聖書ってどんなことが書いてあるの??①
holygirlです
皆さん、聖書って具体的にどんなことが書かれてあるか知っていますか??
私は救われた時に、まず「聖書は神・イエス様からのラブレター」だと教えられ、霊で“本当にそうだ
”と分かる体験をしていきました
そして読んでいくにつれて、聖書の構成や書簡の背景を知っていったのですが、今週の集会で、改めて霊だけでなく知性でも理解するために、私たちが信じている聖書には一体どんなことが書かれてあるのか、リビングバイブル(いのちのことば社)で確認する時間が与えられました。
とても分かりやすかったので、紹介したいと思います
聖書には、旧約聖書と新約聖書があります。
旧約聖書は、大きく分けて【モーセの五書】(創世記~申命記)、【イスラエルの歴史】(ヨシュア記~エステル記)、【イスラエルの文学】(ヨブ記~雅歌)、【イスラエルの預言者】(イザヤ書~マラキ書)の4つで構成されており、旧約聖書の時代は神対人間という直接的な関係の中で、人々は神を恐れて生活していました。
新約聖書は、【キリストの生涯】(マタイの福音書~ヨハネの福音書)、【キリスト教会の誕生】(使徒行伝)、【クリスチャンへの手紙】(ローマ人への手紙~ユダの手紙)、【この世の終わりに】(ヨハネの黙示録)で構成されています。
私たちは、今新約の時代(イエス様が神と人間の間の仲保者となって来られた)を生きているので、集会の中では、特に新約聖書の書簡1つ1つの背景を確認していきました
【キリストの生涯】
聖書の中心はイエス・キリストです。では、いったいキリストとはどういうお方で、何をなさり、どんなことをお語りになったのでしょうか。ここには、キリストと行動を共にし、その教えを受け、さまざまな出来事を見聞きした人々の証言を、それぞれ違った観点からまとめた、四つの記録が収められています。四人の著者は、キリストの直弟子もいれば、そうでない者もおり、社会的地位も、取税人、青年、医者、漁師と、全く異なります。この四人の目をとおして、キリストの姿が生き生きと描かれています。
・マタイの福音書(取税人マタイの記録)
マタイは、税金を取り立てる役人でした。当時、彼らの中には、不正に多く取り立てて、自分のものにする者がいたので、人々にきらわれ、軽べつされる職業でした。しかし、イエスは、あえてそのような人を弟子になさったのです。イエスに出会ったマタイの生活は一変しました。いっさいを捨てて彼にお従いしたのです。そしてこのイエスこそ、以前から神の預言者によって、この世に現れると言われ続けてきた救い主であることを、人々に伝える者となったのです。
・マルコの福音書(青年マルコの記録)
すべての人に気を配り、いたわり、愛し続けるイエス。どんな時でも、苦しみ、悲しみ、助けを必要としている人々に仕え続けられるイエス。そして、最後には、全人類の救いのために、ご自分のいのちまでも投げ出されたイエス。本書は、そういうイエスの姿を見、行動を共にした使徒ペテロの語る思い出話の数々を、イエスが逮捕される時、逃げた青年(マルコ14:51~52)と思われているマルコが記録したものです。
・ルカの福音書(医者ルカの記録)
快復の見込みのない病気で絶望している人。社会的地位も低く、人からいやしめられ、軽べつされている人。人々に訴える力も、権力もない弱い女たち。社会の片隅に追いやられ、存在すらも認められない、そのような人たちの心を、イエスは大切になさいました。そして、つらい思いでいる人々の気持ちを理解し、やさしい励ましと、慰めのことばを一人一人にかけていかれたのです。そういうキリストの姿が、医者ルカの目を通して生き生きと描かれています。
・ヨハネの福音書(漁師ヨハネの記録)
ヨハネは漁師でした。キリストを信じてから約三年の間、イエスに身近に接し、彼が普通の人と全く違うことを見いだしたのです。それは、今まで出会った人には見られなかった権威あることばや、人々から恐れられ、敬われている学者や指導者に、はっきりとその間違いを正す態度、そして、神様に祈り求めてなされる数々の奇蹟等によってでした。ヨハネは知ったのです。イエスこそ、ご自分で言われるとおり、神のひとり子であり、この世の救い主であることを。
【キリスト教会の誕生】
