一番自分を迫害してくるのは古い自分 | ぶどうの木 Good News

一番自分を迫害してくるのは古い自分

holygirlですニコちゃん

 

今週は、「一番自分を迫害してくるのは古い自分である」と語られましたひらめき電球

私たちクリスチャンは、悪霊との様々な戦いがありますが、最後に自分が向き合わなければならない一番の敵は、古い自分(救われる前の自分)です。イエス様と出会った時の自分は、霊的に神の目から見たら、最悪な自分でした。なぜなら、絶対に真の神の存在を認める事なく、自分の思いや考え、あるいは、偽の神々の教えに従って生きていたからです。ここに何一つ良いものはなかったと言えなければ、この古い自分と決別することはできませんし、忌み嫌っていても、サタンはあらゆる方法を使って、古い自分に引き戻そうとしてきます。

 

例えば、私は先日姉妹たちとディズニーランドに行ったのですが、A姉妹は、救われる前の自分が抱えていた“東京には行きたくない。行ったら気分が悪くなる”という思いを引きずっていた事で、サタンに門を開けてしまい、東京駅に着いた途端、体に攻撃を受けて本当に気分が悪くなってしまいました。

また、B姉妹は、スプラッシュマウンテンの先頭に乗った途端に「怖い・・・」と言葉にしてしまった事で、怖れの霊が入ってきてどんどん怖くなってしまい泣き出してしまいました。結局その恐怖を引きずってしまい、他の絶叫系の乗り物に一緒に乗ることができませんでした。後から聞いたら、「救われる前からジェットコースターが苦手で、前回姉妹たちとディズニーランドに行った時は肉を打ちたたいて乗ることができたが、今回はその思いと戦うことなく、「怖い」と言ってしまった。【はじめに言があった】と書かれてある通り、そこでサタンに門を開いたと分かった」と言っていました。

2人の身に起きたことは、とてもささいな事かもしれませんし、そんなに無理して乗らなくてもいいのでは?と思う人もいるかもしれません。しかし、クリスチャンに苦手意識があってはいけないのです。この世はサタンの支配下ですが、私たちの内におられるイエス様は、すでにこの世に勝利されていますビックリマークこれだけは無理・・・という怖気づいてしまうような事や、避けたいと思うような事があるなら、私たちはサタンに負けている事になります。サタンに、自分の弱点を知らせれば、事ある度にそこをつついて来るようになるのです。

よく群れの中で笑い話として出て来るのが、ゴキブリやクモに対する向き合い方です。ゴキブリやクモは、霊的に自分が戦っている悪霊の大きさを表したり、霊的戦いに勝利する直前に現れたりする事があります。そのように霊の世界を知っていくと、救われる前はゴキブリやクモが家の中に出てきたら大騒ぎしていた姉妹たちが、神の宮に入って来たゴキブリやクモ=悪霊を逃さまいと、一発で仕留めるようになるのですウインク日本には、クモを重宝する考え方もありますが、ゴキブリもクモも十字架の血を注ぐとピタッと動かなくなるので、本当に悪の象徴です。やはり野放しにしておくことは気持ち悪いというのが、普通の感覚だと思います。

 

“どうせ私はこうだから”という思いは、【だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。】(第2コリント5:17)とおっしゃる神に対して言い逆らう高ぶりです。少し新しくなるのではなく、霊から全てが!新しく生まれ変わっているクリスチャンだけが、サタンの支配下=この世に囚われている人々を救い出すことができるのだと語られました。

 

ローマ1:28~32本

そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。彼らは、こうした事を行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら、自らそれを行うばかりではなく、それを行う者どもを是認さえしている。

 

このみことばは、同性愛者や同性愛者を容認している人々に対する神から警告として、ブログでも何度か伝えて来たみことばです。しかし、聖書は様々な角度から読むことができます。クリスチャンであっても、全てが新しいとおっしゃって下さる神を認めずに、古い自分を握っていたら、神は、なすべからざる事をなすに任せられるのです。

そして、今週特に語られたのは、【こうした事を行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら、自らそれを行うばかりではなく、それを行う者どもを是認さえしている。】という節ですひらめき電球真理を知っていながら、古い自分の価値観で、まだ救われていない人々の言動(神の目から見たら罪)を是認していないか問われました。「冷たいか熱いかであってほしい。熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいものは、吐き出そう」(黙示録3:16より)と言われているにも関わらず、真理を言い切れずにきたのであれば、死に価する神の定めを行う者を是認してきたのと同じであると語られました。

 

また、“どうせこの人はこういう人だから”と、古い自分の固定観念で決めつける事は、高ぶって誰かを低く見ている事であり、裁いているのだと語られました。そこには、サタンが動き、勝利を得ることはできません。イエス様は、どうされたのかひらめき電球どこまでも無条件の許しと愛を注ぎ出されましたピンクハート十字架にかけられた時でさえも、【父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。】(ルカ23:34)とおっしゃいました宝石赤私たちは、そのようにとりなして祈る事ができているのかと問われました。

