主の軍隊としての自覚と決意を確認した集会
holygirlです
今週の集会で、牧師を通して次のように語られました
「私はこのように歩んでいきたいと思います。だからイエス様助けてください」という歩きではなく、すでに神から頂いたものによって今の自分を知り、どのように生きて行くのか聞いていくのがクリスチャンの歩きです。イエス様は必ず教えてくださいます。そしてみことばに忠実に従って歩んでいった時、気が付いたら、自分はこういう所で使って頂いているという喜びに満たされます。立ち止まって、自分の人生・歩きを振り返れば、救われる前からすでに神が蒔いて下さった種があった事にも、気づくことができます
と。
ぶどうの木の中には、すでに置かれた場所、立場で使われ、召しと選びを自覚して喜びを実感している兄弟姉妹もいれば、ここからますますはっきりと示されるであろう兄弟姉妹もいます。いずれにしても、主の軍隊として集められ、ぶどうの木にある神の御心を成し遂げてきて今があるのは事実です
ぶどうの木は、今9年目の歩きをしていますが、その中で軍隊に加わった兄弟姉妹もいれば、出て行った兄弟姉妹もいました。今どこで何をしているのか分からない兄弟姉妹もいますが、神は大きな神の御手の中で、ここに至れるように守り導いて下さり、必要の一切を私たちに教えて下さったのだと分かります
ですから、万事が益であったと言えます
そして、今最前線に置かれている私たちは、なぜ自分が救われて主の軍隊に入り、このぶどうの木の集会の席に着いているのかをもっと真剣に聞いていかなければならないと語られました。日常生活の忙しさに流されると、自分が生かされている意味や自分を包んでいる神の大きな愛を見失いそうになる事もあります。そんな私たちのために、イエス様は今週の集会の中で、ここまでの人生・歩きを振り返る時間、ここからすべき事をイエス様に聞く時間、決意を固める時間を与えて下さいました。
1時間ほど、静まってイエス様=聖書と向き合う時間が与えられたことは、本当に感謝でした
私は、救われてから今に至るまで、人生の節目で頂いてきたみことばを振り返っていきました
聖書に記入していなくても、いつどのみことばをもらったのか思い出すことができ、霊にみことばが蓄えられている事を、改めて実感することができました。
そして、牧師を通していつも「何かを始める前には必ずみことばをもらいなさい」と語られてきましたが、それを忠実に行なってきた事により、自分の歩きに対してみことばが裏付けとなり、私のここまでの人生が、秩序正しい神の御計画の中にあったことを確信することができました
来週私と母は、韓国で絵本についての記者会見を行う事になりました
私が自分の歩きを振り返る時、ぶどうの木誕生と共にあった韓国青年達との出会い、そして、韓国語の習得、韓国留学、真珠の友達との出会いから今に至るまでの交流は、大きな柱となっています。当然、ぶどうの木が誕生した時には、今の自分の姿も、ぶどうの木の成長も想像していませんでした。しかし、韓国青年達との出会いを通して、韓国へと目を向けることになり、韓国のために働く預言が私に与えられていた事ははっきりと覚えています。預言は、確実に成就してきたのです
当時は、どうやって韓国のために働いていけば良いのか分かりませんでしたし、それをイエス様に尋ねてもはっきりとした答えはありませんでした。ただ、‘今’という時に与えられた出会いと時間を大切にして、みことばと共に歩んで行く事を変わらず続けていきました。
私自身、幼稚園教諭を辞める時もそうでしたが、“この先に何が待っているのか知りたい!そうすれば、安心して進める”と思うのが人間だと思います。しかし、今は思います。先に全てを知らされていたら、自分はおじけづいて一歩も進めなかったのではないかと・・・。だからこそ、「すでに神から頂いたものによって今の自分を知り、どのように生きて行くのか聞いていくのがクリスチャンの歩き」という牧師の言葉を聞いて、はっきりアーメンと言えました

