福音①―聖書の力―
holygirlです
第2テモテ3:16
聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。
聖書には、人間としての生き方の答えが書かれています。神様によって母の胎内で組み立てられ誕生した後、与えられた人生をどう生きるのか、尊厳を守る生き方について教えてくれます。ほとんどの人間は、自分が変わる事を嫌い、周りが変わる事を要求します。しかし聖書は、自分の立場を守るのではなく、まずは自分自身が神の言葉に従って神が望まれる姿に180度変わる事を求める事、そうすれば、神が相手を変えて下さると教えています。皆が聖書の教えに基いて180度変わる事ができたら、世界中の人々の価値観は一つになり、共通理解ができるようになります。聖書には、何と書かれているのか!というところに皆が戻り、それに従うことができるからです。
ローマ1:18~32
神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。 なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。
ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。創造者こそ永遠にほむべきものである、アァメン。
それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を不自然なものに代え、男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互にその情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのである。
そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。彼らは、こうした事を行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら、自らそれを行うばかりではなく、それを行う者どもを是認さえしている。
聖書には、「神を愛し、自分を愛するように隣人を愛しなさい」という人間が生きる土台となる戒めが書かれています。この戒めが、人間が生きていく中で一番大切な戒めです。しかし、聖書(真の神)を受け入れず、認めない人間は、それに従いませんでした。その結果が、人間同士が互いに憎み合い、それぞれが自分の利益だけを求める事によって生まれた分裂や分派、戦争です。世界のいたるところで紛争や戦争、あらゆる民族間のいがみ合いが続いています。日本も「強い国=武装」づくりを進めています。それは、男性が良かれと思って考えた男の義による解決方法です。どの国も相手を威嚇、屈服させる事によって自国を守り、国を導き、「隣人を愛する」事とは真反対の道を突き進んでいます。そして、とうとう自身の欲望を満たすために核兵器を作り出しました。今や、それはたった一発で地球上の生命を全て破壊し尽くすほどの脅威となりました。
また、神の存在を無視し、聖書(神)の教えに従って来なかった事によって、家庭においても深刻な問題をもたらしています。神の秩序を無視し、子を生み育てる自覚や責任感が欠如したまま親になった結果、様々な形の虐待が恒常的に存在する“機能不全家庭”が増えました。自分にとって一番の隣人である家族を愛する事ができず、分裂している状態です。また、家庭内不和や離婚率が増加し、それに伴って貧困率が高まりました。貧困家庭の多くが母子家庭だそうです。
親が離婚再婚を繰り返す事によって、その度に振り回され、傷つく子どもたちがいます。いじめ、貧困、教育格差、家庭に居場所がないために走る非行や犯罪など、命に関わる深刻な問題は、次々と起っています。小学生からスマホを持つ子どもが増え、自制できずにインターネットやゲームの世界に入り込んでいってしまう子がいます。逆に、親の期待に応えようと、親の価値観に従って必死に勉強をしている子がいます。学校教育も、テストと膨大な宿題や課題で子どもたちを追い込んでいます。しかし、そのような子どもたちは、心が育たず、心を耕す機会もないために、人とのコミュニケーションをとるのが下手です。次世代を担う子どもたちは、大人がつくった世界で、すでに悲鳴をあげ、苦しんでいます。
そして、このように神に逆らって突き進んだ果てに、現れてきたのがLGBT問題です。戦争は命を奪い人類を破滅に導きますが、同性愛者同士の結婚や、子どもを望む事によって、人間が遺伝子の歪みにより弱っていく事は、確実に人類を破滅の道に導くでしょう。
人間は、自分を神よりも賢い者として多くの計略を考えだしました。それによって発展を遂げ、これからも前進していけると思っています。しかし、神の目から見たら、それは薄氷を踏むような生き方をしているにすぎません。聖書には、今の時代に対する神の重大な警告も書かれています。それを悟る時、ますます人間は、神の存在を無視しては生きられない、生き延びる事はできないのだと確信するのです。私たちには、神を畏れ、敬う気持ちが必要です。
様々な問題を解決しようとする時、人間に必要な事はとてもシンプルです。まず、問題の原因が「神(聖書)を認めず、神に対して反逆した状態」によって引き起こされたのだという事を認める事です。そして、そのような生き方を悔い改めて神に立ち返る事、すなわち「救われる」事です。
神は、無限の愛を惜しみなく人間に注いで下さる方であり、無から有を呼び出し、不可能を可能にする力のある方です。人間が、神(聖書)に帰るならば、神は喜んで受け入れ、一人一人の問題も、社会問題も解決して下さいます。それだけではなく、自分が運命の中で犯してきた罪や不幸、差別も、時にかなって美しく全てを益に変えて下さいます。神(聖書)を認め、愛し、信頼して従うならば、私たちの希望は失望に終わる事がないことが約束されているのです。
伝道の書12:13~14(リビングバイブルより)
これが私の最終的な結論です。神様を敬い、その命令に従いなさい。これこそ人間の本分だからです。神様は私たちのすることは何でも、人目につかないものでも、善でも悪でも、みなさばかれるのです。
箴言19:16
戒めを守る者は自分の魂を守る、み言葉を軽んじる者は死ぬ。
箴言19:25
あざける者を打て、そうすれば思慮のない者も慎む。さとき者を戒めよ、そうすれば彼は知識を得る。
アーメン
