無から有を呼び出される神―創造論と進化論― | ぶどうの木 Good News

無から有を呼び出される神―創造論と進化論―

holygirlですニコちゃん

聖書には、【彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。】(ローマ4:17a)と書かれていますbook*

今週の集会では、私たちは無から有を呼び出される神を信じていることを再確認しましたきら
この神の偉大さを、日常生活の中で実感できるのがクリスチャンの特権ですが、先週も語られたように、現実問題にとらわれてしまったらとても馬鹿げたことに思え、神の存在と力をどんどん小さくしてしまいます。
「現実問題にとらわれる」ことを、聖書の言葉に置き換えると「律法に縛られる」という言葉になるのですが、「~してはいけない」「~しなければならない」「このような場合は、絶対にこうなる」「どう頑張ってもこの問題は解決できない」という世の中が決めたルール・律法に縛られ、今まで得てきた知恵や知識、自分の心で物事を判断していくのが、サタンの支配下にいる人間であり、救われてもなお現実問題にとらわれているクリスチャンです。

現実問題は人それぞれ違いますが、例えば、末期ガンになったら治らない、障害者は一生障害者のままである、タバコも覚せい剤もなかなかやめられるものではない、この成績ならこの学校にしか行けない、どう頑張っても貧困から抜け出せない、被害者が加害者を許せないのは当たり前、年老いたら必ず介護が必要など、現実にこのような事で苦しんでいる人もいるでしょうし、これが世間の常識にもなっています。

また、学校で猿が進化して人間になったと学ぶように、私たちは幼い時から「進化論」を信じるように教育されてきました。地球は惑星の衝突と合体の繰り返しによって今の形、大きさになったという話や、何億年前に様々な種類の恐竜がいたが絶滅したという話を何の疑問もなく信じている人も大勢いるのではないでしょうか。
しかし、世間の常識は、唯一の神・イエス様を知らない人間や、福音を聞いてもイエス様を信じなかった人間がサタンに翻弄された結果生まれたものです。以前はなかった病が今はたくさんの名前がつけられて多発しているのも、何とかして頭で納得できるものに位置付けたいからでしょう。自分の目で猿が進化している過程を見た人もいなければ(進化途中の猿がいてもいいはずでは?)、当然地球の始まりを見た人もいません。聖書には青菜を食べる大きな動物がいた事は書かれていますが、それを「恐竜」と名付けて、様々な形をつくり出したのは人間です。誰も見たことがないのに、この世の知者たちが自分の知恵によって、「きっとこうであろう」と考察し、答えを出してきたその積み重ねによって、実際には何の根拠もない事が当たり前の常識になっているのが、私たちの生きている世界なのです

私たちは今週、人間がつくり出した「進化論」(=目に見えないものをできるだけ目に見える形で表し、頭で納得しようとする人間の高ぶりが生んだ律法の呪い・進化過程にある現実問題)に留まっていては、クリスチャンになってからも苦しい歩みであり、喜びも奇跡も力もないのだと語られました。

クリスチャンになるという事は、「創造論」を信じるという事です。無から有を呼び出し、不可能を可能にした奇跡の創造論に立った時、私たちクリスチャンは律法にとらわれる事なく、自由になれるのだと語られました。

神は、初めに天と地とを創造されました。地は形がなく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていましたが、神が「光あれ」と言われたことで、光が生まれました。そして、同じように神の言葉によって、天ができ、陸ができ、海ができ、植物ができ、太陽、月、星ができました。そして、海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物、翼のあるすべての鳥を種類にしたがって創造されました。同じように地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られました。そして、最後に自分のかたちに人を創造されたのです。(創世記1章より)
これがこの世界の始まりであり、無から有を呼び出された神の御業ですキラキラ
進化論にとどまる人間は、創造主である神の御業を事実として受け入れることができません。神の力を自分の考えで小さくし、自分の頭が理解できる範囲の事しか信じないため、何か問題にぶつかると、必死に解決方法を導き出しますが、この世界に生きている限り、神なしでは不可能な事の方が多く、結局不可能は不可能のままになるか、自分が納得できるように物事を転換させてしまうのです。
しかし、私たちは、魂と体がどんなに困難な状況にあっても、神・イエス様への信仰の言葉と、信仰の行いによって物事を解決し、乗り越えられる創造論に立つ者です。創造論に立っているからこそ、目に見えない世界・霊の世界(三位一体の神がおり、6000類の悪霊がいる事)の存在を信じることができます。そして、神の言葉(イエス・キリスト、聖書)によってその世界を変えることができる事を知り、実際に行うことができるのです。
韓国では、進化論を教える牧師が出て来たと聞きましたが、クリスチャンが初めに進化論に立つのか、創造論に立つのかで、その先の信仰は大きく変わってくると思いました。進化論を教えている牧師は、すぐに悔い改めるべきです

