聖書が教える家庭・家族の在り方 | ぶどうの木 Good News

聖書が教える家庭・家族の在り方

holygirlですニコニコ

 

真理(みことば)を知っているだけのクリスチャンは知識止まりで、生活に活かすことができません。牧師も、神学という自身の知識を一つ一つ教えているだけでは、いつかネタが尽きてしまいます。それ故、毎週のメッセージに頭を悩ませている牧師がいると聞きます。

クリスチャンは、霊に蓄えた真理(みことば)が、生ける水の川となって流れ出ないといけません。死んだ神ではなく、生ける神に仕えているのですから、その場に必要なこと、その時相手が望んでいることは、相手の事を全てご存じの神が備えて下さいます。学んだことを一つ一つ教えるのではなく、主の霊のあるところには自由がありますから、タイムリーに相手の状態をキャッチして、必要なことを語ること、生きた神の言を与えることが求められます。

私たちは今週の集会で、このように生きた会話、生きた教えが教会で、家庭で、職場で、学校でなされているのか、自分がその会話をつくりだすクリスチャンとなれているのか問われました。

 

今月から子供の働き人が変わりました。今まで働いてきたW姉妹は、生ける水の川を流す源となる霊が飢え乾いた状態となり、それによって肉体への刈り取りを来たらせてしまったことが明るみとなったため、W姉妹に福音を伝え、救いに導いたN姉妹(私の妹であり牧師の次女)が働き人を引き継ぐ事になりましたブーケ2

 

新しい子供の働き人となったN姉妹は、牧師から任命を受けた時に、肉では私に向いているのか?と思ったそうですが、幼いころから宣言してきた【何事も主にあってできる!】のみことばをもって、喜んでこの働きを受けました。そして、高校時代から15年近く共に聖書を学んできたW姉妹が早く霊的にも肉的にも回復し、自分の救いの達成に努めることができるよう、【人がその友のために命を捨てること、これよりも大きな愛はない】(ヨハネ15:13)を握りしめて立ち上がりました。

 

N姉妹は、さらに3つのみことばを頂き、子供たちをどのようなクリスチャンに育てていきたいのか、就任の挨拶も兼ねて話してくれました赤薔薇

 

①第1テモテ4:11~16本

これらの事を命じ、また教えなさい。あなたは、年が若いために人に軽んじられてはならない。むしろ、言葉にも、行状にも、愛にも、信仰にも、純潔にも、信者の模範になりなさい。わたしがそちらに行く時まで、聖書を朗読することと、勧めをすることと、教えることとに心を用いなさい。長老の按手を受けた時、預言によってあなたに与えられて内に持っている恵みの賜物を、軽視してはならない。すべての事にあなたの進歩があらわれるため、これらの事を実行し、それを励みなさい。自分のことと教のこととに気をつけ、それらを常に努めなさい。そうすれば、あなたは、自分自身とあなたの教を聞く者たちとを、救うことになる。

 

アーメン宝石緑

言葉、行状、愛、信仰、純潔において、信者の模範になるという事は、この世において模範になることは当たり前であり、さらにクリスチャンの模範になるという事です。子供たちが、クリスチャンとしてそのようになれるように交わっていきたいと話してくれました。また、自分の行いが神の国と神の義を求めるものであれば、必ず全て添えて与えられる故、自分の救いの達成に努めることができる子供たちになってほしいと話してくれました。

 

②ヨハネ4:42本

「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである」。

 

アーメン宝石赤

子供たちの場合、親が信じているから一緒に来ている、連れて来られているだけと思っている事があります。既成の教会の中で、成長するに連れて若者が去って行くのはその思いが払拭される事なく大きくなったからだと言えるでしょう。教会嫌い、聖書嫌いになって、イエス様から離れて行ってしまう現状を、教会は重く受け止めなければならないと思います。

N姉妹は、子供たちが自分自身で神の言を親しく聞いて、救い主だと分かり、信仰を持つことができるよう導いていきたいと話してくれました。

 

