みことばを行うことによって生まれた真実の実 | ぶどうの木 Good News

みことばを行うことによって生まれた真実の実

holygirlですニコニコ

 

箴言1:1~9本

ダビデの子、イスラエルの王ソロモンの箴言。これは人に知恵と教訓とを知らせ、悟りの言葉をさとらせ、賢い行いと、正義と公正と公平の教訓をうけさせ、思慮のない者に悟りを与え、若い者に知識と慎みを得させるためである。賢い者はこれを聞いて学に進み、さとい者は指導を得る。人はこれによって箴言と、たとえと、賢い者の言葉と、そのなぞとを悟る。主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教を捨ててはならない。それらは、あなたの頭の麗しい冠となり、あなたの首の飾りとなるからである。

 

アーメンダイヤモンド

今週の集会で、生後7日目から集会に通い、現在小学5年生であるY姉妹が証をしてくれましたリボン

 

Y姉妹のクラスの女子が担任の先生に対する不満を抱き、担任の先生ではなく、一番上の先生に言いに行くからついてきてとY姉妹は言われました。Y姉妹もその不満に同意してしまい、そこにいた他の女子たちも一緒に、言いつけに行きました。(担任の先生に直接言うのではなく、担任の先生の上司にあたる先生に言いつけにいく悪知恵が働く子供のたちの世界には驚きました。)先生は、うなずきながら子供たちの声を受け止めたそうです。その後、担任の先生とはぎくしゃくし、Y姉妹は帰宅しました。

家に着くなりY姉妹の第一声は、「お母さん!もう担任の先生のことは、一番上の先生に言ってきた!」でした。それを受けた母親(S姉妹)は、すぐにおかしいと霊に引っ掛かり、Y姉妹の話を改めて聞くことにしました。Y姉妹の霊は神の子だからこそ、すぐに明るみに出たことは感謝でした。事情を聞いた母親は、「イエス様がYちゃんの担任としてその先生を選んで下さったよね。だから愛を持って接しなければならないけど、それができていたかな?不満を伝えるにしても、上の先生に言うのは違うよね。選択肢を間違えているよね。自分がされたらどう思う?」と話しました。そして、箴言1:10~15を共に確認しました。

 

箴言1:10~15本

わが子よ、悪者があなたを誘っても、それに従ってはならない。彼らがあなたに向かって、「一緒に来なさい。われわれは待ち伏せして、人の血を流し、罪のない者を、ゆえなく伏してねらい、陰府のように、彼らを生きたままで、のみ尽し、健やかな者を、墓に下る者のようにしよう。われわれは、さまざまの尊い貨財を得、奪い取った物で、われわれの家を満たそう。あなたもわれわれの仲間に加わりなさい、われわれは共に一つの金袋を持とう」と言っても、わが子よ、彼らの仲間になってはならない、あなたの足をとどめて、彼らの道に行ってはならない。

 

Y姉妹はこのみことばに「アーメン」し、自分が悪の側の仲間になってしまったことを悔い改めました。そして、母親を通して、「伝えたいことがあるなら直接担任の先生に伝えなさい」と語られ、翌日早めに登校して、自分を一番に誘ってきた友達に「私は昨日のやり方は間違っていたと思うから、担任の先生に直接伝えに行く」と伝えました。すると、その友達は「マジで!?」と驚いたそうですが、結局前日に言いに行った全員で担任の先生のところに行くことになりました。Y姉妹が速やかに悔い改め、すぐに善を行いたい、悔い改めにふさわしい実を結びたいと思って行動した時、聖霊が働き、友達をだましていた悪霊が去ったのです。Y姉妹が前日のことを謝ると、担任の先生は自分も悪かったと涙を流し、和解することができました。さらに、前日に話を聞いてくれた一番の上の先生からも、「Yさん、偉かったね!」とほめられたそうです。

クリスチャンが学校、職場に置かれている意味は何か?クリスチャンがみことばに基いた言動をすれば、そこに愛、喜び、平安が生まれます。自分が光の言葉を出したら、その場を覆っていた闇は去り、周りが変わるのです。そんな体験をY姉妹ができたことに感謝しますドキドキ