教会はまず、エルサレムで誕生しました。そして、パレスチナから、小アジヤ、ギリシヤへと、次々に伝道活動を推し進め、ついに、当時の世界の中心ローマにも、その輪は広がっていったのです。人々の激しい反対や迫害にもめげず、弟子たちは力強く、大胆にキリストの教えを伝えました。こうして、世界各地にキリスト教が広まり、教会がつくられる有様が、教会の中心的指導者であったペテロとパウロの活動や体験を軸に、種々の事件をまじえながら展開していきます。
・使徒の働き(弟子たちの伝道記録)
自分たちの師であったイエス・キリストが捕えられ、十字架上で殺されたのを知った弟子たちは、ユダヤ人を恐れ、一個所に閉じこもっていました。けれども、その彼らの目前に、復活したイエスが立った時、不安と恐れが消え、イエスこそ人類の救い主であることを、力強く人々に知らせる者と変わったのです。本書は、一地域から、そして、ほんの小さな人々の集まりから出発したキリスト教会の誕生と発展、および、キリストの弟子たちの働きの記録です。
【クリスチャンへの手紙】
教会の数が増えていくと、重要な人物がいつも同じ教会にとどまり、直接指導にあたることはできなくなります。広く伝道旅行に出かけ、各地に教会をつくったパウロの場合は、特にそうでした。そこで、まだまだ未熟なクリスチャンを教え導き、教会内で持ち上がったやっかいな問題を解決するために、多くの手紙を書いたのです。どの手紙も、それぞれ大切な事柄を扱っています。こうしてパウロの手紙に、ペテロをはじめ、ほかの数人の指導者のものを加えてまとめたのが、この手紙集です。
・ローマ人への手紙(ローマ教会の皆さんへ)
著者パウロは、この手紙でローマ教会の信者に自分を紹介するとともに、彼の神学を解説しています。そういうわけで、この手紙は、パウロの手紙のうちで最も組織立ったものと言えるでしょう。まず、人間はだれもが罪人であることを語り、外国人もユダヤ人も、律法を守ることでは神様を喜ばせることはできないこと、および、私たちが罪人であっても、あわれみ深い神様は自ら近づいてくださり、神様に立ち返る道を備えてくださったことを、教えています。
・コリント人への手紙Ⅰ(コリント教会の皆さんへⅠ)
ほんとうの愛!その愛について、著者パウロはことばを尽くして語ります。当時、コリントの教会には、いろいろな問題が持ち上がっていました。その原因は、「自分されよければ、人はどうでもいい。自分のしたいことをして何が悪い。それが自由というものだ」といった態度にあることを、パウロは鋭い目で見抜いていました。そして、時には厳しいとも思える口調で忠告し、お互いに心から愛し合い、欠点を補い合い、問題を解決するよう勧めています。
・コリント人への手紙Ⅱ(コリント教会の皆さんへⅡ)
キリストの教えを伝えるのは、決して楽なことではありません。むしろ苦しいことのほうが多いでしょう。著者パウロの場合も、まさに苦難の連続でした。先の手紙で、コリント教会の問題が完全に解決したわけではありませんでした。特に、パウロが使徒かどうかが引き続き問題になっていました。この手紙でパウロは、自分が使徒であることをくり返し主張しています。そのほか、いつも貧しい者を助けるように、というような実際問題も、述べられています。
・ガラテヤ人への手紙(ガラテヤ教会の皆さんへ)
「・・・らしく」ということばがあります。その場合、心の内側より、外面を整えようとしがちではないでしょうか。それは、そのほうが容易だからです。著者パウロが生きていた二千年前もやはり同じでした。ガラテヤのクリスチャンにとって、これは大きな問題でした。彼らは規則を守り、評判のよい生活をする人が正しい人間だと、思い違いをしていたのです。著者は自分の経験から、人は心が変われば、自然に正しい行いができることに気づいていたのです。
・エペソ人への手紙(エペソ教会の皆さんへ)
私たちの心には、自分と違った人々をなかなか受け入れないものがあるようです。差別(家柄、学歴、職業、社会的地位、貧富の差等による)は、古くて新しい問題です。人よりも、少しでも自分が優れていると思いたい心が、差別をつくりあげるのでしょうか。パウロは獄中から、各地の教会に手紙を送りました。その一通がこの手紙です。初めのころの教会には、まだユダヤ人と、それ以外の外国人との間に意見の対立があり、なかなかしっくりいきませんでした。
