3本の木が得た祝福☆ | ぶどうの木 Good News

3本の木が得た祝福☆

holygirlですニコちゃん

皆さん、この絵本をご存じですかニコ








この本に描かれている3本の木には、それぞれ夢がありました。
最初の木の夢は、世界一美しい宝箱になること、
2番目の木の夢は、世界中で一番頑丈な帆船になること、
3番目の木の夢は、世界中で一番背の高い木になって、人々が梢を見あげる時、天に目を向けて、神様のことを考えてほしいと思っていました。

しかし、木こりによって倒された3本の木は、家畜のえさを入れる木箱、ありふれた漁船、柱に、それぞれされてしまいました。

そして、長い年月が過ぎて、3本の木は自分たちの夢さえ忘れてしまっていたのですが、イエス様がお生まれになったことがきっかけで、最初の木は、生れたばかりのイエス様が入るかいば桶に用いられました。
2番目の木は、イエス様と使徒たちが乗る漁船に用いられました。
3番目の木は、イエス様がかけられた十字架に用いられました。

神は、3本の木の願いをはるかに越えてかなえてくださいました。神の愛によって、
最初の木は、世界で一番尊い宝物を抱く美しい箱となり、
2番目の木は、天と地を統治する王を乗せる強い船となり、
人々が3番目の木のことを思うときは、いつも神様のことを考えるようになったのですから。


私たちはこの絵本を通して、3本の木が得た祝福をどう思うかと牧師に問われました。
自分の肉の思いと計画を握っている人であれば、最初の夢がかなえられずにかわいそうに・・・と思うでしょう。神の祝福に目が向けられない、悟れないのです。
自分の肉の願いとは違っていたけど、こんなはずではなかったと思った時期もあったけれど、気がついたら神からのすばらしい祝福が与えられていた3本の木の祝福に、素直に「アーメン」と言える人は、自分自身もそのように信仰で歩んでこれたクリスチャンですし、これからもイエス様に信頼して歩んでいけるクリスチャンです
私は、もちろん素直に「アーメン」でしたし、神のなさり方ってすごいと思いましたかおハート
私も幼稚園教諭という自分の夢がかなったと思った2年後、3本の木が木こりに倒されたように、ある日ばっさりと夢を断ち切られることになりました。その時は先が見えないのでサタンが耳元でたくさんささやいてきましたが、信仰で必ず良いものが与えられると信じていました。そして今、私は神の愛によってたくさんの神の子を生み、教え、育てるという神からの仕事をさせていただいていますきらきら!!幼稚園教諭を握っていたら、その先に待っていた素晴らしい神の御心を知ることも、人知では計り知ることのできない祝福を受けることもできませんでした。
イエス様から召しと選びを受け、それに従うということは、決して失望に終わらない人生です薔薇
3本の木が得た祝福も、私が得た祝福も、【わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。】(ローマ8:18)のみことば通りなのですかんむり

ローマ5:1~5
このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。


ぶどうの木には今、行く先を知らないで出て行ったアブラハムの信仰で、働いていた職場を辞め、新たにイエス様を頭とした職場を求める兄弟姉妹たちと、中学生になりイエス様を頭とした部活動を求めている勇士くんがいます。

イエス様が今彼らに言われているのは、まず神の国と神の義を求めることのできる場に自分を置くこと、自分の思いや計画を握らないで主の導きにゆだねる信頼、そしてイエス様に従い、イエス様のためならどんなことでもする!その気持ちで生きていれば、イエス様が必ず全ての面においてかえりみてくださるという強い信仰です
ただ内側を清めたら、イエス様が一番の歩きになり、祝福を得る握ったものをもって滅ぼされることのないようにです

ルカ11:41
ただ、内側にあるものをきよめなさい。そうすれば、いっさいがあなたがたにとって、清いものとなる。

ヘブル11:1
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

ヘブル11:6
信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。

ヘブル11:8
信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。


神の愛によって新しく造りかえられた“今の自分”。そのことへの感謝を忘れなければ、サタンからどんな誘惑が来ても、どんな人生の岐路に立たされても、いつも『イエス様のための自分』として生きていけますねキイロキラ

ローマ12:1~2
兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

ローマ14:6~8
日を重んじる者は、主のために重んじる。また食べる物も主のために食べる。神に感謝して食べるからである。食べない者も主のために食べない。そして、神に感謝する。すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。


アーメン
一人一人が、サタンからの偽の祝福(あたかもイエス様だと思ったけど、いずれ滅ぼされる)ではなく、イエス様からの真の祝福を得れたことを感謝しますキラキラ