的外れな生き方から、聖霊と共に生きる人生へ | ぶどうの木 Good News

的外れな生き方から、聖霊と共に生きる人生へ

holygirlですニコニコ

 

今週歌った賛美歌の歌詞を紹介します音譜

 

<IT IS WELL WITH MY SOUL>

イエス様はわが魂を罪からあがない、いのちの光のうちで御前に私を生かし、強め、導いてくださる

 

この賛美歌は、統合失調症からの解放を求めてイエス様のもとに来たK姉妹がよく口ずさんでいる賛美だそうで、歌いたいとリクエストがありました。K姉妹はイエス様に生かされ、強められ、職を得て社会復帰する段階にまで導かれました。精神病というレッテルを貼られ、自身の状態にとどまり続けた人生が、主にあって何事もすることができる人生へと変えられ、勝利の右の手を高く上げながらここまで来れたことを皆で喜び合いましたラブラブ

 

詩篇49:15本

しかし神はわたしを受けられるゆえ、わたしの魂を陰府の力からあがなわれる。

 

詩篇56:13本

あなたはわたしの魂を死から救い、わたしの足を守って倒れることなく、いのちの光のうちで神の前にわたしを歩ませられたからです。

 

アーメン宝石ブルー

 

今週の集会は、歌詞の中にもある「魂」について再度確認する事から始まりましたベル

人間は霊・魂・体でできています。神は人間を創造された時、神を認め、神と交わりをもつことができるように、一番内側にあたる部分(私たちはへその下あたりと自覚)に『霊』を与えました。これは神というお方を知るために与えられた『自分の本質・本当の自分』です。しかし、アダムとエバが神を裏切り、交わりを損ない、絶ってしまった時に霊は死に(活動をまったく停止し)本来の働きを失ってしまいました。この『霊』を生き返らせ、神との交わりを回復するには、イエス・キリストによって救われなければなりません。

魂というのは、人間の精神活動を営む部分であり、知性・感情・意思で成り立っています。魂と体は肉の領域であり『霊』とは真反対です。生まれ育った環境や、受けてきた教育によって知性は育まれ、サタンの支配下で見聞きすることによって感情が生まれ、その魂の状態が体にあらわれていきます。そして、意思は、知性から出る意見と、思い(感情)から成り立っており、人間は自分の意思に従うことによって、神が与えてくださった『本当の自分』の人生とは違う生き方をしています。その生き方自体が、神の目から見たら罪なのです。だからと言って、「あなたは罪人です」と言われたら、「時々嘘をついたりズルすることはあるけど、私は警察のお世話になったことは一度もない!」と反発する人がほとんどでしょう。しかし、「あなたの生き方は神の目から見たら的外れです」と言われたらどうでしょうか?“罪”の語源は、古代ギリシャ語の“的外れ”だそうです。神の教え、神の御心、神の無償の愛、物事の本質という的から外れて生きていることが罪であり、命を下さっている神・的に背を向けて生きたら、人間は死しかありません。日本人は、人類は、どれだけ神の的から外れて生きていることでしょう。

 

東日本大震災から11年が経ち、今年も追悼行事や追悼番組が行なわれていましたが、「日本の文化は悲しみを忘れさせない文化だ。前を向いて生きようとしても、必ず1年に1回は過去に戻される」と言った外国人宣教師の言葉が思い出されます。神は死人のことはゆだねなさい、いつも喜び、生かされていることに感謝して前を向いて歩んでいきなさいと教えていますが、日本人は仏壇をつくり、供養・法事をし、神の目から見たら的外れな生き方をしています。

 

また、ワクチンで亡くなったとしか考えられないような話が、身近でも聞こえてくるようになりましたが、自分のためだけではなく皆のためだと思い、率先して接種会場に向かった人、他者にまで「人にコロナをうつさないために打て」と勧めた人、打ちたくなかったのに職場の同調圧力に負けてしまった人(職を失ったら生活できない)・・・皆、人間の愛情と神の愛の違いが分からず、「和をもって貴しとなす:何事をやるにも皆が仲良くやり、いさかいを起こさないのが良いということ」が善いと思い、それが人に対して謙虚であると勘違いして、的外れな判断・選択をしています。神の目から見たら偽善と高ぶりでしかありません。NO!と言えず、周りの目ばかりを気にして生きてきた日本人のなれの果てが今であり、ワクチン後遺症に苦しむ人、命を落とす人が大勢います。誰も他者の身体、命に対する責任を取っていません。

