聖別の時☆ | ぶどうの木 Good News

聖別の時☆

holygirlですニコ

集会のはじめに、牧師から「各自異言で祈りながらみことばをいただくように」と言われました。
私は5ついただきましたので、書き表したいと思いますキラキラ

詩篇141:6
彼らはおのれを罪に定める者にわたされるとき、主のみ言葉のまことなることを学ぶでしょう。

ナホム1:7~2:1
主は恵み深く、なやみの日の要害である。彼はご自分を避け所とする者を知っておられる。しかし、彼はみなぎる洪水であだを全く滅ぼし、おのが敵を暗やみに追いやられる。あなたがたは主に対して何を計るか。彼はその敵に二度としかえしをする必要がないように敵を全く滅ぼされる。彼らは結びからまったいばらのように、かわいた刈り株のように、焼き尽くされる。主に対して悪事を計り、よこしまな事を勧める者があなたのうちから出たではないか。
主はこう言われる、「たとい彼らは強く、かつ多くあっても、切り倒されて絶えはてる。わたしはあなたを苦しめたが、重ねてあなたを苦しめない。今わたしは彼のくびきを砕いて、あなたからとり除き、あなたのなわめを切りはなす」。
主はあなたについてお命じになった、「あなたの名は長く続かない。わたしはあなたの神々の家から、彫像および鋳造を除き去る。あなたは罪深い者だから、わたしはあなたの墓を設ける」。
見よ、良きおとずれを伝える者の足は山の上にある。彼は平安を宣べている。ユダよ、あなたの祭を行い、あなたの誓願をはたせ。よこしまな者は重ねて、あなたに向かって攻めてこないからである。彼は全く断たれる。撃ち破る者があなたに向かって上って来る。城を守れ、道をうかがえ。腰に帯せよ、大いに力を強くせよ。

エレミヤ2:35
あなたは言う、『わたしは罪がない。彼の怒りは、決してわたしに臨むことがない』と。あなたが『わたしは罪を犯さなかった』と言うことによって、わたしはあなたをさばく。

ピリピ4:17
わたしは、贈り物を求めているのではない。わたしの求めているのは、あなたがたの勘定をふやしていく果実なのである。

ピリピ4:19
わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。わたしたちの父なる神に、栄光が世々限りなくあるように、アァメン。

ヘブル3:14~4:3a
もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。それについて、こう言われている、「きょう、み声を聞いたなら、神にそむいた時のように、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」。すると、聞いたのにそむいたのは、だれであったのか。モーセに率いられて、エジプトから出て行ったすべての人々ではなかったか。また、四十年の間、神がいきどおられたのはだれに対してであったか。罪を犯して、その死かばねを荒野にさらした者たちに対してではなかったか。また、神が、わたしの安息に、はいらせることはしない、と誓われたのは、だれに向かってであったか。不従順な者に向かってではなかったか。こうして、彼らがはいることのできなかったのは、不信仰のゆえであることがわかる。
それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているにかかわらず、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることのないように、注意しようではないか。というのは、彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。ところが、わたしたち信じている者は、安息にはいることができる。


いただいたみことばを通して、ますます聖別されていく時なのだと実感しました。神を侮ってはいけないということ。神を恐れて、自分とイエス様の関係をしっかり築いていなければ滅ぼされてしまうということが語られ、これらのみことばに加えて、【おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取上げられるであろう。】(マタイ13:12)というみことばも臨みました。

また牧師を通しては、ガラテヤ6章のみことばが与えられました

ガラテヤ6:6~10
御言を教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい。まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。

人は自分のまいたものを刈り取る・・・ぶどうの木においても、その刈り取りの声が聞えてきています。霊にみことばをまいて行なってきた人は、本当に豊かに祝福を得て、前進しています。逆に、みことばよりも自分のやり方や肉に心地よい方を選んできた人や、イエス様(ぶどうの木)から離れてしまった人たちは、滅びの刈り取りをしています。
私たちは牧師を通して、「自分の現状を、人のせいにしてはいけない!人が自分にまいてきたものによって刈り取っているのではなく、自分がまいてきたものによって刈り取っているのだから・・・」と語られました。
もし、相手が自分に嫌な言動をした時、やり返すのであれば、そのまいたものを刈り取るのは自分です。肉にまけば、サタンに門を開き、ますますその人との関係は悪化し、魂の状態はやがて病気という形で体に現れ、肉から滅びを刈り取ることになるのです。
私たちは、いつでも霊にまく人にならなければいけません。霊にまく人とは、みことばにとどまる人。やり返すのではなく、敵はサタンだというところに立って、無条件の許しにとどまるのです“私の気持ちは、イエス様が知っていて下さればそれでいい”という気持ちで、相手に対して善(愛によって働く信仰)を行えば、必ず刈り取る日が来るのだと語られました。
この“イエス様さえ、知っていて下さればそれでいい”という信頼と信仰がないから、イエス様よりしゃしゃり出て、自分の肉で解決しようとしたり、一言物申したりしてしまうんですよね。すべての者の上におられるのはイエス様であり、私たちはその御手の中で生きていることを、もっと自覚しなければならないと思いました。

ヘブル11:6
信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。


また、みことばであっても肉(知性)にまいていけば、宗教になります。みことばを納得してから行う、できることとできないことを、自分の頭と感情で判断してしまう・・・そのような歩きは、結局何も変わらず、何の問題も解決されず、やがて自分の肉が刈り取ることになります。
だから、私たちは霊にみことばをまくことを徹底的に教えられてきました。頭で分からなくても、「アーメン」と言って霊にまいていけば、聖霊の力によってそれが魂(知性・意志・感情)と体に連動していく。そこにも信仰が問われるということも、改めて語られました。

私たちクリスチャンが握ってよいものは、みことばだけですしっかりとみことばを霊にまき、それによって聖別されるよう、訓練を求めていきましょうぐーキラキラ

ヘブル10:35~11:1
だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。「もうしばらくすれば、きたるべきかたがお見えになる。遅くなることはない。わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、わたしのたましいはこれを喜ばない」。しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅びる者ではなく、信仰に立って、いのちを得る者である。さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。


明日から、2泊3日でまたまた韓国に行ってきます
8月15日、日本は終戦記念日、韓国は、日本からの独立記念日です。この歴史的に大きな意味のある日が最終日となっていること、そこにイエス様の計り知れない計画があるのだと感じています。日韓友好のために、つかっていただけることに感謝ですLOVE
今まで何度も韓国には行っているのですが、今回初めて母と妹が一緒に行くことになり、3つよりの綱が揃っての韓国入りですキラキラ☆そこに、りんご娘も加わっての4人旅おんぷ今回は、韓国に立てられている働き人たちと交わります魔法のクローバー楽しんで、喜んで、すべての事(出会い)に感謝していってきますにこキラきゅんっ

マタイ9:35~10:1
イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。そして弟子たちに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」。そこで、イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった。

アーメン韓国でも、働き人がますます与えられたことを感謝しますビックリマーク2