 

エペソ5:8~17本

あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい――光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである――主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。実を結ばないやみのわざに加わらないで、むしろ、それを指摘してやりなさい。彼らが隠れて行っていることは、口にするだけでも恥ずかしい事である。しかし、光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある、

「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」。

そこで、あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。

 

アーメン宝石緑

 

実はこの証は、先週の集会で与えられた証の時間に話したかったそうですが、躊躇してしまったのだとY姉妹は話してくれました。なぜなら、N姉妹が職場の上司の悪口を言っていたことを悔い改めた後であり、自分もN姉妹と同じ神の国のテストを受けたのに落ちてしまったからだそうです。自分が今回のことを話したら、N姉妹の話をちゃんと聞いていたのか?と兄弟姉妹に思われるのではないか?と占ってしまったのだとも話してくれました。

Y姉妹は、3月に牧師たちと韓国に行った時にも、失敗したらどうしよう・・・と思って涙が先に出てしまい、なかなか祈ることができませんでした。先週の集会の帰りに、いつも人の目を気にして、勝手にどう思われるかと占い、(それは皆に対する裁きであると牧師に語られました)臆してしまう自分を忌み嫌わなければならないと母親を通して戒めを受けたそうです。そして、「キリストの肢体である兄弟姉妹が通ってきたことは、自分もいつか通ること。だから自分に言われているという姿勢で真剣に聞き、身にしていかなければならない。今回、N姉妹と同じように悪口を言う側になってしまったけど、証の場では“自分もそうでした!”と公明正大に打ち明け、語られたことを話していけばいい。それが他のキリストの肢体の益になるのだから!」と語られ、Y姉妹は占いの霊から完全に解放されて、今週りっぱに証をしてくれたのですガーベラ

 

エペソ4:16本

キリストを基として、全身はすべての節々の助けにより、しっかりと組み合わされ結び合わされ、それぞれの部分は分に応じて働き、からだを成長させ、愛のうちに育てられていくのである。

 

アーメン宝石赤


Y姉妹の証を通して、平気で悪口を言っていないか、みことばに背かせようとする悪の誘いにのってしまっていないか、占いの霊によって、言うべきことを言えずにいないか、自分の内に悪が示されたら、すぐに悔い改め、先延ばしにする事なく悔い改めにふさわしい実を結べているか、キリストの肢体が訓戒されていることを自分の事として受けることができているか、同じ状況に陥った時に兄弟姉妹の証を思い出して言動できているかなど、一人一人の霊的状態に対して必要なことが語られたと思います。

 

A姉妹は、人がどう思うかを常に占い、親や周りの評価ばかりを気にして生きてきたため、架空の友達を心の中につくり、なりたい自分になれる妄想の世界を楽しんでいました。その結果様々な精神疾患に至りました。家庭や世の中で自分の居場所を失った人が精神病になり、忘れたいことが多ければ認知症にもなるとドクタージーザスは教えています。A姉妹は救われて霊(本当の自分)がよみがえった事によって、みことばで架空の友達を退け、妄想の世界を打ち砕き、現実逃避ではなく現実の世界にしっかりと足を着けて、自分自身(偽りのない本当の自分)を表現する人生を取り戻すことができました。

 

B姉妹は、子供が成人したら離婚をしようとずっと考えてきた中で救われました。そして、聖書には、「離婚はしてはならない」と書かれているという教えを聞き、離婚に至らせるのは分派分裂の霊、裁き憎しみの霊であるから戦うこと、主人をゆるし、愛し、祝福し、尊敬することを実践していきました。しかし、サタンは何度も信仰を奪おうとして、夫を使ってきました。いつも自分を悪者にすると感じ、どうせ大事に思われていないと占い、やっぱり一緒に生きていくのは無理だと思うことがありました。しかし、今回自分の知らないところで、夫がB姉妹をかばってくれていたことが明らかになりました。自分が思い、占ってきた事とは真反対の夫の思いに驚き、すぐに「ありがとう」と言えたら良かったのですが、言えませんでした。気が付いたら、一番言うべき相手、隣り人である夫に、「ありがとう」が言えない自分になっていたのです。すると聖霊が、「今しかないよ!言えるよ!」と内側から言っているのが分かったそうです。B姉妹がその霊からくる思いに従って夫に「さっきはありがとう」と言葉にすると、夫も素直にその言葉を受けてくれたそうです。B姉妹は、素直に明け渡した器で語り、行動する大切さを教わったと証してくれました。「ありがとう」「ごめんね」「いってらっしゃい」「おかえり」「いただきます」「ごちそうさま」が自然に飛び交う家族でなければなりません。クリスチャンであれば自分の方から言うこと・・・その言葉によって家庭の霊力が一気に変わるのです。

