イエス様のため、福音のために生きたら守られる | ぶどうの木 Good News

イエス様のため、福音のために生きたら守られる

holygirlですヒツジ

 

今週の集会は、「あなたの信仰通り、あなたの身になる!」と強く語られ、「クリスチャンとして大いにふるいにかけられる時!完全に聖別されなさい!」と訓示された集会でした。神に忠実に従っているクリスチャンは、必ず守られて、次々と主イエス様が共にいて下さると分かる証が、これでもか!と伴います。しかし、二心者・イエス様を信じていると言いながらこの世を愛する者、握っているものがある者は、いつまでも中途半端で、何の実も結びません。

イエス様は、次のようにおっしゃいましたひらめき電球

【イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。ペテロがイエスに言い出した、「ごらんなさい、わたしたちはいっさいを捨てて、あなたに従って参りました」。イエスは言われた、「よく聞いておくがよい。だれでもわたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、もしくは畑を捨てた者は、必ずその百倍を受ける。すなわち、今この時代では家、兄弟、姉妹、母、子および畑を迫害と共に受け、また、きたるべき世では永遠の生命を受ける。 】(マルコ10:27~30)

アーメン宝石赤

 

私たちは2週に渡って、ルカ16章、創世記38章を通して、イエス様のため、福音のため、神の御心を成就するためなら、不正の富を利用しなさい!嘘をついてでも、この世に勝るへびのような賢さで自分の置かれている状況を打破しなさい!と語られてきました。自分の立場や、家族、特に子供を握り、畑=仕事を握り、そのために何とかしようと動いている間は、聖霊は助けてくれませんが、イエス様のために全てを捨てたら、その百倍を受ける、神が必ず助けて下さると約束されています。そして、クリスチャンにとって肉の父親は兄弟となり、自分にとっての父は天の父だけとなります。クリスチャンとは、天の父である神がおっしゃることに従う者です。神がどう思うかが大事であり、神に喜ばれるように生きることを求め、神を信じて死ねるなら本望です。私たちは神の御前で無力であり、神無しに生きることはいつ何が起きてもおかしくない状況・状態に身を置くのと同じです。明日命がある保障などなく、自分が神と繋がらない限り、自分も家族も、大切な人たちも守れません。イエス様に自分自身を明け渡した時に神が自分自身も、周りの人も守って下さるのであって、神よりも大事なものがある限り、神との真の関係を築くことはできません。自分の中の高ぶりの霊(ルシファー)、自分の義、常識、宗教心を忌み嫌い、決別して、神には何でもできる!何があっても絶対守って下さる!癒される!その信仰の強さをもって、私たちは生きなければならないと語られました。

そして、当たり前だと思い込まされてきたこの社会、この世界の異常さ、暗闇の霊力を神の霊と力によって自ら悟っていくこと、神が何とおっしゃっているのかを知恵の言葉を用いずにまっすぐに伝え、神を認めない知者の知恵・サタンの支配下でつくられたルールに打ち勝っていくこと、自分はそのために選ばれた者であることを自覚することが大事であると、第1コリント1章、2章を通して語られました。

 

第1コリント1:17~31本

いったい、キリストがわたしをつかわされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を宣べ伝えるためであり、しかも知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためであった。それは、キリストの十字架が無力なものになってしまわないためなのである。

十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。すなわち、聖書に、

「わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする」

と書いてある。知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。

兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。

 

第1コリント2:1~16本

兄弟たちよ。わたしもまた、あなたがたの所に行ったとき、神のあかしを宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった。なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。わたしがあなたがたの所に行った時には、弱くかつ恐れ、ひどく不安であった。そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。

しかしわたしたちは、円熟している者の間では、知恵を語る。この知恵は、この世の者の知恵ではなく、この世の滅び行く支配者たちの知恵でもない。むしろ、わたしたちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵である。それは神が、わたしたちの受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし知っていたなら、栄光の主を十字架につけはしなかったであろう。しかし、聖書に書いてあるとおり、

「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」

のである。そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。しかし、霊の人は、すべてのものを判断するが、自分自身はだれからも判断されることはない。「だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか」。しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。

 

アーメン宝石ブルー

牧師は今まで、この2章で語られている【霊】に基づいて、私たちにこの世界の闇、裏側を話してきて下さいました。特に2016年にアメリカでヒラリー・クリントン氏に勝利してトランプ氏が大統領になったところから、世界は大きく変わり、光対闇の戦いが始まり、2020年11月3日の米大統領選挙で行われた不正から今に至るまで、コロナパンデミックによって全人類・全世界が翻弄される事態となりました。この世を握り、目先の富に仕え、握っているものがあったら、決して見えない、認めたくないことであり、聞けない器は去っていきました。御霊の啓示は、この世の支配下に自分がいる限り、分からないものです。

