従順な神の証人②―私を使ってください― | ぶどうの木 Good News

従順な神の証人②―私を使ってください―

holygirlですキラキラ

 

マタイ13:12本

おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。

 

ローマ12:2本

あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

 

マルコ4:14~20本

種まきは御言をまくのである。道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、自分の中に根がない(⇐感じ、考える力がない。心が石)ので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくる(⇐自分の義が通らなくなる)と、すぐつまずいてしまう。また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、世の心づかい(⇐人の目を気にする)と、富の惑わし(⇐金銭を愛する)と、その他いろいろな欲(⇐目の欲、肉の欲、持ち物の誇り)とがはいってきて、御言をふさぐ(⇐霊から魂へのパイプをふさぐ)ので、実を結ばなくなる。また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ(⇐魂で考えて行う)、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。

 

アーメン宝石緑

神の御心をわきまえ知るためには、心が良い土壌でなければなりません。せっかく霊が生き返っても、魂(知性・感情)が古い自分のままであれば、神の御心を知らせるみことばを常に突っぱねてしまうからです。

 

大学生になり実家をはなれて一人暮らしをしているA姉妹は、今週の集会に30分遅刻してきました。理由は以下のような事でした。

「目覚ましをかけていたのに予定していた時間に起きれなかった。朝方3時半までイエス様に思いを入れられた作品づくりをしていた。明日の集会のことを考えてやめた方がいいと思ったが、生ぬるいものは何も得ないと語られ、全身全霊全力を尽くしてたいと思い、御心の時間まで!と祈ってやった。ただそれによって大学の課題は何も手をつけることができず、何よりも、イエス様から交通費の支援をして頂いているにも関わらず寝坊し、遅刻する結果となった。勉強と作品づくりに熱中すると食事が適当になる傾向もある。また、朝、最寄りのバス停まで最後まで走り切れば、10分程度の遅刻で済んだであろうが、“寝起きで吐くかもしれない”と占い、歩いた結果乗れなかった。その後、スマホを最寄り駅に忘れたと思わされて戻り、余計な交通費がかかった。でも、戻ったおかげで方向の違う電車にすぐに気づくことはできたが・・・。朝の慌ただしさから、出発までにかかる時間、最寄り駅まで徒歩でかかる時間なども計算できないからこのような事が起きた」と。

悔い改めてきたA姉妹に、牧師は「一つ一つ判断がおかしいです。何が神のみ旨か、ズレています」と伝えたのですが、A姉妹は「何が神のみ旨か分からない」と返事をしてきました。

集会中にA姉妹は、過去の自分が囚われてきた神経質(何でも裏付けを得ないと進めない)、お金を握る、占い恐れる肉の習性に戻されて霊が圧迫され、肉でがんばりすぎて力んでいた事に気づかされ、またLGBT当事者に対して牧師が真理を語れば語るほど「そこまで言わなくてもいいのに・・・」と思う自分、牧師を裁いていた自分がいたこと、情欲の霊・姦淫の霊によって神の聖さから離れていた事を悔い改め、解放されました。そして、改めて上の遅刻理由とみことばを照らし合わせた時、A姉妹が神の御心をキャッチできる魂ではなかったこと、石地、いばらの地であったことが分かります。

A姉妹は、神の御心は作品づくりだと語られ、朝方まで行いました。それは悪い事ではありません。問題は、それによって大事な集会に遅刻してしまった事です。A姉妹の肉の習性に、時間感覚がない、時間を決めて守れない、朝起きれないという事がありましたが、今回も朝方3時半までやり、結局起きれませんでした。肉の自分が180度変わっていない中で、みことばを学んでいても実を結ぶことはできないのです。たとえ、朝方まで作品作りをしていたとしても、神のみ旨が集会出席にあると分かっていれば、絶対に起きるはずです。睡眠時間がたとえ1時間であろうと、神のみ旨を分かっていれば復活の力によって目覚めるのです。また、大学の課題は学生の本分であり、優先順位がどうであったかも問われます。神は秩序正しいお方です。A姉妹の時間感覚が正常になっていれば、何をいつからやり、どのような順番で行うのか判断できるでしょう。どれだけ肉の仕事が忙しく、やるべき事が多くても、食事をとり、神の仕事、イエス様から与えられているメールや動画、ブログを見れるのは、肉においての時間の使い方ができているからです。神はそのように肉を打ち叩いて行える人に、神の仕事を任されます。

さらに、バス停まで走り切らなかった事も、どこかで肉の甘えがあり、口先では神の支援に感謝していると言いながら、必死さがない、行いが伴っていなかったという事になります。霊でどれだけ神の御心だと作品づくりをしていても、人としての基本的な事が行なえていなければ、心が良い土壌に造りかえられていなければ、連動させて良い実を結ぶことはできないのです。

神のためにと言いながら、実は自分の義になっていないか、真理の道を歩んでいるつもりでも、実際は一つ一つの判断ミスによって全く別の道を歩んでしまっていないか問われ、A姉妹が速やかに軌道修正できたことに感謝でした。

