霊へのごはん☆魂へのごはん
holygirlです
イエス様を受けいれてクリスチャンになった時、死んでいた霊が生き返ったことによって、その日から霊にごはんを食べさせなければなりません
霊のごはんは、みことばです
今週、2年ぶりに戻ってきた姉妹も、離れている間霊が栄養失調になっていたため、肉(魂・体)は元気でも、霊は満たされない状態が続いていました。そして、姉妹はおなかいっぱい霊のごはんを食べて帰っていきました
霊のごはん(みことば)は、クリスチャンにとって生きるための糧です
みことばがなければ、信仰生活を送ることはできません
詩篇119:9~16
「若い人はどうしておのが道を清く保つことができるでしょうか。み言葉にしたがって、それを守るよりほかにありません。わたしは心をつくしてあなたを尋ね求めます。わたしをあなたの戒めから迷い出さないでください。わたしはあなたにむかって罪を犯すことのないように、心のうちにみ言葉をたくわえました。あなたはほむべきかな、主よ、あなたの定めをわたしに教えてください。わたしはくちびるをもって、あなたの口から出るもろもろのおきてを言いあらわします。わたしは、もろもろのたからを喜ぶように、あなたのあかしの道を喜びます。わたしは、あなたのさとしを思い、あなたの道に目をとめます。わたしはあなたの定めを喜び、あなたのみ言葉を忘れません。」
しかし、だからと言って霊のごはん(みことば)だけを食べていたらいいわけではありません。私たちは肉体がある限り、肉(魂・体)にも食べさせなければなりません
霊には霊のごはん(みことば)、魂(知性・意志・感情)には、魂のためのごはんが必要なのです
もし、魂へのごはんを切ってしまったら、カルト化していきます
聖書以外は読んではダメ!歌は賛美歌しか歌ってはいけない!牧師が許可した本、教会で出している本しか読んではダメ!・・・そういった決まりをつくったことによって、母が以前いた教会は、最終的にカルト教団のレッテルを貼られてしまいました
母は、その教会に行けなくなってすぐ、イエス様から次のみことばをいただきました
詩篇23:3
「主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。」
魂(知性・意志・感情)へのごはんを一切断たれていた母は、神が魂を生き返らせるとおっしゃったことにとても驚いたそうです。
その後、母は教会で禁止されていた新聞やテレビを見始め、私と妹とカラオケに行って昔好きだった歌をうたい、死んでいた魂を生き返らせていきました
特に歌については、賛美は霊のための音楽であるため、魂(知性・意志・感情)には魂に働きかける音楽も必要であることが語られました
箴言17:22
「心の楽しみは良い薬である、たましいの憂いは骨を枯らす。」
この世の音楽は、沈んでいた気持ちを元気にする力があります。知性で理解できる歌詞に励まされたり、メロディーを聞いて自然に体が揺れたり、普段伝えられない言葉が歌うことで言葉に出せたり・・・心の楽しみは一時的に魂を回復させる薬なのです。そして、それは神のよしとされることであると、さらにみことばを通して語られました
箴言16:24
「ここちよい言葉は蜂蜜のように、魂に甘く、からだを健やかにする。」
伝道の書5:18~19
「見よ、わたしが見たところの善かつ美なる事は、神から賜わった短い一生の間、食い、飲み、かつ日の下で労するすべての労苦によって、楽しみを得る事である。これがその分だからである。また神はすべての人に富と宝と、それを楽しむ力を与え、またその分を取らせ、その労苦によって楽しみを得させられる。これが神の賜物である。」
伝道の書2:24~26
「人は食い飲みし、その労苦によって得たもので心を楽しませるより良い事はない。これもまた神の手から出ることを、わたしは見た。だれが神を離れて、食い、かつ楽しむことのできる者があろう。神は、その心にかなう人に、知恵と知識と喜びとをくださる。しかし罪びとには仕事を与えて集めることと、積むことをさせられる。これは神の心にかなう者にそれを賜わるためである。これもまた空であって、風を捕えるようである。」
伝道の書8:15
「そこで、わたしは歓楽をたたえる。それは日の下では、人にとって、食い、飲み、楽しむよりほかに良い事はないからである。これこそは日の下で、神が賜わった命の日の間、その勤労によってその身に伴うものである。」
しかし、注意しなくてはいけないのは、あくまで薬であって、本当の解放は霊のごはんを食べることでしか得られないということです
この世でどんなに歌が上手な人でも、すばらしい作詞家でも、霊を満足させる音楽は決してつくれません。彼らが、霊の世界で神を褒め称えるための賛美歌をつくることはできないのです。ですから、カラオケで何時間歌っても、霊が満たされることはないことは、実際に体験した者としてお伝えしておきます
また、逆に賛美歌も、魂に心地良いメロディーと自分が陶酔するための賛美歌であれば、霊には何の益にもなりません。賛美は、自分を喜ばせるものではなく、神を褒め称えるものであるのに、自分の歌声や演奏を聞かせることが第1になっている既成教会の賛美を聞いて、全く自身の霊が喜ばなかったことも、私は体験してきました。ぶどうの木の賛美は、すべてがみことばであり、自分の感情をあらわす表現は、一切歌詞の中にありません。賛美は霊のごはんなので、私たちは賛美の時間にも霊にみことばを蓄えているのです
私たちは、これらのことをわきまえ知って、霊には霊のごはん、肉(魂・体)には肉のごはんをバランスよく摂ることが大切だと教えられました。そして、その正しい食事の摂り方こそが、神に喜ばれ、人にも受けいれられるクリスチャンを育てるのだと語られました