 

C兄弟は、妻の自殺をきっかけにうつ病となり、1年前に救いと癒しを求めてぶどうの木に導かれてきました。自殺に至るまでの妻の状態に余裕がなくなったC兄弟は仕事もままならず、その状況を理解してくれない職場に対する腹立たしさ、特に自分が働いていた製造部の部長に対する不満も増していきました。妻の死後、自身も精神を病んで仕事を休むようになり、職場ともぎくしゃくし、休職扱いという形で月日がたっていきました。復職を求めても、誠実に対応してもらえず、不信感が沸き起こり、弁護士をたてて訴えを起こすことも考えました。C兄弟はその後イエス様に出会い救われたのです。1年間の学びの中で、C兄弟は復職に向けて、どのような形で会社に自分の思いを伝えていくことが最善かを考えました。一時は、会社内に設置されている機関をつかって、訴えを起こしましたが、それがみことばにそったやり方なのか?と牧師や兄弟姉妹に問われ、上に立つ権威との話し合いの場で、訴えを取り消すことにしました。すると聖霊が働き、上に立つ権威や人事部長から「Cさんはいい人」という言葉が聞こえてきて、驚いたのだそうです。神に忠実に従った時、隠されていた言葉を聞けたのです。

一番腹を立てていた製造部長には、年明けにC兄弟の方から当時仕事を放棄してしまった事と、不信感を持っていると発言してしまったことを謝罪しに行くことになりました。なぜ自分が?謝るのは向こうでは?という肉の思いを打ちたたき、誠心誠意、自分が謝罪をし、復職を目指すとC兄弟は話してくれました。牧師を通しては、「右のほほを打たれたら、左のほほも出しなさいと聖書は教えています。なぜむしろ不義を受けないのか、なぜむしろだまされていないのか、とも書かれています。C兄弟がさばくことなく善で向き合った時、製造部長からも本当の気持ち(謝罪の気持ち)があふれます」と語られ、C兄弟は霊の思いにしっかりと立つことができました。

 

私たちは神に知られているのですから、その神に信頼し、誰に対しても善を行い愛を与えることができます。イエス様に従う時に、私達は世の光となり、聖霊によって祝福の道が開かれていきます。みことばを行うことによって、真実の実を結ぶことができることを知ると、イエス様から離れること、クリスチャンをやめることなどできません。

思っていることは言葉にしましょう。【怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。また、悪魔に機会を与えてはいけない。】(エペソ4:26~27)、【悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。】(エペソ4:29a)と書かれてあるように、相手を論破するため、裁くため、自分の感情をすっきりさせるための言葉は罪ですが、「私はこう思っている!」と伝えたいことを素直に相手に伝えることは大切です。それは、【必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。】(エペソ4:29b)に基づくものだからです。愛にあって語る真理の言葉は必ず相手に届きます。やましいと思わないなら言いましょう!行いましょう!

「みことばにはこう書かれているから・・・」とみことばだけをかかげ、心が伴っていない状態、自身の心が偽っている状態は宗教であり、圧迫されて苦しいだけです。みことばに書かれているのであれば、神は秩序正しくそれを成就して下さいます。そこに忍耐は必要であっても、我慢は伴いません。自分自身もしっかりと納得できた上で、次の段階に進ませてくださる神のやり方があります。それを求めて知ることができるのもクリスチャンの特権なのだと語られました王冠2

 