ワクチンは人間の自然免疫を破壊していきます。自分の身体の中にコロナウイルスを入れて抗体をつくることで、遺伝子そのものが組み換えられる、遺伝子とコロナウイルスが合体してしまうのがこのワクチンです。3月1日米FDA(食品医薬品局)が、ファイザー社製ワクチンのデータファイルを初公開しました。FDAは75年後に全情報を公開する予定でしたが、訴訟の失敗により早期公開に追い込まれたそうです。この公開を命じたのはトランプ大統領が任命した裁判官であり、8か月以内に全ての情報を公開するように命じたそうです。これによりファイザー社がFDAに提出した5万5000ページのワクチンデータ文書が順に公開されています。文書には、ありとあらゆる症状が発症した事実が記載された38ページに及ぶ報告書、副反応報告累積分析があったそうです。ファイザー社製ワクチン副反応は、頭痛、発熱、疲労感、倦怠感、各部位の痛み、吐き気、筋肉痛などから、肝臓障害、脳塞栓症、心停止、出血性脳炎といった重篤な症状、1291種類が記載されていることが公になりました。そして、接種者4万2000人接種者中、1223人死亡しているそうです。およそ35人に一人です。日本では報道されていません!これが、日本人だけ知らされないファイザー社製ワクチン接種副反応の実態です!

自然免疫とは神が人間一人一人を創造された時に与えてくださっているものです。この世界で生きて行くために必要な完璧な免疫を私たちは頂いています。神に対して従順であるなら、人間は神から頂いた免疫によって健康に生きることができます。こんな恐ろしい毒ワクチンを健康な体、ましてや基礎疾患がある体、子どもに打ちますか?

 

改めて、イエス様は、我が魂を罪からあがなって下さいました。的外れな生き方をしないように、何が神のみ旨であり、善であり、神に喜ばれ、全きことであるか分かるように、霊を生き返らせ、十字架の血によって救われる前の自分の知性と感情を洗い流し、みことばによって新しくされた魂(知性と感情)を与えて下さったのです。さらに、イエス様は神の言を喜んで行なえるように助け主聖霊を送ってくださいました。主にあって何事もすることができる者となったのを邪魔してくるのは、古い自分の意見と思い、魂です。だからこそ、イエス・キリストによって救われた人間=クリスチャンは、自分の今までの人生を悔い改め、意思(意見と思い)を、神に従って生きる『意志』(決意と志)に変えなければならないのだと語られました。そして、クリスチャンだから行うのではなく、これが神が本来人間に求めている生き方であり、神を知らずに自分の意見と思いに従って生きるなら、救い主の存在を知っても無視して生きるなら、神の守りはなく、罪の刈り取りをするだけであるのだと語られました。

 

この世の基準で見てどんなに良い人であっても、霊がよみがえっていなければ皆、的外れであり、罪人です。霊がよみがえっていない人は、肉のことしか聞けません。肉(マスコミのいうこと)、見えるところで判断し、霊(聖霊が知らせて下さっていること)とは真反対の選択をしていきます。彼らが反発、反逆することは聖書にも書かれています。

また、聞ける人と聞けない人、神の守りの中にいる人といない人、その違いは、イエス様を受け入れた後、聖霊のバプテスマを受け、真理の御霊・聖霊が共にいるか、導かれているかどうかです。ただし、こちらが聖霊に忠実であるならば、聞けない相手に対しても聖霊は働いてくださる故、私たちは誰に対しても語り続けるよう学んできました。

 

エゼキエル2:4~8本

彼らは厚顔で強情な者たちである。わたしはあなたを彼らにつかわす。あなたは彼らに『主なる神はこう言われる』と言いなさい。彼らは聞いても、拒んでも、(彼らは反逆の家だから)彼らの中に預言者がいたことを知るだろう。人の子よ、彼らを恐れてはならない。彼らの言葉をも恐れてはならない。たといあざみといばらがあなたと一緒にあっても、またあなたが、さそりの中に住んでも、彼らの言葉を恐れてはならない。彼らの顔をはばかってはならない。彼らは反逆の家である。彼らが聞いても、拒んでも、あなたはただわたしの言葉を彼らに語らなければならない。彼らは反逆の家だから。

 

