神が望まれる結婚とは―男・夫の愛と責任― | ぶどうの木 Good News

神が望まれる結婚とは―男・夫の愛と責任―

holygirlですニコニコ

 

12月5日の集会で、私はK兄弟との結婚式を行ないました指輪

母と妹と私、三つよりの綱の家庭集会から始まったぶどうの木は、この日定員60名の会場をいっぱいにしました。その中で、結婚を誓うことができたことは本当に大きな喜びでした。さらに、私たちが集ったアクトシティホテルの宴会場「平安の間」は、私が短大の卒業式で答辞を行なった場所でもあり、そこにたくさんの神の家族と戻ってこれたことは、感無量でした。幼稚園教諭の道は許容的御心であったと気づき、2年で仕事を辞めたところから、私は神の本当の御心の道を歩み始めました。幼稚園時代、教え子の母親であったS姉妹からは、式中のスピーチを通して【よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。】(ヨハネ12:24)と語られ、アーメンでした。

 

私たちの結婚にあたり、牧師からは神が「結婚」をどのように定め、お考えになっておられるのかというメッセージを聞くことになりました。

私が執筆した絵本「一つになろうよ!」には、結婚とは、自分たちの問題だけではなく、互いの家族も大事にし、愛さなければならない、次世代を担う子供たちを育てる家庭を築く始まりが結婚であると教えています。私たちは特にこの事を学び、結婚を考える時に大事なこととして心に留めてきましたが、今回は、それ以上の神の奥義を知ることができましたので、ここに書き記します。

 

イエス様が、聖霊のバプテスマを受けて最初の奇跡を起こしたのは、結婚式(婚礼の席)でした赤ワイン

 

ヨハネ2:1~11本

三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された。そして弟子たちはイエスを信じた。

 

アーメン宝石赤

イエス様は、ガリラヤのカナで行われた結婚式に出席し、6つの石の水がめの水をぶどう酒に変えられました。ぶどう酒は後にイエス様が十字架上で流された血の象徴として、聖餐式で用いられるようになります。これは、最初の奇跡であり、イエス様が結婚を祝福されたこととして、後の教会・クリスチャンの結婚式において、しばしば引用されることになりました。

私たちとしては、このみことばから、イエス様が水をぶどう酒に変えたという最初のしるしを結婚式で行ったことによって、弟子たちがイエス様を信じ、福音宣教に出て行くことになったことはリバイバルの始まりであり、リバイバルに結婚式がつかわれたのだと語られました。そして、私とK兄弟の結婚式が、浜松リバイバルを語る集会の中で行われたという事からも、皆が霊的にぶどう酒に変わった水を頂き、スピーチをして下さった兄弟姉妹が語る証を通しても神が生きておられるというしるしを見て、ここから益々力強く福音宣教に出ていくのだと語られました。まさにリバイバルの始まり、今日起きた“小さな始まりを軽んじるな”と、改めてこの日にふさわしいみことばを頂き、イエス様に感謝を捧げました。

 

また、結婚・離婚についてイエス様は、

【イエスは答えて言われた、「あなたがたはまだ読んだことがないのか。『創造者は初めから人を男と女とに造られ、そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。】(マタイ19:4~6)

とおっしゃいました。

神は結婚の創造者であり、ふたりの者は一体であると、2度強調されています。これは、後に唯一の男子イエス・キリストと、キリストの花嫁とされた私たちクリスチャンについても言われています。このみことばは、キリスト教結婚式の中で、結婚宣言の言葉として用いられるようになります。K兄弟も、私と交際を始める前日と、プロポーズして結婚に至ることを確信するみことばとして、同じくマルコが証言しているこのみことばを頂いていました。福音書において結婚あるいは結婚式に関して言及しているみことばは、これら以外にあまりありません。

 

