主に問うことを求めよう!(9月の教えの総括) | ぶどうの木 Good News

主に問うことを求めよう!(9月の教えの総括)

holygirlですバラ

皆さんは、【カルト】と聞いたら何を思い浮かべますか??
世の中では一般的に、宗教が行き過ぎたものを【カルト】と呼んでいます。辞書で調べると、【宗教的崇拝。転じて、ある集団が示す熱烈な支持。】と説明されています。
しかし、これはあくまでサタンの支配下にいる人間の考えにすぎません。

私たちは今週、第3の天におられる父・神の目から見た【カルト】とはどういうものなのか、9月に学んできた教えの総括として語られましたキラキラ☆

【カルト】とは、イエス様以外のものや人を偶像礼拝することです
私たちが住む世界には、【真理】と【カルト】の2種類しかありません。
【真理】とは、“神が定めたいつどんな時にも変わることのない正しい物事の在り方”を言います。神は、唯一の真理を、聖書を通して私たち人間に教えて下さっています。人間が、聖霊(神が天にあげられたイエス様の代わりに送ってくださった助け主)によって、神の子であるイエス様を信じる信仰の一致、イエス様=聖書のみことばを知る知識の一致に到達することが、天の父である神のみこころなのです。『わたしの民は知識がないために滅ぼされる。』(ホセア4:6a)ことのないようにと、神に喜ばれる生き方をするための唯一の方法として、【真理】=聖書を与えてくださっているのです。

聖書のみことばは、別名「天の神の言葉・Love letter」と言いますが、どれだけの人間が聖書のみことばを知り、イエス様こそ真の神であることを知っているのでしょうか??


人間は生まれた時から、巧みな“サタン”の策略によって、この聖書のみことばはもちろん、天の父である神とイエス様の存在を見ることも知ることもできないようにさせられているのです。
“サタン”は昔、第3の天で神に一番仕えていた天使でしたが、次第に高ぶって神と同じようになろうと考えたため、第1~第2の天である地上に落とされました。そして、地獄に行くその日まで、この世の神となりました。このサタンは、人間を地獄に道連れにするために、真の神を見えなくさせるための偽の神々をたくさんつくりました。そして、人間は生まれた時から、これらの偽の神々が“神様”だと信じて偶像礼拝し生きるようになったのです。それが、【カルト】です

【カルト】=“偽の神を偶像礼拝すること”の偶像は、仏像や仏壇、神棚などの物だけではありません。
例えば、神など信じないと言う無神論者は、ただ自分が“神”になっているだけです。
数珠やパワーストーンに力があると思っていたり、占いや風水で、自分の悩みが解決できると思っている人もイエス様以外のものを偶像礼拝しているので【カルト】です。
また、イエス様の母であるマリアを神だと思っているカトリックは、イエス様ではなくマリアを偶像礼拝をしていますし、イエス様を信じているというクリスチャンであっても、十字架のペンダントをお守りがわりにしたり、家にイエス様の絵を飾ることによって神がいると感じることができると思っているのであれば、仏教の仏壇と同じで、「そこに神(先祖)がいる」と思っているだけの偶像礼拝にすぎません。
そして、自分が好きな牧師を選んで教えを聞いたり、牧師に依存して一人で信仰に立つことができないのであれば、イエス様ではなく牧師偶像礼拝ですし、逆に、「今日のメッセージは自分のためにならなかった。牧師に聞いても答えはなさそうだから、自分なりに解決しよう。」と、一人よがりの判断や解釈をしているのであれば、自分偶像礼拝になっています。


これらの【カルト】=イエス様以外のものや人を偶像礼拝をすることに共通しているのは、人間の内にある高ぶりの思いだということが語られました。
自分の判断で、イエス様以外のものや人、あるいは自分自身をを神にして生きることを選んでいるのですから、神の目から見ればものすごい高ぶりです