・ピリピ人への手紙(ピリピ教会の皆さんへ)
ピリピは、今のギリシヤの北部にあり、ローマの植民都市として栄えた町でした。ここはまた、パウロにとっても思い出深い町で、彼がヨーロッパに最初の教会をつくったのもこの町でした。それも、捕えられ、むちで打たれながらつくったのです。それにこたえて、ピリピ教会のクリスチャンも、パウロのために献身的に尽くし、彼の経済的必要を満たしたこともしばしばでした。その教会に、パウロは、キリストを信じる者の喜びを、真実こめて語ります。
・コロサイ人への手紙(コロサイ教会の皆さんへ)
この手紙は、エペソ教会への手紙と同じ時に書かれました。コロサイは、今のトルコにあたる地方にあった町です。その教会に、キリストは神であるという真理をあいまいにする教えが、はびこったのです。そこで、この事態をどう解決したらよいか、パウロに問い合わせることになり、エパフラスが代表に選ばれました。彼の報告を聞いたパウロが、その教えのどこがまちがっているかをはっきり指摘し、キリストは確かに神であることを書き送ったのがこの手紙です。
・テサロニケ人への手紙Ⅰ(テサロニケ教会の皆さんへⅠ)
テサロニケは、今なおサロ二カという名で繁栄している町で、紀元一世紀には、マケドニヤ地方の主要な町の一つでした。パウロはこの町でも、キリストの教えを伝えましたが、彼に反対するユダヤ人が暴動を起こし、彼を町から追い出してしまったのです。しかし、キリストを信じたギリシヤ人も大ぜいいました。ユダヤ人の迫害に会いながら、信仰を守り続けるこれらの人たちに、パウロは、きよく正しい生活をして、キリストの再来を待つよう励まします。
・テサロニケ人への手紙Ⅱ(テサロニケ教会の皆さんへⅡ)
パウロは、最初の手紙のあと、すぐにこの手紙を書きました。前回と同様、キリストがもう一度来られることが、その主題です。テサロニケの教会では、このことが大きな問題だったからです。それというのも、キリストはもう来てしまったと言いふらして、人々をあわてさせる者がいたからです。中には、それをいいことに、仕事もせず、毎日ぶらぶらするだけの者もいました。そうしたデマにのせられたり、怠惰に流れることを、パウロはきつく戒めています。
・テモテへの手紙Ⅰ
パウロが、息子のようにかわいがっていたテモテに送った手紙です。テモテは、パウロの勧めでキリストを信じ、以後行動を共にし、献身的に協力した青年です。パウロも、手足となって働く彼を信頼し、やがてエペソの教会の指導を一手に任せるようになりました。しかし、年若くして責任ある立場におかれたテモテにいは、それなりの苦労もありました。そうしてことを思いやり、パウロは、父親のようなやさしさで、指導者としてのあり方を教えています。
・テモテへの手紙Ⅱ
囚われの身であり、処刑を間近にひかえたパウロが、最愛の弟子テモテに送った遺書とも言える手紙です。自分は犯罪人という最もみじめな境遇におかれ、しかも、エペソの教会では、大ぜいの信者が造反運動を起こすという悲しい出来事に直面して、パウロはテモテに、どんなにつらい時も、正しい教えを伝えることだけは忘れないように、と訴えます。そして、自分の一生は、まさにそうした戦いの連続であり、それを勇敢に戦い抜いたことを語ります。
・テトスへの手紙
クレテ島にある教会を指導していた、テトスあてのパウロの手紙です。テトスは有能な青年で、パウロもその力を高く評価し、たいせつな役目につかせたことも何度かありました。この手紙で取り上げているクレテ島も、道徳水準が低く、なかなか大変なところでした。このような教会には、特にしっかりした指導者が必要です。どのような人を選んだらよいか、また、教会の責任者として、人々をどのように教え、訓練したらよいか、適切な助言がなされています。
・ヘブル人への手紙
ヘブル人とはユダヤ人のことです。ユダヤ人は神殿をとても重要なものと考えていました。ですから、そこではいつも、いろいろな宗教儀式が行なわれ、事あるごとに動物の犠牲がささげられていました。たとい、クリスチャンになっても、神殿での儀式を熱心に守る習慣は変わりませんでした。このようなユダヤ人に、ほんとうにたいせつなのは、儀式を守ることではなく、身代わりとなって死んでくださったキリストを信じることだと、この手紙は教えています。
