霊によって霊のことを解釈する―預言の賜物―② | ぶどうの木 Good News

霊によって霊のことを解釈する―預言の賜物―②

そして、今週の家庭集会では、イエス様が牧師を通して「預言の賜物を求めなさい」とおっしゃいました。

 

第1コリント14:1~5本

愛を追い求めなさい。また、霊の賜物を、ことに預言することを、熱心に求めなさい。異言を語る者は、人にむかって語るのではなく、神にむかって語るのである。それはだれにもわからない。彼はただ、霊によって奥義を語っているだけである。しかし預言をする者は、人に語ってその徳を高め、彼を励まし、慰めるのである。異言を語る者は自分だけの徳を高めるが、預言をする者は教会の徳を高める。わたしは実際、あなたがたがひとり残らず異言を語ることを望むが、特に預言をしてもらいたい。教会の徳を高めるように異言を解かない限り、異言を語る者よりも、預言をする者の方がまさっている。

 

アーメン宝石ブルー

預言の賜物は、クリスチャンが聖霊の霊感を受けて、自分自身の考えではなく、神の思いを語るときに現わされるものです。新約聖書には、イエス様によってなされた預言が多く記録されています。マタイ24章、マルコ13章は、来たるべきことに関する非常にはっきりとした預言ですし、ヨハネ16章のほとんど全章も、ご自身に最も忠実に従っている弟子たちに対する預言です。これらの預言は、私たちが「時代のしるし」を見分けられるように、クリスチャンに与えられている指標であると言えます。そして、私たちはその訪れを聖霊によって知ることができます。

 

ヨハネ14:26~29本

しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。・・・中略・・・今わたしは、そのことが起らない先にあなたがたに語った。それは、事が起った時にあなたがたが信じるためである。

 

ヨハネ14:15~17本

もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。

 

ヨハネ16:12~15本

わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。

 

アーメン宝石紫

私たちがなすべきことは、預言・みことばの成就に目をとめて、今、自分たちが神の御計画と時刻表のどのあたりにおかれているのかを察知することです。旧約聖書の預言者たちは、社会的・政治的悪習に敵対し、当時の祭司職や聖職制度、つまり体制に対して、真っ向からその過ちを指摘し、悔い改めるよう警告しましたが、私たちもこの時代において、神の御霊によって動かされ、神が自分に与える言葉を語る=預言することを求められているのだと語られました。

そして、これは自分の能力によるのではなく、神の能力によるものであるため、もし、主が語るべきことばを与えて下さるなら、それを語るために必要な信仰も与えて下さいます。ですから、恐れることなく、御霊を消すことなく、預言を語ることが重要であるのだと語られました。

 

アモス3:8本

まことに主なる神はそのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない。ししがほえる、だれが恐れないでいられよう。主なる神が語られる、だれが預言しないでいられよう」。

 

サムエル記下23:2本

「主の霊はわたしによって語る、その言葉はわたしの舌の上にある。

 

使徒行伝2:16~21本

これは預言者ヨエルが預言していたことに外ならないのである。すなわち、

『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。また、上では、天に奇跡を見せ、下では、地にしるしを、すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう。主の大いなる輝かしい日が来る前に、日はやみに月は血に変るであろう。そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう』。

 

ルカ12:1~12本

その間に、おびただしい群衆が、互に踏み合うほどに群がってきたが、イエスはまず弟子たちに語りはじめられた、「パリサイ人のパン種、すなわち彼らの偽善に気をつけなさい。おおいかぶされたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。だから、あなたがたが暗やみで言ったことは、なんでもみな明るみで聞かれ、密室で耳にささやいたことは、屋根の上で言いひろめられるであろう。そこでわたしの友であるあなたがたに言うが、からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな。恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。そうだ、あなたがたに言っておくが、そのかたを恐れなさい。五羽のすずめは二アサリオンで売られているではないか。しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいない。その上、あなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。そこで、あなたがたに言う。だれでも人の前でわたしを受けいれる者を、人の子も神の使たちの前で受けいれるであろう。しかし、人の前でわたしを拒む者は、神の使たちの前で拒まれるであろう。また、人の子に言い逆らう者はゆるされるであろうが、聖霊をけがす者は、ゆるされることはない。あなたがたが会堂や役人や高官の前へひっぱられて行った場合には、何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配しないがよい。言うべきことは、聖霊がその時に教えてくださるからである」。

 

第1コリント4:4~5本

わたしは自ら省みて、なんらやましいことはないが、それで義とされているわけではない。わたしをさばくかたは、主である。だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう。

