今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならない! | ぶどうの木 Good News

今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならない!

holygirlです

今週の集会で、長老を通して次のみことばが与えられました

使徒行伝17:22b~31
「アテネの人たちよ、あなたがたは、あらゆる点において、すこぶる宗教心に富んでおられると、わたしは見ている。実は、わたしが道を通りながら、あなたがたの拝むいろいろなものを、よく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう。この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない。また、何か不足でもしておるかのように、人の手によって仕えられる必要もない。神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである。こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである。あなたがたのある詩人たちも言ったように、『われわれも、確かにその子孫である』。
このように、われわれは神の子孫なのであるから、神たる者を、人間の技巧や空想で金や銀や石などに彫り付けたものと同じと、見なすべきではない。神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる。神は、義をもってこの世界をさばくためにその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人に示されたのである」。

イエス様は長老を通して、「今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならない」とおっしゃいました。どこにおる人でも・・・そこには、○○人という国は関係なく、一人一人の人間が、何を拝んできたか、今何を拝んで生活しているのかなど、イエス様ではないものを頭にして生きているすべての人が当てはまるのだと語られました
さらに牧師を通して、みことばの中にある「すこぶる宗教心に富んでいる」とは、自分偶像礼拝をしている人の心であり、「あなたがたが知らずに拝んでいるもの」とは、仏壇や神棚だけではなく、お金や学歴、目の欲、肉の欲、持ち物の誇りなど、自分が握っているものすべてだと語られました。

特に、今週は3代~4代の血という観点から語られました。
私たち人間の中には皆、3代~4代にわたって受け継がれてきた血が流れています。聖書では、それは「3代~4代にわたる血の中にある呪いたたりの霊」という、神に忌み嫌われている血として書かれています。

申命記5:7~10
あなたはわたしのほかに何ものをも神としてはならない。
あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水の中にあるものの、どのような形をも造ってはならない。それを拝んではならない。またそれに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には恵みを施して千代に至るであろう。


3代、4代に及んできたものですから、そこには似た者同士で引き合って結婚した男女のそれぞれの生い立ち、家庭環境、結婚後は嫁姑関係で生まれる憎しみねたみ、家の宗教、家族間の問題、病気など、いろんな霊力が含まれています。そのような血が結婚して子供が生まれる度にどんどん混じり合っていくわけですから、霊力も増えていく一方です。
それが自分の内に流れているのですが、おそらくその事実を知って生きている人間はクリスチャン以外いないでしょう。(クリスチャンであっても知らない人の方が多いようですが・・・)

私たち人間は、この受け継がれてきた血によって、不運が続いたり、遺伝?と言われるような病気になったり、嫁姑関係で悩んだり、家の宗教に縛られながら生きているのです。それは、真の神を憎み、違うものに仕えて生きていた3代~4代前の先祖の罪のゆえです。自分には身におぼえがなくても、血が流れている以上ずっと罪をかかえていることになります。それが、すこぶる宗教心に富んだ人間にしたり、たくさんの偶像や握らなければならないものをつくってきてしまったのです。
だからと言って、血を全部抜き取るわけにはいきません。自分の力ではどうすることもできない問題・・・でも、イエス様なら解決できるのです。血を断ち切ることができるのは、救い主イエス様が十字架上で流された血だけなのですイエス様には、その特権が天の父である神から与えられていますキラキラ3

第1ヨハネ1:7~9
しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。

エペソ1:7
わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。

「悔い改める」とは、今まで偽の神々に仕えてきたこと、自分を神としてきたこと、イエス様よりサタンが神であるこの世を愛してきたことはすべて間違っていたと言葉にすることからはじまります。そして、それを来たらせてきた“3代~4代にわたって血の中にある呪いたたりの霊”を忌み嫌ってイエス・キリストを受け入れ、イエス様の十字架の血で今まで犯してきた罪の血を洗い流し、神を愛し、戒めを守る者に生まれ変わるということです

今、この悔い改めが必要だと語られています