証の会―悔い改めて悪霊の門を閉じよ― | ぶどうの木 Good News

証の会―悔い改めて悪霊の門を閉じよ―

holygirlですニコニコ

 

牧師とは、誰一人として地獄に行かせないために、地獄の破れ口に立つ者です。私たちはそんな忠実な牧師の働きによって、ここまで守られ、聖霊対悪霊の世界の中を安全に導かれてきました羊クローバー

しかし、どこまでも肉の習性で「きっとこうなる」「〇〇さんはこう思っている」と占い、驚くほどの強情の霊に捕らわれている羊、自分の感覚が一番の自分偶像礼拝になっている羊は、今まで受けてきた恩を仇で返すように後ろ足で砂をかけて自分の意見を主張し群れを飛び出していきました。牧師としては、羊が群れを飛び出して行った時から、その羊が再び戻ってくるまで地獄の破れ口でより激しい戦い、訓練が始まります。牧師にも肉がついていますから、「いい加減にしてよ!何回同じことを繰り返すの!」という思いにもなりますが、まず聖書は、その裁きの思いを次の日まで持ち越すなと教えていますから、すぐに「許します、愛します、祝福します、尊敬します」と祈ります。すると、必要なお金だけもらって出て行くようなとんでもない恩知らずの羊であっても、不思議と憎しみ、裁きの思いはなくなり、サタンに絶対に渡すまい!というあわれみの気持ちだけに満たされるのだそうです。まさにそれが全人類に注がれたキリストの思いです。敵はサタン!であり、地獄に道連れにしようと毎瞬間働きかけて来る悪霊の存在が、エペソ6章10節から12節に書かれています。

 

エペソ6:10~12本

最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。 

 

アーメン!牧師は私たちに益を与えるために召された神の僕です。最後の審判の時、人間は皆神の御前に一人立たされます。牧師が隣に立って弁明して下さいません。だからこそ、牧師はこの地上で生きている間に私たちが正しい者となれるよう、愛にあって真理を語り続けて下さるのです。そして、神は愛ですから、忠実に神に自分自身を明け渡して働きかける者がいるならば、たとえ出て行った羊であっても、内におられるイエス様、聖霊様が語りかけて下さっているはずです。霊は神の子ですから、自分の感情に従うのではなく、みことばに、牧者に従う意志を向けた時、必ず神のもとに帰ることできるのだと語られました。

 

【わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。】(ヨハネ14:6)と書かれてある通り、イエス・キリストの道をまっとうした人しか、天国に行けません。携挙されません。それはつまり、地獄行きを意味します。何年経っても、この地上に命がある間にイエス様のもとに帰ること、ぶどうの木という群れでなくても、他教会でもう一度イエス様と繋がることができるのであれば幸いであり、それが牧師の願いです。とにかく誰一人として地獄に行かせるわけにはいかないという思いで、牧師と同じ霊を頂いている私たちも福音宣教していかなければならないと語られました。先週、神の家族のお母様が帰天されました。数年前に救われていたお母様でしたが、帰天の1か月前に、もう一度牧師が訪ね、神の愛を語り、霊に着火していました炎ハートしぼんでいた霊が復活したお母様は、その後元気になられ、神の時にかなって美しくイエス様のもとに帰られたのです。牧師にとって、クリスチャンにとって、滅びゆく魂を救い、手遅れになることなく天国行きの切符を授けることは地上での任務です。天でまた会える日まで、私たちも地上での働きをまっとうしなければならないと改めて語られました。

 

今週の集会で最初に頂いたみことばは、アモス書9章でした。

 

アモス9:8~15本

見よ、主なる神の目はこの罪を犯した国の上に注がれている。わたしはこれを地のおもてから断ち滅ぼす。しかし、わたしはヤコブの家をことごとくは滅ぼさない」と主は言われる。「見よ、わたしは命じて、人がふるいで物をふるうように、わたしはイスラエルの家を万国民のうちでふるう。ひと粒も地に落ちることはない。わが民の罪びと、すなわち『災はわれわれに近づかない、
われわれに臨まない』と言う者どもはみな、つるぎで殺される。その日には、わたしはダビデの倒れた幕屋を興し、その破損を繕い、そのくずれた所を興し、これを昔の時のように建てる。これは彼らがエドムの残った者、およびわが名をもって呼ばれるすべての国民を所有するためである」とこの事をなされる主は言われる。主は言われる、「見よ、このような時が来る。その時には、耕す者は刈る者に相継ぎ、ぶどうを踏む者は種まく者に相継ぐ。もろもろの山にはうまい酒がしたたり、もろもろの丘は溶けて流れる。わたしはわが民イスラエルの幸福をもとに返す。彼らは荒れた町々を建てて住み、ぶどう畑を作ってその酒を飲み、園を作ってその実を食べる。わたしは彼らをその地に植えつける。彼らはわたしが与えた地から再び抜きとられることはない」とあなたの神、主は言われる。