そして、新約聖書の使徒書(福音書以外の書簡)においては、夫(キリスト)の妻に対する愛の教えが人類の夫婦関係に絶大な影響を与えています。旧約聖書の男と女の結婚が、新約聖書においては、キリストと教会との結婚をあらわしています。ご自分の死によってキリストは教会を生み出されました。結婚に関する旧約の教えに対して新約には、夫は妻を、キリストが教会を愛したように命をかけて愛さなければならないという戒めが加えられたのです。そのように夫の愛とは、妻のためには命を捨てても、たとえ死んでも愛さなければならないという愛ですハートそれ故、地上では夫の愛こそが最大のものでなければなりません!一般的には、母の子に対する愛が最も大きな愛だと考られていますが、母の愛はほとんど母から子への一方的な愛・本能的な愛である側面が強く、時に、我が子への利己的な愛によって子どもが苦しむことになります。それに対して、夫(キリスト)の妻への愛は、結婚という契約によって自らの意志でなさねばならないものなのです。

使徒書に次の3つのみことばが書かれています。

 

エペソ5:22~25本

妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである。夫たる者よ。キリスト(夫)が教会(妻)を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。 

 

第1ペテロ3:7本

夫(キリスト)たる者よ。あなたがたも同じように、女(教会・羊)は自分よりも弱い器であることを認めて、知識に従って妻(教会)と共に住み、いのちの恵みを共どもに受け継ぐ者として、尊びなさい。それは、あなたがたの祈が妨げられないためである。

 

第1コリント11:7~9本

男は、神のかたちであり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきではない。女は、また男の光栄である。(つまり女は男次第!)なぜなら、男が女から出たのではなく、女が男から出たのだからである。また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのである。

 

アーメン宝石ブルー

つまり、男は神・イエス様の似姿と栄光を映す者であるという事です。男・夫は、道徳的清さや霊的献身において、妻の模範となるべきであり、家庭のカシラであると聖書は教えています。しかし、男が酒やタバコ、ギャンブルなど好き勝手に振る舞い、姦淫不品行(性的罪)によって女性を悲しませている今の世の中にはほとんどない姿であり、男性よりも女性の方が信仰深いのが現状です。それに対して神は一貫して、家庭が崩壊したり、妻や子が泣き悲しむ事があるなら、最終責任は男・夫にあるとおっしゃっています。家庭においても、社会、国においても、男性の器が罪を犯し、導きを誤ると、皆が滅ぼされるからです。当然クリスチャンであれば、神に対する清さを失うことで祈りはきかれなくなり、自身が神に裁かれ破滅に至るでしょう。

また、旧約聖書によれば、まず男が造られ、男から女が造られました。男が汗して働き、妻の命を保たなければならないこと、女が先に蛇にそそのかされて罪を犯し、男を誘ったにもかかわらず、神は第一に男を非難されていることなど、一貫して男・夫の責任の重さを教えています。聖書の教えるこの創造の秩序に基づく夫婦の教えは、時代に、人の考えにより変更されません。LGBTは神の創造の秩序に背くものです。

そして、夫婦(=キリストと教会)の務めに関する聖書の教えは、明らかに妻への主にあっての一方的命令、夫への主にあっての一方的命令です。さらに新約聖書は、妻(教会)の服従と夫(キリスト)の愛が理想的な夫婦の関係であると教えています。ただし、夫(キリスト)の愛があるから服従するのではなく、妻(教会)は先に服従するのです。

 

エペソ5:23本

キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。

 

先週からK兄弟に語られていたのは、妻である私(holygirl)は、キリストに愛された教会・ぶどうの木であるという事でした。K兄弟は今まで何度も、そして結婚式での神の家族からのスピーチを通しても、【目をさましていなさい。信仰に立ちなさい。男らしく、強くあってほしい。いっさいのことを、愛をもって行ないなさい。】(第1コリント16:13~14)と語られました。ただ強さや権威を振りかざすのではなく、“信仰に立って”一切のことを愛を持って行ない、妻子を守ることのできる者が男らしいのだという結婚式での長老からのメッセージを通しても語られ、男性の器に対して神が定めた責任は大きいのだと改めて語られました。

 

