ぼくたちの味方イエス様と共に☆
holygirlです
トラクト「ぼくたちの味方イエス様!!」の英語版と韓国語版が完成しました


いよいよ今週このトラクトを持って、勝利くんは22日~30日までカナダへ、勇士くんは26日~8月5日までイギリスに行きます
今週の集会では、霊的にも肉的にも二人を力づける壮行会を行いました
勝利くんと勇士くんは、今回のカナダ・イギリス行きに対して、牧師から3つみことばをいただくように言われていました。まずはいただいたみことばを二人に発表してもらいました
勝利くん
ピりピ3:1
最後に、わたしの兄弟たちよ。主にあって喜びなさい。さきに書いたのと同じことをここで繰り返すが、それは、わたしには煩わしいことではなく、あなたがたには安全なことになる。
第2テモテ2:1~3
そこで、わたしの子よ。あなたはキリスト・イエスにある恵みによって、強くなりなさい。そして、あなたが多くの証人の前でわたしから聞いたことを、さらにほかの者たちにも教えることのできるような忠実な人々に、ゆだねなさい。キリスト・イエスの良い兵卒として、わたしと苦しみを共にしてほしい。
マルコ16:15~20
そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。
主イエスは彼らに語り終ってから、天にあげられ、神の右にすわられた。弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。
勇士くん
マタイ6:33~34
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
ローマ12:1~2
兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
ヨハネ15:4~6
わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。
みことばを通して勝利くんは、「イエス様が共におられるから安全だし、飛行機や会う人たちにも十字架の血を注いで、喜んで福音してきたい」と話してくれました
勇士くんも、「イギリスに行くにあたり、福音する機会が与えられるかどうか思い煩っていたけど、イエス様にゆだねていたら必ず福音のチャンスが与えられるから、しっかりとイエス様につながって過ごします」と話してくれ、二人とも自分の霊を立たせ、肉を力づけるみことばをいただいており感謝でした
今回二人は、イエス様が用意してくださったトラクトを持って飛び立つわけですが、牧師は、「絶対誰かに渡さなければならないという重荷を背負って行く必要はない。男義の霊に支配されている日本から出て、クリスチャンの国であるカナダとイギリスの国の霊力を肌で感じながら喜んで過ごしてきてください」と二人におっしゃいました。
そして福音について、改めて私たちにも語ってくださいました
福音は、「絶対に福音しなければならない」と気を張って、強制的にするものではありません。そのように思いながらやみくもに人を捕まえて福音しようとしたら、相手は嫌悪感を抱き、聞く耳を持ちませんし、自分自身もサタンから余計な迫害・攻撃を受けるだけで、福音が重荷としか思えなくなってしまいます。
だからと言って、ただ肉を楽しませるだけの交わりをし、相手の様子や顔色ばかりを伺って何も語らずにいるのであれば、誰も救われませんし、神に喜ばれることもありません。私たちが、キリストの大使としてこの世に生かされているのは、福音をして一人でも多くの魂を勝ち取るためだということを忘れてはなりません。
では、どうするのか・・・
イエス様が、「今!」とおっしゃった時に、忠実に自分を明け渡して福音の口を開くことが求められているのです
「イエス様、この人が救われ解放されるために私を使ってください。イエス様語っていきますね」と言って語り出す最初の一言、二言は、肉(知性・感情)から出る言葉かもしれませんが、その後は霊からあふれ出る言葉によって語っていくことができるのだと語られました。
いかに自分が、イエス様の言葉を忠実に相手に語るパイプ・ストローとなれるか・・・それが神に喜ばれる福音であり、クリスチャンにとって大切な事なのです
勝利くんと勇士くんが、それぞれ置かれた場所で会うべき人に出会い、喜んで福音の口を開くことができたことを感謝します
最後に、兄弟姉妹たちも二人を送り出す言葉と共に、みことばを贈ったので紹介します
エレミヤ33:14~16
主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家に約束したことをなし遂げる日が来る。その日、その時になるならば、わたしはダビデのために一つの正しい枝を生じさせよう。彼は公平と正義を地に行う。その日、ユダは救を得、エルサレムは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。
へブル11:8~12
信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。
第2コリント13:11
最後に、兄弟たちよ。いつも喜びなさい。全き者となりなさい。互に励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう。
マタイ13:31~32
また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」。
イザヤ60:1~3
起きよ、光を放て。あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上にのぼったから。見よ、暗きは地をおおい、やみはもろもろの民をおおう。しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、主の栄光があなたの上にあらわれる。
第1ヨハネ5:1~5
すべてイエスのキリストであることを信じる者は、神から生れた者である。すべて生んで下さったかたを愛する者は、そのかたから生れた者をも愛するのである。神を愛してその戒めを行えば、それによってわたしたちは、神の子たちを愛していることを知るのである。神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。
イザヤ43:10~13
主は言われる、「あなたがたはわが証人、わたしが選んだわがしもべである。それゆえ、あなたがたは知って、わたしを信じ、わたしが主であることを悟ることができる。わたしより前に造られた神はなく、わたしより後にもない。ただわたしのみ主である。わたしのほかに救う者はいない。わたしはさきに告げ、かつ救い、かつ聞かせた。あなたがたのうちには、ほかの神はなかった。あなたがたはわが証人である」と主は言われる。「わたしは神である、今より後もわたしは主である。わが手から救い出しうる者はない。わたしがおこなえば、だれが、これをとどめることができよう」。
詩篇37:4~6
主によって喜びをなせ。主はあなたの心のねがいをかなえられる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。
イザヤ35:1~10
(牧師から)
荒野と、かわいた地とは楽しみ、さばくは喜びで花さき、さふらんのように、さかんに花咲き、かつ喜び楽しみ、かつ歌う。これにレバノンの栄えが与えられ、カルメルおよびシャロンの麗しさが与えられる。彼らは主の栄光を見、われわれの神の麗しさを見る。
あなたがたは弱った手を強くし、よろめくひざを健やかにせよ。心おののく者に言え、「強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、神の報いをもってこられる。神は来て、あなたがたを救われる」と。
その時、見えない人の目は開かれ、聞えない人の耳は聞えるようになる。その時、足の不自由な人は、しかのように飛び走り、口のきけない人の舌は喜び歌う。それは荒野に水がわきいで、さばくに川が流れるからである。焼けた砂は池となり、かわいた地は水の源となり、山犬の伏したすみかは、葦、よしの茂りあう所となる。
そこに大路があり、その道は聖なる道ととなえられる。汚れた者はこれを通り過ぎることができない、愚かなる者はそこに迷い入ることはない。そこには、ししはおらず、飢えた獣も、その道にのぼることはなく、その所でこれに会うことはない。ただ、あがなわれた者のみ、そこを歩む。主にあがなわれた者は帰ってきて、その頭に、とこしえの喜びをいただき、歌うたいつつ、シオンに来る。彼らは楽しみと喜びとを得、悲しみと嘆きとは逃げ去る。
アーメン
みことばは何よりの武具です
皆がいただいたみことばによって守られ、天地ができる前から勝利くんと勇士くんに与えられている召しと選び、そしてイエス様の御計画が成就したことを感謝します