アーメン宝石ブルー

3月7日に、イギリスの公共放送BBCが、3年前に亡くなったジャニーズ事務所の前社長・ジャニー喜多川氏の性加害について報道しました。日本でも今月末にNHKが放映するそうですが、ついに、コロナ禍で私たちも何度も伝えてきた世界の一番の闇の部分、小児性愛者の悪事が明るみになってきました。子供を誘拐し、虐待して造られる若返りの薬・アドレノクロム、ディープステートやカトリック神父によって性被害を受けてきた子供たち、ディズニーランドでの幼児誘拐・・・トランプ大統領が任期中に行なってきたのは、サタンに魂を売り渡した大人の犠牲・性欲の対象になってきた子供たちの救出でした。

日本ではジャニーズ事務所で若い少年たちが性被害を受けてきたわけですが、週刊誌が取り上げても、訴訟になっても、ジャニーズ事務所のアイドルを使いたいテレビ局は報道することなく、ジャニー喜多川氏は逮捕されることなく、ただの噂、陰謀論で終わっていました。しかし、ここに来て暴露されたのです。ジャニー喜多川氏が裁判で負けても逮捕されなかったのは、彼は日系アメリカ人であり、アメリカ大使館の在日軍事援助顧問団で勤務していた過去があり、アメリカの軍人(当時の外交官と同じ資格に値する)・日本の賓客だったからです。それゆえ、日本の裁判では裁くことはできず、彼には何のお咎めもありませんでした。そして、日本の賓客だったため、彼の葬儀には当時の首相(安倍氏)が弔電を送ったのです。ジャニー喜多川氏は、戦後のGHQ・アメリカの政策である、日本の男性弱体化を目的にジャニーズ事務所をつくり、その中で少年たちを自分に信奉させました。そして、中性的、小柄、やせ型の日本男子像をつくり、日本の女性たちにそのイメージを植え付けて理想の男性像としてとりこにし、洗脳し、二度とアメリカに逆らえないような国民にしていったのだと言われています。

 

ジャニーズも、ディズニーも、一つの洗脳装置です。ディズニーは、LGBTを認め、多様性の素晴らしさをアピールするために使われています。また、KPOP(韓流アイドル)、音楽、映画、漫画、スポーツのとりこになっている人も多いです。宗教にのめり込むこと、教祖の言うことだけを信じることを、「洗脳」と言うのではありません。日常生活の中で、“これがなかったら生きられない、これだけが心の楽しみ”と思うものがあるなら、すでに洗脳されているのです。また、生まれた時から“これが当たり前”と思わされてきたことも、長い洗脳状態であり、医療も、歴史も、食も、当たり前だと思ってきたことがどんどん覆されているのが情報開示されている今の世の中です。今日からマスク着用が自由、個人の判断になりましたが(そもそも今までも強制ではなかったはずですが)、どれだけの人がマスクを外せるでしょうか。コロナが恐いというよりも、周りの目を気にして外せない人の方が圧倒的に多いです。会社の方針、店の方針で外せない人たちもいます。政府が自由と言っても、マスクを外せないほどに洗脳されてしまった日本人・・・これはコロナパンデミックをつくりだしたディープステートたちの思惑通りです。これほどまでに恐れさせられ、人の目を気にする日本人だから、コロナワクチンも打つし、マイナンバーカードも作るし、緊急事態条項にも賛同していくのです。3年間の洗脳状態を断ち切るのは、国民一人一人です。覚醒しなければ、日本人だけ、永遠にマスク着用、コロナワクチンも定期的に接種されていくでしょう。神の目から見たら、それだけ日本人は地獄側に心を奪われてきたという事です。そして、主なる神の目は罪を犯した国の上に注がれているのだと、みことばを通して語られました。

 