 

また、社会人であるB姉妹は、自分の心が石地、いばらの地であった事によって、職場の霊力に打ち勝てなかったことを証してくれました。

B姉妹は、お金に困ることなく今まで生活してくる事ができました。両親や祖母が事あるごとに経済的支援をしてきてくれたからです。大学生の時には、通帳に常に30万円入っていたそうで、「マイナスにならない通帳」をもって自分の欲しいものを買い、食べたいものを買って生活していました。その「減らない通帳」を、社会人になっても持ち続けていた事が明るみになり、B姉妹は悔い改め、その当時証も書きました。(証はこちら⇒http://budounoki92.com/pg190.html

 

 

しかし、サタンは今の職場でまた金銭を愛する悪根っこの霊を送ってB姉妹の内にあったパン種をつついてきたのです。案の定、B姉妹はパン種をふくらませる事となりました。会社に、この世で成功者と言われ、目の欲、肉の欲、持ち物の誇りを頭とする顧問がついたことにより、社長が彼についていけば成功間違いなしだと信じ、社員に対しても良いと思うものは値段を気にせず何でも買って、自分を高めていけばいいという教育に変わっていきました。同時に、顧問が女性蔑視のような発言をしたり、会社の宣伝のためにビキニを着ることを半強制的に求められるようになり、上に立つ権威の考え方が露呈していきました。しかし、B姉妹は「霊は苦しいけど、肉では楽しい。仕事が楽しい」と言っており、女性社員からしたらセクハラだと思うような発言を見過ごしてきていました。B姉妹にとって、必要経費だからと言って何でも買える事が楽しさになっていたのです。サタンは見事にB姉妹の肉の思いをくすぐってきたのです。自分のお金なら500円のレタスなら高くて買えませんし、買おうともしませんが、会社の経費であれば、500円でも1000円でも必要だと思えば買います。別の社員は、インターネット通販で値段も見ずに物を買うようになり、発注ミスで2万円分のコースターを買ってしまったこともあったそうです。B姉妹だけでなく、皆の金銭感覚がおかしくなってきていました。社長は、顧問が良いと思っているポルシェを勧められ、違う車を買うはずだったにも関わらずその言葉にのって900万円相当のポルシェを購入したというのですから、完全に顧問が教祖のようになっている状態の職場になっていました。社長は顧問を信じ切って逆らえなくなり、セクハラ問題を耳にしても、強く顧問に言う事もできずにいました。

B姉妹も、日々顧問から「成果をあげろ!成果をあげられないのは、できていないからだ!」と言われることをそのまま受け、労働時間外でも顧問の指示に従うのは当たり前だと思うようになっていました。仕事のメールはすぐに対応するが、群れのメールに対しては反応が遅く、イエス様の事よりも仕事優先でした。牧師や姉妹が、「職場の霊力がおかしい」と忠告すると、最初はおかしいと分かって話していたB姉妹が、最終的には、「でも顧問も悪気はないと思う。顧問にも考えがあると思う。顧問にもいいところがある」とかばうような発言をするため、まさに洗脳状態でした。A姉妹同様、顧問への情欲の霊と姦淫の霊によって神の聖さから完全に離れてしまっていました。

そんな霊力の中でイエス様に祈っていても、勝利は得られません。B姉妹の祈りは、「これを取り除いてください」という利己的な祈りになっていたそうです。状況が変わらないならやめればいい・・・と、どんどん後ろ向きとなり、クリスチャンとしてそこに置かれている召しを忘れていきました。改めて、自分の考え、価値観を捨てず、パン種を持ったまま肉の快楽ばかりを求めていたら、霊性が狂わされ、クリスチャンとしての力を全く失ってしまうのだと語られました。B姉妹に心底忌み嫌って変わっていない部分があったからこそ、サタンに攻撃する武器を与えてしまったという話を聞き、一人一人が置かれている職場、学校においての自分はどうか吟味しました。家庭、職場、学校、自治会など、自分が身を置いている場のやり方、方針が一つの宗教であり、神の目から見たら、皆それが当たり前であると洗脳されている状態です。だからこそ、神ご自身の教えである聖書を学び、人間はそれによって一致し、生きていかなければならないのだと改めて語られました。

 

B姉妹は、自身のここまでの歩みを悔い改めた時、【あなたがたは地の塩である】というみことばによって、自分は影響を与える側としてこの職場に遣わされたのではなかったのか?と目が覚めたそうです。そして、続けてエペソ人への手紙からみことばを頂き、自分の召しと立ち位置を再確認することができました。

 

エペソ4:22~24本

すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新たにされて、真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。

 