トラクト「ぼくたちの味方イエス様!!」の英語版と韓国語版が完成しました



いよいよ今週このトラクトを持って、勝利くんは22日~30日までカナダへ、勇士くんは26日~8月5日までイギリスに行きます

今週の集会では、霊的にも肉的にも二人を力づける壮行会を行いました

勝利くんと勇士くんは、今回のカナダ・イギリス行きに対して、牧師から3つみことばをいただくように言われていました。まずはいただいたみことばを二人に発表してもらいました

勝利くん

ピりピ3:1

最後に、わたしの兄弟たちよ。主にあって喜びなさい。さきに書いたのと同じことをここで繰り返すが、それは、わたしには煩わしいことではなく、あなたがたには安全なことになる。
第2テモテ2:1~3

そこで、わたしの子よ。あなたはキリスト・イエスにある恵みによって、強くなりなさい。そして、あなたが多くの証人の前でわたしから聞いたことを、さらにほかの者たちにも教えることのできるような忠実な人々に、ゆだねなさい。キリスト・イエスの良い兵卒として、わたしと苦しみを共にしてほしい。
マルコ16:15~20

そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。
主イエスは彼らに語り終ってから、天にあげられ、神の右にすわられた。弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。
勇士くん

マタイ6:33~34

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
ローマ12:1~2

兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
ヨハネ15:4~6

わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。
みことばを通して勝利くんは、「イエス様が共におられるから安全だし、飛行機や会う人たちにも十字架の血を注いで、喜んで福音してきたい」と話してくれました


今回二人は、イエス様が用意してくださったトラクトを持って飛び立つわけですが、牧師は、「絶対誰かに渡さなければならないという重荷を背負って行く必要はない。男義の霊に支配されている日本から出て、クリスチャンの国であるカナダとイギリスの国の霊力を肌で感じながら喜んで過ごしてきてください」と二人におっしゃいました。
そして福音について、改めて私たちにも語ってくださいました

