人事を尽くして得る真の幸せ | ぶどうの木 Good News

人事を尽くして得る真の幸せ

holygirlですニコニコ

 

今週の集会は、へブル13章から始まりましたベル

 

へブル13章本

兄弟愛を続けなさい。旅人をもてなすことを忘れてはならない。このようにして、ある人々は、気づかないで御使たちをもてなした。獄につながれている人たちを、自分も一緒につながれている心持で思いやりなさい。また、自分も同じ肉体にある者だから、苦しめられている人たちのことを、心にとめなさい。すべての人は、結婚を重んずべきである。また寝床を汚してはならない。神は、不品行な者や姦淫をする者をさばかれる。金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい。主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。だから、わたしたちは、はばからずに言おう、

「主はわたしの助け主である。わたしには恐れはない。人は、わたしに何ができようか」。

神の言をあなたがたに語った指導者たちのことを、いつも思い起しなさい。彼らの生活の最後を見て、その信仰にならいなさい。イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。さまざまな違った教によって、迷わされてはならない。食物によらず、恵みによって、心を強くするがよい。食物(自分の欲を満たすもの)によって歩いた者は、益を得ることがなかった。わたしたちには一つの祭壇がある。幕屋で仕えている者たちは、その祭壇の食物をたべる権利はない。なぜなら、大祭司によって罪のためにささげられるけものの血は、聖所のなかに携えて行かれるが、そのからだは、営所の外で焼かれてしまうからである。だから、イエスもまた、ご自分の血で民をきよめるために、門の外で苦難を受けられたのである。したがって、わたしたちも、彼のはずかしめを身に負い、営所の外に出て、みもとに行こうではないか。この地上には、永遠の都はない。きたらんとする都こそ、わたしたちの求めているものである。だから、わたしたちはイエスによって、さんびのいけにえ、すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を、たえず神にささげようではないか。そして、善を行うことと施しをすることとを、忘れてはいけない。神は、このようないけにえを喜ばれる。あなたがたの指導者たちの言うことを聞きいれて、従いなさい。彼らは、神に言いひらきをすべき者として、あなたがたのたましいのために、目をさましている。彼らが嘆かないで、喜んでこのことをするようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならない。

わたしたちのために、祈ってほしい。わたしたちは明らかな良心を持っていると信じており、何事についても、正しく行動しようと願っている。わたしがあなたがたの所に早く帰れるため、祈ってくれるように、特にお願いする。

永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死人の中から引き上げられた平和の神が、イエス・キリストによって、みこころにかなうことをわたしたちにして下さり、あなたがたが御旨を行うために、すべての良きものを備えて下さるようにこい願う。栄光が、世々限りなく神にあるように、アァメン。

兄弟たちよ。どうかわたしの勧めの言葉を受けいれてほしい。わたしは、ただ手みじかに書いたのだから。わたしたちの兄弟テモテがゆるされたことを、お知らせする。もし彼が早く来れば、彼と一緒にわたしはあなたがたに会えるだろう。

あなたがたの指導者一同と聖徒たち一同に、よろしく伝えてほしい。イタリヤからきた人々から、あなたがたによろしく。

恵みが、あなたがた一同にあるように。

 

アーメンゆめみる宝石

 

先週の集会で、【わたしが弱い時にこそ、わたしは強い】というみことばについてメッセージをした牧師は、その夜に死の使いの攻撃を受けました。突然悪寒がすると思ったら全身が震え出し、手足がしびれ、熱が出てのどがカラカラに渇きました。娘のN姉妹に靴下を履かせてもらい、毛布を4枚かけてもらい、水を飲み、そのまま2時間の戦いになりました。“このまま死んでしまうのか。一体いつまで続くのか”と思いながらも、牧師は自身が語った通り、「わたしが弱い時にこそ、わたしは強い」と宣言し、【信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる。】(マルコ16:17~18)と言って悪霊を縛り上げ、この状態を来たらしたことをイエス様に悔い改めました。そして、「イエス様、死の使い(サタン)に囚われている羊がいますか?」と尋ねました。すると、大変な高ぶりの霊に支配されてイエス様から離れてしまっている姉妹が示されました。彼女を捕らえている悪霊も縛り上げていると、すっと状態がおさまりました。その直後、姉妹に電話をかけ、彼女の内に隠されてきた思い・高ぶりの霊と向き合い、勝利し、完全復活を遂げたのです。