先日、数回しか集会には参加していなかったT兄弟が、学校の合唱コンクールで敬虔なクリスチャンであったアンデルセン作詞の「一詩人の最後の歌」を歌う事になり、集会で聞いた牧師の話を基に、クラスメイトに難しい歌詞の内容(魂の大きな国=天国へ帰る喜びを神のために歌った歌詞)を説明する事になったそうです。その際、担任から「クリスチャンか?」と聞かれたT兄弟は、「はい」と答えたそうです。

彼は、幼い頃から神様がたくさんいるのはおかしいと思っていたそうで、聖書に出会い神は一人だと分かり、疑問が解けてスッキリしたそうです。まさに、自分自身で神の言を親しく聞いて、救い主だと分かったのですキラキラそこからみことばが彼の内に入っていったのでしょう。合唱コンクール当日には、マタイ10:28【からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな】のみことばが最初に読み上げられ、「彼が求め、信じたのはイエス・キリストの存在だった」とはっきりイエス様の御名前がホールに響いたと母親が証してくれました。

 

③第1ペテロ4:7~11本

万物の終りが近づいている。だから、心を確かにし、身を慎んで、努めて祈りなさい。何よりもまず、互の愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである。不平を言わずに、互にもてなし合いなさい。あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。語る者は、神の御言を語る者にふさわしく語り、奉仕する者は、神から賜わる力による者にふさわしく奉仕すべきである。それは、すべてのことにおいてイエス・キリストによって、神があがめられるためである。栄光と力とが世々限りなく、彼にあるように、アァメン。

 

アーメン宝石ブルー

キリストの肢体にはそれぞれ役割があります。N姉妹自身はキリストの肢体として役立つ者として働くこと、さらに子供達一人一人もキリストの肢体であるという自覚をもって、神のために働けるクリスチャンとなれるよう、教え、導いていきたいと決意を表明してくれました。

 

そして、小学5年生から聖書を学び、絵本「一つになろうよ!」に登場してくる“光ちゃん”でもあるN姉妹は、自身の歩みを振り返りながら次のように話してくれました。

 

「私自身、母教会で子供の交わりに参加していましたが、そこでの交わりよりも、月曜日から土曜日まで、家庭で母が教えてくれた事が自分の信仰を育ててくれたと思っています。基本的には、家での教育が一番大事です。

例えば、友達とケンカをして帰ってきた時に、母は私の話をゆっくりと聞き、悪霊が動いたことや、無条件で赦すことをみことばをもって教えてくれました。そして、仲直りができるように共に祈ってくれました。次の日、学校に行ってケンカをした友達と仲直りができるとイエス様に祈ったからだ!と分かり、イエス様への信仰が強められていきました。私が気づいていない聖霊の導きに対しては、母が「イエス様だね!イエス様に祈ったからだね!」と教えてくれ、神・イエス様と共に歩く喜びを実感することができました。

私と母は一緒に集会に通い始めたので、互いに励まし合いながら、分かる範囲、学んでいる範囲内で、教え合ってきました。母が人の言動に流されて不信仰になりそうな時は、幼い私が、「お母さん、クリスチャンは多数決じゃないよ!」と励ましたこともあり、母はそれを軽んじることなく、イエス様からの言葉だと信じ、感謝して受けていました。お風呂の中では一緒に覚えたての賛美歌を歌い、「これはイエス様だね!」「今、サタンが動いたね!」という会話が日常的になりました。

感謝なことに、ぶどうの木の子供たちも最初から両親と共に救われ、教えを聞くことができています。だからこそ、イエス様の働きを知らせる声かけ、霊を立たせる声掛けをしていってもらいたいと思います。」

 

絵本「一つになろうよ!」を出版してから5年が経ち、改めてぶどうの木が大事にしていること、神が私たちに聖書を通して教えようとされていることは、家族・家庭の在り方なのだと語られました。それを、絵本の中の“光ちゃん”が自分の体験をもって皆に直接語ってくれた集会であったこと、N姉妹が子供の働き人になったことも、神の御計画なのだと確信しましたまじかるクラウン

 

 