そして、神が本来求める結婚式の在り方とは、神が制定した結婚の意味を深く理解して行なわれていくものであるのだと語られました。クリスチャンでもないカップルが、キリスト教式がカッコイイからとか、ウエディングドレスを着たいからという理由で、雇われ牧師から【愛は寛容であり】という定番の聖句を聞き、信仰のない神に対して誓い、皆の前で指輪を交換して誓いのキスをするという形式が、どれだけ神を嘲る行為か・・・神を畏れました。

私とK兄弟は互いに同じ教会のクリスチャンであり、リバイバル集会という時間の中で挙式をして頂いため、クリスチャンの結婚とはどういうものであるかを強く語られ、神が喜ばれる結婚式を再現することができました。

神が男性の器に責任を与えていますから、花嫁がバージンロードを父親と歩き、新郎に引き渡すこと一つとっても、「俺が愛し、守り、育ててきた娘を俺以上に幸せにできるのか!悲しませるなよ!」という父親の思いを真正面から受け止め、約束できる新郎であるかが問われ、男同士の契約がなされる場であるのだと語られました。

そして、神が牧師を通して与えてくださった上記のメッセージを受け、新郎新婦それぞれが自分の口で誓約することで、自分の身にするのだと語られました。

 

<夫の誓約>

私は、holygirlを妻として結婚します。今より後、良い時も悪い時も、富む時も貧しい時も、病む時も健やかな時も、死が私たちを分かつまで、教会の定めにより、あなたを守ることを誓います。一人の真実な信仰ある夫がその妻に対してそうあるべきように、誠実にholygirlさんを守り、愛し、養うことを約束し、神の聖なる言葉と福音の教えに従い、全てのものをもってholygirlさんと共に敬けんに生活し、信仰を保ち、忠誠を尽くすことを私たちの主イエスキリストと聖なる家族の前で告白します。

 

<妻の誓約>

私はKを、夫として結婚します。今より後、良い時も悪い時も、富む時も貧しい時も、病む時も健やかな時も、柔和と従順をもって共に住み、死が私たちを分かつまで教会の定めにより、あなたを守ることを誓います。

神の聖なる言葉と福音の教えに従い、今日までのイエス様の全ての導きに感謝し、Kさんと共にますますの喜びをもって祈り生活し、信仰を保ち、忠誠を尽くすことを私たちの主イエスキリストと聖なる神の家族の前で告白します。

 

その後に交換する指輪も、指輪を身に付ける者を神の平和の内に留め、愛の内に生活させ、クリスチャンホームを築き、成長させ、長寿が与えられることを祈って交換することで、契約の指輪になるのだと語られました指輪

 

スピーチも、一般的な結婚式であれば1人、2人ですが、K兄弟と私は、神の家族の中から長老、教師、執事と7人の兄弟姉妹、計10人に10分間のスピーチをお願いしました。各自が私たちとの出会いや交わりを振り返りながら、油の注ぎによるメッセージと証をして下さいました。働き人たちからは、浜松リバイバルのために立てられた夫婦であること、私自身の教会の働きを改めて自覚させられる話を聞くこともでき、ここからは、二人は一人にまさる!で、K兄弟と共に次の段階に進むのだと身が引き締まりました。この日のために中島みゆきの「糸」を演奏してくれた兄弟姉妹たちもおり、「会うべき糸に出会うことを人は仕合わせと呼びます」という歌詞に、私たちが出会い結婚することは神の御計画であり、御心であり、ぶどうの木にとっても祝福になっていくことなのだと改めて語られましたぶどう

 

実は、結婚式を行った12月5日は、母(牧師)の誕生日でもありました。私たちの指輪には、12月5日と刻印されています。まさか母の誕生日に、母に結婚式を執り行ってもらう事になるとは思ってもいませんでしたが、結婚記念日が牧師である母の誕生日となるよう神が導いて下さったことは、ここまで共にぶどうの木=イエス様のために働いてきた事に対する神からの祝福であると思いましたハート日付だけたどっても、秩序正しい神の導きを感じながら結婚式に至りました。一人一人が訓練を経てリバイバルされ、一つ思い一つ心で喜びと祝福を分かち合えた12月5日という日を忘れずに、ここから夫婦の在り方を実践し、神の家族の在り方を世に益々あらわしていけたことを感謝して祈りますまじかるクラウン