私も娘として、母である牧師の霊的戦いを何度も見てきましたが、戦いに勝利するだけの信仰がなければ決して乗り越えることはできないのだと語られてきました。力強く羊たちに語れば語るほど、サタンはまず「これ以上語るな!」と、牧師を攻撃してきます。語ったことに対して、“そんな事はない!嘘だ!”と思い込ませてきます。それは、神の目から見たら訓練であり、今回の場合、肉体に攻撃を受けても、【わたしが弱い時にこそ、わたしは強い】を実践できるかどうか、まず牧師が試されたのです。死を覚悟するほどの戦いであっても、イエス様の御名前を取られない限り、サタンは私たちクリスチャンを殺せないのだと、牧師はよくおっしゃいます。イエス・キリストは生きている神であり、決してわたしたちを離れず、捨てません。いつもイエス様が共におられるか不安で、救いに確信が持てず、一つずつ事細かに祈らなければ気がすまない、落ち着かない人は、この契約を忘れてしまっているのだと語られました。

自分の力ではどうすることもできない状況、生きるか死ぬかの状態に直面すれば、ただ「主よ!あなたは私のことを全て御存知です!神のみ旨だけが堅く立ったことを感謝します!」と祈ることしかできません。改めて、救われるという事は、自身のことを見捨てもせず、見放しもしない神と生きることであり、人に頼ったり、人目を気にするのではなく、神に頼り、神の目から見て喜ばれる自分であるかをいつも思うことなのだと語られました。

そして、今回の牧師の証を通して、私たち羊が牧師に霊的負担、攻撃を与えていないか吟味しました。

 

牧師にとって、ぶどうの木に来た人たちは皆、旅人です。日曜日を安息日として聖別し、神の言を食べに来る人達に対して、集会はごちそうを振る舞う食卓、旅人をもてなす場所です。それを牧師が肉で行おうとすれば、何を語ろうとかと頭で悩み、土曜日の夜はメッセージ原稿に追われてしまうわけですが、ぶどうの木牧師は自分を明け渡して集会の席に着き、羊の霊的状態を受け、第一声を発したところから、生ける水の川が3時間半流れ出ます。

このブログのコメント欄は、コメントが多いランキングに入るほど、コメント数が多いですが、それは群れの羊たちが自分の受けたことを残しているからです。ブログは牧師のメッセージを受けた私の霊から溢れる事を書いており、羊たちは日曜日のメッセージとブログによって、1週間の武具を付けます。ほぼ月曜日の夜にはブログがアップされるので、火曜日までには自分に何が語られたのか、何が一番残ったのかを確認してコメントすることによって、1週間の中でサタンの攻撃にあって上手く行かない事や、悩むことがあれば、今週の教えに立ち返って歩むことができます。最初は、集会に参加できない遠方にいる兄弟姉妹のために始めたブログメッセージでしたが、今では、羊たちがどれだけ今週のメッセージを食べれたか、栄養になったかを牧師が知る場、羊たちの霊的状態を知る場としても用いられています。そして、皆の受けたこと、悔い改めや反省点をふまえて、牧師は次の日曜日にそれに対して応えながら、語っていく・・・その連携が、聖霊の力によって群れが活性化していくことに繋がり、羊たちが常に霊が満たされてまた一週間世の中に出て行ける原動力になるのです。

しかし、そのブログコメントが週の後半、遅い羊は土曜日の夜、日曜日の朝になっていることに対して、今週は牧師からの訓戒がありました。(読者の皆さんの方が、群れの羊たちよりも反応が早いことは感謝なことです。)1日24時間あり、7日間で168時間です。その内集会は3時間半であり、残り164.5時間は自由な時間です。仕事、学校、子育てが忙しいという理由があったとしても、ブログコメントにどれだけの時間を費やすでしょう。自分が受けたことを書くだけであり、それも霊で受けたことを言葉にする訓練ですが、コメントを週の宿題のように思い、喜んでできない、もしくは早くコメントすることを誇り、競っているなら、どちらも肉の頑張りになっているのだと語られました。

「握ったものを持って滅ぼされる」のだとずっと語られてきましたが、救われて教えを聞いていても、自分のやり方、生活習慣を握り、時間ができても肉のことを優先しているのであれば、せっかく日曜日にメッセージを聞くために自分の時間を使っていても、1週間後には真反対の滅びの道を歩いていることになってしまいます。その中で、イエス様がいない、聖霊が働かず悪いことが続いて不安だと感じるのは当然であり、イエス様の声を聞いていない証拠です。イエス様は決して離れず内にいるわけですが、自分の心で神を見ない、聖霊の声を聞かない状態をつくってしまっているのです。