神がいて始まった世界は、神によって終わりを迎える日が来ます。ここからますます、日本も世界も、神の裁きが下り、根底から揺らされる大きな変化を迎えるでしょう。アメリカで銀行が経営破綻して大騒ぎになっています。その波が日本に押し寄せたら、銀行に預けていたお金がある日突然引き出せなくなる=預金・財産を失う事態になり得ます。ワクチン死もいよいよ国が認め始め、薬害裁判も加速していくでしょう。その中で、「災はわれわれに近づかない、われわれに臨まない」と主張し、自分の考え、感覚が一番の自分偶像礼拝者たち、周りの目を気にし、周りの言うことに流されてきた人たち、アイドルやディズニーなど、非現実世界にのめり込み洗脳されてきた人たちは、時代の変化に耐えられず倒され、命を落としていくだろうというのが、このアモス書の預言です。一人一人の人間がどんな土台の上に自分自身を建て上げているのか、どんな支柱をもって生きているのか、神に問われることになるでしょう。そして、クリスチャン=聖書という土台、イエス様という支柱がある人間は、神にふるわれても、時代が変化しても、決して揺らぐことなく、滅ぼされることはないのだと語られました。さらに、道であり、真理であり、命であるイエス様と共に生きるクリスチャン、神のもとに一つになれる者だけが一つとなっていき、幸福を得、時代を見分けてその地に根差すことができるのだと語られました。

 

今週の集会では、兄弟姉妹を通してたくさんの証を聞き、自分自身の土台は確固たるものになっているか、吟味することになりました。せっかく御霊で始めたことであっても、自分の頭で考え、言葉にしてしまえば神のきよさを失い、肉で仕上げることになること、自分の予定、計画、情欲をもって進んでいったら、自分が神の子・キリストの兵卒であることを忘れ、サタン・悪しき者のはかりごとに加担していくことになるなど、自分の土台・支柱がぶれることによる危険性について学ぶことができました。いくつか紹介しますひらめき電球

 

<A姉妹の証>
集会での牧師のメッセージや兄弟姉妹の証を通し、私もこの世にまかれてしまっていたことを気づかされました。先日牧師たちと職場の歴史資料館に行った時、私はクリスチャンの先人の働きに霊が燃え、感動し、この御霊によって始まった職場、今や県外から導かれてきた人も大勢いるこの場所で、もっともっと色んな出会いがあるだろうし、もっとキリストのかおりを放っていきたい‼︎と今まで以上に霊から強く思いがきました。実際に聖霊の導きの中で感謝な出会いが沢山あり、イエス様から示された思いに忠実にやり抜こうとより一層強く思うようになりました。しかし、その週末、友人と食事に行った時に婚活の話になり、私がアプリに興味はないこと、今は出会いよりも仕事が楽しいと伝えると、友人(アプリで出会った彼がいる)から、「今どき婚活アプリもせず仕事を楽しんでいるの?アプリをちゃんとやったこともないのに何がわかるの?大丈夫?」と言われました。今まで私はずっとそこまで思いがなく今示されていることを忠実にやりたいし、【まず神の国と神の義を求めたら後のものは全て添えて与えられる】とある通り、神のタイミングとなさり方で結婚相手との出会いも与えられるのだろうという信仰がありました。でも、私はその時、“確かにちゃんとやったこともないのに頑なにやらないと言っているのは神の栄光ではないのではないか。まずはちゃんとやってみてから決めたほうがいいんだろうな”と、彼女のそそのかしの言葉(スドゥースの霊)にのってしまいました。

そして、それまで興味が湧かなかった婚活アプリを始めてみたのですが、その時から私の内に喜びが無くなっていきました。始めた瞬間目眩がし、相手から来たメールに返信することに忙しくなり、自分がイエス様に思いを入れられ、医療従事者として働く職場でも必要となるワクチン後遺症や解毒についてのことが疎かになっていき、その状態に霊が満たされずの一週間でした。出会いについても、アプリをやればやるほどいかに日常の中で多くの出会いがあるか気づかされるばかりで、今の私にはアプリは適していないという思いばかり募り、“これは肉の声なのか?でも始めたのだしちゃんとやらなきゃ”と思っていました。姉妹に話すと、「御霊で始めたんでしょ?」と聞かれ、その時は、「はい」と答えたのですが、その質問がひっかかりました。

