13年目初集会②―ユダヤ人と神との関係― | ぶどうの木 Good News

13年目初集会②―ユダヤ人と神との関係―

holygirlです星

 

前回のブログでヘブル人への手紙について書きましたが、ヘブル人は自らをイスラエル人と呼び、バビロン捕囚後にはユダヤ人と言われるようになった、神の選びの民です。

聖書は、世界の中心は“イスラエル”であると教えており、神が選んだ民族は“ユダヤ人”だと書かれています。イスラエルに行けば、神の御子イエス・キリストが地上にいた事が証明される史跡が全て残っています。イエス・キリストは確かに歴史の中にあらわれた神なのです。

 

ユダヤ人は歴史上で確認されている最初の人間・アブラハムの子孫であり、「選ばれた民」としての誇りをもっていましたが、紀元前63年に強大なローマ帝国に支配され、大国の属領民となってしまいました。彼らはローマ帝国に対してしばしば反乱を起こしましたが、そのたびに鎮圧され、紀元135年にはイスラエルの首都エルサレムに住むことさえ禁じられたため、全世界へ離散していきました。しかし、各国民になってもユダヤ人としての民族性は持ち続けました。その中で迫害も受け、第2次世界大戦中には、ナチス・ドイツによって、約600万人のユダヤ人が虐殺されました。しかし、どこの国も見て見ぬふりをし、助けてはくれませんでした。やがて、「シオニズム運動」(エルサレムの愛称シオンに帰ろうという運動)が起こり、離散してから約1800年後の1948年5月14日に「イスラエル国」を建国しました。現在、国内に600万人、海外に600万人以上のユダヤ人がいるそうです。

1917年、第一次世界大戦の際、イスラエル建国に至る裏には、神の御言葉(御計画)を必ず成就される神の御業がありました。イギリスにもアメリカにも、国政の中に旧約聖書の預言を信じている熱心なクリスチャン達・政治家が揃っていたのです。神の凄さ、やり方が分かります。そして、イスラエル建国が決まったのですが、その後サタンが動いて政権が代わり、実現に至ったのは30年後の1948年になりました。そして、さらに70年後に2018年5月14日に、トランプ大統領がイスラエルの首都をエルサレムにすると宣言したのです。

 

歴史の中で、ユダヤ人がいた国は祝福され、ユダヤ人を切り捨ててきた国は衰退してきたそうです。これは、創世記12:1~4のみことば、神が人類の父祖アブラム(アブラハム)と結んだ契約のみことばに基いているのだそうです。

 

創世記12:1~4本

時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。アブラムは主が言われたようにいで立った。

 

そして、契約が実行されていることは、日本に働きかけてきたポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、アメリカの勢いと衰退を通しても分かるそうです。この事については、「歴史の謎を解くユダヤ人とバイブル」という動画で詳しく説明されていますので、ぜひご覧ください。この動画は、視聴回数100万回を突破したそうです。

https://m.youtube.com/watch?v=n2WzaNFKP80&feature=youtu.be

 

 

私たちクリスチャンの先人パウロも、ユダヤ人でした。ユダヤ人はイエス様が救い主として地上に来られたにも関わらず、それを信じずに迫害していました。そしてついに、イエス様を十字架にかけて殺してしまったのです。その後、パウロはユダヤ人の先頭に立って聖徒たちを迫害しました。エルサレムでイエスの名に逆らって反対の行動を敢行し、祭司長たちから権限を与えられて、多くの聖徒たちを獄に閉じ込め、彼らが殺される時には、それに賛成の意を表していました。さらに、いたるところの会堂で、彼らを罰し、無理やりに神をけがす言葉を言わせようとし、彼らに対してひどく荒れ狂い、外国の町々にまで、迫害の手をのばしたのです。そんなパウロに対して、イエス様が直接天から語りかけました。

【さあ、起きあがって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしに会った事と、あなたに現れて示そうとしている事とをあかしし、これを伝える務に、あなたを任じるためである。わたしは、この国民と異邦人との中から、あなたを救い出し、あらためてあなたを彼らにつかわすが、それは、彼らの目を開き、彼らをやみから光へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、また、彼らが罪のゆるしを得、わたしを信じる信仰によって、聖別された人々に加わるためである』。】(使徒行伝26:16~18)と。

そして、彼はイエス様に仕える者となり、悔い改めて神・イエス様に立ち返るように、悔い改めにふさわしいわざを行うようにと、説き勧めていきました。ユダヤ人は、パウロを殺そうとしましたが、彼は全世界に向けて福音を宣べ伝えたのです。

 

今週の集会では、パウロが聖霊によって宣教に送り出され、「救い主はイエス様だ!」と伝え広めた使徒行伝13章を読みましたひらめき電球

 

使徒行伝13章本

さて、アンテオケにある教会には、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、およびサウロなどの預言者や教師がいた。一同が主に礼拝をささげ、断食をしていると、聖霊が「さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい」と告げた。そこで一同は、断食と祈とをして、手をふたりの上においた後、出発させた。