また、私たちはずっと霊で「無から有を生み出す神」だと思ってきましたが、今回「無から有を呼び出す神」である事に改めて気づかされ、【主の山に備えあり】と聖書に出てくる通り、神はあらかじめ私たち一人一人に何が必要か、何を求めているかを御存知で、ご自身の栄光の富の中からすべての必要を満たしてくださるのだと語られましたバラ

ピリピ4:19
わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。

今週私たちは、進化論(無神・律法)と創造論(神・自由)という新しい角度から、聖霊による神学(神からの学び)の奥義を語られ、無神論者や、偽の神々を信じている人々の様に現実問題にとらわれていた事を悔い改めました。そして、自分がしっかりと創造論に立ち、まず神の国と神の義とを求めて生活すれば解決不可能な問題はない事、それは自分自身の心の状態のせいであったことも、兄弟姉妹を通して教えて下さり、やはり真理に従えば力があることも確信できましたびっくり
そして、クリスチャンは、どんな時も無から有を呼び出される神・イエス様を信じているからこそ、先にある勝利を確信し、忍耐して迫害・患難・訓練・試練を乗り越えることができますが、クリスチャンでありながら進化論にとどまっていたら、「~してはいけない」という律法の中で、ただ肉を抑えて我慢をする歩きとなり、それはいつか爆発して、7倍悪い状態を引き起こすのだという事も分かりました。

私たちが創造論に立った時、神が「光あれ」と言って光を生んだように、自分の心の闇や周りにあった闇を光に変えることができますきら
心の闇は、進化論によって生まれた強情、思い煩い、自分のやり方で行き詰った苦しみから生まれるのですから、創造論に立つクリスチャンにはありません。
牧師は私たちに、
かっこ創造論の中を生きることができる特権に感謝して、ハレルヤと立ち上がった時、はじめて‘イエス・キリストの栄光を表わすぶどうの木’と言えます。また、私たちがイエス様を信じて良かったと言えた時、はじめて光を放ち、世の中に声を大にして福音を宣べ伝えることができるのです。ですから、自分の心の闇は、足の下にして勝利していなければなりません!助け主聖霊が働いて下さる自分になるためには、いつもハレルヤで喜んでいる必要があります!かっこ
と語ってくださいました。

ピリピ4:4~7
あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。

アーメン

無から有を呼び出す神は、ご自身を信じるクリスチャンのために働いて下さいますキラキラだとすれば、どれだけその神・イエス様と会話しているのかも問われてきます。
進化過程にある現実問題にとらわれているクリスチャンは、自分の心の中で“どうせ無理だろう”、“今さらやっても遅い・・・”と、ブツブツ占う言葉を出しているだけで、イエス様と会話はしていません。
集会の最後に、私たちは「自分とイエス様の部屋をちゃんと持っていますか?」と牧師に問われました。日常生活の中で、「イエス様・・・」と言って肉の思いを静める時間と、異言で祈る時間を持つこと・・・占う前に、直接イエス様に願い出る事、神の御旨にかなうとりなしをする事が大切であり、その信仰を見て神は働いて下さるのだという事を再確認しました

ローマ8:26~28
御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。

アーメン赤王冠キラキラ

先週、韓国語版の絵本出版に至る経緯と、ぶどうの木の始まりと活動について、中日新聞の取材を受けましたニコ今週記事が出ます太陽韓国でも、13日に記事が出ると聞きました。このように新聞に自分たちの事が紹介される事も無から有を呼び出される神の御業だと思い、感謝していますキラきゅんっますます私たちの主に信頼し、創造論を信じて歩んでいきたいと思いますニコビックリ