神の御心は舟の右側にある | ぶどうの木 Good News

神の御心は舟の右側にある

holygirlですニコニコ

 

ヨハネ21:1~6本

そののち、イエスはテベリヤの海べで、ご自身をまた弟子たちにあらわされた。そのあらわされた次第は、こうである。シモン・ペテロが、デドモと呼ばれているトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子らや、ほかのふたりの弟子たちと一緒にいた時のことである。シモン・ペテロは彼らに「わたしは漁に行くのだ」と言うと、彼らは「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って舟に乗った。しかし、その夜はなんの獲物もなかった。夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった。イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか」。彼らは「ありません」と答えた。すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」。彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので、それを引き上げることができなかった。

 

アーメン宝石ブルー

今週の集会では、霊的に獲物がとれない舟の左側ばかり見て生活していないか?と牧師を通して問われました。舟の左側には、自分の常識、意見、握らされている物事があります。舟の左側ばかり見て網をおろして自分のやり方を続けていても、何もとれず、何も変わらず、勝利はないのです。イエス様は、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」とおっしゃいました。まったく思いもよらないこと、自分の思いとは真反対のことをおっしゃるのが神です。その御言葉に素直に聞き従って、網を右側におろした弟子たちは、引き上げられないほどの大量の魚をとることができました。私たちクリスチャンは、「人間をとる漁師である」とも言われますから、引き上げられた魚は霊的に、家族はじめ周りの人々が救われていくことであると言えますし、病気、貧困、不仲から解放されてたくさんの奇跡が伴う事だとも言えます。もし弟子たちが、再び漁に行くのを面倒くさがって、「右側にもおろしてみましたけど、無理でした」と嘘をついていたら、この祝福は得られませんでした。イエス様に言われたことをやらないのだとするなら、その人は自己中、自己愛、事なかれの安定を握っているのだと語られました。日常生活の中で、大量の魚を得る機会が与えられているのに、見る点、感じる点がズレてしまえば、神の無尽蔵の富が見えません。主に喜ばれることがなんであるかをわきまえ知って言葉を出し、行動に移すことが、人知で計り知れない神のやり方による祝福に到達するのだと語られました。

 

先週、牧師が主治医のところに行って定期検査を受けると、潰瘍性大腸炎の症状は一切ありませんでした。牧師は、食事改善によって良くなったことを伝え、処方された薬も全てやめたいと申し出ましたが、主治医は「クローン病(腸だけではなく、食道から腸に至るまで潰瘍ができる。潰瘍性大腸炎よりひどい難病)は食事改善で良くなったという症例はあるが、潰瘍性大腸炎にはない。腹痛で下痢をしても、食べることにストレスを抱えるよりは、食べたいものを食べて、ずっと薬を飲んでいた方が良いじゃないか。なぜそれが嫌なのか理解できない」と言い、薬を断つことに同意しませんでした。潰瘍性大腸炎は治ったように見えても、寛解状態でしかないから、好きなものを食べて良いとし、その分炎症を抑える薬を死ぬまで服用する治療法となっているようです。牧師は主治医がサタンに使われていることが分かり、この世の医学の在り方、薬を出して医者がもうかるシステムに聖なる怒りがきて、「患者は治りたいです!勝手に薬を断つことは良くないと思い、先生の管理下で薬を断ってどうなったのか診てもらいたいのです」と話しましたが、主治医は薬を処方できないことにいら立ち、牧師は主治医に激怒されたまま診察室を退出することになりました。その後、看護師が追いかけてきて、「本当にあの銀座のクリニックに行き、指導に従って食事改善されて来たのですか?」と聞かれ、「はい!小麦、植物油、乳製品、甘いもの、ナッツ、コーヒーを全てやめて、食品添加物に気をつけ、料理も工夫して丸一年、健康な体を取り戻しました」と伝えました。すると看護師は、「そうだったのですね!よくできましたね。私には到底無理です・・・薬を飲んで好きなものを食べていたほうがいいです」と言いました。さらに牧師が「私はクリスチャンなので、信仰によって出来ました!」と話すと、「分かりました、主治医に伝えておきますね」と言ったそうです。