ふたりは聖霊に送り出されて、セルキヤにくだり、そこから舟でクプロに渡った。そしてサラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言を宣べはじめた。彼らはヨハネを助け手として連れていた。島全体を巡回して、パポスまで行ったところ、そこでユダヤ人の魔術師、バルイエスというにせ預言者に出会った。彼は地方総督セルギオ・パウロのところに出入りをしていた。この総督は賢明な人であって、バルナバとサウロとを招いて、神の言を聞こうとした。ところが魔術師エルマ(彼の名は「魔術師」との意)は、総督を信仰からそらそうとして、しきりにふたりの邪魔をした。サウロ、またの名はパウロ、は聖霊に満たされ、彼をにらみつけて言った、「ああ、あらゆる偽りと邪悪とでかたまっている悪魔の子よ、すべて正しいものの敵よ。主のまっすぐな道を曲げることを止めないのか。見よ、主のみ手がおまえの上に及んでいる。おまえは盲になって、当分、日の光が見えなくなるのだ」。(←聖霊に満たされると悪霊が見えるようになる!)

たちまち、かすみとやみとが彼にかかったため、彼は手さぐりしながら、手を引いてくれる人を捜しまわった。総督はこの出来事を見て、主の教にすっかり驚き、そして信じた。

パウロとその一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から身を引いて、エルサレムに帰ってしまった。しかしふたりは、ペルガからさらに進んで、ピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂にはいって席に着いた。律法と預言書の朗読があったのち、会堂司たちが彼らのところに人をつかわして、「兄弟たちよ、もしあなたがたのうち、どなたか、この人々に何か奨励の言葉がありましたら、どうぞお話し下さい」と言わせた。そこでパウロが立ちあがり、手を振りながら言った。

「イスラエルの人たち、ならびに神を敬うかたがたよ、お聞き下さい。この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び、エジプトの地に滞在中、この民を大いなるものとし、み腕を高くさし上げて、彼らをその地から導き出された。そして約四十年にわたって、荒野で彼らをはぐくみ、カナンの地では七つの異民族を打ち滅ぼし、その地を彼らに譲り与えられた。それらのことが約四百五十年の年月にわたった。その後、神はさばき人たちをおつかわしになり、預言者サムエルの時に及んだ。その時、人々が王を要求したので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間、彼らにおつかわしになった。それから神はサウロを退け、ダビデを立てて王とされたが、彼についてあかしをして、『わたしはエッサイの子ダビデを見つけた。彼はわたしの心にかなった人で、わたしの思うところを、ことごとく実行してくれるであろう』と言われた。神は約束にしたがって、このダビデの子孫の中から救主イエスをイスラエルに送られたが、そのこられる前に、ヨハネがイスラエルのすべての民に悔改めのバプテスマを、あらかじめ宣べ伝えていた。ヨハネはその一生の行程を終ろうとするに当って言った、『わたしは、あなたがたが考えているような者ではない。しかし、わたしのあとから来るかたがいる。わたしはそのくつを脱がせてあげる値うちもない』。兄弟たち、アブラハムの子孫のかたがた、ならびに皆さんの中の神を敬う人たちよ。この救の言葉はわたしたちに送られたのである。エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めずに刑に処し、それによって、安息日ごとに読む預言者の言葉が成就した。また、なんら死に当る理由が見いだせなかったのに、ピラトに強要してイエスを殺してしまった。そして、イエスについて書いてあることを、皆なし遂げてから、人々はイエスを木から取りおろして墓に葬った。しかし、神はイエスを死人の中から、よみがえらせたのである。イエスは、ガリラヤからエルサレムへ一緒に上った人たちに、幾日ものあいだ現れ、そして、彼らは今や、人々に対してイエスの証人となっている。わたしたちは、神が先祖たちに対してなされた約束を、ここに宣べ伝えているのである。神は、イエスをよみがえらせて、わたしたち子孫にこの約束を、お果しになった。それは詩篇の第二篇にも、『あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ』と書いてあるとおりである。また、神がイエスを死人の中からよみがえらせて、いつまでも朽ち果てることのないものとされたことについては、『わたしは、ダビデに約束した確かな聖なる祝福を、あなたがたに授けよう』と言われた。だから、ほかの箇所でもこう言っておられる、『あなたの聖者が朽ち果てるようなことは、お許しにならないであろう』。事実、ダビデは、その時代の人々に神のみ旨にしたがって仕えたが、やがて眠りにつき、先祖たちの中に加えられて、ついに朽ち果ててしまった。しかし、神がよみがえらせたかたは、朽ち果てることがなかったのである。だから、兄弟たちよ、この事を承知しておくがよい。すなわち、このイエスによる罪のゆるしの福音が、今やあなたがたに宣べ伝えられている。そして、モーセの律法では義とされることができなかったすべての事についても、信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである。だから預言者たちの書にかいてある次のようなことが、あなたがたの身に起らないように気をつけなさい。

