『相撲』(諒のブログより) | ぶどうの木 Good News

『相撲』(諒のブログより)

日本の国技と言われる『相撲』に関する、興味深い記事を見つけました。

http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=275
 
http://www.kondo-clinic.com/other/sumonoroot2/sumonoroot2.html


相撲のルーツが、「イスラエルにあるのではないか?」という内容でした。

皆さんにとって相撲はどんなものでしょうか?

「テレビで見てた、休み時間に遊びでやった」というのが一般的だと思います。

相撲の行司の「ハッケヨイ、ノコッタ、ノコッタ」という掛け声も、ヘブライ語に訳すと

ハッケ→投げつけよ
ヨイ→やっつけよ
ノコッタノコッタ→投げたぞ! やったぞ!

となるそうです。

また、創世記にはヤコブが相撲を取ったことも書かれています。


創世記32:22~25
彼はその夜起きて、ふたりの妻とふたりのつかえめと十一人の子どもとを連れてヤボクの渡しをわたった。すなわち彼らを導いて川を渡らせ、また彼の持ち物を渡らせた。ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした。ところでその人はヤコブに勝てないのを見て、ヤコブのもものつがいにさわったので、ヤコブのもものつがいが、その人と組打ちするあいだにはずれた。


「相撲がイスラエルの神事」ということがテレビで放映されていました。

 

日本のルーツを色々ひも解いていくと、全ての始まりに聖書が関係していることがわかり、面白いと思うのと同時に嬉しくなりました。

日本の始まりは、仏教でも神道でもなく、聖書であることが明らかにされていることは凄い!

日本人は「自分には関係ない」とか「周りがどう思うか」とか気にすることなく、もっと心を広くして見聞きすることが大事です。


創世記1:1~2
はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。

ヨハネによる福音書1:1~5
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

イザヤ書44:6~8
主、イスラエルの王、イスラエルをあがなう者、万軍の主はこう言われる、「わたしは初めであり、わたしは終りである。わたしのほかに神はない。だれかわたしに等しい者があるか。その者はそれを示し、またそれを告げ、わが前に言いつらねよ。だれが、昔から、きたるべき事を聞かせたか。その者はやがて成るべき事をわれわれに告げよ。恐れてはならない、またおののいてはならない。わたしはこの事を昔から、あなたがたに聞かせなかったか、また告げなかったか。あなたがたはわが証人である。わたしのほかに神があるか。わたしのほかに岩はない。わたしはそのあることを知らない」。


アーメン。

日本のルーツがもっと詳しく書かれた、『日本人の皆様へ 今、知らせたい事』をご一読ください。