牧師は今まで、舟の左側にあるこの世の医学(西洋医学)の方に網をおろし、処方される薬を約30年忠実に飲んできましたが、100%の癒しを得られずにきました。日本は医療費に一番税金を使っている国です。薬を処方して、医者と製薬会社が儲かる世の中です。それが当たり前だという左側の世界しか見えなかったところに、イエス様は昨年参政党の吉野医師との出会いを与え、舟の右側を知らせてくださいました。そこで知ったのは、戦後の驚くべき日本の食に対する改悪の真実でした。まさにサタンの日本人に対する攻撃でした。唯一の治療法は、いともシンプルに180度食事を改善することでしたが、ついにイエス様に明かされ、命じられた事だという信仰があったため、牧師は一歩踏み出して網をおろすことができました。

日本人は自分に甘いです。舟の右側に網をおろすことを教えて下さるイエス・キリストを知りません。知っても行うことをしないクリスチャンも大勢います。それが神の求める“きよさ”とはほど遠いことだと牧師は自覚しています。私たちクリスチャンは、神が開いた道だと分かれば、助け主聖霊の力によって肉を打ち叩き、信仰で行うことができます。何を見聞きしても恐れたり、動じることもありません。いつも自分の心をどこに注ぎ出しているのか、アーサー・ホーランド牧師のメッセージからも吟味しました。

 

心が変われば、態度が変わる!

態度が変われば、行動が変わる!

行動が変われば、習慣が変わる!

習慣が変われば、人格が変わる!

人格が変われば、運命が変わる!

運命が変われば、人生が変わる!

心が変われば、生き方、行動力、思考が変わる!

 

みことばに忠実になってまず自分の心が180度変えられていなければ、舟の左側から、右側に目を向ける心、右側に示されたことを行う信仰をもって生きなければ、その先に続く、態度、行動、習慣、人格、運命、人生は変わっていかないのだと語られ、アーメンでした!

 

さらに、次のみことばが臨みました。

 

ヨハネの黙示録3:15~16本

わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。

 

アーメン宝石緑 

「冷たいか熱いかであってほしい」と言われる時、どれほどの温度差を思っていますか?と問われました。私たちがたった1度から10度という狭い基準で、冷たいか熱いかを計っているとするなら、神が言う熱い、冷たいは、1度から1000度という範囲の両極端にあるのだと牧師はおっしゃいました。神が言う「熱い」「冷たい」「なまぬるい」の判断基準が分かっていなければ、“このぐらい大丈夫、ゆるされる”と平気で自己正当化して、罪を犯し続けるでしょう。聖霊が罪だと知らせ、霊で分かっていて無視するなら、その罪はゆるされることはない、即死に至る裁きが下ると聖書は教えています。

 

使徒行伝4:27~5:11本

ことに、ヘロデとポンテオ・ピラトとは、異邦人らやイスラエルの民と一緒になって、この都に集まり、あなたから油を注がれた聖なる僕イエスに逆らい、み手とみ旨とによって、あらかじめ定められていたことを、なし遂げたのです。主よ、いま、彼らの脅迫に目をとめ、僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい。そしてみ手を伸ばしていやしをなし、聖なる僕イエスの名によって、しるしと奇跡とを行わせて下さい」。彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言を語り出した。

信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく、いっさいの物を共有にしていた。使徒たちは主イエスの復活について、非常に力強くあかしをした。そして大きなめぐみが、彼ら一同に注がれた。彼らの中に乏しい者は、ひとりもいなかった。地所や家屋を持っている人たちは、それを売り、売った物の代金をもってきて、使徒たちの足もとに置いた。そしてそれぞれの必要に応じて、だれにでも分け与えられた。

クプロ生れのレビ人で、使徒たちにバルナバ(「慰めの子」との意)と呼ばれていたヨセフは、自分の所有する畑を売り、その代金をもってきて、使徒たちの足もとに置いた。

ところが、アナニヤという人とその妻サッピラとは共に資産を売ったが、共謀して、その代金をごまかし、一部だけを持ってきて、使徒たちの足もとに置いた。そこで、ペテロが言った、「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか。売らずに残しておけば、あなたのものであり、売ってしまっても、あなたの自由になったはずではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ」。アナニヤはこの言葉を聞いているうちに、倒れて息が絶えた。このことを伝え聞いた人々は、みな非常なおそれを感じた。それから、若者たちが立って、その死体を包み、運び出して葬った。

三時間ばかりたってから、たまたま彼の妻が、この出来事を知らずに、はいってきた。そこで、ペテロが彼女にむかって言った、「あの地所は、これこれの値段で売ったのか。そのとおりか」。彼女は「そうです、その値段です」と答えた。ペテロは言った、「あなたがたふたりが、心を合わせて主の御霊を試みるとは、何事であるか。見よ、あなたの夫を葬った人たちの足が、そこの門口にきている。あなたも運び出されるであろう」。すると女は、たちまち彼の足もとに倒れて、息が絶えた。そこに若者たちがはいってきて、女が死んでしまっているのを見、それを運び出してその夫のそばに葬った。教会全体ならびにこれを伝え聞いた人たちは、みな非常なおそれを感じた。