 

人に真理を伝える前に、私たちの内に他者に対する裁きの思いはないか。

また、“どうせこんな人間だから・・・”と、自分自身を責め、裁いていないか。

改めて、次のみことばからも自分を吟味しました。

 

ローマ2:1~11本

だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。さばくあなたも、同じことを行っているからである。わたしたちは、神のさばきが、このような事を行う者どもの上に正しく下ることを、知っている。ああ、このような事を行う者どもをさばきながら、しかも自ら同じことを行う人よ。あなたは、神のさばきをのがれうると思うのか。それとも、神の慈愛があなたを悔改め導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである。神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。すなわち、一方では、耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ、他方では、党派心をいだき、真理に従わないで不義に従う人に、怒りと激しい憤りとが加えられる。悪を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、患難と苦悩とが与えられ、善を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、光栄とほまれとが与えられる。なぜなら、神には、かたより見ることがないからである。

 

アーメンダイヤモンド

 

以前、古い自分を忌み嫌って、全く新しい者に生まれ変わることができなかったある姉妹が、「それって、性格変えろって事でしょ!」と言ったことがありました。肉の努力で行なおうとしたら、そういう事になるのでしょう。しかし、私たちには、古い自分に戻そうとする悪霊に打ち勝つ、聖霊の力が与えられていますはとShiny肉の思い(古い自分)を打ち叩いて、霊の思いに従う事を助けてくれる力です。私たちは、聖霊の力によってみことばに意志を向けていった時、【肉の思い=古い自分は死、霊の思い=新しい自分は命と平安】であると言い切れる体験を積み重ねることができ、御霊の実の思いだけに満たされた聖別されたクリスチャンとなっていけるのです!!

ですから、古い自分にいつまでも迫害されていてはいけません!

一番の迫害者である古い自分に打ち勝って、神の栄光を輝かし、私たちの主イエス・キリストがほまれを受けるように生きていけた事を感謝しますまじかるクラウン

 

 

余談ですが、先週ゲイ牧師である中村吉基氏の取材記事をインターネットで目にしました。また、キリスト教においてゲイ牧師をどう考えるのかという答えに対して、ベストアンサーに選ばれているコメントも読みました。

 

「クリスチャンになるとは、日常の中におかれるもの=罪をはらいのけて生きる事です。私たちには聖霊がいるので、罪を犯してはならないと自分に言い聞かさせて聖化されていく中で、少しずつ御霊の実が身になっていくようになります。同性愛は罪です。ですから、その罪を払いのけられないという事は、イエス・キリストに出会っていない、要は救われていない=クリスチャンではないのです。」※要約しています。

 

これが神学的な考えなのかと分かりましたが、聖別聖化は違います注意聖なる者に化けているだけであれば、いずれもとの姿に戻ります。不思議なぐらいに、同性愛について考える神学の中に、悪霊の教えは出て来ませんが、罪を払いのけて生きる事や、罪を犯してはならないと言い聞かせる事が難しいからこそ、人は罪を犯すのです。この答えでは、救われていないこの世の人たちと結局何も変わりません。先の姉妹が言ったように、努力をして性格を変える苦行でしょう。そうではなく、聖霊の力は、私たちクリスチャンがみことばに意志を向けて悪霊と戦う事で、爆発的な威力を発揮するものです。人間はイエス・キリストによって、霊から生まれ変わらなければなりません。それが、聖別なのです乙女のトキメキ

また、自身がLGBTだと告白した途端に教会から出されるという事があるそうですが、罪人だから追い出すというのは、裁きであり、当事者の救いにも解決にも至りません。私たちの群れは、LGBTに思い悩んでいる人がいるのであれば、ぜひ来て頂きたいです。私たちは、イエス・キリストの御名と十字架の血、そして、聖霊の力によって彼らを解放することができるという真理を知っていますし、信じています王冠1クリスチャンであるならば、血肉の戦いではなく、悪の霊に対する戦いを行うべきですびっくり

サタンの支配下だからこそ、悪霊の教えだけがキリスト教会でしっかりと伝えられてきませんでしたが、クリスチャンはまず、霊の世界は、悪霊対聖霊の戦いである事を知らなければならないと改めて思いました。

 

インタビューを読んだぶどうの木牧師は、中村吉基牧師に対して、「聖なる方であるイエス様にならって、あなたも聖なる者となりなさい」と一言伝えたいとおっしゃいました。聖なる者とはどうあるべき事なのか、もう一度聖書(イエス様)に戻って頂きたいです。そして、私たちは、「彼の罪をお許しださい。彼は何をしているのか分からずにいます」ととりなすと共に、悪霊にゲイであると思い込まされている彼が、キリストの復活によって私たちに与えられた聖霊の爆発的な力によって、悪霊から解放され、聖なるキリスト者となれた事を感謝して祈りますクローバー

 

第1ペテロ1:14~16本

従順な子供として、無知であった時代の欲情に従わず、むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も聖なる者となりなさい。聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。

 

アーメンアオキラ