ぶどうの木には、半年前に聖書(イエス・キリスト)によって救われ、自殺願望から解放された高校生がいます。彼女は、この半年間、自分や友達の事しか考えていなかったところから、聖書と照らし合わせて様々な社会問題に目を向ける事ができるようになりました。そして、家庭環境や教育によって、自分を肯定する事ができずに死を考えてしまう苦しみを抱えている子は大勢いるだろうと感じ、現代の若者の思いをスピーチコンテストで伝える事にしました。スピーチは英語であり、世界に発信されます。イエス様は、次のみことばで、彼女を励まし、勇気づけて下さいました
ピリピ4:4~23
あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。 あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。
最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。あなたがたが、わたしから学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことは、これを実行しなさい。そうすれば、平和の神が、あなたがたと共にいますであろう。
さて、わたしが主にあって大いに喜んでいるのは、わたしを思う心が、あなたがたに今またついに芽ばえてきたことである。実は、あなたがたは、わたしのことを心にかけてくれてはいたが、よい機会がなかったのである。わたしは乏しいから、こう言うのではない。わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。しかし、あなたがたは、よくもわたしと患難を共にしてくれた。ピリピの人たちよ。あなたがたも知っているとおり、わたしが福音を宣伝し始めたころ、マケドニヤから出かけて行った時、物のやりとりをしてわたしの働きに参加した教会は、あなたがたのほかには全く無かった。またテサロニケでも、一再ならず、物を送ってわたしの欠乏を補ってくれた。わたしは、贈り物を求めているのではない。わたしの求めているのは、あなたがたの勘定をふやしていく果実なのである。わたしは、すべての物を受けてあり余るほどである。エパフロデトから、あなたがたの贈り物をいただいて、飽き足りている。それは、かんばしいかおりであり、神の喜んで受けて下さる供え物である。わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。わたしたちの父なる神に、栄光が世々限りなくあるように、アァメン。
キリスト・イエスにある聖徒のひとりびとりに、よろしく。わたしと一緒にいる兄弟たちから、あなたがたによろしく。すべての聖徒たちから、特にカイザルの家の者たちから、よろしく。
主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。
アーメン
聖書を学んでいくと、視野が広がります。ただ十字架の前で自分の願いを祈っているだけの“宗教”ではありません。神と自分との関係を回復し、直接神からの言葉を受けて心を耕し、日本人という狭い価値観ではなく、地球に住む一人の「地球人」としての考え方を持てるようになるのです。それは、イエス・キリストが十字架にかかる前の最後のメッセージとして伝えた「一つなりなさい!」という事にも繋がります。イエス・キリスト=聖書は、世界が一つになることを教えているのであり、それは聖書を信じ、従うクリスチャンになる事によってできる事を、私たちは声を大にして伝えていかなければならないと語られました
ヨハネ17:6~26
わたしは、あなたが世から選んでわたしに賜わった人々に、み名をあらわしました。彼らはあなたのものでありましたが、わたしに下さいました。そして、彼らはあなたの言葉を守りました。いま彼らは、わたしに賜わったものはすべて、あなたから出たものであることを知りました。なぜなら、わたしはあなたからいただいた言葉を彼らに与え、そして彼らはそれを受け、わたしがあなたから出たものであることをほんとうに知り、また、あなたがわたしをつかわされたことを信じるに至ったからです。わたしは彼らのためにお願いします。わたしがお願いするのは、この世のためにではなく、あなたがわたしに賜わった者たちのためです。彼らはあなたのものなのです。わたしのものは皆あなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。わたしはもうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残っており、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。わたしが彼らと一緒にいた間は、あなたからいただいた御名によって彼らを守り、また保護してまいりました。彼らのうち、だれも滅びず、ただ滅びの子だけが滅びました。それは聖書が成就するためでした。今わたしはみもとに参ります。そして世にいる間にこれらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれるためであります。わたしは彼らに御言を与えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではないからです。わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。あなたがわたしを世につかわされたように、わたしも彼らを世につかわしました。また彼らが真理によって聖別されるように、彼らのためわたし自身を聖別いたします。
わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします。父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。父よ、あなたがわたしに賜わった人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。天地が造られる前からわたしを愛して下さって、わたしに賜わった栄光を、彼らに見させて下さい。正しい父よ、この世はあなたを知っていません。しかし、わたしはあなたを知り、また彼らも、あなたがわたしをおつかわしになったことを知っています。そしてわたしは彼らに御名を知らせました。またこれからも知らせましょう。それは、あなたがわたしを愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、またわたしも彼らのうちにおるためであります」。
アーメン
つづく・・・