「神のために生きる、まず神の国と神の義を求める」と言う中には、ブログコメントもあります。それを後回しにして、全て明け渡して神に従っているとは言えません。そして、その羊の状態は、群れの監督者である牧師に攻撃を来たらすことになるのだと語られました。

 

【あなたがたの指導者たちの言うことを聞きいれて、従いなさい。彼らは、神に言いひらきをすべき者として、あなたがたのたましいのために、目をさましている。彼らが嘆かないで、喜んでこのことをするようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならない。】(へブル13:17)と書かれてある通り、牧師、働き人たちが、嘆かないで喜んで働けるようにすることは、群れ全体の益となり、何より羊一人一人にとって益となります。イエス様に忠実であることで受けられる祝福があり、ブログコメントもその一つだからこそ、牧師は何度も忠告してきました。もっと皆が祝福される歩きができるようにと、牧師は目を覚まして祈り、悪霊と戦って下さっているのです。私たち羊は、そんな牧師の霊的戦いに対して無関心であってはならないのだと語られました。

さらに、私たちが牧師の働きを思う心、相手を思いやる心、善を行なうこと、施しをすることを忘れ、隣人愛なく自分のやり方をすることは、ただの独り善がりであると語られました。自分のことばかり祈り、自分の要件ばかりを一方的に言うことも独り善がりです。そのような状態であれば、人とのコミュニケーションも取れない人間になっているでしょう。今の社会は、無関心で、愛が冷えた人間によってつくられ、これをしたら相手がどう思うかなど考えられなくなってしまっています。その中に自分たちもいましたが、今は救われて神の愛を知ったのですから、誰よりも他者を思い、関心をもってこそ真のクリスチャンと言えます。そして、自分が祝福を受けたい、家族が良くなってほしいと願うなら、他人のために祈ること、福音を伝えたら、伝えた人の分だけ彼らが救われるようにとりなしの祈りをしていくことが、自分の利益を求めないクリスチャンの姿なのだと語られました。

独り善がりであることは、指摘してもらってはじめて分かることかもしれませんが、指摘されたことに感謝して、軌道修正できる人は幸いです。指摘した牧師を裁くなら、高ぶりの霊に支配されている自分自身を忌み嫌って、戦わなければなりません。その状態は、牧師に対しても霊的戦いを与えることになり、その悪循環を繰り返す羊は、イエス様ご自身が群れに入ってくる門を閉ざすこともあるのだと語られました。

 

改めて、すべてを明け渡して日常生活を送ることは、大変なことです。「私はできているなんて言えない」と、皆が自分を反省する今週のメッセージでした。自分の気持ちをリセットして、神の言と力を注ぎ出せるよう、再度頂いている預言を確認しました。

 

<1985年5月6日にアメリカ・カリフォルニア・ロサンゼルス・メロディーランド教会において、ビリー・ブリム女史によって日本人に出された預言>


大いなる光があの日本という国に臨みます。大いなる、大いなる、大いなる光です。聖書にこう書かれてある・・・
イエス様は朝の光のように、地に若草を芽生えさせる雨のように人に臨むと。(サムエル下23:4)イエス様の朝日の輝きはまず東洋にのぼり、その福音の光は西洋におよび、今また東に帰ってこようとしています。
あなたの生まれたあの国に神が大きく働かれるのをあなたは見るでしょう。神の光をあの国に見ます。神の光がその民の上にあるのを見ます。

そうだとも!
あなたがたは光を見る。神の光がこの地球を行きめぐる。大いなる尊い光を見る。あなたがたはまだ、真に輝く光を見たことがなかった。人間の思いの垣根というかげりの一切ない真の光を。しかし今この時に、栄光から栄光へと増し加えられていく、力に溢れたその光が来るのを見る。あなたがたはさらに良く見えるようになる。このわたし、「有って有る者」とよばれるこのわたしこそが、あなたにとって光となる。その光をあなたがたは見るようになる。こうしてその福音の光、このみことばの光は、未だかつてそれを聞いたことのなかった人々の耳にとどまるようになる。それは超自然の大いなる光だ。このわたし自身なのだ。


わたしはあなたを暗きところから、あなたを取り囲む状態からあなたを引っぱりだす。もう答えがないとあなたは思った。見ないか、あなたの神という光に目を向けよ。このわたしがそれだ。この暗い時代に神の光は輝きわたる。あなたはその神の光(力)を与える器となる。しかしそのともし火は、わたしだけによってともされなければならない。この世によって曇ったり、汚れたりしてはならないのだ。わかるか。わたしの血によってきよめられた、純粋な混じりけのない器。盛んに燃え続ける灯火(あかり複数)。あなたがたが洪水なのだ!