エペソ5:1~33本

こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。また、不品行といろいろな汚れや貪欲などを、聖徒にふさわしく、あなたがたの間では、口にすることさえしてはならない。また、卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい。これらは、よろしくない事である。それよりは、むしろ感謝をささげなさい。あなたがたは、よく知っておかねばならない。すべて不品行な者、汚れたことをする者、貪欲な者、すなわち、偶像を礼拝する者は、キリストと神との国をつぐことができない。あなたがたは、だれにも不誠実な言葉でだまされてはいけない。これらのことから、神の怒りは不従順の子らに下るのである。だから、彼らの仲間になってはいけない。あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい――光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである――主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。実を結ばないやみのわざに加わらないで、むしろ、それを指摘してやりなさい。彼らが隠れて行っていることは、口にするだけでも恥ずかしい事である。しかし、光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある、「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」。

そこで、あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである。妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである。夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、ひとりもいない。かえって、キリストが教会になさったようにして、おのれを育て養うのが常である。わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。

 

アーメン宝石赤

置かれた場所でたった一人であっても、「イエス様、私を使ってください!」と祈り求め、従順にみことばを行ない、影響を与える発言ができているでしょうか?“私なんかが言っても・・・”という思いで、見て見ぬふりをしていないでしょうか?事なかれ主義になっていないでしょうか?神に選ばれた者として光を放っていく事こそが、私たちクリスチャンがこの地上に生かされている意味であり、務めです。

できない!無理!と言って何もせずにいたり、明らかに神の目から見て罪であることを行なっていると分かっていながら途中で逃げ出すなら、その場にいる人も、自分自身も刈り取り、状況はどんどん悪くなる一方です。祈っても状況が良くならないのであれば、まずは自分自身がサタンに門を開いていないか吟味します。イエス様に訓練だと言われたら、喜んで受けます。しかし、明らかにサタンの霊力が強く、自分自身が汚され、狂わされていくのであれば、達し得たところに従って真理を言って去ります。秩序正しく行わなければ、聖なる道からどんどんそれていきますから、牧者に相談しながら注意深く共に一つ一つの物事を見極めて前進していかなければならないと語られました。

 

 

最後に、今週の集会で神の家族である一組の兄弟姉妹が結婚を報告しました指輪姉妹の方が先に母親を通して救われて聖書を学び始め、付き合っていた彼も救われました。姉妹はどんどん霊の糧であるみことばを食べ、人としての在り方を学び、その中で自分の身をきよく保つことを語られるようになりました。当たり前になっていた婚前交渉が神の御前で罪であると分かり、彼にもそれを伝えました。一度は彼も納得しましたが、サタンは彼を使って、「日曜日にデートができない。キリストと俺どっちが大事なの?どっちをとるのか答えを出してほしい」と言ってきて、姉妹の肉の思いに攻撃してきました。しかし、姉妹はイザヤ54:11~17のみことばを頂き、特に15~17節【たとい争いを起す者があってもわたしによるのではない。すべてあなたと争う者は、あなたのゆえに倒れる。見よ、炭火を吹きおこして、その目的にかなう武器を造り出す鍛冶は、わたしが創造した者、また荒し滅ぼす者も、わたしが創造した者である。すべてあなたを攻めるために造られる武器は、その目的を達しない。】を握りしめ、彼を握らず(彼が結婚相手でなければ分かるように教えて下さいという思いで)、彼も神につくられたという事に感謝して、彼を捕らえる悪霊と戦いました。そして、霊から魂に連動させた思いで、愛にあって改めて真理を語っていった時、耳を閉ざしてしまっていた彼が変わり、結婚に至ることができたのです。

彼自身も、姉妹を通して聞く聖書の教えによって、少しずつ信仰が成長し、イエス様に対して迫害側であった姉妹の父親に対しても、勉強になる教えだと証言する器として使われましたキラキラ

姉妹の母親は、今週の集会で「自分自身が神の目から見て乱れた男女交際をし、妊娠し、結婚に至っていたため、子どもに正しい事を教えてくることができなかった。聖書を学び、何が正しい事なのか、何が神のみ旨なのかを教えてあげられるようになれたことが、本当に感謝な事です」と話してくれました。

B姉妹がもらったエペソ5章のみことばにあるように、結婚とは、まず夫婦の頭がイエス様です。その次に、夫は妻を自分自身のように愛し、妻も夫を敬います。二人が神が求める男女の付き合い方を求めて結婚に至れたことに感謝し、さらにここから、夫婦となって神の召しに従った歩みができたことを感謝して祈りますピンクハート

 

イエス様が牧師を通して、結婚する二人にみことばを下さいましたリボン

 

イザヤ48:17~19本

あなたのあがない主、イスラエルの聖者、主はこう言われる、「わたしはあなたの神、主である。わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。そうすれば、あなたの平安は川のように、あなたの義は海の波のようになり、あなたのすえは砂のように、あなたの子孫は砂粒のようになって、その名はわが前から断たれることなく、滅ぼされることはない」。

 

アーメンゆめみる宝石

 

皆が自分の命を大切に、神のために捧げて生き、ますます神の誉れを述べる証人となれたことを感謝して祈りますまじかるクラウン