霊を試すことなく、自分の肉の思いを優先させて歩いてきたのであれば、今回の絵本出版、記者会見という実も結ぶことはできませんでした。私達が、ぶどうの木ができた当初から、“本を出版したい!”、“有名になりたい!”と微塵でも自分の欲望や利益を求め、自分達の力でそれ達成しようとしていたら、聖霊の導きは一切なく、たとえ成し遂げても、自分を誇る傲慢なクリスチャンになっていたでしょう。
改めてクリスチャンの歩きは、何もない場所に一日一つ、レンガを積んで神の宮を建て上げていく歩きです。一人で積む時もあれば、イエス様が与えてくださった助け手・働き人と共に積む時もあります。どんな形になっていくのか、どれだけの時間がかかるのか私たちには分かりませんが、ただただ忠実に行なっていった時、気が付いたら、決して崩れることのない強固な宮が出来上がっている事(天にあげられる時までは、完成とは言えないでしょう)を知り、一つ一つのレンガがみことばの裏付けによって光を放ちます。一つでも欠けたら神の宮は成り立ちません。それを悟り、ここまでの歩きの全ての栄光をイエス様に帰して感謝することができるのが、真のクリスチャンの、全く新しい人生なのだと私は語られました
詩篇37:4~6
主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。
詩篇25:12
主を恐れる人はだれか。主はその選ぶべき道をその人に教えられる。
アーメン
最後に、今に繋がる大きな出会いの一つである、真珠の友達と出会う事になる韓国旅行の前に頂いた2つのみことばを書き残したいと思います

ゼカリヤ6:12~15
彼に言いなさい、『万軍の主は、こう仰せられる、見よ、その名を枝という人がある。彼は自分の場所で成長して、主の宮を建てる。すなわち彼は主の宮を建て、王としての光栄を帯び、その位に座して治める。その位のかたわらに、ひとりの祭司がいて、このふたりの間に平和の一致がある』。またその冠はヘルダイ、トビヤ、エダヤおよびゼパ二ヤの子ヨシヤの記念として、主の宮に納められる。
また遠い所の者どもが来て、主の宮を建てることを助ける。そしてあなたがたは万軍の主が、わたしをつかわされたことを知るようになる。あなたがたがもし励んで、あなたがたの神、主の声に聞き従うならば、このようになる。
このみことば通り、真珠の友達との出会いは主の宮を建てるためであったと語られました
そして、【ふたりの間に平和の一致がある】という言葉が強く入ってきました
私が留学をして真珠の友達と交わり始めた頃、子宮を壊され、刺青を入れられた従軍慰安婦の写真を見せられた事がありました。韓国では学校で日本の支配下にあった時代の事を詳しく勉強していますが、日本ではほとんどそのような事実は学びません。当時の私は、突き付けられた写真に驚きとショックを受け、一瞬頭の中が真っ白になりましたが、自分の口から出たのは「ごめんなさい」という謝罪の言葉でした。初めて“自分は日本人なのだ”と強く認識した体験でもありました。でも、真珠の友達は「違うの。私はこんなひどい事をした日本人が嫌いだったけど、holygirlに出会って日本人に対するイメージが変わったの。holygirlと出会えてよかった。私に、日本語を教えて!」と笑顔で素直な気持ちを話してくれました。
その後、悪霊の存在を知っていった真珠の友達は、戦争・従軍慰安婦問題も、悪霊の仕業であったという真理の教えの土台の上に立ち、戦争経験者である私の祖父と交わった時にも、「悪霊がしたことですからね」とはっきりと言い切るクリスチャンへと変わりました。
悪霊の存在を知った時、人は【無条件の許し】に立つことができるのだと、真珠の友達の姿を通して私は学びました
真珠の友達との出会いの最初に、従軍慰安婦の事があったのも神の御計画だと思います。先日の日韓首脳会談でも、従軍慰安婦問題が大きな壁となっていましたが、聖書の真理に従った時、両国の間には平和の一致が生まれるのだと、私は声を大にして伝えたいです
戦争は、誰が悪いと言えないほど、どの国においても多くの犠牲者を出しました。同じ人間同士が殺し合うのですから、正気ではありません。サタンのする事は、人間を盗み・殺し・滅ぼすことですから、生身の人間が耐えられないほどの事をして当然だったと思います。
ですから、同じ女性として、従軍慰安婦とされた皆さんの気持ちも分かります。しかし、ずっと憎しみの中にいてほしくはありません。イエス様に救われて、まずは悪霊の存在・真理を知って頂きたいです。新しく生まれ変わり、永遠の命を得て、憎しみから解放されて頂きたいと強く願うばかりです。韓国への特別な思いを入れられてここまで来た私は今、「日韓の歴史を変えたい!」と宣言するほどの、聖霊による強い思いに満たされています
それが、イエス・キリストによってできる事を私はここまでの歩きを通して知ったからです

