『命』~生きている事に感謝~(諒のブログより)
自分の『命』について考えたことがありますか!
僕の夢は野球で甲子園に行くことでした。
ですが、突然の事故によって、野球をすることができなくなりました。
生きがいをなくし抜け殻の僕は、「死にたい」と思ったこともありました。
そんな僕が今あるのは、聖書と出合ったからです。
聖書には日々の正しい過ごし方や人としての在り方が書かれています。
それに、僕が「こんなにすごいことが!」と驚いたのは『癒し』でした。
例えば、『目が見えない人が見えるようになる』という身体的な癒しだけでなく、聖書には家族内の関係や友人関係のような対人関係にも癒しを与えてくれるのです。
『必ずイエス・キリストによって僕は癒される!』と確信を得たのです。
マルコによる福音書16:16~18
信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。
ヨハネによる福音書9:1~7
イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼の間にしなければならない。夜が来る。すると、だれも働けなくなる。わたしは、この世にいる間は、世の光である」。イエスはそう言って、地につばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人の目に塗って言われた、「シロアム(つかわされた者、の意)の池に行って洗いなさい」。そこで彼は行って洗った。そして見えるようになって、帰って行った。
アーメン。
今は、呼吸をする事も自分では出来ないので、呼吸器なしでは生きていけません。
先日、僕は呼吸器のマスクのベルトが外れ、酸素が充分に身体に運ばれず自分ではどうする事もできず、苦しくて苦しくてどうしようもありませんでした。
「苦しい 、イエス様助けてください」そう祈っていました。
その時近くに家族はいませんでした。母は入浴中。
入浴中の母は、その時に何だか胸騒ぎがしたそうです。入浴の途中に僕の所に飛んできました。
イエス様が知らせてくれたのだと思いました。
人工呼吸器が外れ、気付かれる事もなく、そのまま窒息死してしまう事故も少なくありません。
だから生きている事!息が出来る事!全てが当たり前ではないのです。
普通の人は、自分で呼吸をし、自分で手足を動かし、それが当たり前となり、何か悩みがあったり気に入らない事があるだけで、簡単に命を失ってしまいます。
健常者であっても自殺を考える世の中「自分の生きる意味が分からない」そんな思いを抱いてる人もいますが、どんな人でも生きる事に意味があります。
どんな人でも神が造られた作品なんです。
エペソ人への手紙2:10
わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。
僕自身も、今のような身体になった時に「死にたい!」と思った事もありました。
でも、聖書と出合った事で生きる意味!生きていく希望!をいただきました。
手足は動かず呼吸も自分でできない。そんな僕が生きている意味ってなんだろう?と思った事もありました。
そんな時に聖書から、イエス様は語ってくださいました。
イザヤ書43:7
すべてわが名をもってとなえられる者をこさせよ。わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これを造り、これを仕立てた」。
僕は、イエス様の栄光の為に生きるんだと決意しました。
今は聖書を学んでいくなかで、皆さんにイエス様の真理の教えを伝え知っていただきたいと思っています。
生きている事!息をしている事!当たり前じゃないということに感謝しなければいけません。
同じ苦しみをもっている人達に、このブログを通して希望を与え行っていくことです。
そして、自分の足で立ち上がる事!癒し主はイエス・キリストである事を自分自身の身体をもって証明する事です。
イザヤ57:18~19
わたしは彼の道を見た。わたしは彼をいやし、また彼を導き、慰めをもって彼に報い、悲しめる者のために、くちびるの実を造ろう。
遠い者にも近い者にも平安あれ、平安あれ、わたしは彼をいやそう」と主は言われる。
イエス・キリストが唯一の神である事を伝えていく事が、自分の使命であること。
ヨハネによる福音書3:16
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
ヨハネによる福音書8:12
イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。
どんな人でも生きる事に必ず意味があり、一人一人に与えられた使命があるはずです。
与えられた命!人生!無駄にすることなく、真っ直ぐな道を歩いてください。
アーメン。