高ぶり・・・それはサタンが天の父である神に対していだいた思いでした。
私たちは、生れた時からこのサタンが支配している世界で、サタンを父親として生きています。この世の父であるサタンは、私たち人間に、神に対して高ぶることを教えているのです。それは、今の時代を生きている人間に始まったことではなく、3代~4代前にさかのぼることだということは、先週語られた【3代~4代に渡る血の中にある呪いたたりの霊】の通りです。
(旧約時代、人間は900歳まで生きていました。ですから、3代~4代前を霊的にさかのぼっていけば、人類のはじめであるアダムに至ることも語られました。)

人間は、真の神以外のものを勝手に神とし、造られたものが造ったものに対して高ぶったことによって、ねたむ神を怒らせ、サタンの支配下(獄屋)に閉じ込められてしまったのです。

申命記5:6~10
「『わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
あなたはわたしのほかに何ものをも神としてはならない。
あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水の中にあるものの、どのような形をも造ってはならない。それを拝んではならない。またそれに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には恵みを施して千代に至るであろう。」


そして人間は、サタンの支配下の中で、助け主・聖霊とは真反対の、サタンの一番の手下である女預言者イゼベルによって、情・義理・ヒューマニズム(人間としてのあり方)・道徳教育が神の愛よりもすばらしいものだと教えられることになったのです。
しかし、ヒューマニズム(人間としてのあり方)は、天皇を神としていた戦時中と今の時代を比べても分かるように、時代とともにころころ変わるものであり、情の裏は、裁きと語られたように、一貫性のない不安定なものにすぎません。それにもかかわらず、人間はこの女預言者イゼベルの教えを土台にして生きるようになってしまったのです。
女預言者イゼベルの教え=“自己中心で、人によく思われることや、敵をつくりたくないという思いが先に立つこれらの教え”が行き着く先はどこなのか・・・それは、お金です
お金つながりの持ちつもたれつの仏教社会の人間関係をはじめ、すべての宗教にはお金がからみ、職場で嫌われたくないのも、収入源がなくなれば生きていけなくなるからではないでしょうか?お金を得るために、寺や神社や新興宗教に対して多額のお金を払って、自分が天国に行けるようにするために、あるいは行った証明である長い戒名をもらうために、すべては自分を守るために人間はお金を頭(かしら)にして生きているのです。
お金=サタン、お金を追い求めて神とするように策略を張り巡らしているのがサタンなのです。
【カルト】=“イエス様以外のものを偶像礼拝すること”と言われた時、誰にでもあてはまるのがお金ではないでしょうか??


しかし、このようにイエス様以外のものを偶像礼拝してしまうのは、仕方がないことです
もともと人間には、3代~4代に渡る血の中にある呪いたたりの霊によって、そうゆうものが神だと思う血が流れているので、“神”という存在を偶像にすることでしか分からず、見えないのです。第1~第2の天にいる人間と、第3の天にいる父である神、子であるイエス様=キリスト(救い主)、聖霊(助け主)との間には、しっかりと線が引かれてしまい、到底たどり着くことも、知ることもできません。

唯一たどり着ける方法は、イエス・キリストを救い主として受け入れることだけです
自分の内に第3の天におられるイエス様ご自身と助け主・聖霊をお迎えするのですキイロキラそうすれば、この地上にいながらにして、第3の天におられる神のみこころ(真理)を知ることができます。霊的に第3の天に行けるのです


イエス様を受け入れない人間は、自分の意見や判断、偶像(宗教)に頼って生きていることでしょう。しかし、そのような人間は滅ぼされると聖書には書かれてあるのです。もう一度言いますが、聖書の言葉は、天の神の言葉です!

