神は生きている者の神―葬式について―
holygirlです
前回の水の洗礼式から、新たに兄弟姉妹が増えたこともあり、7月に水の洗礼式をする事になりました。単純に、イエス様がされた事ですから、私たちも行います
「洗礼」と聞くと、「もう後戻りはできない!」と、まるで仏門にでも入るような覚悟をする人がいたり、家族から、「別の世界に行ってしまうみたい。あなたの葬式はキリスト教式でしなければならないの?」と言われたりと、自分も家族も、重く受け止めてしまい、大きな問題になってしまう事があります。
特に、葬式は仏式で、代々墓を守り、先祖を供養していくことが当たり前の日本人にとっては、家族の一人がクリスチャンになる事を受け入れることができず、「葬式はどうするんだ!一緒の墓には入れないのか!クリスチャンになったら仏壇の世話はしないのか!」と、迫害に発展することが多々あります。
そのようなこだわり、固定観念こそが、この福音を妨げてきたのだと言えます。
一般的な教会では、このような親族間のトラブルを恐れて、洗礼を受けることなく求道者のまま何年も在籍している人がいますが、それこそ、サタンの策略にまんまとかかっています。
私たちクリスチャンにとって、自分が亡くなった後、どんな葬式をしてもらおうと関係ありません。葬式の場に自分はおらず、すでに天国でイエス様と一緒にいるからです。土からつくられた体は、土に返してもらえば、それで十分です。他教会は分かりませんが、ぶどうの木はそのように教えています。
クリスチャンになると、必ず身内から「葬式はどうするんだ!一緒のお墓に入れないのか?」と言う声が聞こえて来ますが、葬式は、亡くなった人のためではなく、残された家族のためのものですから、家族が納得できるやり方で送ってもらえば良いと思っています。サタンの支配下の中で、明日の命の保障はなく、誰が先に亡くなるか分かりませんが・・・。
クリスチャンになり、「絶対にキリスト教式で送ってほしい!」とわざわざ身内に言う必要はありません。しかし、「私は天国に行くのでお好きにどうぞ」と伝える中で、「私の魂は天に上げられるから、供養や墓参りはしなくていいよ」と種蒔きをし、重荷を負わせないようにすることは必要でしょう。
大事なのは、亡くなった後、魂が天国に行くか、地獄に行くかという事です。神は生きている者の神ですから、天国に行くためには、この地上でどう生きたかが問われます。天国の門は、神のみ旨を行う者だけが入れる狭き門です。そのため、葬式のやり方は関係ありませんが、家族の中で自分が最初にイエス様に選ばれたのなら、他の家族のためにとりなす責任があり、生きている間に、自分も家族も天国に行けるように福音をしていかなければなりません。【主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます。】(使徒行伝16:31)というみことばを握りしめて
ルカ20:38
神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。人はみな神に生きるものだからである。
アーメン
最後に、一つ証を紹介します一人の人間が地上を去った時、神は残された家族にどう働かれるのか、日本の仏葬のむなしさ、クリスチャンとしての葬儀の在り方などを知って頂ければと思います
証「仏葬と家族葬を体験して」→http://budounoki92.com/pg109.html