イエス様に戻った時、私は御霊ではなくこの世の声・肉の友人からの声で始めていたことに気づかされました。御霊で始めていたこと(歴史資料館で新たに語られたこと)を肉で仕上げようとしていたのだと語られ、ちょうどアプリ上でのやり取りも途切れた為、すぐに辞め、もっと置かれたところで与えられている多くの出会いを主にあって大切にしていこうと思いました。先週のholygirl牧師のロッカーの証を通し、私も自分が何者であるかをとられてしまっていたことや、交わりに気をつけなくてはいけなかったことを語られ、悔い改め、この世にまかれることのないようもっともっと目を覚まして霊の思いを握りしめ忠実に立つ訓練を求めました。

 

さらにその週、牧師が聖霊により転送して下さる動画に対しいつもは霊魂体でアーメン‼︎とできていたのに、肉が受け付けれずにいた動画がありました。それは、医師に処方された薬を使用して問題があった場合に使える救済制度についての動画でした。救済制度を知っている人はほとんどなく、医師も知らない、または知っていても教えない、ちゃんと説明しない狡さが語られていたのですが、私は、その狡さに霊ではアーメンなのに、肉では、「医療従事者だって大変なんだ!現場の状況も知らず、働いたこともないくせに!」という思いになり、受け付けられなかったのです。今までワクチン後遺症=薬害で苦しむ人たちの側に立って働いてきたはずが、その時は、医療従事者側に立った見方をしている自分がいました。アプリをやったこともないのに、否定はできないと思って始めた自分の霊的状態で、今度は医療現場で働いたこともないくせに!と、働いたこともなく否定的なことを言う人を裁いたのです。私は、そんな自分に対して、“肉がうるさすぎる、これはなぜ?”と感じ、悪霊を縛り上げ、イエス様の御前に置いていました。一つのことがちゃんとできていない時、全てが繋がり上手くいかないことも改めて語られ、私がサタンに門を開いていたことで今まで霊魂体ですんなり受けられていたことも、霊の動きについていくことを止めようとしてくるサタンの策略と、それに対し嘘つきの声が肉を支配し先導してしまっている自分の状態を実感しました。

そして、先週の集会を通して、自分がいつどのようにしてサタンに門を開いていたかはっきりと気づかされると共に、神に知られ神の霊にとらえられていることの恵みに感謝しました。この世のもの(アプリ)がいけないのではなく、それを始めた時の自分、また使っている自分の内側がどうであるか、神のタイミングは今と言われているのか、本当の自分(霊の思い)はそれを求めていたのか問われました。所詮、この時代がつくりだした婚活アプリです。そこでの出会いを求めなくても、神によって出会える機会はたくさんあるのに、その特権を放棄していました。もっともっと最高のものを与えて頂いていることに気づき、大切にできていたか、まず霊のことに忠実に神の国と神の義を求め、その中でイエス様に求める信仰があったか、善悪の基準がこの世の声や自分の勝手な思いになっていないか、先週は、兄弟姉妹が教材となり私に必要の一切が語られアーメン‼︎でした。片足この世につっこんだままで清さがなかったことを悔い改めます。きよさと信仰について語られ、私に何が語られているか教えてくださいと聞いていた中で、先週の集会でハッとさせられ門を閉じることができたことを感謝します。御霊で始めたことを肉で仕上げることのないよう、交わりに気をつけ、日々聖餐式をして清さを保ち、どんな時も霊によって歩む器、神の御旨の成就につかって頂ける清い器となれたことを感謝し、主にあって実を結んでいきます!

第1コリント15:33~34a本

まちがってはいけない。「悪い交わりは、良いならわしをそこなう」。目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい。

アーメン宝石緑


<B姉妹の証>
聖いか?と語られる中ではっとしたのは、かつての場(食堂経営)に戻っている事でした。きっかけは、闘病生活を主にあって乗り越え、イエス様のことを伝えに行った時に、“また一緒に~”と誘われたことでした。親しくしてきた友人たちには福音を伝えましたが、「聖書を知らなかった時のあなたの方が良かった」という反応もあり、落ち込んでいました。その中で、食堂を共にしてきた友人たちが自分を受け入れてくれたことが嬉しく、福音のチャンスだと思い喜びました。そして再び自然豊かな環境で鳥の声、風の音、陽ざしの変化も感じながらお料理を一緒に楽しめる心地良さに魅せられていったのですが、そこから悪霊に門を開きました。