イエス様を受けいれてクリスチャンになった時、死んでいた霊が生き返ったことによって、その日から霊にごはんを食べさせなければなりません


今週、2年ぶりに戻ってきた姉妹も、離れている間霊が栄養失調になっていたため、肉(魂・体)は元気でも、霊は満たされない状態が続いていました。そして、姉妹はおなかいっぱい霊のごはんを食べて帰っていきました


霊のごはん(みことば)は、クリスチャンにとって生きるための糧です


詩篇119:9~16

「若い人はどうしておのが道を清く保つことができるでしょうか。み言葉にしたがって、それを守るよりほかにありません。わたしは心をつくしてあなたを尋ね求めます。わたしをあなたの戒めから迷い出さないでください。わたしはあなたにむかって罪を犯すことのないように、心のうちにみ言葉をたくわえました。あなたはほむべきかな、主よ、あなたの定めをわたしに教えてください。わたしはくちびるをもって、あなたの口から出るもろもろのおきてを言いあらわします。わたしは、もろもろのたからを喜ぶように、あなたのあかしの道を喜びます。わたしは、あなたのさとしを思い、あなたの道に目をとめます。わたしはあなたの定めを喜び、あなたのみ言葉を忘れません。」
しかし、だからと言って霊のごはん(みことば)だけを食べていたらいいわけではありません。私たちは肉体がある限り、肉(魂・体)にも食べさせなければなりません




母は、その教会に行けなくなってすぐ、イエス様から次のみことばをいただきました

詩篇23:3

「主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。」
魂(知性・意志・感情)へのごはんを一切断たれていた母は、神が魂を生き返らせるとおっしゃったことにとても驚いたそうです。
その後、母は教会で禁止されていた新聞やテレビを見始め、私と妹とカラオケに行って昔好きだった歌をうたい、死んでいた魂を生き返らせていきました

特に歌については、賛美は霊のための音楽であるため、魂(知性・意志・感情)には魂に働きかける音楽も必要であることが語られました

箴言17:22

「心の楽しみは良い薬である、たましいの憂いは骨を枯らす。」
この世の音楽は、沈んでいた気持ちを元気にする力があります。知性で理解できる歌詞に励まされたり、メロディーを聞いて自然に体が揺れたり、普段伝えられない言葉が歌うことで言葉に出せたり・・・心の楽しみは一時的に魂を回復させる薬なのです。そして、それは神のよしとされることであると、さらにみことばを通して語られました

箴言16:24

「ここちよい言葉は蜂蜜のように、魂に甘く、からだを健やかにする。」
伝道の書5:18~19

「見よ、わたしが見たところの善かつ美なる事は、神から賜わった短い一生の間、食い、飲み、かつ日の下で労するすべての労苦によって、楽しみを得る事である。これがその分だからである。また神はすべての人に富と宝と、それを楽しむ力を与え、またその分を取らせ、その労苦によって楽しみを得させられる。これが神の賜物である。」
伝道の書2:24~26

「人は食い飲みし、その労苦によって得たもので心を楽しませるより良い事はない。これもまた神の手から出ることを、わたしは見た。だれが神を離れて、食い、かつ楽しむことのできる者があろう。神は、その心にかなう人に、知恵と知識と喜びとをくださる。しかし罪びとには仕事を与えて集めることと、積むことをさせられる。これは神の心にかなう者にそれを賜わるためである。これもまた空であって、風を捕えるようである。」
伝道の書8:15

「そこで、わたしは歓楽をたたえる。それは日の下では、人にとって、食い、飲み、楽しむよりほかに良い事はないからである。これこそは日の下で、神が賜わった命の日の間、その勤労によってその身に伴うものである。」
しかし、注意しなくてはいけないのは、あくまで薬であって、本当の解放は霊のごはんを食べることでしか得られないということです


また、逆に賛美歌も、魂に心地良いメロディーと自分が陶酔するための賛美歌であれば、霊には何の益にもなりません。賛美は、自分を喜ばせるものではなく、神を褒め称えるものであるのに、自分の歌声や演奏を聞かせることが第1になっている既成教会の賛美を聞いて、全く自身の霊が喜ばなかったことも、私は体験してきました。ぶどうの木の賛美は、すべてがみことばであり、自分の感情をあらわす表現は、一切歌詞の中にありません。賛美は霊のごはんなので、私たちは賛美の時間にも霊にみことばを蓄えているのです

私たちは、これらのことをわきまえ知って、霊には霊のごはん、肉(魂・体)には肉のごはんをバランスよく摂ることが大切だと教えられました。そして、その正しい食事の摂り方こそが、神に喜ばれ、人にも受けいれられるクリスチャンを育てるのだと語られました