・ヤコブの手紙(ヤコブからの手紙)
この手紙が書かれた当時、大ぜいのユダヤ人が世界各地に散らばっていました。その中のクリスチャンにあてて、ヤコブはこの手紙を送ったのです。彼はエルサレム教会の指導者で、人々から尊敬されるりっぱな人物でした。信仰の面でも行いの面でも、すばらしい模範を示していた彼が、正しい生活をすることがどんなにたいせつか、キリストを信じていると言いながら、行ないが伴わなければいかに無意味であるかを、例をあげて具体的に説明しています。
・ペテロの手紙Ⅰ(ペテロからの手紙Ⅰ)
現在のトルコにあたる地方に点在していた教会に、ペテロが出した手紙です。キリストが選んだ十二人の弟子たちの中で、ペテロは中心的存在でした。のちに、各地に教会ができ、大ぜいの人がキリストを信じるようになってからも、彼はやはり第一人者として、すべての教会とクリスチャンを指導しました。その彼が、いよいよ激しく燃え上がる迫害の火の手の中で、そういう時こそ神様を信じ、希望をもって戦い抜くように、励ましのことばをかけています。
・ペテロの手紙Ⅱ(ペテロからの手紙Ⅱ)
自分の信条を、最後まで守り続けるのは容易なことではありません。そのために、つらい思いや苦しい思いをし、損をすることもあるからです。かつてイエスに「たとい、みんながあなた様を見捨てようと、私だけは、この私だけは絶対に、見捨てなどいたしません」と言いはったペテロも、いざという時はだめでした。そのペテロが、生涯を閉じるにあたって、迫害を受けて苦しんでいるクリスチャンを勇気づける人となりました。そして最後には殉教したのです。
・ヨハネの手紙Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ(ヨハネからの手紙Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ)
漁師あがりのヨハネは、兄弟ヤコブと共に、キリストから「雷の子」とあだ名されるほど、激しい気性の持ち主でした。ところが、キリストはこのヨハネに、弟子たちの中でも特に目をかけたのです。こうして、キリストの愛を知ったヨハネは、晩年には「愛の人」と呼ばれるほどの人物になりました。彼の口から出ることばは、いつも決まって「愛し合いなさい」でした。この手紙でも、神様の愛を知ること、互いに愛し合うことのすばらしさが語られています。
・ユダの手紙(ユダからの手紙)
いろいろな人がキリストを信じるようになり、キリスト教がしだいに広まると、残念なことに、まちがった教えも語られるようになりました。そのために、正しい信仰を捨てる人や、何を信じたらいいのかさえ、わからなくなる人も出るしまつです。こうした状態を憂えて、ユダはこの手紙を書いたのです。人々を指導する立場にありながら、かえって、人々の心を惑わすことばを語る者たちの誤りを、遠慮なく指摘し、正しい信仰を守り抜くよう進めています。
【この世の終わりに】
聖書の最後は、迫害の渦中にあるクリスチャンへの慰めと、将来起こる出来事の予告とでしめくくられています。教会は、今はこの世の権力のもとで、多くの苦しみを味わわされることでしょう。しかし、やがて神様が世界をまったく新しくし、正義をもって、完全に支配なさる時がくるのです。その時を望み見て、どんな時にも絶望することなく、あくまで信仰を貫き、神様に忠実に生きようと励ましながら、輝かしい未来の約束を与えて、聖書は終わります。
・ヨハネの黙示録(ヨハネの見た幻)
紀元前一世紀の後半、クリスチャンは激しい迫害を受けていました。ヨハネも、教会の指導者ということで、地中海のパトモスという島に流されました。そこで神様が、これから起こることを幻の中で教えてくださったのです。今は、クリスチャンであるばかりに苦しい目に会わされていても、必ず報われる時が来る。悲しみも苦しみもない新しい世界ができる、と慰めてくださったのでした。このことを、すべてのクリスチャンに知らせようと書かれたのが、本書です。
つづく・・・

皆さん、聖書って具体的にどんなことが書かれてあるか知っていますか??