さらに、神が求める家族の雛型として選ばれ、ぶどうの木ができた時から家族の在り方を学んでいるS姉妹(ぶどうの木教師)を通しては、クリスチャンホームの家庭だからこそできる会話があることを語られました。

 

先週から私たちは、トラクト「神の国は力である」に書かれている人体図の一番右・青い状態=聖霊に満たされた状態で常にいれるよう、自分の生活、環境を吟味しなければならないと語られています。

 

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世の中に出て行けばすぐに赤い状態にしようとしてくるサタンの攻撃があり、また家庭においても家族が使われ、赤い状態にさせられることは多々あります。しかし、一瞬にして赤から青の状態に変わることができる方法があります。それは、みことばですひらめき電球

S姉妹は、自分の車の鍵を持って出かけてしまった夫を裁き、職場に連絡しても電話に出ない夫をさらに裁き、スペアキーの使い方もよく分からず、出かける用事があるのに出かけられない状態にずっと苛立っていたそうです。夫が帰宅したら何と言ってやろうか!と思いながら、その気持ちを共に聖書を学んでいる次男に伝えると、「(イエス様の御名前で)ゆるして、愛して、だよね?」と言われたそうです。S姉妹はその瞬間、一気に肉が静まり、寛容な心なく腹を立てていたことを悔い改めたそうです。そして、帰宅した夫を穏やかに迎えることができたと話してくれました。

家族の中で、どれだけみことばに基いた会話ができているでしょうか。主語が「イエス様」になっているでしょうか。肉の思いに満たされている自分の時ほど、一言のみことばが突き刺さります。日常生活においては、寝る前に必ず霊の思いに満たされた自分であるようみことばとイエス様の血によって自分を清めること(霊的聖餐式をすること)は必要ですし、子供たちに対しては、家庭においてクリスチャンの親が霊の思いに満たされた状態に戻してあげることが大切です。

 

またS姉妹は、ある姉妹が会社への不満を言っている際に、牧師が、「あなたがその会社に遣わされた意味は何だったのかな?」と投げかけた事によって、一気に会話が肉の会話から霊の会話に変わったことを感じたと話してくれました。

現実問題から、霊の世界、国籍は天にある者として第3の天からの見方へ戻す働きかけも、クリスチャンホームだからこそできる事、クリスチャン同士の会話は現実問題を吐露して終わることなく、必ず霊の会話、霊を立たせる会話で終わらなければならないのだと語ってくれました。

 

 

今週の集会では、ずっといじめに苦しんでいたS兄弟が、みことばに従ってクラスメイトを赦し、愛し、祝福し、尊敬してきた事によって、神の助けを得ることができたと証してくれました。担任に相談しても理解してもらえなかったのですが、教務主任がずっとS兄弟の頑張りを見ていてくれ、いじめを受けていることを話すと、問題解決に動いてくれ、各クラスの担任に、「S君がこれほど苦しんでいることに気づいていたのか?」と問いかけてくれたそうです。そして、事態を重く受け止めた学校側が、S兄弟の苦しみにじっくり耳を傾けてくれ、S兄弟は他にも暴力や暴言に苦しんでいる子がいることも伝えることができました。暴力を振るってきた子の親からもS兄弟の母親に謝罪の電話がありました。

今回の一件は、危害を加える生徒たちの家庭問題をふまえて、先生は「根が深い」と言っているそうですが、教務主任が使われ、S兄弟の傷ついた魂が光に出されたことは感謝であり、大きな前進でした。

 

しかし、S兄弟に暴力をふるった子の母親から電話があったことで、S兄弟の母親は謝罪のあった男の子との関係が悪化することを占ってしまい、「大事になってしまった・・・Sも悪かったのではない?」とS兄弟に言葉をかけました。すると、S兄弟の喜びも、恐れや自己卑下に変わり、一気に不安に陥ってしまったのです。

子供は親の言葉に一喜一憂します。共に聖書を学んでいる母子ですが、母親の不信仰がS兄弟にも伝染してしまいました。すぐに姉妹の助けがあり、占いの霊を追い出して祈ると、S兄弟は、その子と普通に話すことができ、一緒に帰宅することができ、祈りが届いたと喜んで証してくれました。