 

アーメン宝石赤

アナ二ヤと妻サッピラは、地所や家屋を持っている人たちがそれを売り、売った物の代金をもってきて使徒たちの足もとにおいている姿を見て、自分たちもやらなかったら悪いと思ったのでしょうか・・・心から捧げる気持ちではなく、やらなかったら何と言われるだろうかという偽善で、別に売らなくてもよかった資産を売りました。それで、全額捧げたのなら良かったものを、わざわざ共謀してその代金をごまかし、一部だけ持ってきて、使徒たちの足もとに置いたのです。この事から、偽善でやりすぎたら、最終的に嘘をつくしかない事を教えられます。ペテロはその心を聖霊によって見抜き、「売らずに残しておけば、あなたのものであり、売ってしまっても、あなたの自由になったはずではないか。あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ」と責めました。そして、アナ二ヤは弁明する時間も与えられず、神の裁きがくだって、亡くなったのです。アナ二ヤの死を知らずにきたサッピラも、ペテロの問いに対して正直に話す気持ちはなく、嘘を貫き、亡くなりました。

ごまかし、嘘、繕いは、神のきよさから遠く離れています。神(聖霊)を欺くことは恐ろしく、即死に至る罪であるという思いをもって、私たちクリスチャンは熱いか、冷たいかを判断しなければならないと語られました。そして、夫婦、親子、家族で集会に参加している場合、家の中で共謀して、「これぐらいいいよね」「牧師たちに言ったらダメだよ!内緒だよ!」と、牧師、兄弟姉妹を欺きごまかしている事はないか、そんな事をしていても、神(聖霊)は全て御存知であり、バレなければよいと思って犯す罪は、命さえも失うことになるのだと語られました。

どんな心の持ち主なのか、きよさはあるのか、いつも心を見ておられる神を私たちは畏れなければなりません。

 

先週悔い改めに至ったA兄弟は、サタンに完全に心を明け渡してしまった事によって、「牧師の旦那が来ていないのに、なぜ自分は毎週集会に参加しないといけないんだ!牧師の旦那と同じポジションになりたい!」と言葉にしたり、来月牧師2人が霊の交わりを求めている兄弟姉妹に会いに行く事に対しても、「旅行できていいですね。我が家はおそらく献金を100万円ぐらいしてきたと思うけど、そのお金があれば自分たちも旅行に行けるのに・・・」と言い出し、牧師の働きを迫害する側に使われてしまいました。

旦那が集会に出席しているかどうかを判断基準にし、「自分の主人一人連れて来れないのか。それなら聞く価値はない」と主張する男性からの声は、今までもありました。女性牧師だからこそ受ける迫害です。男性牧師は妻が仕えていようといまいと指摘されません。しかし、そんな事を考える時点で、自分が受けた恵みと集会に来ていない人を天秤にかけて、集会に来ていない人の暮らしが良いと思っているという事であり、完全にこれまで受けた神の祝福を軽んじています。また、来ていない牧師の夫が来れるように祈るのではなく、来ないポジションをうらやましがるのであれば、この救いの本質が分かっていません。真理を聞いても、鈍感にされています。牧師の夫は救われ、聖霊のバプテスマも受けていますが、真理に従わないのであれば、地獄行きです。いざとなった時には神に使われて助け、守り、導いてくれてきた夫であっても、最後の審判の時に、神の御前で牧師が弁明してあげることはできません。肉親であっても、神との一対一の関係があるからこそ、神の言に聞き従って生きられるよう家族は声をかけ、導かなければなりません。