 

最後に、この式に出席できなかった兄弟姉妹たちもいますので、新郎K兄弟、新婦holygirlがしたスピーチから文章を抜粋して紹介しますリボン

離れていても霊では一つクローバー皆さまの上に、イエス様からの大いなる祝福をお祈りしておりますキラキラ

 

新郎K兄弟赤薔薇

このように結婚式を行なえることができ、沢山の神の導きがあっての結婚であることを思い、自分ではなくイエス様がして下さったことだと改めて感じ、イエス様に感謝します。プロポーズの後に知らされたことですが、私がholygirlさんにプロポーズした日は、holygirlさんと初めて会って丸4年目の日であり、holygirlさんが書いた絵本「一つになろうよ!」が出版から丸7年目の日であり、私たちが初めてデートして丸半年の日であったことからも、holygirlさんとの結婚が神の御計画の内に結んだ実であることを強く思います。私がぶどうの木に導かれてからの4年間の歩みも神の御手の中で、練られて、様々な訓練がありながらも、忍耐をもってここに至れたことについては、万感の思いです。

 

holygirlさんとの結婚が神の御計画であることを思い、ぶどうの木の牧師・兄弟姉妹はご存知のことと思いますが、holygirlさんとの出逢いから今に至るまでの導きをお話ししたいと思います。ぶどうの木に初めて導かれたのは、holygirlさんのブログを通してでした。当時、カルト的な表れのある“霊の病”を患っていた私は人生のどん底にあり、holygirlさんのブログにある、悪霊からの解放によって病が癒された証に光を見て、(実家のある大分県から)ぶどうの木に導かれたのでした。牧師とholygirl牧師の悪霊の追い出しによって癒しを得て、それからの人生を乗り越えるための力を得ることができ、holygirlさんは私にとって命の恩人になりました。そして、このことが私にとって大きなことでした。それから3年半の間、holygirlさんとは二人で会うようなことはなく、牧師と羊の関係の中で互いにイエス様に従った歩みを続けてきました。その中においてもイエス様は、大分では霊の糧を得る恵みをholygirlさんの書いたブログを通して与えて下さいました。また、イエス様のタイミングで福岡や浜松での交わりを持った際には、必ず最初に牧師としての交わりからholygirlさんとの交わりがあり、益となってイエス様に従った歩みに変えられました。そうしたことの中に、イエス様が私とholygirlさんが互いの思いや価値観を深く知ることができる機会を与えて下さっていたのだと今は思います。静岡に移住後は、引っ越しの手伝いや引っ越し祝いを通して、いつも自分のことを気にかけてくれ、慣れない静岡の生活の中でも平安の中で生活をすることができました。私の病の癒しと就職に関する証の作成は、何か月にもわたる共同作業でしたが、私の誕生日の直前に完成することができ、神のみこころを行なえたことを共に喜びました。証が完成して、初めて二人でデートする前日が私の誕生日で、その日、マルコによる福音書10:6~9のみことばがのぞみました。「『神は人を男と女とに造られた。それゆえに、人はその父母を離れ、ふたりの者は一体となるべきである』彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神があわせられたものを、人は離してはならない。」holygirlさんを結婚するたった一人の女性として意識し始めたのはこのみことばが臨んでからです。それからは互いに嬉しい時に思いを共有しあえることや、信仰をもって互いに励ましあえることに喜びを感じる日々を送ることができました。彼女には、イエス様を土台とした愛があり、私ばかりではなく、私の家族や会社の上司にも気を配って考えてくれるところが嬉しく、こういう女性であればこれからも人生を共に歩んでいきたいと思い、10月23日にプロポーズし、今日の結婚式に至ります。holygrilさんと婚約し、ご家族の皆さんとも密に交流する機会が増え、holygirlさんがこれまでご両親の深い愛情を受けて大切に育てられてきたこと、深い愛情の中で躾を受け、人に対して関心をもち、愛をもって接することができることは、そうした家庭環境の元で育てられてきたからだと感じました。そのholygirlさんをご両親から許しを受けて結婚できることに感謝し、自身の信仰をもってholygirlさんを守り、holygirlさんへの愛を全うしていきます。

