イエス様との結婚―新たな夫婦の誕生― | ぶどうの木 Good News

イエス様との結婚―新たな夫婦の誕生―

holygirlですニコニコ

 

今週の集会では、ぶどうの木4組目となる夫婦(N兄弟とY姉妹)の挙式・指輪の交換式が行われました指輪

新婦Y姉妹が救われたきっかけは、神の癒しでした。バスケットボール推薦で高校に入学したにもかかわらず、腰を痛めて車椅子生活にもなり、高校3年最後の大会への出場も絶望的でした。そんな時、3歳の頃から知っている幼馴染のお母さん(M姉妹:美容師)が、自分が出会ったイエス様の話をしてくれたのです。M姉妹は、もともと仏教を大切にし、スピリチュアルを信じていたため、2年間、お客さんで来ていたぶどうの木の姉妹からの福音を聞けずにいました。神の存在は信じていても、本当の神に出会うのが恐かったため、もらったトラクト(救いの告白)をしまっていたそうです。そんな時、娘さんが原因不明の炎症で、下半身がくだけるほど痛くなって病院に運ばれました。以前同じような症状で、下半身不随になってしまった人を知っていたため、同じ状態になったらどうしようと不安が襲ってきました。出来る事なら代わってあげたい!と思いながらも自分の力ではどうすることもできず、「神様!」と思っても、どの神様にお願いしたら良いのかも分からずにいた時、姉妹から聞いていたイエス様の話を思い出し、急いで家に戻り、しまっていたトラクトを探したそうです。そして、読むだけで良いと言われた救いの告白を、“娘が癒されるなら何でもする!”という思いで読み、癒しを祈ったそうです。すると娘さんはすぐに癒され、後遺症もなく元気に退院することができました。それでも、しばらくするとまた、“本当にイエス様に祈ったから癒されたのかな・・・偶然だったのかな”と疑いの気持ちが生まれていったそうです。美容師という職業柄、日曜日の集会に誘われても自分には到底行くことはできないと思っていましたが、ある日曜日の午後にキャンセルが出て、集会に初めて意志を向けて着席することができました。その時に、牧師を通して霊・魂・体の話を聞き、“魂と体のつながりは分かる!梅干しを見たら唾液が出るのだから”と思ったそうですが、霊については初めて聞くことで、ずっと心に残っていたそうです。その後、もっと話を聞きたいと思って通っているうちに、毎年歯茎に膿がたまって顔が腫れていた状態だったにもかかわらず、膿の袋はあるのに、膿がたまっていないという奇跡を、M姉妹自身が2度体験しました。膿で悩んでいる時に、牧師を通して、「ずっと真理ではない言葉で人にアドバイスをしているから膿がたまっている」と解き明かされていましたが、M姉妹の語る言葉がみことばに変わったことで、イエス様が完全に癒して下さったのです。まさに、霊からの癒しでした。

そんなイエス様の癒しを体験したM姉妹だったからこそ、当時高校生だった新婦Y姉妹にも語らずにはおれませんでした。Y姉妹は、「悲しいのに涙が出ない」というところまで憔悴しており、バスケ推薦で入ったのに何の力も発揮できなかった学校を辞めたいとも思っていました。しかし、イエス様を受け入れ、M姉妹に祈ってもらうと腰が癒され、最後の大会の残り数分のところで出場が叶い、ブザービートでゴールを決めることができたのです。これがY姉妹の初めの愛の証になりましたドキドキ

 

そんなY姉妹の復活を見た母親のR姉妹と姉のS姉妹が、「ぜひ牧師さんにお礼がしたい」ということで、集会にやってきました。当時母親のR姉妹は、夫との関係に苦しみ、Y姉妹が卒業したら離婚しようと考えていました。しかし、聖書は「離婚してはならない」と教えています。牧師から聖書真理を伝えられ、R姉妹はやっと離婚できると思ったのに止められ戸惑っていましたが、娘二人は、「えっ!?パパとママが仲良くなったらどうする?」と顔を見合わせ喜んでいました。何歳になっても、子どもは両親には仲良くいてもらいたいものです。

そこから、月日が流れる中で、Y姉妹がイエス様から離れる時期もあれば、R姉妹が主の訓練にくじけそうな時期もありましたが、神がY姉妹、R姉妹、S姉妹それぞれをクリスチャンとして成長させてきてくださいました。Y姉妹は、イエス様から離れている時期にN兄弟と出会いましたが、彼が使われて自分はクリスチャンであること(を思い出し)、聖書を信じ、絵本「一つになろうよ」を土台に生きていきたいと伝えることで、自分自身の信仰がもう一度強まり、集会に戻ってくることができました。N兄弟も絵本を通して救いの告白をして救われ、Y姉妹と結婚するなら同じ考え(信仰)をもつ方が良いと思い、集会にも共に出席するようになりました。