 

アーメン宝石赤

 

イエス様は結果を求める神ではありません。逆に、結果を下さるのが神です。それを成し遂げるために、助け主聖霊まで送って下さった神です。私たちクリスチャンは、神の愛にあって真理に従い、善良なる結果に向かって、いつも目の前に置かれた人、事に、喜んで全身全霊を捧げるだけです。神が見られるのは、その心、過程です。その心と過程を見て、結果を下さるのです乙女のトキメキ

それ故、自分で何とかするという思いは、高ぶりです。必死になるなら、自分の力を頼っています。イエス様に信頼して、いつも喜び、明るく生きる人、聖活する人は、安らかであり、穏やかで、周りにも安心感・安らぎを与えます。そういうクリスチャンであれば、人は寄ってきます。人は皆、そのクリスチャンの内にある光=イエス様を求めて来ます。

そして、いつまでも存続するものは、信仰、希望 愛。このうちで最も大いなるものは、愛ですハート愛がなければ一切が無益です。正しいこと(知識・常識)を言っていたとしても、みことばを言っていたとしても、そこに愛がなければ、審判者の霊に支配されていないか、“霊的パリサイ人”になっていないか、自分自身を吟味しなければならないと語られました。

 

第1コリント8:1b~3本

知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める。もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない。しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのである。 

 

アーメン宝石赤

クリスチャンはみことばを知っています。しかし、真のクリスチャン・いつも聖霊に満たされたキリストの花嫁は、自分の花婿であるイエス様の思いを知っています。みことばを書かせた人の思いを知って、みことばを伝え、預言をする時、私たちは、友のために命を捨てて、逃れる道を知らせ、モーセのようにエジプトから民を導き出す者となれるのだと語られました。

 

箴言13:20本

知恵ある者とともに歩む者は知恵を得る。愚かな者の友となる者は害をうける。

 

 

最後に、私たちが握りしめてきた預言を2つ確認しましたひらめき電球

一つは、今まで何度か紹介してきたビリー・ブリム女史の預言ですダイヤオレンジ

 

<1985年5月6日にアメリカ・カリフォルニア・ロサンゼルス・メロディーランド教会において、ビリー・ブリム女史によって日本人に出された預言>


大いなる光があの日本という国に臨みます。大いなる、大いなる、大いなる光です。聖書にこう書かれてある・・・
イエス様は朝の光のように、地に若草を芽生えさせる雨のように人に臨むと。(サムエル下23:4)イエス様の朝日の輝きはまず東洋にのぼり、その福音の光は西洋におよび、今また東に帰ってこようとしています。あなたの生まれたあの国に神が大きく働かれるのをあなたは見るでしょう。神の光をあの国に見ます。神の光がその民の上にあるのを見ます。

そうだとも!
あなたがたは光を見る。神の光がこの地球を行きめぐる。大いなる尊い光を見る。あなたがたはまだ、真に輝く光を見たことがなかった。人間の思いの垣根というかげりの一切ない真の光を。
(⇐自分の思い・意見によって自らかげりを作っていないか吟味注意

しかし今この時に、栄光から栄光へと増し加えられていく、力に溢れたその光が来るのを見る。あなたがたはさらに良く見えるようになる。このわたし、「有って有る者」とよばれるこのわたしこそが、あなたにとって光となる。その光をあなたがたは見るようになる。こうしてその福音の光、このみことばの光は、未だかつてそれを聞いたことのなかった人々の耳にとどまるようになる。それは超自然の大いなる光だ。このわたし自身なのだ。

わたしはあなたを暗きところから、あなたを取り囲む状態からあなたを引っぱりだす。もう答えがないとあなたは思った。見ないか、あなたの神という光に目を向けよ。このわたしがそれだ。この暗い時代に神の光は輝きわたる。あなたはその神の光(力)を与える器となる。しかしそのともし火は、わたしだけ
(⇐みことばだけ)によってともされなければならない。この世によって曇ったり、汚れたりしてはならないのだ。わかるか。わたしの血によってきよめられた、純粋な混じりけのない器。(⇐自分の意見、価値観、この世界の常識、教育を握っていたら清い器ではない注意盛んに燃え続ける灯火(あかり複数)。あなたがたが洪水なのだ!(⇐生ける水・みことばを霊から流し出す器になる)