牧師という働きのゆえに、サタンが夫を使い攻撃してくるのは当然です。皆も体験してきたように、先に救われたら、夫(妻)、子、家族からの迫害はつきものです。その凄まじい迫害(攻撃)と戦い勝利してきて、今のぶどうの木があります。ぶどうの木ができるまでには、福音を嫌がる地域からの迫害がありました。「出て行け!」と言われたり、幼子のように喜んで福音を語る牧師の次女に対して、「いじめに合わせるぞ!」という脅しもありました。それでも「たとえ一人になっても大丈夫!イエス様さえいてくれたら、必ず万事が益となり、サタンが脅して言っているような事にはならない!」という強い信仰をもってこの世の声に流されずに、立ち続けてきました。今では、主の御用に対して協力的な夫となり、ぶどうの木の兄弟姉妹にも興味があり話を聞いています。家庭の主婦が、長い間家をあけることを嫌がる男性もいますが、快く送り出してくれることも感謝なことです。そして、牧師は遊びに行っているわけではなく、たとえ旅先であっても、24時間神に捧げて、どうするべきか、どんな交わりができたら、羊達の霊が満たされるかを考えています。それ以外にも、サタンは旅行中ほど、群れの羊やそれ以外の人を使って問題を持ってきては、牧師の働きを邪魔してきます。家族旅行であってもおかまいなしに、カウンセリングを求めてくる羊がいるのです。それに対応しなければならない牧師に、休息はほとんどありません。

人の歩みのどこに目を向けるのか、自分自身は何を受けてきたのかとられて不平不満を言っていないか、牧師のために日々祈っているのか、A兄弟の発言が教材となり、改めて皆も自分を吟味しました。

 

 

私たちの姿勢は使徒行伝4章19節~20節であると語られました。

 

使徒行伝4:19~20本

ペテロとヨハネとは、これに対して言った、「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」。

 

アーメン宝石紫

政府、医師、教師、この世の知者と言われる人たちが何を言ってこようと、神が自分に見せて下さったこと、聞かせて下さったことを語らずにはおれないのがクリスチャンです。「私は正しい!」と主張するのではなく、ただ見聞きしたことを語る、伝えていく熱情があるのか、人の歓心を買うことばかり考えていないかと問われました。

聖霊がなかったら何と思われるか、どう見られているかばかり考えて恐怖になり、現実逃避にもなります。しかし、私たちは聖霊を頂いているクリスチャン!愛情ではなく、愛にあって真理を語り、聖書には人を変える力があることを伝えていかなければなりません。そのように、福音を伝えながら生きていく中で、神の好意を得ている姿が神の栄光となるのだと語られました。

 

ガラテヤ1:6~10本

あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。それは福音というべきものではなく、ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである。わたしたちが前に言っておいたように、今わたしは重ねて言う。もしある人が、あなたがたの受けいれた福音に反することを宣べ伝えているなら、その人はのろわるべきである。

今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい。

 

アーメン宝石ブルー

 

先月出産したM姉妹が、母親と共に子どもの1週間検診に行った際、助産師にこの世の闇である小児誘拐や人身売買、臓器売買、子どもを生贄にして食べる悪魔崇拝、アドレナクロムの話をしたそうです。助産師は、「そんな事を知ってしまって心が大丈夫ですか?」と言ったそうです。二人が、「はい!むしろ、闇で行われてきた真実を知ったら、そんな悪い奴らから子どもたちを守らなきゃ!と燃えます」と話すと、「へー!すごいねー」と言い、その日にイエス様を受け入れ救われたそうですピンク薔薇

人間の悪の恐ろしさ、この世の闇、コロナワクチンが劇薬で死に至る生物兵器であるという真実を伝える時、この世の人は耳を塞いで聞けません。陰謀論だと言って正常性バイアスが働きます。しかし、耳を塞いでも、コロナワクチン後遺症はあり、突然ステージ4になるターボ癌や、皮膚疾患、帯状疱疹、心筋炎、心膜炎が多発して、死者も急増しています。4月28日時点で、厚労省が発表しているワクチン接種後の死亡者は2059人ですが、実際には、その10倍、100倍とも言われています。そのような世の中で生き延びたいのであれば、イエス・キリストを救い主として受け入れ、神の守りの中で世の中をしっかり見て、善悪を見分ける力を身に付けるしかありません。

 

人間の悪には際限がなく、幼い子どもであっても、親や教師に対して「死ね!」という感情が芽生えてしまう世の中です。漫画、ドラマ、雑誌、YouTubeなど、見聞きしているものが悪すぎて、自分の欲を満たすことばかり追い求めています。皆、友達の話についていけなくなるのは嫌だ、他人よりも良いもの身に付け、優位にたちたいと考えています。本当の自分を殺し、人に合わせる生き方をし、親としっかり話ができず、愛に飢え渇き、いくつになっても親に認めてもらうことばかりを思って頑張っている人もいます。