救われた当時、離婚話が出ていたY姉妹の家族でしたが、母親のR姉妹の思いが変えられ、夫婦関係を主にあってもう一度築き直してきたことで、指輪の交換式には、両親揃って出席となりました。それがY姉妹にとっても、共に聖書を学びY姉妹の家族のことを祈ってきた神の家族にとっても、何よりの喜びでしたハート救われる前は、家族間で自分の思いを素直に伝えてこれなかった家族だったのかもしれませんが、挙式の最後に一人一人からのメッセージを聞いた時、互いに思い合っている温かい家族であることが分かり、その場にいた皆が感動し、イエス様に感謝しましたピンク薔薇

 

そして、Y姉妹を救いに導いたM姉妹は、新郎N兄弟の父親と指輪の交換式で対面した時から“どこかで会ったことがあるなぁ”と思っていたそうです。そして式の途中で、自分が新しい車を購入した際にお世話になった方であることを思い出し、それをM姉妹がスピーチの時間に話してくださり、皆が驚きましたビックリマークびっくりまた、M姉妹の知り合いが、実はY姉妹と同じ職場におり、その知り合いが、自分の友達の弟であったN兄弟をY姉妹に紹介して交際に至ったことも分かり、神のなさり方、人と人を繋ぐ神の力は人知では計り知れないと改めて思いましたクローバー乙女のトキメキ

ぶどうの木は今16年目の歩みをしていますが、先週3年ぶりに来日した韓国の兄弟姉妹も驚くほど兄弟姉妹が増え、現在は60名ほど在籍しています。3年間で兄弟姉妹が増えたきっかけは、2018年のM姉妹の救いでした。M姉妹の忠実な福音によって、Y姉妹家族はじめ、たくさんの人が救われてきたのです羊そんなM姉妹が、参列している皆に対して頂いたみことばは、詩篇23篇1~6節でしたラブレター

 

詩篇23:1~6本

主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。

 

アーメン宝石赤

私たちクリスチャンは羊であり、牧者であるイエス様の声を聞いて群れで歩みます。式で配布された二人の歩みが書かれた冊子の表紙には、二人の後ろに夕日と羊雲がきれいに写っていました。Y姉妹がN兄弟と出会うきっかけとなった職場勤務初日も羊雲が見えたそうです羊私たち人間には、正しい道に人生を導いて下さる牧者が必要であることを、羊雲を通しても語られ感謝しました。

 

今週の集会(指輪の交換式)では、イエス様が牧師を通して、牧者である神・イエス様とクリスチャンである私たち羊の関係と、結婚についての教えを語って下さいました。

 

宗教は、自分の利益を求めて「神様、〇〇してください」と祈ります。仏壇(先祖)や仏像、神棚、石像、数珠などは、不安な自分の心の拠り所です。祈りが聞かれたらラッキー!聞かれなくてもそれはそれで仕方がない・・・日本人の神観はそんなものです。しかし、M姉妹が証してくれたように、いざ自分が本当に困った時、先祖に祈ったらいいのか、八百万の神々に祈ったらいいのか分からず、本当に一番力がある神は何なのか、どこにいるのかと、求めているのではないでしょうか。

日本人が信じている神は、自分と同じ『人間が造った神』です。人間が造った神の話を宗教と言います。世の中には、自分が神だと言う教祖もあらわれ、新興宗教がたくさん生まれています。

私たちが学ぶ神、聖書の神は、人間を創造し、さらにはこの地球、天地を創造した方です。自分を創造した絶対的存在がいることを認め、その方を人生の牧者として歩んでいくのがクリスチャンです。「人生のバイブル」と言われる本が世の中にはたくさんありますが、バイブルとは「聖書」という意味ですから、人間が書いた「バイブル」を読むのではなく、どこの書店でも買える本当の「バイブル」、世界で年間6億冊発行されるベストセラー本である聖書そのものを読み、その御言葉に従うのなら、人生は180度変えられていきます。