エゼキエル14:1~11
「ここにイスラエルの長老のうちのある人々が、わたしの所に来て、わたしの前に座した。時に主の言葉が、わたしに臨んだ、『人の子よ、これらの人々は、その偶像を心の中に持ち、罪に落しいれるところのつまずきを、その顔の前に置いている。わたしはどうして彼らの願いをいれることができようか。それゆえ彼らに告げて言え、主なる神は、こう言われる、イスラエルの家の人々で、その偶像を心の中に持ち、その顔の前に罪に落しいれるところのつまずくものを置きながら、預言者のもとに来る者には、その多くの偶像のゆえに、主なるわたしは、みずからこれに答をする。これはその偶像のために、すべてわたしを離れたイスラエルの家の心を、わたしが捕えるためである。
それゆえイスラエルの家に言え、主なる神はこう言われる、あなたがたは悔いて、あなたがたの偶像を捨てよ。あなたがたの顔を、そのすべての憎むべきものからそむけよ。イスラエルの家の者およびイスラエルに宿る外国人のだれでも、わたしから離れ、その心に偶像を持ち、その顔の前に罪に落しいれるところのつまずきを置きながら、預言者に来て、心のままにわたしに求めるときは、主であるわたしは、みずからこれに答をする。
わたしはわたしの顔を、その人に向け、彼を、しるし、およびことわざとなし、これをわが民のうちから断ち滅ぼす。その時、あなたがたはわたしが主であることを知るようになる。もし預言者が欺かれて言葉を出すことがあれば、それは主であるわたしが、その預言者を欺いたのである。わたしは手を彼の上に伸べ、わが民イスラエルのうちから彼を滅ぼす。彼らはその罰を負う。その預言者の罰は、問い求める者の罰と同様である。これはイスラエルの家が、重ねてわたしを離れて迷わず、重ねてそのもろもろのとがによって、おのれを汚さないため、また彼らがわが民となり、わたしが彼らの神となるためであると、主なる神は言われる』。」


また、神は個人的な神であり、家族単位で仕えていくものではありません。この地上を去って神の前に立つ時は、大人も子供も関係なく一人です。ですから、真の神・イエス様を信じるのか、サタンが生み出した偽の神を信じて生きるのか、その選択は一人一人に与えられています。

エゼキエル14:14~16
「たといそこにノア、ダニエル、ヨブの三人がいても、彼らはその義によって、ただ自分の命を救いうるのみであると、主なる神は言われる。もしわたしが野の獣(津波などの自然災害)にこの地を通らせ、これを荒させ、これを荒れ地となし、その獣のためにそこを通る者がないようにしたなら、主なる神は言われる、わたしは生きている、たといこれら三人の者がその中にいても、そのむすこ娘を救うことはできない。ただ自分自身を救いうるのみで、その地は荒れ地となる。」


私たちは今週、神を偶像でしか見い出せない人々に対して、真の神・イエス様の名前と十字架上で流された血には力があること、イエス様は生きておられる神であることを、伝えていかなければならないと改めて語られましたさらには、イエス様を偶像としてしか見ることができない自称クリスチャンたちに対してもです!

力を証明するのは、一時的ないやし、我こそは!という教え、人の注目を集めて自分に栄光を帰すような奇跡ではありません
力を証明するのは、証ですキラキラ イエス様が自分にどんなことをして下さったのか、イエス様を知り、救われて、みことばに書かれてある神の力を行使したとき、自分にどんなすばらしいことが起こったのか、その事実、体験こそが力を証明する証なのです。
また、自分自身が神に喜ばれ、家族や周りの人にも認められるような180度変わった人間になったこと(=神癒)をあらわすことも証だと、私たちぶどうの木では語られてきました花
自分自身を通して、神が生きておられ、いつも共にいてくださることを証明するのです
私たちは、そのために第1~第2の天であるこの世の父・サタンの支配下から引き上げられ、第3の天(真理)に属する者として生かされているのだと語られました王冠
私たちは、救われる前はサタンを神としてあがめてきましたが、もうそこにはいないのですビックリマーク2

第1ペテロ2:11~12
「愛する者たちよ。あなたがたに勧める。あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。異邦人(イエス様を知らない人)の中にあって、りっぱな行いをしなさい。そうすれば、彼らは、あなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのりっぱなわざを見て、かえって、おとずれの日に神をあがめるようになろう。」


そして、第3の天(真理)に属する者は、偽の神である偶像や人、自分の知恵・知識に問うのではなく、真の神・イエス様に問います。それは、決して神に対して高ぶることのないようにです
私たちは、もっとへりくだって、主に問うことを求めなければいけないと語られました