救われる前に楽しんでいた自然の中での暮らしを取り上げた動画や雑誌に興味がわき、見始めました。食堂の友人たちが行なっているからとインスタを始め、必要な情報を得ては実践しました。また、自分の誕生日が近かったこともあり、主人に何を買ってもらおうかとインターネットショッピングでの誕生日プレゼント選びに夢中になりました。以前、姉妹から、「肉の楽しみは取られていく」と言われたことを思い出し、このままではいけないなぁと思いつつも、姉妹が言っていたことの真意が分からず混乱していきました。

ちょうど古いところに戻ったころに左目の際がカサカサして、昨秋でしたので乾燥かな?と思い保湿しましたが一向に改善せず、痒くて掻いてしまっていました。救われる前、数年前から両目の周りに同様の症状があり、牧師に「目の欲、肉の欲、持ち物の誇り」と言われことを想起していました。今度は左側だけ・・・真理から外れた道に踏み込んでいることの現われか?とドキッとしながらも分からずにいて、クリームを塗りながら、こんな外からのことじゃないのだろう(無意味だろう)と思っていました。
駐車場の件も、目的地に停めづらい時は傍のコンビニに停めて、コンビニで買い物すればいいという思考がありました。目的地の駐車場が空いておらず、コンビニに戻るためにUターンした時も、この辺は走り慣れない道で不安だから、視野に入った他店の広い駐車場に即飛び込み、そこで車をぶつけました。これらを平気でしていたのですが、狡さ、不信仰を学び、自分は普通に生きてきたつもりだったけれど常識の無い自己中心の生き物、クズだった・・・とこれまでの高ぶりをすごく恥じうな垂れました。続けて、エジプト(救われる前にいた場所)の方が良かったと思い、エジプトに戻り、心地よいと思っている不信仰を更に思うことになりました。救われて世の中を善くする働きのために、働き人として聖く全き者となるために与えられた特権を忘れて、エジプトは心地よいと自分の欲を掴んでいたことを悔いました。
 

また、自分は癌の癒しを求めて今までの食生活を改善しているにもかかわらず、月1回お客に提供する料理は、今まで変わらずに提供し続けていました。悔い改め、交われないままでいたカフェ経営の友人を訪ね、自分が食事を守るだけではなく、得た食の知識を伝えるべきだったことを謝り、友にもその旨を医師の動画(自分が学びを得た動画)を添え伝えて交わりから退きました。お客様には作って提供しながら自分は摂らないものがあるという不純。でも共に作り過ごす時間が好きだったという自分一義を詫びました。パンを焼く友にはぜひ米粉のパンをとリクエストして、私たちがかつて学んだマクロビ食は食材にはとても配慮するけれど、動物性を避けることから食物油でソテーすることもあり、提起しました。マクロビオティックを学んだものの、みな実生活ではその知識も踏まえながらいろんなものを感謝して頂いているので偏ってはいない現状ですが、「動画見るね。ありがとうね」と感謝な言葉を聞くことができました。そして目のカサカサも消失しました。
うな垂れると前述しましたが、それだけ自分は善人と思っていた証拠であり神の目から見たら偽善者でした。守りの内に気づかせてくださる聖霊様、伝えて下さる牧師に感謝します。何をするにも相手の益になるようにしなければなりません。愛に根ざしていないことは聖さとは真反対です。イエス様の愛を知らせ伝える僕となる!自分が何者かをわきまえて、全て信仰によらないことは罪、また新しくされる特権に感謝し聖さに至る実を身を結んでいきます。

みことばは、ヨナ書から頂きました。

 

ヨナ書3:10本

神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ、彼らの上に下そうと言われた災を思いかえして、これをおやめになった。

 

ヨナ書2:6~9本

わたしは地に下り、地の貫の木はいつもわたしの上にあった。しかしわが神、主よ、あなたはわが命を穴から救いあげられた。わが魂がわたしのうちに弱っているとき、わたしは主をおぼえ、わたしの祈はあなたに至り、あなたの聖なる宮に達した。むなしい偶像に心を寄せる者は、そのまことの忠節を捨てる。しかしわたしは感謝の声をもって、あなたに犠牲をささげ、わたしの誓いをはたす。救は主にある」。

 

アーメン宝石赤むなしい偶像に心を寄せ、神へのまことの忠節を捨てていたことを悔い改めました。

 

