水と霊によって生まれ変わる 7
7.【韓国人青年との出会い】
同じ時期、私はある一人の韓国人青年と出会いました。私が彼と出会ったのは浜松にある大韓教会でしたが、彼は私が大空書店に導かれた日の2日前にすでに大空書店に導かれていました。その後、何度も大空書店で顔を合わせ、子どもたちも彼をお兄さんのように思い、とてもなついていきました。そして、よく先生や先生のお母さん、先生の妹さんと共に聖書の話をするようになっていきました。出会った当時の彼は、全くと言っていいほど日本語が話せず、いつも電子辞書を持ってコミュ二ケーションをとっていました。しかし、先生の妹さんが日本語や、ジェスチャーを使って私たちの言うことを彼に伝えると、不思議なほど伝わっていました。そんな中で、私は彼に、どうしてクリスチャンになったのかという証をたずねました。彼は代々クリスチャンの家に生まれ、彼が4代目に当たるのだと教えてくれました。生まれながらのクリスチャンであった彼でしたが、韓国の法律で定められている徴兵制度で海軍に入隊し、訓練を受けていく中で苦しくなり、生きている意味も分からなくなって、“この先、生きていてもどうしようもないから死んだ方がまし”と考えるようになり、自殺したい思いになったそうです。ところが彼は、聖書の教えの中から、神にいただいた命を自ら殺すことは罪であり、そのような事をしたら地獄に落ちるのだと学んでいたため、地獄には行きたくないし、でも、生きているのもつらい・・・と悩み、イエス様に、本当にイエス様がいるなら自分に現れてほしいと祈りました。すると、ふわっとおなかの所が温かくなって、自分にはそれがイエス様だと分かり、爆発的な喜びを感じたとの事でした。彼は、この証を話してくれた時、片言の日本語で、「イエス様はすごいです!すごいです!」と何度も言い、その喜びを現していました。
ある日、主人の聖書を買うために主人と大空書店を訪れた時も、彼に出会いました。彼に、主人はまだ救われていないけれど、聖書を買ってこれから読んでいくのだと伝えると、彼はとても喜んで、主人に、「イエス様ってとてもすばらしいですよ!イエス様を受けてください!」と言いました。そして、「書いてあることが分かるかどうか分からないんだけどね・・・」と言う主人に対して、「大丈夫!理解力は上から!!」と言って、終始にこにこしていました。
この日は、主人と韓国人青年との初めての出会いの日でした。この日から、彼は主人の救いをイエス様に祈り続けてくれていたのでした。
大空書店に集まる皆が、先生のお母さんの事を“お母さん“と呼んでいました。我が家の誰もが、「先生の“お母さん”」と呼び、韓国人青年もなぜか“お母さん”と呼んでいました。
そして、約2日違いで大空書店に導かれた彼と私は、だんだんと共に先生や先生のお母さんとの交わりの時間が増え、日曜日は家庭集会で、また、土曜日などは大空書店に集い、時間を忘れて聖書から語られてくることを次から次へと学んでいきました。それはちょうど、お腹がすいた子どもたちがお母さんからからご飯をもらおうと、お母さんを慕い求めて集まり、また、お母さんはそんな子どもたちに答えて、その状態や状況に合わせた栄養たっぷりのご飯を提供している親子の姿だったように思います。
救われて、クリスチャンとなり“霊”が生き返った私ですが、生き返ったばかりの“霊”はとても飢え乾いていました。人間の体が様々な食物によってつくられるように、“霊”にも同じように栄養ある食べ物が必要となります。“霊”の食べ物は“みことば=イエス様”です。このみことばをバランス良く“霊”に食べさせ蓄えることで、“霊”はどんどん成長し、クリスチャンの身となっていきます。
「ご飯をもらうために集まる子どもと、与える母親」と示された事に間違いはなく、聖書にはこの親子の関係が示されているみことばがいくつもありました。
クリスチャンは、同じクリスチャン同士の事を“神の家族(天の父なる神の子どもたち)”と言います。この家族の中で父は天の父、またその天の父が与えて下さった聖書から、子どもたちの“霊”に食べ物を与える母の役目が “神によって油(聖霊)注がれた牧師”であることが示されました。
また、クリスチャンは牧者に聞き従う羊に例えられます。そして羊を導く役目を担っているのが、母である牧師の役目なのです。
まさに、この通りにクリスチャン(神の子・羊)になった私と真理を学び始めた韓国人青年は、霊の母であり、羊を導く牧者の役目(牧師)をしてくださっていた先生のお母さんの元に集まっていたのでした。
<ヨハネ6:53~57>
イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。
<Ⅰペテロ2:2>
今生れたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。それによっておい育ち、救に入るようになるためである。
<エペソ2:19>
そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。
<エゼキエル34:23>
わたしは彼らの上にひとりの牧者を立てる。すなわちわがしもべダビデである。彼は彼らを養う。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。
<詩編23:1~3>
主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
<ヨハネ10:27>
わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。