『見よ、侮る者たちよ。驚け、そして滅び去れ。わたしは、あなたがたの時代に一つの事をする。それは、人がどんなに説明して聞かせても、あなたがたのとうてい信じないような事なのである』」。

ふたりが会堂を出る時、人々は次の安息日にも、これと同じ話をしてくれるようにと、しきりに願った。そして集会が終ってからも、大ぜいのユダヤ人や信心深い改宗者たちが、パウロとバルナバとについてきたので、ふたりは、彼らが引きつづき神のめぐみにとどまっているようにと、説きすすめた。

次の安息日には、ほとんど全市をあげて、神の言を聞きに集まってきた。するとユダヤ人たちは、その群衆を見てねたましく思い、パウロの語ることに口ぎたなく反対した。パウロとバルナバとは大胆に語った、「神の言は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ。主はわたしたちに、こう命じておられる、

『わたしは、あなたを立てて異邦人の光とした。あなたが地の果までも救をもたらすためである』」。

異邦人たちはこれを聞いてよろこび、主の御言をほめたたえてやまなかった。そして、永遠の命にあずかるように定められていた者は、みな信じた。こうして、主の御言はこの地方全体にひろまって行った。ところが、ユダヤ人たちは、信心深い貴婦人たちや町の有力者たちを煽動して、パウロとバルナバを迫害させ、ふたりをその地方から追い出させた。ふたりは、彼らに向けて足のちりを払い落して、イコニオムへ行った。弟子たちは、ますます喜びと聖霊とに満たされていた。

 

アーメンゆめみる宝石

パウロが聖霊に満たされて悪霊を見分け、大胆に語っていく姿勢により、全市をあげて神の言を聞きに人が集まってきた事は、私たちの希望、目標でもあります。

そして、ユダヤ人ではなく、方向を変えて異邦人に福音を宣べ伝えてくれたからこそ、私たち日本人も今福音を聞くことができ、救われている事に感謝しました。

異邦人が救われていくことは、ローマ11:25~36に書かれている預言の成就に繋がる事ですひらめき電球

 

ローマ11:25~36本

兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人(ユダヤ人)がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、

「救う者がシオンからきて、ヤコブ(ユダヤ人)から不信心を追い払うであろう。そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、彼らに対して立てるわたしの契約である」。

福音について言えば、彼らは、あなたがたのゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である。神の賜物と召しとは、変えられることがない。あなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は彼らの不従順によってあわれみを受けたように、彼らも今は不従順になっているが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、彼ら自身も今あわれみを受けるためなのである。すなわち、神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順のなかに閉じ込めたのである。

ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。

「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。また、だれが、まず主に与えて、その報いを受けるであろうか」。

万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。栄光がとこしえに神にあるように、アァメン。

 

聖書は、異邦人(イスラエル人以外の人々)が全部救われるに至る時までかたくなになっていたイスラエル人が、イエスこそ救い主であると認め、信じ、救われたら、この世の終わりが来る、すなわちイエス様が再臨されると預言しています。イスラエルが建国され、たくさんのイスラエル人=ユダヤ人が祖国に戻ってきている今、終りの日が近い!とクリスチャンたちは感じています。先に紹介した動画を通しても、史実としてそれを実感することができます。

 

この一つの大きな流れを再確認し、私たちもパウロにならって、神のみ旨を行うことに意思を向けていかなければならないと語られました。

見える事しか信じられない人、特に男性の器に対して歴史的な角度、神学から聖書を伝えるクリスチャンがいます。奇跡を行って人々に神の力を信じさせ、とにかく信じたら天国に行けると教えているクリスチャンがいます。クリスチャンそれぞれに、キリストの肢体としての役割があります。

しかし、ただ史実を知り、奇跡を見て信じて、すごい!と納得したり喜んでいるだけで天国に行ける、携挙されるとは思いません。霊をよみがえらせる救いを正しく受け、聖霊のバプテスマによって力を得て、神に喜ばれる全きキリストの花嫁として神の御旨を行なっていくことが重要であると私たちは語られています。

神が行っている壮大な計画とその成就だけを見るのではなく、神の子であるイエス様の御業をしっかりと認め、信じる信仰によって13年目も一つ思いで福音宣教していけたことを感謝します!!

 

ヨハネ5:19~24本

さて、イエスは彼らに答えて言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができない。父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである。なぜなら、父は子を愛して、みずからなさることは、すべて子にお示しになるからである。そして、それよりもなお大きなわざを、お示しになるであろう。あなたがたが、それによって不思議に思うためである。すなわち、父が死人を起して命をお与えになるように、子もまた、そのこころにかなう人々に命を与えるであろう。父はだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子にゆだねられたからである。それは、すべての人が父を敬うと同様に、子を敬うためである。子を敬わない者は、子をつかわされた父をも敬わない。よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。

 

アーメンピンクハート