福音は、「絶対に福音しなければならない」と気を張って、強制的にするものではありません。そのように思いながらやみくもに人を捕まえて福音しようとしたら、相手は嫌悪感を抱き、聞く耳を持ちませんし、自分自身もサタンから余計な迫害・攻撃を受けるだけで、福音が重荷としか思えなくなってしまいます。
だからと言って、ただ肉を楽しませるだけの交わりをし、相手の様子や顔色ばかりを伺って何も語らずにいるのであれば、誰も救われませんし、神に喜ばれることもありません。私たちが、キリストの大使としてこの世に生かされているのは、福音をして一人でも多くの魂を勝ち取るためだということを忘れてはなりません。
では、どうするのか・・・

イエス様が、「今!」とおっしゃった時に、忠実に自分を明け渡して福音の口を開くことが求められているのです

いかに自分が、イエス様の言葉を忠実に相手に語るパイプ・ストローとなれるか・・・それが神に喜ばれる福音であり、クリスチャンにとって大切な事なのです

勝利くんと勇士くんが、それぞれ置かれた場所で会うべき人に出会い、喜んで福音の口を開くことができたことを感謝します

最後に、兄弟姉妹たちも二人を送り出す言葉と共に、みことばを贈ったので紹介します

エレミヤ33:14~16

主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家に約束したことをなし遂げる日が来る。その日、その時になるならば、わたしはダビデのために一つの正しい枝を生じさせよう。彼は公平と正義を地に行う。その日、ユダは救を得、エルサレムは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。
へブル11:8~12

信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。
第2コリント13:11

最後に、兄弟たちよ。いつも喜びなさい。全き者となりなさい。互に励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう。
マタイ13:31~32

また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」。
イザヤ60:1~3

起きよ、光を放て。あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上にのぼったから。見よ、暗きは地をおおい、やみはもろもろの民をおおう。しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、主の栄光があなたの上にあらわれる。
第1ヨハネ5:1~5

すべてイエスのキリストであることを信じる者は、神から生れた者である。すべて生んで下さったかたを愛する者は、そのかたから生れた者をも愛するのである。神を愛してその戒めを行えば、それによってわたしたちは、神の子たちを愛していることを知るのである。神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。
イザヤ43:10~13

主は言われる、「あなたがたはわが証人、わたしが選んだわがしもべである。それゆえ、あなたがたは知って、わたしを信じ、わたしが主であることを悟ることができる。わたしより前に造られた神はなく、わたしより後にもない。ただわたしのみ主である。わたしのほかに救う者はいない。わたしはさきに告げ、かつ救い、かつ聞かせた。あなたがたのうちには、ほかの神はなかった。あなたがたはわが証人である」と主は言われる。「わたしは神である、今より後もわたしは主である。わが手から救い出しうる者はない。わたしがおこなえば、だれが、これをとどめることができよう」。
詩篇37:4~6

主によって喜びをなせ。主はあなたの心のねがいをかなえられる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。
イザヤ35:1~10

荒野と、かわいた地とは楽しみ、さばくは喜びで花さき、さふらんのように、さかんに花咲き、かつ喜び楽しみ、かつ歌う。これにレバノンの栄えが与えられ、カルメルおよびシャロンの麗しさが与えられる。彼らは主の栄光を見、われわれの神の麗しさを見る。
あなたがたは弱った手を強くし、よろめくひざを健やかにせよ。心おののく者に言え、「強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、神の報いをもってこられる。神は来て、あなたがたを救われる」と。
その時、見えない人の目は開かれ、聞えない人の耳は聞えるようになる。その時、足の不自由な人は、しかのように飛び走り、口のきけない人の舌は喜び歌う。それは荒野に水がわきいで、さばくに川が流れるからである。焼けた砂は池となり、かわいた地は水の源となり、山犬の伏したすみかは、葦、よしの茂りあう所となる。
そこに大路があり、その道は聖なる道ととなえられる。汚れた者はこれを通り過ぎることができない、愚かなる者はそこに迷い入ることはない。そこには、ししはおらず、飢えた獣も、その道にのぼることはなく、その所でこれに会うことはない。ただ、あがなわれた者のみ、そこを歩む。主にあがなわれた者は帰ってきて、その頭に、とこしえの喜びをいただき、歌うたいつつ、シオンに来る。彼らは楽しみと喜びとを得、悲しみと嘆きとは逃げ去る。
アーメン

みことばは何よりの武具です


