神が求める人間像 | ぶどうの木 Good News

神が求める人間像

holygirlですニコ

ぶどうの木には、牧師・長老・執事と、イエス様から油を注がれ、特別な役割をいただいている人がいます。家庭で言えば、父・母の役割を、職場で言えば、監督者や責任者の役割を果たしていますキラキラ具体的には、次のように書かれています

第1テモテ3:1~13
「『もし人が監督の職を望むなら、それは良い仕事を願うことである』とは正しい言葉である。さて、監督は、非難のない人で、ひとりの妻の夫であり(信頼できる配偶者がいる)、自らを制し、慎み深く、礼儀正しく、旅人をもてなし、よく教えることができ、酒を好まず、乱暴でなく、寛容であって、人と争わず、金に淡白で、自分の家をよく治め(家族をしっかり管理できる)、謹厳であって、子供たちを従順な者に育てている人でなければならない。自分の家を治めることも心得ていない人が、どうして神の教会を預かることができようか。彼はまた、信者になって間もないものであってはならない。そうであると、高慢になって、悪魔と同じ審判を受けるかも知れない。さらにまた、教会外の人々にもよく思われている人でなければならない。そうでないと、そしりを受け、悪魔のわなにかかるであろう。
それと同時に、執事も謹厳であって、二枚舌を使わず、大酒を飲まず、利をむさぼらず、きよい良心をもって、信仰の奥義を保っていなければならない。彼らはまず調べられて、不都合なことがなかったなら、それから執事の職につかすべきである。女たちも、同様に謹厳で、他人をそしらず、自らを制し、すべてのことに忠実でなければならない。執事はひとりの妻の夫であって、子供と自分の家とをよく治める者でなければならない。執事の職をよくつとめた者は、良い地位を得、さらにキリスト・イエスを信じる信仰による、大いなる確信を得るであろう。」

ぶどうの木の長老は、このブログでも証しているように、大変苦労された生い立ちで、家庭の中でも、奥さんの遊女の霊力に支配され、聖書に書かれている監督の職(父親の役割)を行えないところにいました。しかし、自分を支配していた悪霊が明るみになり、戦ったことで、みるみるふさわしい者へと変えられていきました
世の中に、最初から完璧な人間は一人もいません。みんな、サタンの支配下で悪霊の攻撃を受けて苦しんでいます。でも、イエス様を信じる人、神から召しと選びを与えられている人は、神が求める人間性へと変わることができるのです数々の神の訓練を受けて、ぶどうの木の監督者とされた長老は、家庭や職場で一つ一つ実を成らせています

ぶどうの木の執事は救われる前、息子さんが交通事故に遭い、首から下がまったく動かなくなり、一生車椅子で介護が必要だと宣告されてしまいました。加害者を憎み、タバコとギャンブルの日々。さらに当時は、過去に夫婦で犯した罪のせいでできた大切な人とのわだかまりも抱えていました。また、家族のコミュニケーションもなく、そんな無関心の状態が、大事な娘さんを傷つけてしまっていました。そんな夫妻がクリスチャンとなり、聖書を学んでいった時、一つ一つの問題がイエス様によって解決されていきました。とにかく、イエス様のみことばに素直に「アーメン」と従うのが、夫妻の信仰の歩きでした王冠そして、神の計画で執事と任命されたのですキラキラ
その職をよく勤めた執事は、聖書の約束通り、当時勤務していた職場から、新しい職場へと導かれ、良い地位を得るとともに、イエス様に従えば間違いない!!という確信を得て生活していますおんぷ

天地ができる前からの神の計画で、たとえ聖書とかけ離れた人生を送っていても、イエス様を求めたら、その人は神の御心にかなった者に変えられるのだということが長老・執事の歩きを通して語られました

さて、聖書のみことばはすべて、自分のために書かれた神からのメッセージです
第1テモテのみことばも長老と執事のこと!で終わってしまってはいけませんぶどうの木では、みんながそれぞれの家庭・職場において、この監督の職を望むことを求められていますなぜなら、それは神が求めておられる人間像や家族のあり方につながることだからです

人間はみんな、非難のない人で、ひとりの妻の夫であり(信頼できる配偶者がいる)、自らを制し、慎み深く、礼儀正しく、旅人をもてなし、よく教えることができ、酒を好まず、乱暴でなく、寛容であって、人と争わず、金に淡白で、自分の家をよく治め(家族をしっかり管理できる)、謹厳であって、子供たちを従順な者に育てている人でなければなりません花 さらに、周囲の人にも、よく思われている人でなければなりませんハート2
また、謹厳であって、二枚舌を使わず、大酒を飲まず、利をむさぼらず、きよい良心をもって、信仰の奥義を保っていなければなりませんし、他人をそしらず、すべてのことに忠実でなければなりませんGOOD
神はそのような人を喜ばれ、社会的・経済的・健康面においても、祝福してくださるのです

ぶどうの木の長老は、イエス様から長老の任命を受けたときにローマ12章をいただきました ここには、神が求める人間像が具体的に書かれており、私たちはどんな時でも、このみことばに立ち返って歩いてきましたキラキラ

ローマ12章
「兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
(霊的な礼拝とは、神を愛し、隣り人を愛する行いと、長老・執事になれるような人間性を求めることだと語られました
あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰(注:賜物・能力ではありません!)の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。なぜなら、一つのからだにたくさんの肢体があるが、それらの肢体がみな同じ働きをしてはいないように、わたしたちも数は多いが、キリストにあって一つのからだであり、また各自は互に肢体だからである。このように、わたしたちは与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っているので、もし、それが預言であれば、信仰の程度に応じて預言をし、奉仕であれば奉仕をし、また教える者であれば教え、勧めをする者であれば勧め、寄附する者は惜しみなく寄附し、指導する者は熱心に指導し、慈善をする者は快く慈善をすべきである。
愛には偽りがあってはならない。悪は憎み退け、善には親しみ結び、兄弟の愛をもって互にいつくしみ、進んで互に尊敬し合いなさい。熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。貧しい聖徒を助け、努めて旅人をもてなしなさい。あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福して、のろってはならない。喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。互に思うことをひとつにし、高ぶった思いをいだかず、かえって低い者たちと交わるがよい。自分が知者だと思いあがってはならない。だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。
愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、『主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する』と書いてあるからである。むしろ、『もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである』。悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。」


知性で受けたら、「無理だ・・・」と思うかもしれませんが、決して難しいことではありません ただ、素直に正直に誠実に行なうことビックリその時にはじめて【成果】があらわれます林檎 キラキラ
(【成果】という漢字を見てください!果実が成ると書きます 漢字も聖書の影響を受けているんですよかお2
一つ一つ行なって実を成らしていく歩きが、自分を神が求めておられる人間像へと変えていきますNEW それは、過去の自分とは比べものにならないほど、新しく生まれ変わった自分ですハートぃっぱぃ
ますますイエス様と似た者となれるように、聖書のみことばと自分の行ないを照らし合わせながら生きていきたいと思います


偶然はなく、今日は長老の誕生日ですホールケーキ 長老にますますの油の注ぎを祈りますらぶ②