聖書には、人間を造った神が、人間に対して絶対的に守るべきだと教えている命令(律法)が詰まっています。律法は613あり、「~しなさい」という肯定的命令が人間の骨の数に相当する248、「~してはならない」という禁止命令が一年の日数に相当する365あります。これを守り行なえば、人類は平安にこの地上で生きることができたのですが、人間の考えによる高ぶりは、これらの律法を否定していきました。最初の人間アダムと助け手エバがへびにそそのかされ、神から食べてはならないと言われたにもかかわらず、善悪を知る木から実をとって食べてしまったことで、人間は神の言葉に聞き従って生きるのではなく、自分の考え、善悪の判断で生きるようになってしまいました。同時に、永遠に生きられるという約束はなくなり、人間には寿命ができたのです。

聖書には「罪」という言葉が出てきますが、その語源は古代ギリシャ語の「的外れ」です。最初の人間であったアダムの時からすでに、人類は神の御心(的)から外れた生き方、神より高ぶって自分の思いに従う生き方を選んでいるため、皆罪人なのです。

以前、グローバル化と、神がおっしゃる一つになることは違うと学びましたが、一部の権力者(二ムロデ)の下に一つになろうとする動きは、すでに旧約時代に起きていました。バビロン文明の時に、神がつくったルールを人間が壊していき、神より偉くなろうとして人間が力を結集し、バベルの塔を建てたのです。それを見た神は、コミュニケーションの手段である言語を分け、国を分けました。そして、現代はその極みで、お金をカシラに生きる1%の人間が、自分たちの思い通りに世界を支配しようと、コロナワクチンという生物兵器により人口削減を行なっています。どれだけ罪深い世界の中に私たちは置かれているのでしょう。その中で、神に出会い、神に救われる者は幸いです。それは神に選ばれたという事だからです。神に選ばれた人間は、自分の人生で犯してきた全ての罪を洗い流すことができ、清く真っ白な器へと生まれ変わって、もう一度的を射る人生を神と共に歩むことができます。

 

聖書(律法)の中には結婚の定め、神が一体とした夫婦は、離婚してはならないという命令も書かれていますが、今や2組に1組が離婚する時代です。私たちは16年前に、家族のあり方講座という名目で浜松市の施設を借りて、活動を始めました。家族のあり方が崩壊しているこの世の中であることは、群れに導かれている人たちの家族、家庭を通しても痛感してきました。牧師は、今週の集会で、「今日の結婚が、20年後、30年後の世界をつくっていく」とおっしゃったのですが、まさにその通りで、神が定めた秩序を乱した結婚が当たり前になっていけば、人類も社会も滅亡に向かってしまいます。

神が定めた秩序については、改めて絵本「一つになろうよ」から確認しました。

 

神様は、一人の男のあばら骨から一人の女を造られました。男が女をしえたげて踏みつけるために足から取ったものでもなく、女が男を尻に敷くために頭から取ったのでもありません。助け手として仲良く並んで歩くようにと、わきのあばら骨から、そして、妻を大切に愛して養うようにと、心臓に近い左側から取られました。男の骨から男を造ったのでもなく、一人の男のあばら骨から複数の女を造られたわけでもありません。“あばら骨をあげた人”と“あばら骨をもらった人”が出会ったとき、その男女が一体になるよう定められたのです。つまり神様は、あなたが生まれる前から、あなたにとっての“たった一人の人”を決めておられるのです。

 

創世記2章22節~24節

【主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。】

 

この聖書の教えに一番反しているのが、LGBTQによる同性婚です。神は人類を男と女につくられ、神が性別を間違えることはありません。そして、男同士、女同士ではなく、男女が一体となるよう定められました。一人の男のあばら骨から複数の女を造られたわけではありませんから、一夫多妻制もありません。それは人間の欲と考えが生みだした宗教の教えです。結婚の在り方が乱されることは、神によって造られた人間にとって、本来気持ち悪いこと、違和感でしかありません。先日、岸田首相の秘書官がLGBTなど性的少数者や同性婚の在り方に対して「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」などと差別的発言をしたとして、更迭になりましたが、今やLGBTに反対する意見を言ったら、職を失う世の中です。人間の考えで同性婚、LGBTQを容認していった先には、精子・卵子提供が進んでいきます。ゲイカップル、レズビアンカップルに子が誕生していきますが、子の人権は誰が保障するのでしょうか。一人の男性がたくさんの精子を分け与えていけば、そこに誕生してきた子どもたちは、将来互いの出自が分からないまま、近親相姦の結婚になる確率も増えていくでしょう。本来、神が良しとしていない事を人間が自分の欲と願望によって暴走して行なおうとしているのであれば、神の言=真理を知っている私たちクリスチャンは、それはおかしい!と声を上げていかなければならないと改めて語られました。