わたしはあなたをわたしの心に引き寄せる。あなたの一部ではなく、すべてを明け渡すようにとあなたを召す。この灯火となるために、自分の全身全霊を捧げるようにと召す。完全にわが手によって治められるように。今、あなたの立っているこの場所で、それを本当に現実のものとしてあげよう。それによって光を輝かすための、わたしに従順に応じる、聖なる器。

わたしはあなたをふるう。わたしの力によって・・・あなたは生きのびる・・・この時代を。あなたは生きて死ぬことはない。・・・「なぜ!?」と叫ぶな。ただ聖別され、ひたむきに専念しなさい。あなたに、そしてあなたをとおして、わたしが輝けるようにしてほしい。明け渡せ!放せ!脱ぎ捨てよ!栄光に輝く花嫁にふさわしくないものは、すべて捨て去れ!
あなたにそれができるようにした、と言ったではないか。いっさいの重荷を捨てよと。わたしがしなさいと言うことはできるのだから・・・。捨てておきなさい、ふたたび拾い上げてはいけない。

(中略)

今もし幕を取り去りさえすれば、おおいなしに神の栄光を見る。神の教会が現れる。栄光と恵みにあふれ、はっきりとした力の現れに満ちた教会。天にあって、永遠に離れることなくわたしの前におらせるために計画した教会だ。だから定められた位置につくがよい。わたしはあなたがたに言う、(あなたがたは)争いも分裂もまったくない、栄光のための容れ物として用意されている。銀行には黄金が貯えられている。しかし、そんなものよりもはるかにはるかにまさる富・・・人間の金庫にはおさめきれない大いなる富をおさめる器・・・。この終りの時に、神の臨在・・・神の目的・・・神の言葉と力を注ぎ出す器たちよ。

 

アーメンダイヤモンド

 

先週、安倍元首相が亡くなり、国民が動揺し、不安を抱きながらの昨日の参議院選挙になりました。安倍氏の衝撃的な死により自民党への同情票があっての大勝であったとも言えます。また、死去の直後、全てのテレビ局が安倍氏というよりも、暗に自民党という政党の力を持ち上げ、国民に再認識させる特別番組を流し、全ての新聞社が、前代未聞!「安倍元首相 撃たれ死亡」という同じ一面の見出しで、強烈なプロパガンダを日本人に刻印した成果であったとも言えます。

その中でも、参政党の神谷氏が比例で1議席を取り、キリスト教会が応援していた金子道仁牧師も比例で当選しました。私たちはここに神のみ旨だけが堅く立ったことを見ますまじかるクラウンキラキラ参政党の候補者の方に対しては、先日ぶどうの木の執事が遣わされ、トラクトや諒兄弟の書籍を渡し、「裸の王様に裸と言ってください!」「小さな始まりを軽んじるな!です」と伝えてきました。すると、それ以降、参政党の演説の中で、諒兄弟の書籍にある「人事を尽くして天命を待つ」という言葉や、執事が伝えてきた言葉を彼らが言うようになり、蒔いた種が影響を与えていることを実感していました。神谷氏の当選は、彼らの思いを超えた当然の結果であると思います。神谷氏がいて、各分野における優秀な4人の方々が協力されたのですから、やはりまずは神谷氏が国政に入ることが御心だったのでしょう。小さな始まりを軽んじず、まずは国政政党になったこと、国を変える最初の一歩を踏み出した参政党に、天皇や八百万の神々ではなく、真の神の力が働いていくことを祈ります。

そして、参政党の演説、躍進を通して、多くの日本国民が目覚め、自分の国を守らなければ!と奮い立ったことも、彼らの功績であり、私たちも聖霊によって与えられてきた情報が“陰謀論”ではなく、“陰謀”であったことを証明してもらったと思っています。反グローバリズムの政党として、マスク反対、ワクチン反対、コロナは恐れるに及ばない流行り病であり、茶番劇であることを暴露する彼らがこの先守られるように、イエス様を知り、イエス様に救われていただきたいと強く祈ります!