そして、その働きを共に担っているぶどうの木に対して、改めてイエス様は次のみことばで励まして下さっているのだと分かり感謝しました
ゼカリヤ8:9~13
万軍の主は、こう仰せられる、「万軍の主の家である宮を建てるために、その礎をすえた日からこのかた、預言者たちの口から出たこれらの言葉を、きょう聞く者よ、あなたがたの手を強くせよ。この日の以前には、人も働きの価を得ず、獣も働きの価を得ず、また出る者もはいる者も、あだのために安全ではなかった。わたしはまた人々を相たがいにそむかせた。しかし今は、わたしのこの民の残れる者に対することは、さきの日のようではないと、万軍の主は言われる。そこには、平和と繁栄との種がまかれるからである。すなわちぶどうの木は実を結び、地は産物を出し、天は露を与える。わたしはこの民の残れる者に、これをことごとく与える。ユダの家およびイスラエルの家よ、あなたがたが、国々の民の中に、のろいとなっていたように、わたしはあなたがたを救って祝福とする。恐れてはならない。あなたがたの手を強くせよ」。
【この民の残れる者】・・・たくさんの出入りがありましたが、今ぶどうの木に残っている兄弟姉妹一人一人が、自分の召しと選びをはっきりと知る事で実を結び、祝福を受けていくのだと語られました
だからこそ、恐れることなく、手を強くして、主のために働く事が私たちの使命であると再確認しました
皆が自立して主に忠実であれば、ますます働き人も集められていくでしょう
私が語られた事だけでなく、兄弟姉妹たちがイエス様に語られた事も聞いてそう確信できた事も感謝でした
第2テモテ1:9~10a
神はわたしたちを救い、聖なる招きをもって召して下さったのであるが、それは、わたしたちのわざによるのではなく、神ご自身の計画に基き、また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜わっていた恵み、そして今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。
アーメン

今週の集会で、牧師を通して次のように語られました



ぶどうの木の中には、すでに置かれた場所、立場で使われ、召しと選びを自覚して喜びを実感している兄弟姉妹もいれば、ここからますますはっきりと示されるであろう兄弟姉妹もいます。いずれにしても、主の軍隊として集められ、ぶどうの木にある神の御心を成し遂げてきて今があるのは事実です

ぶどうの木は、今9年目の歩きをしていますが、その中で軍隊に加わった兄弟姉妹もいれば、出て行った兄弟姉妹もいました。今どこで何をしているのか分からない兄弟姉妹もいますが、神は大きな神の御手の中で、ここに至れるように守り導いて下さり、必要の一切を私たちに教えて下さったのだと分かります


そして、今最前線に置かれている私たちは、なぜ自分が救われて主の軍隊に入り、このぶどうの木の集会の席に着いているのかをもっと真剣に聞いていかなければならないと語られました。日常生活の忙しさに流されると、自分が生かされている意味や自分を包んでいる神の大きな愛を見失いそうになる事もあります。そんな私たちのために、イエス様は今週の集会の中で、ここまでの人生・歩きを振り返る時間、ここからすべき事をイエス様に聞く時間、決意を固める時間を与えて下さいました。
1時間ほど、静まってイエス様=聖書と向き合う時間が与えられたことは、本当に感謝でした