私たちが2週に渡り学んできたこと、それ以前から語られてきたことは、国の言うことに従順に聞き従うことが必ずしも正しいわけではないという事です。私たちは今までマスコミの言うことを盲信し、自分で調べることもなく、受け入れてきましたが、それがこれほどまでに悪に満ちた世の中を作り上げてしまったのだと思い知らされました。一部の狂ってしまった人間に地球を支配させることを許したのは、何も考えずに目先の欲だけを追求してぼーっと生きてきた私たち自身です。だからこそ、救われ神の御心を知ったのであれば、まずこの世が変わるように祈ること、そして身近な人たちが目覚めるように福音することが使命なのだと語られてきました。明らかにおかしくなっている国、行政、上に立つ権威に対して、自分自身のクリスチャンとしてのきよさや身を守るために、また、神の義・正義を貫くために、彼らの言うことに従わないという選択をするなら、神はその心を見て下さるのだと語られました。そして、今の世の中はそれに値する状況であること、この世の律法に従って生きようとするなら、サタンの思う壺で自分自身も国も滅ぼされていくのだと改めて語られました。

 

お金、自分の肉欲のためならば何でもありの鬼畜のような人間どもがいます。サタンに支配された人間は、子どもの肉を食べ、血を飲み、ウイルスとワクチンで人口削減し、軍需産業ビジネス(戦争を起こして武器を売る。今のウクライナ対ロシアもそう!)で利益を得、戦争下であっても自分たちは生き延びていけるように地下基地をつくり、計画を邪魔する者たちの命を平気で奪っています。そこまでして自分たちがこの世界で生きて何になると言うのか!コロナパンデミックの主犯格と言われるビルゲイツ氏は、「コロナが終わったら、新たなパンデミックが起こる」と警告?予告しています。命は神の御手の中にあることを知らずに、自分の思い通りに世界を動かしているつもりの人間たちがいるのです。

私たちが今生きている世界は、そんな人を人だと思わない者たち・サタン崇拝者のやりたい放題となっています。神が彼らをどうされるのか、闇は光に勝たなかった!と祈ってきましたが、現在、神はまだサタンに悪事を許し、この世界はコロナパンデミックという第3次世界大戦の真っ只中にあると言えます。そんな戦時下で、日本においてはこの1年で7万人にも及ぶ人口が減少していることが、人口動態調査で分かりました。大きな災害があったわけでもないのに、なぜこんなに・・・麻生太郎氏が、パンデミックになった時に葬儀屋の株を大量に購入していましたが、今や死者数の多さで火葬場がまわらず、他県での火葬が可能な広域火葬計画があるそうです。

マスコミはワクチンの危険性、副作用をほぼ報道することなく、明らかにワクチンの副作用、後遺症なのに、「異常なし、因果関係なし」と診断する医者と政府。ワクチン接種をする医者は半日で30万円稼ぎ、「自分や家族には打たない」と言いながら、患者には打って金儲けする。治験中のワクチンを推奨して製薬会社から多額のお金をもらう。賠償金を支払いたくない政府は絶対に因果関係を認めない。国会議員は接種せず、大量のワクチン在庫を抱え、それを何とかするために必死に3回目接種を勧めている・・・国民は富に仕える者たちの策略にまんまとかかって、ワクチン接種に向かっています。その中で、ついに、コロナで恐怖をあおり、経済活動をとめ、ワクチンを推奨してきた菅元首相、岸田首相、河野太郎氏など、政治家たちが殺人罪で訴えられ、日本も変わる時を迎えようとしています。

 

オミクロンはただの風邪、喉からくる風邪。風邪をひいた人の人数など今まで数えた事がありません。ましてや無症状がいつから風邪となったのか。死に至るほどでもないウイルスに怯え、結核や鳥インフルエンザ、SARSやMARSと同じ2類感染症にしたことで、病院がひっ迫し、コロナ以外の患者がまともな治療をしてもらえず命を失っています。隣人が風邪をひき、PCR検査で陽性となれば濃厚接触者となり、健康な人も外出できなくなり、社会活動がストップする・・・コロナ対策でどれだけの人が生活できなくなり自殺しているか・・・コロナにかかれば冷ややかな目で見られ、「皆にうつして迷惑をかけた!あやまれ!」と責め立てる人がいるほど、精神的にもおかしくさせられています。

PCR検査の発明者であるキャリー・マリス博士は、PCR検査は設定次第では、しじみ汁殻でもウイルスを検出してしまうので、ウイルス検査には決して用いないようにずっと警告していましたが、コロナパンデミック直前の2019年8月に突然亡くなりました。そして、コロナパンデミックと同時にPCR検査が用いられ、PCR検査陽性者は感染者という誤った判断に従って、全世界が振り回されていったのです。ここだけ見ても、意図的に作り出されたパンデミックであると分かります。