わたしはあなたをわたしの心に引き寄せる。あなたの一部ではなく、すべてを明け渡すようにとあなたを召す。(⇐握ったものをもってイエス様に仕えることはできない注意この灯火となるために、自分の全身全霊を捧げるようにと召す。完全にわが手によって治められるように。今、あなたの立っているこの場所で、それを本当に現実のものとしてあげよう。それによって光を輝かすための、わたしに従順に応じる、聖なる器。

わたしはあなたをふるう。(⇐神に訓練される)わたしの力によって・・・あなたは生きのびる・・・この時代を。あなたは生きて死ぬことはない。・・・「なぜ!?」と叫ぶな。ただ聖別され、ひたむきに専念しなさい。あなたに、そしてあなたをとおして、わたし(⇐イエス・キリスト、神の言)が輝けるようにしてほしい。明け渡せ!放せ!脱ぎ捨てよ!栄光に輝く花嫁にふさわしくないものは、すべて捨て去れ!(忌み嫌え!)
あなたにそれができるようにした、と言ったではないか。いっさいの重荷を捨てよと。わたしがしなさいと言うことはできるのだから・・・。捨てておきなさい、ふたたび拾い上げてはいけない。(⇐後ろを振り返らない!救われる前の古い自分に戻らない注意


(中略)

今もし幕を取り去りさえすれば、おおいなしに神の栄光を見る。神の教会が現れる。栄光と恵みにあふれ、はっきりとした力の現れに満ちた教会。天にあって、永遠に離れることなくわたしの前におらせるために計画した教会だ。(⇐既成の教会とは違う)だから定められた位置につくがよい。わたしはあなたがたに言う、(あなたがたは)争いも分裂もまったくない、栄光のための容れ物として用意されている。銀行には黄金(⇐生きていく上で必要な物全て)が貯えられている。しかし、そんなものよりもはるかにはるかにまさる富・・・人間の金庫にはおさめきれない大いなる富をおさめる器・・・。(⇐私たちは神の国の相続人!神と富とに兼ね仕えることはできない注意この終りの時に、神の臨在・・・神の目的・・・神の言葉と力を注ぎ出す器たちよ。

 

 

そして、ぶどうの木はイザヤのみことばと共に歩んできた群れですが、ビリー・ブリム女史の預言から丸35年が経とうとしている今、改めてイザヤ35章の預言が与えられましたダイヤグリーン

 

イザヤ35章本

荒野と、かわいた地とは楽しみ、さばくは喜びて花咲き、さふらんのようにさかんに花咲き、かつ喜び楽しみ、かつ歌う。これにレバノンの栄えが与えられ、カルメルおよびシャロンの麗しさが与えられる。彼らは主の栄光を見、われわれの神の麗しさを見る。

あなたがたは弱った手を強くし、よろめくひざを健やかにせよ。心おののく者に言え、「強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、神の報いをもってこられる。神は来て、あなたがたを救われる」と。

その時、目しいの目は開かれ、耳しいの耳はあけられる。その時、足なえは、しかのように飛び走り、おしの舌は喜び歌う。それは荒野に水がわきいで、さばくに川が流れるからである。焼けた砂は池となり、かわいた地は水の源となり、山犬の伏したすみかは、葦、よしの茂りあう所となる。そこに大路があり、その道は聖なる道ととなえられる。汚れた者はこれを通り過ぎることはできない、愚かなる者はそこに迷い入ることはない。そこには、ししはおらず、飢えた獣も、その道にのぼることはなく、その所でこれに会うことはない。ただ、あがなわれた者(⇐イエス様を信じ、最後まで戦い抜いた者・聖別された者)のみ、そこを歩む。主にあがなわれた者は帰ってきて、その頭に、とこしえの喜びをいただき、歌うたいつつ、シオンに来る。彼らは楽しみと喜びとを得、悲しみと嘆きとは逃げ去る。

 

アーメンダイヤモンドこのみことばが成就することを祈ります虹

 

預言の賜物、主の霊によって霊の世界を解釈することについて学び、私たちは聖霊からの確証を頂いてメッセージを発信していると語られ感謝しました。

【恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである。】(ルカ12:32)と書かれているように、神は世界中に真のクリスチャン、小さな群れを配備されています。それは闇のこの世において、線香花火のような小さな光でありながら、しっかり輝いている存在です。でも、終わりの時には、その小さなが光が、聖霊によって引火していき、大いなる光、勢力になる炎それが今です!世界中のクリスチャンが、イエスの御名と十字架の血で、障害物を打ち壊す祈りをしています!そして、完全に勝ち抜いて勝利を得る!!今日、ここに預言します王冠1