 

集会で、「友達を裁いたり、妬んだりしていた自分も悪かった」とつぶやくS兄弟に、牧師は、「先生たちが動いてくれたことはイエス様だと思いますか?それとも、お母さんが心配したように大事になってしまったと思いますか?言わなければ良かったと思いますか?」と尋ねました。S兄弟は、「言ってよかったと思います!イエス様がして下さった事だと思います!」と答えました。

晴れやかな顔になったS兄弟に、牧師は

「クリスチャンは迷った時には、素直に、正直に、誠実に語ることが大切です!そして、みことばに忠実に!先生に聞かれた時には、自分が受けた事、自分がしてしまった事をそのまま話しなさい。自分で自分を救おうとして弁明してはいけません。神は全てご存知です。あなたの髪の毛の数まで知っておられる神を畏れて、神がどう思われるのかを常に考えなさい。神は、一羽のすずめもかえりみて下さる方です。それなのに、S兄弟をかえりみない事があるでしょうか?そんな神を裏切ってはいけません。どんな時も、何らやましい事はないと言える自分でありましょう。」

とおっしゃいました。

 

マタイ10:28~33本

また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。しかし、人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう。

 

ヨハネ16:22~24本

このように、あなたがたにも今は不安がある。しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう。そして、あなたがたの心は喜びに満たされるであろう。その喜びをあなたがたから取り去る者はいない。その日には、あなたがたがわたしに問うことは、何もないであろう。よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。

 

ヨハネ16:33本

これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。

 

アーメン宝石紫

 

 

今の世の中、子供たちの状態は親の状態であり、破綻してしまっている家庭がたくさんあります。家庭内で皆がそれぞれ問題を抱え、家族といても満たされない、死にたいと思っている人もいます。

ぶどうの木の兄弟姉妹たちも、導かれた当初は家庭問題を抱えていました。聖書は、家族という単位が重要であると教え、親の役割についても明確に書かれています。

わがままな子、偏食が多い子、落ち着きがない子、言葉遣いが悪い子、さらに非行に走ってしまう子、ゲーム依存になってしまう子、精神病や自殺に追い込まれてしまう子がいますが、子供たちの背景には親の価値観や教育方針、言葉かけの仕方など、親との関係によって生まれる様々な問題があります。聖書を学んでいくと、それが明確に浮び上がってきます。特に母親の影響は多大にあります。イエス様は牧師を通して、その一つ一つを指摘し、正してきました。

最初は皆、愕然とします。「私はちゃんと子育てしてきた!私のせいではない!認めたくない!」と反発する人もいます。しかし、義人は一人もいないと聖書に書かれてある通り、救われる前の人間、子育てに良いものは一つもないのです。どれだけ自分の子育てを自負しても、神の善しとされる基準と、私たち人間が善しとする基準は最初から交わることがないほどかけ離れているからです。

みことばが臨むと、子供のためと言いながら自分のために子供を叱り導いていた、自分の利益のために教えていた、自分が恥をかきたくないだけだったと、神の愛ではなく、自分の考えや感情、状況によってコロコロ変わる“愛情”で子育てをしてきたことに気づき、結局自分が一番かわいかった事を反省します。

そして、自分の子育てを悔い、改めたいと願い求めるようになります。聖書に従うことに意思を向けるようになります。

子供たちも、そんな親をゆるし、【両親に従いなさい】というみことばにアーメンし、共に学び始めるようになります。

教会とは、聖書に従った親となり、子となり、神が求めておられる家族、家庭に生まれ変わっていく場でもあると思います。ぶどうの木にはそのように変えられた証がたくさん生まれてきました。

神学や、預言がいかに成就しているかだけを伝えるメッセージばかりをしている教会もありますが、聖書はもっと生活に根ざしたものであると私たちは学び、体得してきました。人が人として成長するために与えられた家庭という単位、家族という関係を大切にし、子供たちも共に神の御心にかなったクリスチャンとなっていけたことを感謝します乙女のトキメキ