私は救われた時に、まず「聖書は神・イエス様からのラブレター」だと教えられ、霊で“本当にそうだ


とても分かりやすかったので、紹介したいと思います

聖書には、旧約聖書と新約聖書があります。
旧約聖書は、大きく分けて【モーセの五書】(創世記~申命記)、【イスラエルの歴史】(ヨシュア記~エステル記)、【イスラエルの文学】(ヨブ記~雅歌)、【イスラエルの預言者】(イザヤ書~マラキ書)の4つで構成されており、旧約聖書の時代は神対人間という直接的な関係の中で、人々は神を恐れて生活していました。
新約聖書は、【キリストの生涯】(マタイの福音書~ヨハネの福音書)、【キリスト教会の誕生】(使徒行伝)、【クリスチャンへの手紙】(ローマ人への手紙~ユダの手紙)、【この世の終わりに】(ヨハネの黙示録)で構成されています。
私たちは、今新約の時代(イエス様が神と人間の間の仲保者となって来られた)を生きているので、集会の中では、特に新約聖書の書簡1つ1つの背景を確認していきました

【キリストの生涯】
聖書の中心はイエス・キリストです。では、いったいキリストとはどういうお方で、何をなさり、どんなことをお語りになったのでしょうか。ここには、キリストと行動を共にし、その教えを受け、さまざまな出来事を見聞きした人々の証言を、それぞれ違った観点からまとめた、四つの記録が収められています。四人の著者は、キリストの直弟子もいれば、そうでない者もおり、社会的地位も、取税人、青年、医者、漁師と、全く異なります。この四人の目をとおして、キリストの姿が生き生きと描かれています。
・マタイの福音書(取税人マタイの記録)
マタイは、税金を取り立てる役人でした。当時、彼らの中には、不正に多く取り立てて、自分のものにする者がいたので、人々にきらわれ、軽べつされる職業でした。しかし、イエスは、あえてそのような人を弟子になさったのです。イエスに出会ったマタイの生活は一変しました。いっさいを捨てて彼にお従いしたのです。そしてこのイエスこそ、以前から神の預言者によって、この世に現れると言われ続けてきた救い主であることを、人々に伝える者となったのです。
・マルコの福音書(青年マルコの記録)
すべての人に気を配り、いたわり、愛し続けるイエス。どんな時でも、苦しみ、悲しみ、助けを必要としている人々に仕え続けられるイエス。そして、最後には、全人類の救いのために、ご自分のいのちまでも投げ出されたイエス。本書は、そういうイエスの姿を見、行動を共にした使徒ペテロの語る思い出話の数々を、イエスが逮捕される時、逃げた青年(マルコ14:51~52)と思われているマルコが記録したものです。
・ルカの福音書(医者ルカの記録)
快復の見込みのない病気で絶望している人。社会的地位も低く、人からいやしめられ、軽べつされている人。人々に訴える力も、権力もない弱い女たち。社会の片隅に追いやられ、存在すらも認められない、そのような人たちの心を、イエスは大切になさいました。そして、つらい思いでいる人々の気持ちを理解し、やさしい励ましと、慰めのことばを一人一人にかけていかれたのです。そういうキリストの姿が、医者ルカの目を通して生き生きと描かれています。
・ヨハネの福音書(漁師ヨハネの記録)
ヨハネは漁師でした。キリストを信じてから約三年の間、イエスに身近に接し、彼が普通の人と全く違うことを見いだしたのです。それは、今まで出会った人には見られなかった権威あることばや、人々から恐れられ、敬われている学者や指導者に、はっきりとその間違いを正す態度、そして、神様に祈り求めてなされる数々の奇蹟等によってでした。ヨハネは知ったのです。イエスこそ、ご自分で言われるとおり、神のひとり子であり、この世の救い主であることを。
【キリスト教会の誕生】
教会はまず、エルサレムで誕生しました。そして、パレスチナから、小アジヤ、ギリシヤへと、次々に伝道活動を推し進め、ついに、当時の世界の中心ローマにも、その輪は広がっていったのです。人々の激しい反対や迫害にもめげず、弟子たちは力強く、大胆にキリストの教えを伝えました。こうして、世界各地にキリスト教が広まり、教会がつくられる有様が、教会の中心的指導者であったペテロとパウロの活動や体験を軸に、種々の事件をまじえながら展開していきます。