エゼキエル3:17~21本

「人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家のために見守る者とした。あなたはわたしの口から言葉を聞くたびに、わたしに代って彼らを戒めなさい。わたしが悪人に『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、あなたは彼の命を救うために彼を戒めず、また悪人を戒めて、その悪い道から離れるように語らないなら、その悪人は自分の悪のために死ぬ。しかしその血をわたしはあなたの手から求める。しかし、もしあなたが悪人を戒めても、彼がその悪をも、またその悪い道をも離れないなら、彼はその悪のために死ぬ。しかしあなたは自分の命を救う。また義人がその義にそむき、不義を行うなら、わたしは彼の前に、つまずきを置き、彼は死ぬ。あなたが彼を戒めなかったゆえ、彼はその罪のために死に、その行った義は覚えられない。しかしその血をわたしはあなたの手から求める。けれども、もしあなたが義人を戒めて、罪を犯さないように語り、そして彼が罪を犯さないなら、彼は戒めを受けいれたゆえに、その命を保ち、あなたは自分の命を救う」。

 

ヨハネ14:16~17本

わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。

 

アーメン宝石紫

神は反逆されることも御存じで、私たちを彼らに遣わしていることを忘れてはなりません。真実を知っているのに、明らかに目の前に困っている人がいるのに、間違った行いをしているのに、何も語らない、戒めないのなら、自分の内に恐れがあります。自分を守ろうとする自己愛があります。世間と違うことを言って一人になりたくない、皆から変な目で見られて嫌われたくない、職場で意見を言って解雇されたら生活できない・・・という思いは霊から来るものではなく、魂(知性・感情)から来るものです。これを言ったらこうなって・・・あの人からこう言われるだろうし・・・と、余計なことに頭を働かせすぎるから、ストレートに霊から来る思いを伝えられず、行動にも移せないのだと語られました。

【愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。】(第1ヨハネ4:18~19)と書かれてあるように、恐れる者には愛がまっとうされていない、つまり、イエス・キリストと一体になれていない、魂がうるさいのだと語られました。

自分の内にいる強い者=サタン、恐れの霊、自己愛の霊を縛り上げること、周りの人を使って自分を黙らせようとする霊力を見分け、それらに打ち勝ってイエス様としっかり結ばれていること、いつも神の愛がまっとうされている器でなければならないと語られました。

 

また、「イエス様が・・・」と話そうとすると、「宗教の話はやめて!」と拒絶する人、「ワクチンは危険です。亡くなった人もいる・・・」と話そうとすると、「陰謀論は聞きたくない!」と怒り出す人も、神の目から見たら恐れの霊に囚われており、真理・真実を知るのが恐いのです。自分の魂が受け入れられないことは聞かずに生きるのが楽です。ワクチンを打ってしまった後に、ワクチンの危険性を聞くことは恐怖でしかありません。それ故、聞く耳を持たないで、我が道を行こうとするのです。クリスチャンにとって彼らの態度は“迫害”になりますが、彼らは悪霊に使われて言っていますから、やがて救われ、神の御前で悔い改めた時、彼らの罪は許されるでしょう。だからこそ、相手がどんな悪態をついても、その人を見るのではなく、その人を捕らえるサタンを縛り上げる祈りをしなければならないと語られました。

しかし、私たちが聖霊に促されているのに語らず、聖霊によって示されている言葉を相手に伝えないのであれば、聖霊を汚すことになり、それは許されません。聖霊によって示された情報に対して「そんなことはあるわけない!」と断言することも、同じく聖霊を汚す罪であり許されることはありません。聖霊の声に聞き従えているかどうかは、クリスチャンの生死にかかわる重要なことなのです。

 

マタイ12:18~29本

「見よ、わたしが選んだ僕、わたしの心にかなう、愛する者。わたしは彼にわたしの霊を授け、そして彼は正義を異邦人に宣べ伝えるであろう。彼は争わず、叫ばず、またその声を大路で聞く者はない。彼が正義に勝ちを得させる時まで、いためられた葦を折ることがなく、煙っている燈心を消すこともない。異邦人は彼の名に望みを置くであろう」。

そのとき、人々が悪霊につかれた盲人のおしを連れてきたので、イエスは彼をいやして、物を言い、また目が見えるようにされた。すると群衆はみな驚いて言った、「この人が、あるいはダビデの子ではあるまいか」。しかし、パリサイ人たちは、これを聞いて言った、「この人が悪霊を追い出しているのは、まったく悪霊のかしらベルゼブルによるのだ」。イエスは彼らの思いを見抜いて言われた、「おおよそ、内部で分れ争う国は自滅し、内わで分れ争う町や家は立ち行かない。もしサタンがサタンを追い出すならば、それは内わで分れ争うことになる。それでは、その国はどうして立ち行けよう。もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。まただれでも、まず強い人を縛りあげなければ、どうして、その人の家に押し入って家財を奪い取ることができようか。縛ってから、はじめてその家を掠奪することができる。