 

そして、再度絵本「一つになろうよ」に書かれている牧師のメッセージを通して、結婚とはどうあるべきか、神の御心は何なのかを確認しました。

 

いいですか?皆さん。結婚は、あこがれや成り行きでするものではありません。一人の人と一生一緒に生きていくということは、聖書に書いてある通り、【その身に苦難をまねく】ことの方が多いです。そもそも結婚は二人だけの問題ではありません。相手の家族を無視して生きていけると思ったら大間違いですよ。

聖書を通して、神が人と人との関係の中で最も伝えたいことは、【互いに愛し合いなさい】また【自分を愛するように、あなたの隣り人を愛しなさい】ということです。ですから、まずはみことばに従って、相手だけではなく、相手の家族のことも同じように愛せるのか、同じように大事にできるのか、それも含めて結婚したい相手なのか熟慮しなければなりません。自分の親や兄弟を大事にする人は、相手の親・兄弟も大事にするでしょう。子供は、そんな両親を見て育ちます。

結婚は相手のことをよく知り、相手の家族のことをよく知り、そして理解し合うことから始まります。ですから、まずは、“人”に関心をもち、コミュニケーションをとれる自分になることが大切です。

人と人とがつながる中で、あばら骨を与えた男性とあばら骨をもらった女性が出会えば、その二人はやがて夫婦となり、家族となります。神は一番のコミュニケーションの場としてすべての人に平等に『家族』を与えてくださっているのです。生まれてきた子供は、家族という小さな社会の中で、愛し合うこと、許し合うこと、譲ること、我慢すること、責任感などたくさんのことを学び、その培ったものをもって幼稚園や学校で他者と関わっていくようになります。幼い子供は、家庭で教えられたことしかできません。両親を見て、良いことも悪いことも吸収していきます。そんなすべての土台となる家庭環境の始まりが『結婚』です。その結婚により、未来を担う子供が育ち、社会をつくり、やがて国をつくり、世界をつくる!それほど『結婚』は重んずべきものなのです。

 

エペソ人への手紙5章31節~6章4節

【「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。

子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。「あなたの父と母とを敬え」。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう」。父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。】

 

アーメン宝石緑

結婚生活の邪魔をしてくるのも、アダムとイブをそそのかした蛇の声・そそのかしの声です。当人同士は納得していても、親や親戚の声が入ってくると、もめ事に発展していきます。結婚は二人だけの問題ではなく、そういった周りの声にもしっかりと応対していかなければなりません。その時に必要なのがコミュニケーション力です。相手をよく観察し、心を感じ、積極的に関わって、自分の思いをしっかりと伝えることが大切であり、伝えたのなら、相手の言葉もよく聞き、理解し合わなければなりません。それが夫婦間、親子間、家庭内でできていれば、子供はそんな両親を見て育ち、やがて次の世代にも同じように教えていくでしょう。しかし、途中で離婚してしまえば、子供の学びはそこで止まってしまいます。父親とは、母親とは、家族とはと言われても、よく分からず、親を憎み、自分の力で何とかして生きなければならない子供たちが、今の世の中には大勢います。彼らが結婚をしても、聖書に書かれてある通り、3代4代に渡る血の中にある呪い祟りの霊によって、自分の両親と同じ結婚を繰り返すことになるでしょう。その霊力を断ち切れるのは、イエス様だけです。イエス様の十字架の血によってその霊力を断ち切り、神の御前に“個”として自分の人生を新たに築き上げていけるのです。

 

そして、一組の男女が父母を離れて一体となるのが神が定めた結婚ですが、さらにもう一つクリスチャンカップルが結婚するという事には大きな意味があります。それは、神の御前に人間は男女関係なく皆キリストの花嫁であり、『結婚』は、新郎イエス様に仕えるキリストの花嫁として生きる人生が始まるという事です!そして、イエス様が水をぶどうの酒に変えるという最初の奇跡を起こしたのが、結婚式であったように、神は結婚を大切にされていることが分かります。イエス様との結婚があり、神・イエス様を一番に愛し、次に夫・妻を愛して生活する時、神がご自身をあらわして御業を行なって下さり、その家の庭(家庭)には、たくさんの良い実が結ばれていくのだと語られましたぶどう

 

ヨハネ14:1~21本

「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。

わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。

 

アーメン宝石紫

 

今週の集会では、新郎新婦はじめ、ご両親、友人たちが、聖書の神と、クリスチャンの結婚について理解された後、指輪の交換式が行われました指輪新郎新婦それぞれが神の御前で言葉によって誓約することで、自分の身にしていきました。