私は、救われてから今に至るまで、人生の節目で頂いてきたみことばを振り返っていきました

そして、牧師を通していつも「何かを始める前には必ずみことばをもらいなさい」と語られてきましたが、それを忠実に行なってきた事により、自分の歩きに対してみことばが裏付けとなり、私のここまでの人生が、秩序正しい神の御計画の中にあったことを確信することができました

来週私と母は、韓国で絵本についての記者会見を行う事になりました

私が自分の歩きを振り返る時、ぶどうの木誕生と共にあった韓国青年達との出会い、そして、韓国語の習得、韓国留学、真珠の友達との出会いから今に至るまでの交流は、大きな柱となっています。当然、ぶどうの木が誕生した時には、今の自分の姿も、ぶどうの木の成長も想像していませんでした。しかし、韓国青年達との出会いを通して、韓国へと目を向けることになり、韓国のために働く預言が私に与えられていた事ははっきりと覚えています。預言は、確実に成就してきたのです

当時は、どうやって韓国のために働いていけば良いのか分かりませんでしたし、それをイエス様に尋ねてもはっきりとした答えはありませんでした。ただ、‘今’という時に与えられた出会いと時間を大切にして、みことばと共に歩んで行く事を変わらず続けていきました。
私自身、幼稚園教諭を辞める時もそうでしたが、“この先に何が待っているのか知りたい!そうすれば、安心して進める”と思うのが人間だと思います。しかし、今は思います。先に全てを知らされていたら、自分はおじけづいて一歩も進めなかったのではないかと・・・。だからこそ、「すでに神から頂いたものによって今の自分を知り、どのように生きて行くのか聞いていくのがクリスチャンの歩き」という牧師の言葉を聞いて、はっきりアーメンと言えました


霊を試すことなく、自分の肉の思いを優先させて歩いてきたのであれば、今回の絵本出版、記者会見という実も結ぶことはできませんでした。私達が、ぶどうの木ができた当初から、“本を出版したい!”、“有名になりたい!”と微塵でも自分の欲望や利益を求め、自分達の力でそれ達成しようとしていたら、聖霊の導きは一切なく、たとえ成し遂げても、自分を誇る傲慢なクリスチャンになっていたでしょう。
改めてクリスチャンの歩きは、何もない場所に一日一つ、レンガを積んで神の宮を建て上げていく歩きです。一人で積む時もあれば、イエス様が与えてくださった助け手・働き人と共に積む時もあります。どんな形になっていくのか、どれだけの時間がかかるのか私たちには分かりませんが、ただただ忠実に行なっていった時、気が付いたら、決して崩れることのない強固な宮が出来上がっている事(天にあげられる時までは、完成とは言えないでしょう)を知り、一つ一つのレンガがみことばの裏付けによって光を放ちます。一つでも欠けたら神の宮は成り立ちません。それを悟り、ここまでの歩きの全ての栄光をイエス様に帰して感謝することができるのが、真のクリスチャンの、全く新しい人生なのだと私は語られました

詩篇37:4~6

主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。
詩篇25:12

主を恐れる人はだれか。主はその選ぶべき道をその人に教えられる。
アーメン

最後に、今に繋がる大きな出会いの一つである、真珠の友達と出会う事になる韓国旅行の前に頂いた2つのみことばを書き残したいと思います


ゼカリヤ6:12~15

彼に言いなさい、『万軍の主は、こう仰せられる、見よ、その名を枝という人がある。彼は自分の場所で成長して、主の宮を建てる。すなわち彼は主の宮を建て、王としての光栄を帯び、その位に座して治める。その位のかたわらに、ひとりの祭司がいて、このふたりの間に平和の一致がある』。またその冠はヘルダイ、トビヤ、エダヤおよびゼパ二ヤの子ヨシヤの記念として、主の宮に納められる。
また遠い所の者どもが来て、主の宮を建てることを助ける。そしてあなたがたは万軍の主が、わたしをつかわされたことを知るようになる。あなたがたがもし励んで、あなたがたの神、主の声に聞き従うならば、このようになる。
このみことば通り、真珠の友達との出会いは主の宮を建てるためであったと語られました

