霊と魂の見直し②
救われて霊がよみがえった後、聖霊のバプテスマによって聖霊をいただくと、私たちは神に喜ばれる正しい善悪の判断ができるようになると約束されています。
第1ヨハネ2:26~27
わたしは、あなたがたを惑わす者たちについて、これらのことを書きおくった。あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない。この油が、すべてのことをあなたがたに教える。それはまことであって、偽りではないから、その油が教えたように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。
しかし、生い立ちによって形成されてきた魂(知性・意志・感情)、長年培ってきた古い自分の判断が、聖霊によって教えられた霊からの正しい思いを邪魔することがあります。
私達は正しいことが何であるかを確認しなければならないと語られました。
まずは、魂の中にある知性において、聖書に書かれていることを100%信じる事、神は絶対的存在である事を信じている事が大前提です。その上で、ヨブ記34:4に【われわれは正しい事を選び、われわれの間に良い事の何であるかを明らかにしよう。】と書かれてある通り、正しい事が何であるかをみことばによって知り、確認する事が大切であると語られました。
なぜなら、私たちクリスチャンにとって迫害・患難があることは真理に従っている証拠なのですが、もしかしたら、自分の常識のなさ、良識、良心の問題でまいたものを刈り取っているだけかもしれないという事があります。
例えばこんな事がありました
A姉妹は、前から友達の家に泊まる際には、下着以外何も持っていかず、“友達だから化粧品もタオルも、必要なものは借りればいい”と思っていました。そして、替えの下着を持ってきているにも関わらず、友達の家のお風呂場で使用した下着を洗い、ハンガーを借りて干しました。ここに牧師から戒めが入ったのですが、A姉妹は、お風呂場で下着を洗った事が不潔だったと悔い改めました。しかし、「不潔」という事にポイントを置くならば、下着を洗うより、自分自身を洗わせてもらう事の方がもっと不潔です。
何がいけなかったのか分かっておらず、外泊をしなければ済む話ではないかとひねくれてとらえていたA姉妹に対して、改めて牧師は、「最近、中国人観光客が焼き肉店で、肉だけ注文して、魚介類は持ち込んで焼いているのが問題だとテレビで取り上げられていたんだけど、なぜいけないのか分かりますか?」と問いかけました。どのように伝えればA姉妹に問題点が分かるかをイエス様に聞いていた時に見せられたテレビでした。
A姉妹は「はい、分かりました。本当に自分が恥ずかしいです」とすぐに悟りました。
友達だから許される・・・の前に、親しき仲にも礼儀ありです。A姉妹の下着を洗う光熱費と化粧品代まで、なぜ友達が払わなければならないのか。A姉妹の常識は、他者にとっては非常識であった事を教えられ、A姉妹は悔い改めました。
使徒行伝20:34~35
あなたがた自身が知っているとおり、わたしのこの両手は、自分の生活のためにも、また一緒にいた人たちのためにも、働いてきたのだ。わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また、『受けるより与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである。
ローマ14:16
それだから、あなたがたにとって良い事が、そしりの種にならぬようにしなさい。
B姉妹は、職場の先輩(既婚者)から言われる事に対していちいち腹を立て、直接文句を言う事もしばしばありました。「すごい上から目線で言ってくるし、もっと早く言ってくれればいい事も、今!?というタイミングで言ってきて腹が立ちます」と、B姉妹は許しの教えをすっかりとられた状態で、牧師と兄弟姉妹の前で話しました。B姉妹の中には、社会における上下関係、上司を敬うという事がすっかりとられていました。まるで友達のように接していたら、姦淫の霊も動きます。
上から目線で言ってくる事に腹を立てて裁くのではなく、上司が言っている事をへりくだって聞くことを忘れてはならない事を語られ、B姉妹は先輩を裁いていた事と、高ぶっていた事を悔い改めました。
会社に行くと、先輩が自分のマグカップとB姉妹のマグカップを割ってしまったと謝ってきたそうです。霊的に、マグカップは神の器である先輩とB姉妹を表わします。B姉妹の悔い改めによって、先輩とB姉妹の間に働いていた姦淫の霊がなくなって古い器が壊され、互いに正しく新しい上司と部下の関係になれた事をイエス様が教えて下さったのです。
エペソ6:5~8
僕たる者よ。キリストに従うように、恐れおののきつつ、真心をこめて、肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのではなく、キリストの僕として心からの神の御旨を行い、人にではなく主に仕えるように、快く仕えなさい。あなたがたが知っているとおり、だれでも良いことを行えば、僕であれ、自由人であれ、それに相当する報いを
それぞれ主から受けるであろう。
C姉妹は、クリスチャンとして神の栄光を表わすことを意識して働いていました。しかしそれは、「私はこう思う!こうするべきだ!」という主張をあらわす態度となっていたようで、いつのまにか同僚4人対自分という4対1の関係になっていきました。同僚皆に対して同じように接していないか?ユダヤ人にはユダヤ人のようにと聖書に書かれているように、一人一人の立場に立って、接することができていないのではないか?と牧師に問われたC姉妹は、独り善がりになっていなかったか自分を吟味し、自分なりの良識を握っていた事を悔い改めました。
第1コリント9:19~23
わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはいないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。律法のない人には―わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが―律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。
3人の姉妹は、みことばを学んで霊に蓄えてきましたが、魂に連動させる時に、みことばを邪魔する古い自分の思いや、培ってきた自分なりの良識が内側にあった事が明るみとなったのです
全てが一方的なサタンの攻撃なのではなく、自分自身の問題によって余計な隙をサタンに与えていないか、または、攻撃と言うほどのものではなく、自分の非常識さを指摘されているだけではないかと牧師に語られ、自分の判断をみことばと照らし合わせた時に、正しいと言えるのか一人一人が吟味しました。
そして、霊→魂→体の『魂』の部分がとても大切であり、みことばによって自分の心(魂)を耕し、良識を正しいものにする事、クリスチャンとして“正しい”という定義を共通理解することが求められているのだと語られました。
第1テサロ5:21~22
すべてのものを識別して、良いものを守り、あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。
(リビングバイブル)
万事をよく調べて、それがほんとうに良いものかどうかを確かめなさい。そして、ほんとうに良いものであれば、受け入れなさい。あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。
箴言4:20~27
わが子よ、わたしの言葉に心をとめ、わたしの語ることに耳を傾けよ。それを、あなたの目から離さず、あなたの心のうちに守れ。それは、これを得る者の命であり、またその全身を健やかにするからである。油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。曲った言葉をあなたから捨てさり、よこしまな談話をあなたから遠ざけよ。あなたの目は、まっすぐに正面を見、あなたのまぶたはあなたの前を、まっすぐに見よ。あなたの足の道に気をつけよ、そうすれば、あなたのすべての道は安全である。右にも左にも迷い出てはならない、あなたの足を悪から離れさせよ。
アーメン
右にも左にも迷い出ることのないように、自分の霊と心と体を守って歩んでいけたことを感謝します
第1テサロ5:23~24
どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう。
アーメン
第1ヨハネ2:26~27