 

マタイ12:30~37本

わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。木はその実でわかるからである。まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。善人はよい倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。あなたがたに言うが、審判の日には、人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。あなたは、自分の言葉によって正しいとされ、また自分の言葉によって罪ありとされるからである」。

 

アーメン宝石緑

救われる前は、魂からの言葉をそのまま家族や友人にぶつけてきましたが、クリスチャンになると自分の中心に確固とした的・神の教えがあるため、語る言葉一つも慎重になります。全ての言葉に対して、神の御前で言い開きをしなければならないことを恐れて、霊の思いに忠実に語っていくこと、聖霊に従い、聖霊に導かれたのであれば、神に信頼して委ねる訓練、聖霊に自分の身体を明け渡す訓練を求めていかなければなりません。また、相手が聞く耳を持たないのであれば、まず自分自身の語り方を吟味すること、言いっぱなしではなく、どうすれば良いのか聖霊に聞いて、しっかりと道しるべ・救いを示してあげることが必要であると語られました。

 

最後に、ヨハネ14章を通して、天の父である神、イエス様、聖霊様の御関係、クリスチャンと三位一体の神との関係を再確認しましたクローバー

 

ヨハネ14章本

「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。

わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。イスカリオテでない方のユダがイエスに言った、「主よ、あなたご自身をわたしたちにあらわそうとして、世にはあらわそうとされないのはなぜですか」。イエスは彼に答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉は、わたしの言葉ではなく、わたしをつかわされた父の言葉である。

これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。『わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰って来る』と、わたしが言ったのを、あなたがたは聞いている。もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるであろう。父がわたしより大きいかたであるからである。今わたしは、そのことが起らない先にあなたがたに語った。それは、事が起った時にあなたがたが信じるためである。わたしはもはや、あなたがたに、多くを語るまい。この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない。しかし、わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである。立て。さあ、ここから出かけて行こう。

 

アーメンダイヤモンド

クリスチャンとして完全なる繁栄、最高の富とは、イエス様に愛され、自分を通してイエス様がご自身を表して下さることです。イエス様が内に生きて下さっているから、私たちも生きることができます。肉(魂)の思いは死、霊(聖霊)の思いは命と平安です。

約2年間、このブログでもコロナウイルスとワクチンについて書いてきましたが、改めて、私たちがただワクチンの危険性だけを伝えているなら、魂だけで生きるこの世の人からは「反ワクチン派、陰謀論者」だと言われてしまうでしょう。私たちクリスチャンは今、ワクチン問題を一つのきっかけにして、福音宣教の場、救いの機会を与えられていることを忘れてはなりません。危険性を伝えて終わり、打った人に対しては何も言えないでいるなら、自分自身も的外れになっています。知識なくワクチンを打ってしまった身体に対してもイエス・キリストによって再生の希望があることを伝えることも、福音です。何より、人間にとって神を畏れること、神に対して謙虚になることが最も大事なことであり、それをせずに肉で蒔いたものを刈り取ってしまってきたことに人々が気づけるよう語っていくのが、私たちクリスチャンの務めです。

最初に「これは神のコロナだ」と語られてきたように、今、神のコロナ王冠2が日本人の神に対する高ぶり、偽善を見事にあぶり出し、的外れな人生を悔い改めるか、そのまま命に背を向けて死に至るのか選別の時であることを知らせています。目覚めて生まれ変われる人は幸いです。一人でも多くの人が目覚められるように、神に選ばれ、神が決めた場所に遣わされているという自覚をしっかりと持って、今の時を生かして用い、救いに導いていけたことを感謝して祈りますリボン

 

コロサイ4:2~6本

目をさまして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈り続けなさい。同時にわたしたちのためにも、神が御言のために門を開いて下さって、わたしたちがキリストの奥義を語れるように(わたしは、実は、そのために獄につながれているのである)、また、わたしが語るべきことをはっきりと語れるように、祈ってほしい。今の時を生かして用い、そとの人に対して賢く行動しなさい。いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい。そうすれば、ひとりびとりに対してどう答えるべきか、わかるであろう。

 

アーメンまじかるクラウン