・使徒の働き(弟子たちの伝道記録)
自分たちの師であったイエス・キリストが捕えられ、十字架上で殺されたのを知った弟子たちは、ユダヤ人を恐れ、一個所に閉じこもっていました。けれども、その彼らの目前に、復活したイエスが立った時、不安と恐れが消え、イエスこそ人類の救い主であることを、力強く人々に知らせる者と変わったのです。本書は、一地域から、そして、ほんの小さな人々の集まりから出発したキリスト教会の誕生と発展、および、キリストの弟子たちの働きの記録です。
【クリスチャンへの手紙】
教会の数が増えていくと、重要な人物がいつも同じ教会にとどまり、直接指導にあたることはできなくなります。広く伝道旅行に出かけ、各地に教会をつくったパウロの場合は、特にそうでした。そこで、まだまだ未熟なクリスチャンを教え導き、教会内で持ち上がったやっかいな問題を解決するために、多くの手紙を書いたのです。どの手紙も、それぞれ大切な事柄を扱っています。こうしてパウロの手紙に、ペテロをはじめ、ほかの数人の指導者のものを加えてまとめたのが、この手紙集です。
・ローマ人への手紙(ローマ教会の皆さんへ)
著者パウロは、この手紙でローマ教会の信者に自分を紹介するとともに、彼の神学を解説しています。そういうわけで、この手紙は、パウロの手紙のうちで最も組織立ったものと言えるでしょう。まず、人間はだれもが罪人であることを語り、外国人もユダヤ人も、律法を守ることでは神様を喜ばせることはできないこと、および、私たちが罪人であっても、あわれみ深い神様は自ら近づいてくださり、神様に立ち返る道を備えてくださったことを、教えています。
・コリント人への手紙Ⅰ(コリント教会の皆さんへⅠ)
ほんとうの愛!その愛について、著者パウロはことばを尽くして語ります。当時、コリントの教会には、いろいろな問題が持ち上がっていました。その原因は、「自分されよければ、人はどうでもいい。自分のしたいことをして何が悪い。それが自由というものだ」といった態度にあることを、パウロは鋭い目で見抜いていました。そして、時には厳しいとも思える口調で忠告し、お互いに心から愛し合い、欠点を補い合い、問題を解決するよう勧めています。
・コリント人への手紙Ⅱ(コリント教会の皆さんへⅡ)
キリストの教えを伝えるのは、決して楽なことではありません。むしろ苦しいことのほうが多いでしょう。著者パウロの場合も、まさに苦難の連続でした。先の手紙で、コリント教会の問題が完全に解決したわけではありませんでした。特に、パウロが使徒かどうかが引き続き問題になっていました。この手紙でパウロは、自分が使徒であることをくり返し主張しています。そのほか、いつも貧しい者を助けるように、というような実際問題も、述べられています。
・ガラテヤ人への手紙(ガラテヤ教会の皆さんへ)
「・・・らしく」ということばがあります。その場合、心の内側より、外面を整えようとしがちではないでしょうか。それは、そのほうが容易だからです。著者パウロが生きていた二千年前もやはり同じでした。ガラテヤのクリスチャンにとって、これは大きな問題でした。彼らは規則を守り、評判のよい生活をする人が正しい人間だと、思い違いをしていたのです。著者は自分の経験から、人は心が変われば、自然に正しい行いができることに気づいていたのです。
・エペソ人への手紙(エペソ教会の皆さんへ)
私たちの心には、自分と違った人々をなかなか受け入れないものがあるようです。差別(家柄、学歴、職業、社会的地位、貧富の差等による)は、古くて新しい問題です。人よりも、少しでも自分が優れていると思いたい心が、差別をつくりあげるのでしょうか。パウロは獄中から、各地の教会に手紙を送りました。その一通がこの手紙です。初めのころの教会には、まだユダヤ人と、それ以外の外国人との間に意見の対立があり、なかなかしっくりいきませんでした。
・ピリピ人への手紙(ピリピ教会の皆さんへ)