しかし、神の子は、この世のもので自分を汚しません。周りに迫害されても、きよさを保ち、神が与えてくださった、神が良しとされるものをもって喜び楽しみます。それは決して失望に終わらず、たとえ一時皆が離れて一人になったと思っても、周りが「あなたが持っているものがほしい」と言って帰ってくる日が必ず来るのです。ダニエル書1章では、王の食物と酒=この世のものではなく、水と野菜=みことばだけで生きるきよさについて書かれています。信仰によって、クリスチャンが何を食べ、飲むのか、それが未来の自分をつくるのだと語られました。

 

ダニエル1:8~16本

ダニエルは王の食物と、王の飲む酒とをもって、自分を汚すまいと、心に思い定めたので、自分を汚させることのないように、宦官の長に求めた。神はダニエルをして、宦官の長の前に、恵みとあわれみとを得させられたので、宦官の長はダニエルに言った、「わが主なる王は、あなたがたの食べ物と、飲み物とを定められたので、わたしはあなたがたの健康の状態が、同年輩の若者たちよりも悪いと、王が見られることを恐れるのです。そうすればあなたがたのために、わたしのこうべが、王の前に危くなるでしょう」。そこでダニエルは宦官の長がダニエル、ハナニヤ、ミシャエルおよびアザリヤの上に立てた家令に言った、「どうぞ、しもべらを十日の間ためしてください。わたしたちにただ野菜を与えて食べさせ、水を飲ませ、そしてわたしたちの顔色と、王の食物を食べる若者の顔色とをくらべて見て、あなたの見るところにしたがって、しもべらを扱ってください」。家令はこの事について彼らの言うところを聞きいれ、十日の間、彼らをためした。十日の終りになってみると、彼らの顔色は王の食物を食べたすべての若者よりも美しく、また肉も肥え太っていた。それで家令は彼らの食物と、彼らの飲むべき酒とを除いて、彼らに野菜を与えた。

 

アーメン宝石赤

 

先日、中学3年生のB姉妹が、小学4年生の時に担任に対して「死ね」と言ってしまったこと、イエス様に救われ、6年生の時にその担任に謝罪したのだという証を教頭先生に読んでもらったのですが、教頭先生は、「学年を書くとその時の担任が特定されてしまう。死ねという言葉は強すぎて皆がびっくりするから、他の言葉を使ったほうがいい」とアドバイスしてきたそうです。いかに人間の悪がおそろしいか、小学生であってもそのような思いになることを知り、皆で共有して教育するのではなく、最初から避け、曖昧にしていく教育がなされている事に、これでは日本社会がますますダメになると痛感しました。クリスチャンは、死ねという悪の思いと戦って、勝利し、言ってしまった相手にまで謝罪ができるのだと伝えること、子どもであっても、若いからと言って軽んじられることなく、教頭先生に、周りの大人に、おかしい事はおかしいと伝え教育を変えていく召しがあるのだと語られました。

日本の教育は変わらなければなりません。救われた助産師は、ぶどうの木が出版した絵本『一つになろうよ!』を読んで、「悪い事と良い事がしっかり書かれていて、人として大事なことがちゃんと書いてある!若いお母さんに聞かせてあげたい。でも、今のお母さんたちはなかなか聞けないのよね」と言っていたそうです。

また、心理学者の方が、今回『一つになろうよ!』を読んで感化され、20年間苦悩してきた自身の子育てを振り返り、聖書は必読本であるという内容の本を出版されたと聞きました。改めて、社会を築き直すためには、日本の教育の土台となる家庭教育から見直すこと、そのためには聖書が必要なのだということを確信し、喜びに満たされました音符

起きよ、光を放て!と主に言われている今、それぞれが置かれた場所でファーストペンギン(最初に大海に飛び込むペンギン)になって影響を与え、舟の右側で大量の魚を得、神の御心を成し遂げていけたことを感謝して祈りますびっくりマークキラキラ

 

使徒行伝5:12~16本

そのころ、多くのしるしと奇跡とが、次々に使徒たちの手により人々の中で行われた。そして、一同は心を一つにして、ソロモンの廊に集まっていた。ほかの者たちは、だれひとり、その交わりに入ろうとはしなかったが、民衆は彼らを尊敬していた。しかし、主を信じて仲間に加わる者が、男女とも、ますます多くなってきた。ついには、病人を大通りに運び出し、寝台や寝床の上に置いて、ペテロが通るとき、彼の影なりと、そのうちのだれかにかかるようにしたほどであった。またエルサレム附近の町々からも、大ぜいの人が、病人や汚れた霊に苦しめられている人たちを引き連れて、集まってきたが、その全部の者が、ひとり残らずいやされた。

 

アーメンダイヤモンド