 

今、私が神の導きの中で結婚に至れたのは、沢山の人生の訓練がある中で、牧師・兄弟姉妹が愛をもって語ってくださったおかげであることを思い、感謝してお礼を申し上げます。特に、牧師からは、一から信仰の歩みを教えて頂き、時には厳しく言葉をかけて頂きました。それは、私が人生の脱落者になることのないように、イエス様を一番に考えて歩むことこそが、最高の祝福を得ることができるという確信があったからでした。全ては自分にとって益となり、愛で語ってくださったこと、感謝しております。そして、これから牧師が義理のお母さんとなることも、ものすごい神の恵みだとイエス様に感謝します。

また、ぶどうの木で出会った様々な兄弟姉妹の働きの上に、今の自分があることを思い、兄弟姉妹にも心から感謝いたします。特に、今回スピーチをくださった方々は、ぶどうの木に導かれてすぐに様々な形で交わりを持たせていただきました。悪霊で苦しんでいた私に対して、いつも喜んで交わってくださり、その人間としての姿にも光を見ることができました。悪霊の追い出しを皆でしてもらった時には、食べ物を嘔吐してしまい、皆で嘔吐物の処理までしてくださいました。篤い信仰心でクリスチャンとして生き生きとされている姿からも、自分もこうなりたいという見本となる姿を示してくれました。ぶどうの木の牧師・兄弟姉妹が自分にしてくださったことと同じことをこれから私もしていくことをイエス様から語られました。受けるより与える方が幸いというみことばに立って、自分も与える側として神のみこころを行なっていきます。

最後に、私たちが夫婦となったことには神の御計画があり、ぶどうの木でこのように結婚式が行われることにも大きな意味を感じております。一人ではなく、二人だからこそできる神の御心をこれからイエス様に聞いて行なっていきます。そして、神が与えた結婚ですから、これからもイエス様を頭として信仰をもって生活し、神の家族とのつながりを大切にしていきます。今後ともどうぞよろしくお願い致します。

 

 

新婦holygirlピンク薔薇

今日は、私の人生を大きく変えるきっかけとなったこの「平安の間」で結婚式を行なうことができ、愛する家族、神の家族にお祝いして頂き本当にうれしく思います。この場所は、私が短大の卒業式で答辞をした場所です。今日の賛美歌の中にある愛についてのみことばを読み上げ、子どもたちに対して愛をもってかかわり、自分を大切にできる人間になれるよう育てていきたい、私たちが担う社会が愛にあふれた素晴らしいコミュニケーションの成り立つ場になるように努めていきたいと答辞し、幼稚園教諭になりました。そこで教え子であったS兄弟はじめ長老家族と出会い、神の家族となり、ぶどうの木が誕生し、この場所で自身の結婚式を行なえることは、私にとって大きな祝福です。長老家族の皆さん、初めの愛を忘れず、いつも喜んでいてくださいね。

自分のここまでの人生を振り返る時、小学5年生の時の一場面を思い出します。完成したばかりのこのアクトの大ホールで金管バンドの全国大会があり、私の小学校が浜松市の代表で最後に出演することになりました。トランペットで「聖者の行進」と「線路はつづくよどこまでも」を演奏したのですが、私は曲の最初に、舞台上から笛を鳴らして「出発進行!」と号令をかける役に抜擢されたのです。「アクト」が聖書の「使徒行伝」という意味であることは、後に知ることになりましたが、あの時から私の人生は神が決めた線路の上に乗り、浜松リバイバルの準備がされたのだと思います。

 