 

また、維新の会の比例選挙候補者の中において6万票が必要であり、見えるところでは当選が難しいと思っていた金子牧師も、クリスチャン達の一致の祈りと名指し投票によって見事に当選したことは奇跡とも言えます。これは、イエス様が彼に出馬を決心させたイザヤ58章12節のみことばが真実であり、これから神がこの荒れすたれた日本を興していって下さるのだと語られ、喜び、感謝しました。

 

イザヤ58:12本

あなたの子らは久しく荒れすたれたる所を興し、あなたは代々やぶれた基を立て、人はあなたを『破れを繕う者』と呼び、『市街を繕って住むべき所となす者』と呼ぶようになる。

 

アーメン宝石紫

金子牧師に大いなる油の注ぎと、キリスト教界も、新たな船出、全て新しく始まっていくことを祈ります虹


覚醒されている人間が、覚醒されていない人間に「頭がおかしい」「カルト」「陰謀論者」と言われる社会ですが、何を言われようが関係ありません。【主はわたしの助け主である。わたしには恐れはない。人は、わたしに何ができようか。】(へブル13:6)と書かれてある通りです。

政治家たちは、ディープステートに逆らったら暗殺されるため、それを恐れて真実は言えないのだそうです。当然マスクが無意味であることも知っています。だから、国民が自分で気付いてマスクを外していってほしいと言っているのだそうです。ノーマスクでいて、何か言われるなら福音のチャンス、真実を伝えるチャンスです。私自身、ノーマスク生活をして気づかされたのは、コロナが恐いからマスクをしていたのは最初だけで、茶番劇だと知ってからは、人の目が恐いからマスクをしていたという事です。人にどう思われるかを気にして、人の歓心を買おうと努めていたら、神の僕ではありません。クリスチャンになったら、決心、決意、覚悟、決断を求められる時が必ず来ます。その時に、「愛には恐れがない!完全な愛は恐れを取り除く!」と宣言して行いに移せる人だけが、この時代を生き延びることができるのだと語られました。

 

2022年版の世界幸福度ランキングでは、世界150ヶ国中、フィンランドが5年連続1位、日本は54位だそうです。決して、幸福だと感じられている人が多い国とは言えない順位です。自分はどうなりたいのか、この社会、世界はどうなってほしいのか、皆がそれぞれの思い描く幸せを願って、今回の選挙に投票しに行ったと思います。しかし、真の幸せは、政策が実現されたから得られるものではなく、愛の神が自分と共にいて下さると分かった時から永遠に感じていけるものです。本当の幸せは、外ではなく、自分の内にあるものなのだと語られました。

そして、【このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送ったことを果たす。】(イザヤ55:11)、【だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。】(マルコ11:23)と書かれてある通り、言葉には、言ったことをそのとおりに実現する力があります。神に明け渡した者が言葉で宣言する時、本当の霊的真実を現実の世界に引き出すことができます。私たちクリスチャンは、天上にある全ての霊的祝福をもって祝福されているのです。だからこそ、見える状態に左右されて、そこに対処する方法を頭で考えて見い出すのではなく、聖霊対悪霊の戦いに目を向けて、霊の世界の解決方法を求め、勝利と霊的祝福を得られると確信して言葉にし、自ら実践してそれを得ていかなければならないと語られました。

 

マルコ5:25~34本

さてここに、十二年間も長血をわずらっている女がいた。多くの医者にかかって、さんざん苦しめられ、その持ち物をみな費してしまったが、なんのかいもないばかりか、かえってますます悪くなる一方であった。この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった。それは、せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていたからである。すると、血の元がすぐにかわき、女は病気がなおったことを、その身に感じた。イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で振り向き、「わたしの着物にさわったのはだれか」と言われた。そこで弟子たちが言った、「ごらんのとおり、群衆があなたに押し迫っていますのに、だれがさわったかと、おっしゃるのですか」。しかし、イエスはさわった者を見つけようとして、見まわしておられた。その女は自分の身に起ったことを知って、恐れおののきながら進み出て、みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた。イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。

 

アーメン宝石赤

イエス・キリストは、昨日も、今日も、いつまでも変わることがない生きている神です。健康も、癒しも、繁栄も、安全も、神から与えられます。それを着実に得るために、明らかな良心を持ち、何事についても主に忠実に、正しく行動できるクリスチャンに、一人一人が成っていけたことを感謝して祈ります赤薔薇