ピリピは、今のギリシヤの北部にあり、ローマの植民都市として栄えた町でした。ここはまた、パウロにとっても思い出深い町で、彼がヨーロッパに最初の教会をつくったのもこの町でした。それも、捕えられ、むちで打たれながらつくったのです。それにこたえて、ピリピ教会のクリスチャンも、パウロのために献身的に尽くし、彼の経済的必要を満たしたこともしばしばでした。その教会に、パウロは、キリストを信じる者の喜びを、真実こめて語ります。
・コロサイ人への手紙(コロサイ教会の皆さんへ)
この手紙は、エペソ教会への手紙と同じ時に書かれました。コロサイは、今のトルコにあたる地方にあった町です。その教会に、キリストは神であるという真理をあいまいにする教えが、はびこったのです。そこで、この事態をどう解決したらよいか、パウロに問い合わせることになり、エパフラスが代表に選ばれました。彼の報告を聞いたパウロが、その教えのどこがまちがっているかをはっきり指摘し、キリストは確かに神であることを書き送ったのがこの手紙です。
・テサロニケ人への手紙Ⅰ(テサロニケ教会の皆さんへⅠ)
テサロニケは、今なおサロ二カという名で繁栄している町で、紀元一世紀には、マケドニヤ地方の主要な町の一つでした。パウロはこの町でも、キリストの教えを伝えましたが、彼に反対するユダヤ人が暴動を起こし、彼を町から追い出してしまったのです。しかし、キリストを信じたギリシヤ人も大ぜいいました。ユダヤ人の迫害に会いながら、信仰を守り続けるこれらの人たちに、パウロは、きよく正しい生活をして、キリストの再来を待つよう励まします。
・テサロニケ人への手紙Ⅱ(テサロニケ教会の皆さんへⅡ)
パウロは、最初の手紙のあと、すぐにこの手紙を書きました。前回と同様、キリストがもう一度来られることが、その主題です。テサロニケの教会では、このことが大きな問題だったからです。それというのも、キリストはもう来てしまったと言いふらして、人々をあわてさせる者がいたからです。中には、それをいいことに、仕事もせず、毎日ぶらぶらするだけの者もいました。そうしたデマにのせられたり、怠惰に流れることを、パウロはきつく戒めています。
・テモテへの手紙Ⅰ
パウロが、息子のようにかわいがっていたテモテに送った手紙です。テモテは、パウロの勧めでキリストを信じ、以後行動を共にし、献身的に協力した青年です。パウロも、手足となって働く彼を信頼し、やがてエペソの教会の指導を一手に任せるようになりました。しかし、年若くして責任ある立場におかれたテモテにいは、それなりの苦労もありました。そうしてことを思いやり、パウロは、父親のようなやさしさで、指導者としてのあり方を教えています。
・テモテへの手紙Ⅱ
囚われの身であり、処刑を間近にひかえたパウロが、最愛の弟子テモテに送った遺書とも言える手紙です。自分は犯罪人という最もみじめな境遇におかれ、しかも、エペソの教会では、大ぜいの信者が造反運動を起こすという悲しい出来事に直面して、パウロはテモテに、どんなにつらい時も、正しい教えを伝えることだけは忘れないように、と訴えます。そして、自分の一生は、まさにそうした戦いの連続であり、それを勇敢に戦い抜いたことを語ります。
・テトスへの手紙
クレテ島にある教会を指導していた、テトスあてのパウロの手紙です。テトスは有能な青年で、パウロもその力を高く評価し、たいせつな役目につかせたことも何度かありました。この手紙で取り上げているクレテ島も、道徳水準が低く、なかなか大変なところでした。このような教会には、特にしっかりした指導者が必要です。どのような人を選んだらよいか、また、教会の責任者として、人々をどのように教え、訓練したらよいか、適切な助言がなされています。
・ヘブル人への手紙
ヘブル人とはユダヤ人のことです。ユダヤ人は神殿をとても重要なものと考えていました。ですから、そこではいつも、いろいろな宗教儀式が行なわれ、事あるごとに動物の犠牲がささげられていました。たとい、クリスチャンになっても、神殿での儀式を熱心に守る習慣は変わりませんでした。このようなユダヤ人に、ほんとうにたいせつなのは、儀式を守ることではなく、身代わりとなって死んでくださったキリストを信じることだと、この手紙は教えています。