そこに気付き始めた他国は、恐れるに及ばないと規制を撤廃し、ワクチンパスを辞め、マスクを廃止しているのに、いまだに真面目に従っている日本人。恐れている日本人。赤信号みんなで渡れば恐くない!が身体にしみついて、おかしいと思っても声を上げられず、人目を気にして自分の立場を守ろうとする日本人。ようやく、全国で良心ある医師たちが立ち上がり、子どもにワクチンを打たせてはならない!と声を上げ始め、国民も3回目接種は意味がない!と気づき始めてきて、日本にも光が見えてきましたが、それでも洗脳されている人は、欲深く自己愛が強いため、こんな滅茶苦茶な世の中で長いものに巻かれて生きていく事を握っているのだと語られました。彼らには、「おかしいでしょ!」という声が届きません。どれだけ言っても聞かず、悟れません。見るには見るが認めません。それは福音を聞けない人と同じです。仏壇や神棚に熱心に祈ってきても病気や問題が尽きないのに、「先祖代々やってきたから!」の一言で福音を拒絶してきた日本人、疑いもなくきた日本人は皆、このコロナ禍でも大事な情報を得ることができずに、耳を傾けることができず、国が言うことを鵜呑みにしてコロナ脳になっていると言えます。そもそも、日本人は戦後の3S政策(スクリーン、スポーツ、セックスにのめり込まさせる政策)によって考えられなくさせられており、自分の国の将来にムカンシンです。日本を外資が乗っ取ろうとする計画も、売国奴・政治家によって進んでいますが、自分の生活のことに必死で、気がついた時には植民地化されている恐れがあります。

必死に自分の大切なものを握りしめて守ろうとしても、こんな国に未来があるのか・・・今誕生してきている子どもたちに、私たち大人はどんな社会を残すことができるのか・・・未来ある子どもを守る責任が私たち大人にはありますが、ただ言われるがままに小手先で対処していても、何も変わりません。いい加減、国民一人一人が危機感をもって目覚めることが必要であると語られました。

 

私たちクリスチャンは、こんな悪霊の支配下である世界から救い出されました。神をおそれ、神に感謝して祈ることのできる特権を頂きました。救われてはじめて、この世に義人は一人もいないのだと悟りました。そして、このコロナ禍の2年間だけでも、結局人間は皆、自分の利益・富のために生きていることが明らかになり、そのためなら何でもする、誰でも悪霊に使われるのだということを思い知らされてきました。神と富とに兼ね仕えることはできません。悪霊が先導している世の中のルールに黙ってクリスチャンが従っていけば、死に飲み込まれ、神を敵にまわすことになるでしょう。日本、世界が狂ったら何の意味もないのに、クリスチャンたる者が自分の力で何を必死に守り、握りしめているのか!と、私たちは牧師を通して霊に喝を入れられました。

またコロナ、濃厚接触者、PCR検査、抗原検査・・・クリスチャンがそんなものに振り回されて、屈するなら、私たちの信仰はもっともむなしいものであると語られました。ぶどうの木の兄弟姉妹も、“ただの風邪”との戦いの中で一人一人が信仰を試されていますが、熱が出て、熱を測り、数値が上がった下がったという見える状態に左右され、熱があるから寝込んでいたら、この世の人と同じです。神のみ旨じゃない事を行ない、不信仰な言葉でいつまでも自分を呪うのであれば、薬を飲もうが、寝て休んでいようが、みことばをもって祈っていても、心が遠く離れているため、癒しを得ることはできません。神は侮られるようなお方ではありません。私たちは牧師を通して、「熱があっても動けるなら動く、信仰で癒しを勝ち取るために熱の霊を縛り上げて追い出し、二度と近づけないように戦い抜きなさい!」と語られました。自分の風邪を自分でどうするのか・・・自分とイエス様の関係を築いている人、イエス様のために、福音のために、屈してたまるか!という強い意志・心を持ったクリスチャンに対してはサタンは逃げ去るしかありません。なぜなら、神に近づくことで、神も近づいて下さるからです。

私たちの知り合いの牧師は、土曜日に38度まで熱が上がったそうですが、日曜日の礼拝のメッセージを準備することに意志を向け、イエス様のために!と働いたらいっきに平熱に戻り、力強く次の日にメッセージをしていました。神は心を見られていること、神のみ旨に従ったら祈りは必ず叶えられるのだと証を通して語られました王冠1

 