わたしは、あなたがたを惑わす者たちについて、これらのことを書きおくった。あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない。この油が、すべてのことをあなたがたに教える。それはまことであって、偽りではないから、その油が教えたように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。
しかし、生い立ちによって形成されてきた魂(知性・意志・感情)、長年培ってきた古い自分の判断が、聖霊によって教えられた霊からの正しい思いを邪魔することがあります。
私達は正しいことが何であるかを確認しなければならないと語られました。
まずは、魂の中にある知性において、聖書に書かれていることを100%信じる事、神は絶対的存在である事を信じている事が大前提です。その上で、ヨブ記34:4に【われわれは正しい事を選び、われわれの間に良い事の何であるかを明らかにしよう。】と書かれてある通り、正しい事が何であるかをみことばによって知り、確認する事が大切であると語られました。
なぜなら、私たちクリスチャンにとって迫害・患難があることは真理に従っている証拠なのですが、もしかしたら、自分の常識のなさ、良識、良心の問題でまいたものを刈り取っているだけかもしれないという事があります。
例えばこんな事がありました

A姉妹は、前から友達の家に泊まる際には、下着以外何も持っていかず、“友達だから化粧品もタオルも、必要なものは借りればいい”と思っていました。そして、替えの下着を持ってきているにも関わらず、友達の家のお風呂場で使用した下着を洗い、ハンガーを借りて干しました。ここに牧師から戒めが入ったのですが、A姉妹は、お風呂場で下着を洗った事が不潔だったと悔い改めました。しかし、「不潔」という事にポイントを置くならば、下着を洗うより、自分自身を洗わせてもらう事の方がもっと不潔です。
何がいけなかったのか分かっておらず、外泊をしなければ済む話ではないかとひねくれてとらえていたA姉妹に対して、改めて牧師は、「最近、中国人観光客が焼き肉店で、肉だけ注文して、魚介類は持ち込んで焼いているのが問題だとテレビで取り上げられていたんだけど、なぜいけないのか分かりますか?」と問いかけました。どのように伝えればA姉妹に問題点が分かるかをイエス様に聞いていた時に見せられたテレビでした。
A姉妹は「はい、分かりました。本当に自分が恥ずかしいです」とすぐに悟りました。
友達だから許される・・・の前に、親しき仲にも礼儀ありです。A姉妹の下着を洗う光熱費と化粧品代まで、なぜ友達が払わなければならないのか。A姉妹の常識は、他者にとっては非常識であった事を教えられ、A姉妹は悔い改めました。
使徒行伝20:34~35