たった2年の勤務で幼稚園教諭を辞めることになり、父をずいぶん落胆させたと思います。その時の私には信仰があり、許容的御心から神の本当の御心へとイエス様が導いておられるという確信があったので、何も恐れることなく仕事を辞めましたが、理解できなかった父とは初めて1週間口を利かない日々を過ごしました。父がその後、今に至るまでどんな思いで私の歩みを見てきてくれたのか、直接聞く機会もありませんでしたが、父がこの浜松リバイバル集会でもある席に着いてくれていることを、心からうれしく思います。

幼稚園教諭を辞めた後、大勢の人たちの人生に聖書が教える愛をもってかかわり、皆が創造主である神との関係を知って自分を大切にし、隣人を愛する者に変えられてきたこと、愛が冷えた時代に家族とのコミュニケーションを積極的にとる者に変えられてきたことは、保育者としての働き以上の幸せを感じ、保育者としての人生では決して味わうことのできなかった喜びとなっています。そして、14年が経ち、保育者としての仕事も再び与えられたことを通しても、神は奪う神ではなく与える神であることに感謝の気持ちで一杯です。

 

私たちの結婚に対して、神の家族からたくさんの訓戒と祝福の言葉を頂き、本当にありがとうございました。皆さんからの愛の訓戒がなければ、この日はなかったと思っています。K兄弟がイエス様に対する信仰を一番大切にし、リバイバルされて共にこの場に立てている今、私は平安な気持ちに満たされています。そして、神に選ばれた一人一人がリバイバルされてこの席に着いていることは、15年目の歩みをしているぶどうの木にとって大きな実です。答辞をして巣立った場所に、霊では一つ、日韓合わせて60名以上の神の家族と共に戻ってくる日が来るなんて想像もしていませんでしたが、神と共に歩む人生は決して失望に終わらない!思いをはるかに越えた祝福から祝福の歩みであることを、今この時も実感しています。ぶどうの木、イエス様がなければ、結ばれることのなかった二人です。これからもイエス様のために仕える夫婦として、神の御心の成就を求めて歩んでいきますので、どうぞ温かく見守り、時には家族のように戒めて、私たち夫婦の成長を助けて頂けましたら幸いです。

 

最後に、この場をお借りして、私を育ててくれた両親と、大切な妹への感謝の気持ちを伝えさせていただくことをお許しください。

お父さん、お母さん、今まで沢山の愛を注いで、育ててきてくれてありがとう。いつも笑いが絶えない家族といると居心地が良くて、結婚しなくてもよいかと思っていた時期もありましたが、一人の女性として「結婚」を経験させて頂けること、そのために自分が大事にしている事を同じように大事だと思っているKさんと出会えたことを、今は心からイエス様に感謝しています。
お母さんの難病が癒されないままであったら、今の私たち家族はなかったね。ぶどうの木は家族のあり方について教えてきたけど、その土台になっているのは、お母さんが悔い改めて変えられ、聖書によって築き直されてきた私たち家族です。神が望まれる夫婦、家族、家庭とはどうあるべきかを学び、私も結婚したら、両親が築いてきたような家庭を築きたいと思ってきました。Kさんとなら、そのような家庭を築いていけると思っています。どうかこれからも、一番近くで見守っていてください。