歴代志上10:13~14
「こうしてサウルは主にむかって犯した罪のために死んだ。すなわち彼は主の言葉を守らず、また口寄せに問うことをして、主に問うことをしなかった。それで主は彼を殺し、その国を移してエッサイの子ダビデに与えられた。」

ヤコブ4:4~10
「不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。それとも、『神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる』と聖書に書いてあるのは、むなしい言葉だと思うのか。しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、『神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う』とある。そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。苦しめ、悲しめ、泣け。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えよ。主のみまえにへりくだれ。そうすれば、主は、あなたがたを高くして下さるであろう。」

そして主に問うた答えは、みことばによって与えられます。だからこそ、クリスチャンはみことばを自分の霊に蓄えることを怠ってはいけない!しっかりと日々みことばを蓄えなさい!と語られました

詩篇119:9~16
「若い人はどうしておのが道を清く保つことができるでしょうか。み言葉にしたがって、それを守るよりほかにありません。わたしは心をつくしてあなたを尋ね求めます。わたしをあなたの戒めから迷い出させないでください。わたしはあなたにむかって罪を犯すことのないように、心のうちにみ言葉をたくわえました。
あなたはほむべきかな、主よ、あなたの定めをわたしに教えてください。わたしはくちびるをもって、あなたの口から出るもろもろのおきてを言いあらわします。わたしは、もろもろのたからを喜ぶように、あなたのあかしの道を喜びます。わたしは、あなたのさとしを思い、あなたの道に目をとめます。わたしはあなたの定めを喜び、あなたのみ言葉を忘れません。」


10月になりましたレインボー ぶどうの木は証をもって、獄屋【カルト】に閉じ込められている人々の心をノックしながら福音をしていきますガッツ
そして、「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである」(ガラテヤ2:20)というみことば通り、ますますキリストの思いに満たされて生活できたことを感謝しますニコちゃん

歴代志下29:1~11
「ヒゼキヤは王となった時二十五歳で、二十九年の間エルサレムで世を治めた。その母はアビヤと言って、ゼカリヤの娘である。ヒゼキヤは父ダビデがすべてなしたように主の良しと見られることをした。
彼はその治世の第一年の一月に主の宮の戸を開き、かつこれを繕った。(自分の先祖に対する宮掃除) 彼は祭司とレビびとを連れていって、東の広場に集め、彼らに言った、『レビびとよ、聞きなさい。あなたがたは今、身を清めて、あなたがたの先祖の神、主の宮を清め、聖所から汚れを除き去りなさい。われわれの先祖は罪を犯し、われわれの神、主の悪と見られることを行って、主を捨て、主のすまいに顔をそむけ、うしろを向けた。また廊の戸を閉じ、ともしびを消し、聖所でイスラエルの神に香をたかず、燔祭(はんさい)をささげなかった。それゆえ、主の怒りはユダとエルサレムに望み、あなたがたが目に見るように、主は彼らを恐れと驚きと物笑いにされた。見よ、われわれの父たちはつるぎ(みことば)にたおれ、われわれのむすこたち、むすめたち、妻たちはこれがために捕虜(カルトの世界でのサタンの捕虜)となった。今わたしは、イスラエルの神、主と契約を結ぶ志をもっている。そうすればその激しい怒りは、われわれを離れるであろう。わが子らよ、今は怠ってはならない。主はあなたがたを選んで、主の前に立って仕えさせ、ご自分に仕える物となし、また香をたく者とされたからである。」

イザヤ42:6~8
「主なるわたしは正義をもってあなたを召した。わたしはあなたの手をとり、あなたを守った。わたしはあなたを民の契約とし、もろもろの国びとの光として与え、盲人の目を開き、囚人を地下の獄屋から出し、暗きに座する者を獄屋から出させる。
わたしは主である、これがわたしの名である。わたしはわが栄光をほかの者に与えない。また、わが誉を刻んだ像に与えない。」

アーメン すべての栄光は、イエス様に帰します


今週語られたことを、図にあらわしたのがこれですサゲサゲ↓
見にくいかもしれませんが、参考にしてください(´∀`o)