また、ぶどうの木牧師も先週夫が抗原検査で陽性となり、一時は濃厚接触者として隔離対象になりましたが、集会を休むわけにはいかない!こんな事に屈してたまるか!とサタンを縛り上げ、イエス様に祈り求めていると、聖霊が働き、保健所が「ご主人の発症日からご主人が隔離生活を送っていたという事なので、あなたは濃厚接触者ではありません!」と言ってきました。サタンに力はなく、この世の律法さえも主にあって変えることができること、牧師の祈りが神の御心にかなったものであり、神を第一にした祈りであったから、神が働いて下さったのだと、私たちは牧師の証を通しても語られました乙女のトキメキ

そして、自分自身が隔離されなければならないほどのものかどうかも、考えれば分かる事。無症状の人が何のウイルスをまき散らしているというのか。それよりも、必要ない隔離、ソーシャルディスタンスで、人間としての最低限の生活(経済)を奪われ、人間同士のぬくもりや関わりを奪われ、今やマスクで覆われた顔しか見えず、相手の表情が分からないまま、心身ともに病んでいる人が増えていること、そんな環境で育っている子どもたちがいることに目を向け、人間として大事なこと、愛を見失ってはならないのだと語られました。

 

この世の律法にまかれた時点で、クリスチャンは自分の召しも使命も、与えられている権威もとられて敗北します。自分はこの世の律法のもとにはおらず、たとえ全世界を敵にまわしても、神を一番にして生きる!イエス・キリストに繋がって、すべてゆだねる!と決心した時、真の神の栄光と大能、力、権威を体験することができるのです。私たちは、そのように生きることができているのか問われ吟味しました。そして、ピリピ人への手紙に書かれてあるパウロの姿勢にならって生き、清さと聖さの土台をしっかり守って生きなければならないと語られました。

 

ピリピ1:21~30本

わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。しかし、肉体において生きていることが、わたしにとっては実り多い働きになるのだとすれば、どちらを選んだらよいか、わたしにはわからない。わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている。わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい。しかし、肉体にとどまっていることは、あなたがたのためには、さらに必要である。こう確信しているので、わたしは生きながらえて、あなたがた一同のところにとどまり、あなたがたの信仰を進ませ、その喜びを得させようと思う。そうなれば、わたしが再びあなたがたのところに行くので、あなたがたはわたしによってキリスト・イエスにある誇を増すことになろう。

ただ、あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そして、わたしが行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、あなたがたが一つの霊によって堅く立ち、一つ心になって福音の信仰のために力を合わせて戦い、かつ、何事についても、敵対する者どもにろうばいさせられないでいる様子を、聞かせてほしい。このことは、彼らには滅びのしるし、あなたがたには救のしるしであって、それは神から来るのである。あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっている。あなたがたは、さきにわたしについて見、今またわたしについて聞いているのと同じ苦闘を、続けているのである。

 

ピリピ2:1~18本

そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励まし、御霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。

わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。このようにして、キリストの日に、わたしは自分の走ったことがむだでなく、労したこともむだではなかったと誇ることができる。そして、たとい、あなたがたの信仰の供え物をささげる祭壇に、わたしの血をそそぐことがあっても、わたしは喜ぼう。あなたがた一同と共に喜ぼう。同じように、あなたがたも喜びなさい。わたしと共に喜びなさい。

 

アーメン宝石緑

パウロが言うように、【わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である】と言えるのか、肉体において生きることが、実り多い働きに繋がっているのか、キリストの福音にふさわしく生活して、人が導かれてくる自分であるのか・・・皆が自分という人間をしっかりと見つめ、神と共に生きる喜び、幸せ、平安を得て生きていけたことを感謝します。

そして、私たちは牧師を通して、「裁きが神の家から始まる時が来ました。必ず、神の守りの中にいて下さい。自ら、イエス様にある特権を放棄して、あざけり言動することがないように!」と語られました。何を大事にして生きるか見えなくなったら、簡単に流されて行きます。家族、友人、上司、先生が何と言おうが、神に従うこと!そうすれば神ご自身が守って下さいますピンクハート私たちの主イエス様に信頼して、この時代を神のために生き、働いていけたことを感謝して祈ります炎

 

ピリピ3:17~21本

兄弟たちよ。どうか、わたしにならう者となってほしい。また、あなたがたの模範にされているわたしたちにならって歩く人たちに、目をとめなさい。わたしがそう言うのは、キリストの十字架に敵対して歩いている者が多いからである。わたしは、彼らのことをしばしばあなたがたに話したが、今また涙を流して語る。彼らの最後は滅びである。彼らの神はその腹、彼らの栄光はその恥、彼らの思いは地上のことである。しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。

 

アーメンまじかるクラウン