そして、【ふたりの間に平和の一致がある】という言葉が強く入ってきました

私が留学をして真珠の友達と交わり始めた頃、子宮を壊され、刺青を入れられた従軍慰安婦の写真を見せられた事がありました。韓国では学校で日本の支配下にあった時代の事を詳しく勉強していますが、日本ではほとんどそのような事実は学びません。当時の私は、突き付けられた写真に驚きとショックを受け、一瞬頭の中が真っ白になりましたが、自分の口から出たのは「ごめんなさい」という謝罪の言葉でした。初めて“自分は日本人なのだ”と強く認識した体験でもありました。でも、真珠の友達は「違うの。私はこんなひどい事をした日本人が嫌いだったけど、holygirlに出会って日本人に対するイメージが変わったの。holygirlと出会えてよかった。私に、日本語を教えて!」と笑顔で素直な気持ちを話してくれました。
その後、悪霊の存在を知っていった真珠の友達は、戦争・従軍慰安婦問題も、悪霊の仕業であったという真理の教えの土台の上に立ち、戦争経験者である私の祖父と交わった時にも、「悪霊がしたことですからね」とはっきりと言い切るクリスチャンへと変わりました。
悪霊の存在を知った時、人は【無条件の許し】に立つことができるのだと、真珠の友達の姿を通して私は学びました

真珠の友達との出会いの最初に、従軍慰安婦の事があったのも神の御計画だと思います。先日の日韓首脳会談でも、従軍慰安婦問題が大きな壁となっていましたが、聖書の真理に従った時、両国の間には平和の一致が生まれるのだと、私は声を大にして伝えたいです

戦争は、誰が悪いと言えないほど、どの国においても多くの犠牲者を出しました。同じ人間同士が殺し合うのですから、正気ではありません。サタンのする事は、人間を盗み・殺し・滅ぼすことですから、生身の人間が耐えられないほどの事をして当然だったと思います。
ですから、同じ女性として、従軍慰安婦とされた皆さんの気持ちも分かります。しかし、ずっと憎しみの中にいてほしくはありません。イエス様に救われて、まずは悪霊の存在・真理を知って頂きたいです。新しく生まれ変わり、永遠の命を得て、憎しみから解放されて頂きたいと強く願うばかりです。韓国への特別な思いを入れられてここまで来た私は今、「日韓の歴史を変えたい!」と宣言するほどの、聖霊による強い思いに満たされています



そして、その働きを共に担っているぶどうの木に対して、改めてイエス様は次のみことばで励まして下さっているのだと分かり感謝しました

ゼカリヤ8:9~13

万軍の主は、こう仰せられる、「万軍の主の家である宮を建てるために、その礎をすえた日からこのかた、預言者たちの口から出たこれらの言葉を、きょう聞く者よ、あなたがたの手を強くせよ。この日の以前には、人も働きの価を得ず、獣も働きの価を得ず、また出る者もはいる者も、あだのために安全ではなかった。わたしはまた人々を相たがいにそむかせた。しかし今は、わたしのこの民の残れる者に対することは、さきの日のようではないと、万軍の主は言われる。そこには、平和と繁栄との種がまかれるからである。すなわちぶどうの木は実を結び、地は産物を出し、天は露を与える。わたしはこの民の残れる者に、これをことごとく与える。ユダの家およびイスラエルの家よ、あなたがたが、国々の民の中に、のろいとなっていたように、わたしはあなたがたを救って祝福とする。恐れてはならない。あなたがたの手を強くせよ」。
【この民の残れる者】・・・たくさんの出入りがありましたが、今ぶどうの木に残っている兄弟姉妹一人一人が、自分の召しと選びをはっきりと知る事で実を結び、祝福を受けていくのだと語られました


皆が自立して主に忠実であれば、ますます働き人も集められていくでしょう


第2テモテ1:9~10a

神はわたしたちを救い、聖なる招きをもって召して下さったのであるが、それは、わたしたちのわざによるのではなく、神ご自身の計画に基き、また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜わっていた恵み、そして今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。
アーメン