・ヤコブの手紙(ヤコブからの手紙)
この手紙が書かれた当時、大ぜいのユダヤ人が世界各地に散らばっていました。その中のクリスチャンにあてて、ヤコブはこの手紙を送ったのです。彼はエルサレム教会の指導者で、人々から尊敬されるりっぱな人物でした。信仰の面でも行いの面でも、すばらしい模範を示していた彼が、正しい生活をすることがどんなにたいせつか、キリストを信じていると言いながら、行ないが伴わなければいかに無意味であるかを、例をあげて具体的に説明しています。
・ペテロの手紙Ⅰ(ペテロからの手紙Ⅰ)
現在のトルコにあたる地方に点在していた教会に、ペテロが出した手紙です。キリストが選んだ十二人の弟子たちの中で、ペテロは中心的存在でした。のちに、各地に教会ができ、大ぜいの人がキリストを信じるようになってからも、彼はやはり第一人者として、すべての教会とクリスチャンを指導しました。その彼が、いよいよ激しく燃え上がる迫害の火の手の中で、そういう時こそ神様を信じ、希望をもって戦い抜くように、励ましのことばをかけています。
・ペテロの手紙Ⅱ(ペテロからの手紙Ⅱ)
自分の信条を、最後まで守り続けるのは容易なことではありません。そのために、つらい思いや苦しい思いをし、損をすることもあるからです。かつてイエスに「たとい、みんながあなた様を見捨てようと、私だけは、この私だけは絶対に、見捨てなどいたしません」と言いはったペテロも、いざという時はだめでした。そのペテロが、生涯を閉じるにあたって、迫害を受けて苦しんでいるクリスチャンを勇気づける人となりました。そして最後には殉教したのです。
・ヨハネの手紙Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ(ヨハネからの手紙Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ)
漁師あがりのヨハネは、兄弟ヤコブと共に、キリストから「雷の子」とあだ名されるほど、激しい気性の持ち主でした。ところが、キリストはこのヨハネに、弟子たちの中でも特に目をかけたのです。こうして、キリストの愛を知ったヨハネは、晩年には「愛の人」と呼ばれるほどの人物になりました。彼の口から出ることばは、いつも決まって「愛し合いなさい」でした。この手紙でも、神様の愛を知ること、互いに愛し合うことのすばらしさが語られています。
・ユダの手紙(ユダからの手紙)
いろいろな人がキリストを信じるようになり、キリスト教がしだいに広まると、残念なことに、まちがった教えも語られるようになりました。そのために、正しい信仰を捨てる人や、何を信じたらいいのかさえ、わからなくなる人も出るしまつです。こうした状態を憂えて、ユダはこの手紙を書いたのです。人々を指導する立場にありながら、かえって、人々の心を惑わすことばを語る者たちの誤りを、遠慮なく指摘し、正しい信仰を守り抜くよう進めています。
【この世の終わりに】
聖書の最後は、迫害の渦中にあるクリスチャンへの慰めと、将来起こる出来事の予告とでしめくくられています。教会は、今はこの世の権力のもとで、多くの苦しみを味わわされることでしょう。しかし、やがて神様が世界をまったく新しくし、正義をもって、完全に支配なさる時がくるのです。その時を望み見て、どんな時にも絶望することなく、あくまで信仰を貫き、神様に忠実に生きようと励ましながら、輝かしい未来の約束を与えて、聖書は終わります。
・ヨハネの黙示録(ヨハネの見た幻)
紀元前一世紀の後半、クリスチャンは激しい迫害を受けていました。ヨハネも、教会の指導者ということで、地中海のパトモスという島に流されました。そこで神様が、これから起こることを幻の中で教えてくださったのです。今は、クリスチャンであるばかりに苦しい目に会わされていても、必ず報われる時が来る。悲しみも苦しみもない新しい世界ができる、と慰めてくださったのでした。このことを、すべてのクリスチャンに知らせようと書かれたのが、本書です。
新版リビングバイブル 旧新約(いのちのことば社)より抜粋
つづく・・・