ローマ14:22~23本

あなたの持っている信仰を、神のみまえに、自分自身に持っていなさい。自ら良いと定めたことについて、やましいと思わない人は、さいわいである。しかし、疑いながら食べる者は、信仰によらないから、罪に定められる。すべて信仰によらないことは、罪である。

 

アーメン宝石紫

 

このブログが今年最後の学びのブログとなりますぶどう今年もイエス様から教えて頂いたことを、ブログに書き表し、全世界に発信できたことを感謝しますキラキラ今年の終わりに、以下のみことばでクリスチャンとしての在り方を再確認し、皆が来る2020年を迎えられたことを感謝して祈りますクローバー

 

エペソ4:17~32本

そこで、わたしは主にあっておごそかに勧める。あなたがたは今後、異邦人がむなしい心で歩いているように歩いてはならない。彼らの知力は暗くなり、その内なる無知と心の硬化とにより、神のいのちから遠く離れ、自ら無感覚になって、ほしいままにあらゆる不潔な行いをして、放縦に身をゆだねている。しかしあなたがたは、そのようにキリストに学んだのではなかった。あなたがたはたしかに彼に聞き、彼にあって教えられて、イエスにある真理をそのまま学んだはずである。すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新たにされて、真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。

こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣り人に対して、真実を語りなさい。わたしたちは、お互に肢体なのであるから。怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。また、悪魔に機会を与えてはいけない。盗んだ者は、今後、盗んではならない。むしろ、貧しい人々に分け与えるようになるために、自分の手で正当な働きをしなさい。悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである。すべての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさい。互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。

 

エペソ5:1~7本

こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。また、不品行といろいろな汚れや貪欲などを、聖徒にふさわしく、あなたがたの間では、口にすることさえしてはならない。また、卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい。これらは、よろしくない事である。それよりは、むしろ感謝をささげなさい。あなたがたは、よく知っておかねばならない。すべて不品行な者、汚れたことをする者、貪欲な者、すなわち、偶像を礼拝する者は、キリストと神との国をつぐことができない。あなたがたは、だれにも不誠実な言葉でだまされてはいけない。これらのことから、神の怒りは不従順の子らに下るのである。だから、彼らの仲間になってはいけない。

 

ローマ14:1~18本

信仰の弱い者を受けいれなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。ある人は、何を食べてもさしつかえないと信じているが、弱い人は野菜だけを食べる。食べる者は食べない者を軽んじてはならず、食べない者も食べる者をさばいてはならない。神は彼を受けいれて下さったのであるから。他人の僕をさばくあなたは、いったい、何者であるか。彼が立つのも倒れるのも、その主人によるのである。しかし、彼は立つようになる。主は彼を立たせることができるからである。また、ある人は、この日がかの日よりも大事であると考え、ほかの人はどの日も同じだと考える。各自はそれぞれ心の中で、確信を持っておるべきである。日を重んじる者は、主のために重んじる。また食べる者も主のために食べる。神に感謝して食べるからである。食べない者も主のために食べない。そして、神に感謝する。すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである。それだのに、あなたは、なぜ兄弟をさばくのか。あなたは、なぜ兄弟を軽んじるのか。わたしたちはみな、神のさばきの座の前に立つのである。すなわち、

「主が言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしに対してかがみ、すべての舌は、神にさんびをささげるであろう」

と書いてある。だから、わたしたちひとりびとりは、神に対して自分の言いひらきをすべきである。

それゆえ、今後わたしたちは、互にさばき合うことをやめよう。むしろ、あなたがたは、妨げとなる物や、つまずきとなる物を兄弟の前に置かないことに、決めるがよい。わたしは、主イエスにあって知りかつ確信している。それ自体、汚れているものは一つもない。ただ、それが汚れていると考える人にだけ、汚れているのである。もし食物(価値観)のゆえに兄弟を苦しめるなら、あなたは、もはや愛によって歩いているのではない。あなたの食物(価値観)によって、兄弟を滅ぼしてはならない。キリストは彼のためにも、死なれたのである。それだから、あなたがたにとって良い事が、そしりの種にならぬようにしなさい。神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである。こうしてキリストに仕える者は、神に喜ばれ、かつ、人にも受けいれられるのである。 

 

アーメンまじかるクラウン