B姉妹の証を受けた牧師を通して、私たちは「クリスチャンになると心の楽しみや喜びが奪われると思っていますか?」と問われました。「肉の楽しみに代わるものを与えるから、これで我慢しなさい」とおっしゃる神ではありません。実際、救われる前に楽しいと思っていたこと、喜んでいたことによって、どんな実を結んだのでしょう。B姉妹の場合は、様々な裁きの思いや、良かれと思っていた食事と生活によって、体に癌を生みだしてしまいました。エジプトに戻るとは再びその生き方をする!したい!と望むことです。私たちは180度全てが新しい!と言える自分になるために、まず握ってきたもの、心の楽しみと思ってきたことを手放す必要があります。しかし、それは奪われることではありません。クリスチャンになると、なんでも我慢しなければならないと勘違いして、苦しい歩きになる人もいますが、そのような歩みになっているのなら、自分自身の受け方、神への求め方を吟味する必要があります。神は私たちの肉が何を楽しいと思っているかも分かった上で、いつも最善のもの、今握っているものよりももっと良いものを与えようとされているのであり、私たちが握っていたものを手放した手の上にそれを置いて下さることを忘れてはならないと語られました。

 

 

C姉妹は、救われている夫が集会に意志を向けられず、集会で聞いた話や、自分や兄弟姉妹の証を伝えても、聞かずに逃げる態度にイライラしたり、落胆したりしていました。共働きで夫の方が帰宅時間が早く、家事も任せていました。夫婦間でどちらかが先に救われると、もう片方は相手と話をしていても別世界に行ったような寂しさ、自分と過ごすことよりも集会を選び一緒に休日を過ごせなくなった寂しさから、どんどん聞く耳を閉ざし、頑なになってしまう場合がありますが、まさにそのような状況に陥っていました。C姉妹の今の職場は家から遠く、早番と遅番があり、土曜日も半日出勤、残業もあるため、夫婦で過ごす時間はさらに減っていました。また、救われる前に、子供を望むも不妊治療の大変さだけを体験して結局授からず、救われてきた時には、子どもを授かることも求めていました。しかし、求めても与えられず、神に文句つぶやくようになり、自分の中で“神が授けないと決めたのだ”と理解して、あきらめていました。本当は望んでいるのに素直に言葉にできず、苦しい状態にいました。そして、いよいよ夫婦関係が冷め切り、必要最低限のことしか話さない状況になった時、副牧師との交わりの中で自分の胸の内を話すことができ、その週の集会の中でイエス様が牧師を通して「あなたの中で、どうするべきか答えはもう分かっているでしょ!」と語ってくださり、今の仕事を辞める決心をしたのです。夫婦の時間がないこと、夫婦の在り方、妻としての在り方(働き方)が神に喜ばれるものではないことは以前から語られており、C姉妹は、ずっと仕事をやめること、変えることをイエス様に言われていました。

そして、新たな職場を求めると、イエス様は分かりやすく1カ所だけ示してくださり、夫に話すと、賛成してくれました。すぐに面接を受けることになり、その中で神が導いて下さった場所だという確信と好意を感じました。求人票にはだいたいの基本給しか書かれておらず、賞与があるのか、どんな手当てが付くのかも分かりませんでしたが、C姉妹はそれは全て神がかえりみて下さるという信仰でいました。すると、採用通知が届き、基本給は提示されていた金額の上限額であり、賞与、退職金、有休もあり、今勤めている職場よりも条件が良かったのです。勤務時間も定時には終わり、平日の夕方であっても、夫婦で過ごす時間がしっかりと与えられ、何より土曜日休みがあることに夫が喜びました。C姉妹の心の願いは、子供を授かることですが、神は秩序正しいお方です。やるべきことをやっているか、土台を築けているか、心を見ておられます。C姉妹は今回とことんきよさを求め、イエス様の戒めに従うことを求めました。マインナンバーカードも利便性を求めて作っていたため、面接日に返納しに行ったそうです。そして、面接直前に頂いたみことばは、イザヤ書48章17節~19節でした。

 

イザヤ48:17~19本

あなたのあがない主、イスラエルの聖者、主はこう言われる、「わたしはあなたの神、主である。わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。そうすれば、あなたの平安は川のように、あなたの義は海の波のようになり、あなたのすえは砂のように、あなたの子孫は砂粒のようになって、その名はわが前から断たれることなく、滅ぼされることはない」。

 

アーメン宝石紫みことばが成就したことを感謝しますピンク薔薇

 