同じ時期、私はある一人の韓国人青年と出会いました。私が彼と出会ったのは浜松にある大韓教会でしたが、彼は私が大空書店に導かれた日の2日前にすでに大空書店に導かれていました。その後、何度も大空書店で顔を合わせ、子どもたちも彼をお兄さんのように思い、とてもなついていきました。そして、よく先生や先生のお母さん、先生の妹さんと共に聖書の話をするようになっていきました。出会った当時の彼は、全くと言っていいほど日本語が話せず、いつも電子辞書を持ってコミュ二ケーションをとっていました。しかし、先生の妹さんが日本語や、ジェスチャーを使って私たちの言うことを彼に伝えると、不思議なほど伝わっていました。そんな中で、私は彼に、どうしてクリスチャンになったのかという証をたずねました。彼は代々クリスチャンの家に生まれ、彼が4代目に当たるのだと教えてくれました。生まれながらのクリスチャンであった彼でしたが、韓国の法律で定められている徴兵制度で海軍に入隊し、訓練を受けていく中で苦しくなり、生きている意味も分からなくなって、“この先、生きていてもどうしようもないから死んだ方がまし”と考えるようになり、自殺したい思いになったそうです。ところが彼は、聖書の教えの中から、神にいただいた命を自ら殺すことは罪であり、そのような事をしたら地獄に落ちるのだと学んでいたため、地獄には行きたくないし、でも、生きているのもつらい・・・と悩み、イエス様に、本当にイエス様がいるなら自分に現れてほしいと祈りました。すると、ふわっとおなかの所が温かくなって、自分にはそれがイエス様だと分かり、爆発的な喜びを感じたとの事でした。彼は、この証を話してくれた時、片言の日本語で、「イエス様はすごいです!すごいです!」と何度も言い、その喜びを現していました。
ある日、主人の聖書を買うために主人と大空書店を訪れた時も、彼に出会いました。彼に、主人はまだ救われていないけれど、聖書を買ってこれから読んでいくのだと伝えると、彼はとても喜んで、主人に、「イエス様ってとてもすばらしいですよ!イエス様を受けてください!」と言いました。そして、「書いてあることが分かるかどうか分からないんだけどね・・・」と言う主人に対して、「大丈夫!理解力は上から!!」と言って、終始にこにこしていました。
この日は、主人と韓国人青年との初めての出会いの日でした。この日から、彼は主人の救いをイエス様に祈り続けてくれていたのでした。
大空書店に集まる皆が、先生のお母さんの事を“お母さん“と呼んでいました。我が家の誰もが、「先生の“お母さん”」と呼び、韓国人青年もなぜか“お母さん”と呼んでいました。
そして、約2日違いで大空書店に導かれた彼と私は、だんだんと共に先生や先生のお母さんとの交わりの時間が増え、日曜日は家庭集会で、また、土曜日などは大空書店に集い、時間を忘れて聖書から語られてくることを次から次へと学んでいきました。それはちょうど、お腹がすいた子どもたちがお母さんからからご飯をもらおうと、お母さんを慕い求めて集まり、また、お母さんはそんな子どもたちに答えて、その状態や状況に合わせた栄養たっぷりのご飯を提供している親子の姿だったように思います。
救われて、クリスチャンとなり“霊”が生き返った私ですが、生き返ったばかりの“霊”はとても飢え乾いていました。人間の体が様々な食物によってつくられるように、“霊”にも同じように栄養ある食べ物が必要となります。“霊”の食べ物は“みことば=イエス様”です。このみことばをバランス良く“霊”に食べさせ蓄えることで、“霊”はどんどん成長し、クリスチャンの身となっていきます。
「ご飯をもらうために集まる子どもと、与える母親」と示された事に間違いはなく、聖書にはこの親子の関係が示されているみことばがいくつもありました。
クリスチャンは、同じクリスチャン同士の事を“神の家族(天の父なる神の子どもたち)”と言います。この家族の中で父は天の父、またその天の父が与えて下さった聖書から、子どもたちの“霊”に食べ物を与える母の役目が “神によって油(聖霊)注がれた牧師”であることが示されました。
また、クリスチャンは牧者に聞き従う羊に例えられます。そして羊を導く役目を担っているのが、母である牧師の役目なのです。
まさに、この通りにクリスチャン(神の子・羊)になった私と真理を学び始めた韓国人青年は、霊の母であり、羊を導く牧者の役目(牧師)をしてくださっていた先生のお母さんの元に集まっていたのでした。
<ヨハネ6:53~57>
イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。
<Ⅰペテロ2:2>
今生れたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。それによっておい育ち、救に入るようになるためである。
<エペソ2:19>
そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。
<エゼキエル34:23>
わたしは彼らの上にひとりの牧者を立てる。すなわちわがしもべダビデである。彼は彼らを養う。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。
<詩編23:1~3>
主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
<ヨハネ10:27>
わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。