牧師から、新郎N兄弟は、「命ある限り、健やかな時も病む時も、夫として他の女性ではなく、Y姉妹のみを愛し敬い保ち、死が二人を分かつまで、教会の定めにより、神の聖なる言葉と福音の教えに従い、共に敬けんに生活し、信仰を保ち、Y姉妹を守ることを誓いますか?」と問われ、「誓います」と宣言しました。

また新婦Y姉妹も、「他の男性ではなく、N兄弟のみを愛し敬い従い仕え、死が二人を分かつまで、教会の定めにより、神の聖なる言葉と福音の教えに従い、共に敬けんに生活し、信仰を保ち、N兄弟を守ることを誓いますか?」と問われ、「誓います」と宣言しました。

男性には、「保つ」役割があり、女性には「従い仕える」役割があることが誓約からも語られ、それが神が定めた夫婦それぞれの役割であることを確認しました。

さらに、参列者に対しても新郎新婦が誓約をしました。

 

<夫の誓約>

私は、Yさんを妻として結婚します。今より後、良い時も悪い時も、富む時も貧しい時も、病む時も健やかな時も、死が私たちを分かつまで、教会の定めにより、あなたを守ることを誓います。一人の真実な信仰ある夫がその妻に対してそうあるべきように、誠実にYさんを守り、愛し、養うことを約束し、神の聖なる言葉と福音の教えに従い、全てのものをもってYさんと共に敬けんに生活し、信仰を保ち、忠誠を尽くすことを私たちの主イエスキリストと聖なる家族の前で告白します。

 

<妻の誓約>

私はNさんを、夫として結婚します。今より後、良い時も悪い時も、富む時も貧しい時も、病む時も健やかな時も、柔和と従順をもって共に住み、死が私たちを分かつまで教会の定めにより、あなたを守ることを誓います。

神の聖なる言葉と福音の教えに従い、今日までのイエス様の全ての導きに感謝し、Nさんと共にますますの喜びをもって祈り生活し、信仰を保ち、忠誠を尽くすことを私たちの主イエスキリストと聖なる神の家族の前で告白します。

 

そして、牧師が「この指輪を身に付ける者を神の平和の内に留め、愛の内に生活させ、クリスチャンホームを築き、長寿を与えて下さいますことを感謝して祈ります」と、指輪に対する神の祝福を祈り求め、二人は神との契約の指輪を交換し、正式に夫婦となりました指輪

 

N兄弟は、マタイによる福音書19章5~6節を、Y姉妹はピリピ人への手紙4章4~7節を大切なみことばとして握りしめていることも披露され、イエス様をカシラに結婚生活を築いていく決意も聞くことができ、神の家族として、新たなクリスチャン夫婦の誕生を喜びましたハート

 

マタイ19:5~6本

そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。

 

ピリピ4:4~7本 

あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。

 

アーメンふんわりリボン

 

今週の集会には、3年ぶりに福岡の兄弟姉妹も出席したのですが、彼らはぶどうの木で結婚式を執り行った1組目の夫婦でもあり、そこに可愛い娘さんも誕生し、神の家族のあり方を求めて日々実践しています。先週は韓国から、今週は福岡からと、聖書の教え(真理)がすでに浜松にとどまらず、全国にいる兄弟姉妹を通して発信され、国を越えて広がっていることは本当に嬉しいことです。そして、イエス様に忠実なクリスチャンホームが育っていることも、ぶどうの木の良い実、繁栄であると思っていますぶどう

神に喜ばれる教会は、次世代が育ち、教会自体が勢いをもっていきます。聖書の神の力を体験してきた先人クリスチャンたちが、熱心にそれを伝えてきたことで教会は発展し、全世界に福音は宣べ伝えられていきました。私たちも、そのバトンを受け継いでいることを忘れてはなりません。教会とは建物ではなく、イエス様が内におられる、イエス様と結婚したクリスチャン一人一人のことを言います。私たちの居る場所が教会になり、周りにいる人々に良い影響と救いを与えていくことで、イエス・キリストによって一つになれる家庭、社会が生まれていきます。そこに希望をもって、ますますイエス様に喜ばれる教会へと発展していけたことを感謝して祈りますびっくりマーク

 

ヨハネ14:30~31本

わたしはもはや、あなたがたに、多くを語るまい。この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない。しかし、わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである。立て。さあ、ここから出かけて行こう。

 

アーメンまじかるクラウン