自分なりのやり方で何かを掴もうとしたら、祝福の右側の道ではなく、左側の呪いの道に迷い込んでしまいます。自分では善、愛だと思っていても、気が付いたら悪しき者のはかりごとに首を突っ込み、情で人を助けようとして悪事に加担することになったり、たった一言、頭で考えて出した肉の発言によって、聖霊の導きを止め、判断が狂わされていくことがあります。

D姉妹は、婚活アプリで知り合った男性と初めて会った時、彼もワクチン未接種者であること、母親が亡くなったそうですがワクチンが原因だと思っていること、また、食にも気をつけ、牧師がメタトロンでお世話になった吉野医師のことを良く知っていたことに、貴重な出会いだと思いました。そして、このチャンスを逃したくないと結婚を握り、“宗教と思われたくないから慎重に”と頭で考えた結果、会話の中でメタトロンの話が出た時に、「牧師がメタトロンを受けた」と言えるところで「知人が」と言ってしまい、そこから聖霊の導きを止め、悪霊に門を開きました。大切な兄弟姉妹との交わりがあることも忘れてデートの予定を入れてしまい、牧師から「彼も誘ったらどうですか?」と言われた時には、すでにデートを断ったあとで、彼は別の用事を入れてしまっていました。もし、最初に会った時に、「牧師」と言っていれば、2回目のデートは、彼が興味をもって交わりに参加するデートになっていたでしょう。

そして、延期になった2回目のデートで、今までならデートする際、絶対に相手の男性に自宅を教えず慎重に待ち合わせ場所を決めていたにもかかわらず、D姉妹は遠方から来る彼を思って自宅に車を停めてもらい、自分の車で浜松を案内したあと、夜19時に自宅に戻ってきました。すると、男性から「もう少し一緒にいないか?ホテルに行かないか?」と誘われ、驚き、そんな事を言い出す人に見えなかったため引いたそうです。聖書に書かれている男女交際、婚前交渉はしないということを伝え、彼は理解して帰ったそうですが、D姉妹は、彼の人間性を疑って裁いていました。しかし実は、自分が誘惑していたことを牧師を通して示されたのです。女性の家の前で、車中でのやりとりは、男性としては“もしかして自分を誘っている?”と思います。逆に、誘わなければ失礼ではないかという考えにもなるでしょう。姦淫の霊が動くのです。最初のデートから自分のやり方をし続けたことで、悪霊に門を開いてしまった結果の出来事であったと解き明かされました。自分の頭に戻って出す一言、何かを握っての行いは、霊的判断ミスに繋がり、悪霊を動かします。それが時に相手との関係性を悪くし、救いからも遠ざけてしまうことを、私たちはD姉妹の証を通して語られました。

 

イエス様に聞き従って歩むなら、私たちの霊魂体はいつも健全、健康です。今週は聖霊に導かれたメタトロンで奇跡的な健康回復が証明された兄弟の証を聞く事もできました。言われた食事改善を行ない、あとはイエス様に自分の体は委ねることビックリマーク癒し主はイエス様ですキラキラ

 

マルコ5:25~34本

さてここに、十二年間も長血をわずらっている女がいた。多くの医者にかかって、さんざん苦しめられ、その持ち物をみな費してしまったが、なんのかいもないばかりか、かえってますます悪くなる一方であった。この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった。それは、せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていたからである。すると、血の元がすぐにかわき、女は病気がなおったことを、その身に感じた。イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で振り向き、「わたしの着物にさわったのはだれか」と言われた。そこで弟子たちが言った、「ごらんのとおり、群衆があなたに押し迫っていますのに、だれがさわったかと、おっしゃるのですか」。しかし、イエスはさわった者を見つけようとして、見まわしておられた。その女は自分の身に起ったことを知って、恐れおののきながら進み出て、みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた。イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。

 

アーメン宝石緑

 

この世のものや人を偶像(英語では“アイドル”)にするのではなく、イエス様に聞いていく訓練は、徹底的な悔い改めが伴います。いつどこで、何をしている時に悪霊に門を開いたのか、助け主聖霊ははっきりと思い出させて下さいます。イエス様からか悪霊からか、分からないと混乱する時こそ、自分の歩みを一つ一つ振り返って、悪霊に開いた門を閉じていく行いが必要です。姉妹たちが、そこに気付き悔い改めに至れたことが感謝であり、聞いている神の家族の霊も喜びました音符

証から自分自身を吟味し、今週も悔い改めにふさわしい実、きよさに至る実を結んでいけたことを感謝して祈ります!!