。
アーメン
真理の霊と迷いの霊があり、その人間がどちらに導かれるのか・・・仏教の話にしても、コロナワクチンやマイナンバーの話にしても、心を開いて聞ける人と、どこまでも強情で聞けない人がいます。日本人はすっかり分断されたと思います。そして、なぜ聞けないのか!?ともどかしく思ってきましたが、神ご自身が偽りを信じるように迷わす力を送っているのだと2章には書かれており、改めて納得しました。
神の愛を受け入れない人間、今だけ肉欲だけで、まずお金、自己中自己愛の自分勝手・自分偶像礼拝の人間が裁きを受ける時が満ちたと言うことですが、彼らには自分を裁く方(神)のいることなど思いもよらず、傲慢になり、冷淡になり、神を嘲ることばかり行なっています。
コロナワクチンは毒だったと聞いて目覚めて、何てことをしてくれたんだ!と日本国民が立ち上がりデモをすることがあるでしょうか。逆に真実を知らされたら落ち込み、イゼベルの情欲の霊で、「皆も打ってるから」「一人じゃないから」と納得して開き直る可能性の方が高いです。いまだにマスコミもまともにワクチン後遺症、ワクチン死の現状、被害者・遺族の声をとりあげようとしません。本当のことを言わない、言ったら傷つく、言っても仕方ない、言ったら反乱が起きるという思考回路が、日本人を捕らえるイゼベルの霊力なのです。
クリスチャンは聖書だけを知っていれば良いのではなく、福音に知恵をもらって、この終わりの時、主が再臨される前に、異端、異教を論破し、一人でも多くの魂を救っていかなければなりません。
日本人に先祖代々根付いている仏教・神道の霊力。しかし、仏教も、神道も、歴史的には聖書よりずっとあとにできたものです。日本最古の書籍『古事記』(712年)の約1300年前に旧約聖書が存在しています。古事記(日本の神話)の中に、旧約聖書の影響が多々見られるという研究者の見解もあります。そして、秦氏(ハタウジ、ハタシ)はユダヤ人で、ネトリウス派キリスト教徒であり、ちょうど日本建国、大和朝廷の時代(250年~710年)に日本に渡来してきたと言われています。京都に2万人が来て、建築(古墳)やカイコのマユから絹糸をつくり、機織りして生地をつくることなどを教えたという史実があります。
つまり、仏教、神道、神話は聖書後に誕生し、空海、最澄は中国でネトリウス派キリスト教=景教を学び洗礼を受けて、仏教をつくったこと、神道の土台となっている神話・古事記は、聖書の登場人物や教えのものまねにすぎないという事です。それゆえ、この世界にまずあったのは聖書の言葉、神の御言であったというところに立って、私たちはこの神に与えられた福音の知恵をもって語っていけるのだと語られました。
テサロニケ人への第2の手紙3章14節15節に、【14節もしこの手紙にしるしたわたしたちの言葉に聞き従わない人があれば、そのような人には注意をして、交際しないがよい。彼が自ら恥じるようになるためである。15節しかし、彼を敵のように思わないで、兄弟として訓戒しなさい。】と書かれており、私の聖書には「14節どまりなら人間愛。15節までが神の愛」と記しています。裁き主は神であって、私たちが敵のように思って裁いたり、交際を断つのではなく、どこまでも神の愛を忘れずに向き合い続けることが神の御心であると信じます。
大きな事を成し遂げようとする前には体への攻撃もあります。それは、自分自身を捕らえる3代4代に渡る呪いたたりの霊、仏教・神道の霊でもあり、相手を捕らえる3代4代に渡る呪いたたりの霊からの攻撃でもあるのだと、今週は語られました。みことばの武具をしっかりとつけ、状態に左右されることなく主に信頼して起き上がり、一歩踏み出せば、速やかに癒されることも姉妹たちの証を通して語られました。生きているのは自分ではなく、イエス・キリストが生きてご自身を世にあらわすために私たちの体を使っておられることを忘れず、今週も神の御心を行い、喜んで次の日曜日に17年目のスタートを切れたことを感謝して祈ります