あなたがた自身が知っているとおり、わたしのこの両手は、自分の生活のためにも、また一緒にいた人たちのためにも、働いてきたのだ。わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また、『受けるより与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである。
ローマ14:16

それだから、あなたがたにとって良い事が、そしりの種にならぬようにしなさい。
B姉妹は、職場の先輩(既婚者)から言われる事に対していちいち腹を立て、直接文句を言う事もしばしばありました。「すごい上から目線で言ってくるし、もっと早く言ってくれればいい事も、今!?というタイミングで言ってきて腹が立ちます」と、B姉妹は許しの教えをすっかりとられた状態で、牧師と兄弟姉妹の前で話しました。B姉妹の中には、社会における上下関係、上司を敬うという事がすっかりとられていました。まるで友達のように接していたら、姦淫の霊も動きます。
上から目線で言ってくる事に腹を立てて裁くのではなく、上司が言っている事をへりくだって聞くことを忘れてはならない事を語られ、B姉妹は先輩を裁いていた事と、高ぶっていた事を悔い改めました。
会社に行くと、先輩が自分のマグカップとB姉妹のマグカップを割ってしまったと謝ってきたそうです。霊的に、マグカップは神の器である先輩とB姉妹を表わします。B姉妹の悔い改めによって、先輩とB姉妹の間に働いていた姦淫の霊がなくなって古い器が壊され、互いに正しく新しい上司と部下の関係になれた事をイエス様が教えて下さったのです。
エペソ6:5~8

僕たる者よ。キリストに従うように、恐れおののきつつ、真心をこめて、肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのではなく、キリストの僕として心からの神の御旨を行い、人にではなく主に仕えるように、快く仕えなさい。あなたがたが知っているとおり、だれでも良いことを行えば、僕であれ、自由人であれ、それに相当する報いを
それぞれ主から受けるであろう。
C姉妹は、クリスチャンとして神の栄光を表わすことを意識して働いていました。しかしそれは、「私はこう思う!こうするべきだ!」という主張をあらわす態度となっていたようで、いつのまにか同僚4人対自分という4対1の関係になっていきました。同僚皆に対して同じように接していないか?ユダヤ人にはユダヤ人のようにと聖書に書かれているように、一人一人の立場に立って、接することができていないのではないか?と牧師に問われたC姉妹は、独り善がりになっていなかったか自分を吟味し、自分なりの良識を握っていた事を悔い改めました。
第1コリント9:19~23

わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはいないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。律法のない人には―わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが―律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。
3人の姉妹は、みことばを学んで霊に蓄えてきましたが、魂に連動させる時に、みことばを邪魔する古い自分の思いや、培ってきた自分なりの良識が内側にあった事が明るみとなったのです

そして、霊→魂→体の『魂』の部分がとても大切であり、みことばによって自分の心(魂)を耕し、良識を正しいものにする事、クリスチャンとして“正しい”という定義を共通理解することが求められているのだと語られました。
第1テサロ5:21~22

すべてのものを識別して、良いものを守り、あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。
(リビングバイブル)
万事をよく調べて、それがほんとうに良いものかどうかを確かめなさい。そして、ほんとうに良いものであれば、受け入れなさい。あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。
箴言4:20~27

わが子よ、わたしの言葉に心をとめ、わたしの語ることに耳を傾けよ。それを、あなたの目から離さず、あなたの心のうちに守れ。それは、これを得る者の命であり、またその全身を健やかにするからである。油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。曲った言葉をあなたから捨てさり、よこしまな談話をあなたから遠ざけよ。あなたの目は、まっすぐに正面を見、あなたのまぶたはあなたの前を、まっすぐに見よ。あなたの足の道に気をつけよ、そうすれば、あなたのすべての道は安全である。右にも左にも迷い出てはならない、あなたの足を悪から離れさせよ。
アーメン

右にも左にも迷い出ることのないように、自分の霊と心と体を守って歩んでいけたことを感謝します

第1テサロ5:23~24

どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう。
アーメン