お父さん、結婚に向かう中で、特にKさんが結婚の挨拶に来た時に、お父さんの思いや、ここまでどのように支え合って夫婦関係を築き、私たち娘を守る家庭を築いてきたかを知ることができました。すごく大切に育ててきてもらったのだと短い期間の中でも改めて実感しました。
私は、小さいころからお父さんみたいな人と結婚したいと思ってきました。実際、Kさんがお父さんに似ているかと聞かれると、違う部分はもちろんありますが、私の天然発言をお父さんが「そうだね」と笑って受け止め、フォローしてきてくれたように、Kさんもそんな少し抜けている私をお兄さんのように受け入れてくれ、どんな時も声を荒げることなく穏やかに接してくれる人です。そして、真面目で素直で、何より神に対して忠実に生きたいと思っている人です。お父さんが私とお母さんの働きを理解してずっと見守ってきてくれたように、これからKさんが私の事や教会の働きに対しても、一番の理解者となって守り支えてくれる人だと分かったので、この結婚に至れたのだと思っています。30代になった私に、お父さんは「早く結婚してくれ!」と言うことが増えていたけど、いざ結婚を迎えた私には、お父さんの寂しさや、手放したくないという思いが伝わってきます。私の気のせいかな?37年間もお父さんにお世話になってしまいました。お父さんのおかげで、何不自由なく幸せに、平安に過ごしてくることができました。部活も、仕事も、私がやりたいと思ったこと、頑張っていることをずっとそばで応援してきてくれてありがとう。お父さんのことが、大好きです。娘2人でしたが、これからはKさんの事を息子だと思って叱咤激励してあげてください。

お母さん、64歳のお誕生日おめでとう。まさかお母さんの誕生日に、お母さんに結婚式を執り行ってもらう事になるとは思ってもいませんでしたが、結婚記念日が牧師であるお母さんの誕生日となるよう神が導いて下さった事は、ここまで共にぶどうの木のために働いてきた事に対する神からの祝福であると私は思っています。そして、結婚相手が同じイエス様を愛するクリスチャンであることが、お母さんにとっての祝福であり、祈りの成就であると話してくれた時、お母さんの祈りは本当に何でもきかれるのだと感動しました。私は、信仰が強いお母さんから「大丈夫!」と言われたら、いっきに元気になって今まで目の前にある問題を乗り越えてくることができました。人生の大きな転機の時、イエス様がお母さんを通して道を示してきてくれたことで今の私があります。何一つ後悔のない人生を歩んでくることができました。また、イエス様に生かされたお母さんがいたから、私は年齢に応じて大切なことを一つ一つ教えてもらえてきました。今も結婚に向けて、色々考えて、気にかけてくれて、母の愛をしみじみ感じています。私を生み、今まで育ててくれてありがとう。お母さんの娘で本当に幸せです。そして、結婚してもお母さんと共にしてきたぶどうの木の働き、イエス様の働きは変えてはならないもの。兄弟姉妹が今回教えてくれたことを大切に、これからも喜んで一緒に主に仕えて働いていこうね。

最後に、Nちゃん。この日のために素晴らしい冊子をつくってくれてありがとう!Nちゃんの気持ちが冊子からも伝わってきたし、Nちゃんがデザイナーという道に進んだことで、結婚の冊子を作ってもらえることになったことも、イエス様の祝福だと感動しました。性格も、好きな事も違う姉妹だけど、笑いのツボは同じで、二人でたくさんの時間を楽しく過ごしてきたね。妹でありながら、一緒にいると的確にアドバイスをくれる頼りがいのある友人のような存在でもありました。今日のような日が来ることを求めて、互いの幸せを祈り合い、励まし合いながらここまで来たね。お姉ちゃんだから、一足先に結婚という次の段階にも進んで、これからNちゃんの益になる話ができたら感謝です。
そして、Nちゃんの主への忠実な働きと強い信仰、愛ある福音によって、ぶどうの木にたくさんの友人が導かれてきたね。私には、血のつながりを超えた妹たちもできました。Nちゃんがクリスチャンとして神の栄光をあらわしているから、内にいるイエス様を求めて人は皆光に来ているのだと、ずっと思い尊敬してきました。今日、(共同経営者である)Aさんが出席して下さったことも、NちゃんとAさんの信頼関係がイエス様によって築かれたからこそだと思います。Aさん、今日はご出席下さり本当にありがとうございました。妹のことだけではなく、私たち家族のことをいつも気にかけて下さり、心から感謝しております。今後とも、妹のことをよろしくお願い致します。

 

長くなりましたが、こうして今日を迎えることができたのも、ご列席くださった皆様のおかげです。皆さまの上に、イエス様からの祝福が豊かに注がれますことをお祈りしております。本日は、本当にありがとうございました。