イエス様のために造られた者
holygirlです
今日は最初に、イエス様からとても喜ばしいみことばが与えられました
イザヤ43:1~7
「ヤコブよ、あなたを創造された主はこう言われる。イスラエルよ、あなたを造られた主はいまこう言われる、『恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。…あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛するがゆえに、あなたの代りに人を与え、あなたの命の代りに民を与える。…すべてわが名をもってとなえられる者をこさせよ。わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これを造り、これを仕立てた』。」
イザヤ43:10~13
「主は言われる、『あなたはわが証人、わたしが選んだわがしもべである。それゆえ、あなたがたは知って、わたしを信じ、わたしが主であることを悟ることができる。わたしより前に造られた神はなく、わたしより後にもない。ただわたしのみ主である。わたしのほかに救う者はいない。わたしはさきに告げ、かつ救い、かつ聞かせた。あなたがたのうちには、ほかの神はなかった。あなたがたはわが証人である』と主は言われる。『わたしは神である、今より後もわたしは主である。わが手から救い出しうる者はない。わたしがおこなえば、だれが、これをとどめることができよう』。」
イザヤ43:19~21
「見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起こる、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。野の獣はわたしをあがめ、山犬および、だちょうもわたしをあがめる。わたしが荒野に水をいだし、さばくに川を流れさせて、わたしの選んだ民に飲ませるからだ。この民は、わが誉を述べさせるためにわたしが自分のために造ったものである。」
クリスチャンになり、聖書から真理を学ぶこと、自分が騙され捕らわれていた悪霊の存在を知り解放されることは大きな喜びです。しかしそれと同時に、クリスチャンになる以前の人生は、サタンに翻弄されていて何の益もなく無駄な時間だったとサタンがうそつきの声を聞かせてくることもあります。また、救われた年齢が高ければ高いほど、"もっと早く救われたかった"という後悔の思いを入れられたりもします。
でもそんな思いを抱くことは罪であり、神に対しての高ぶりであると、このイザヤのみことばを通して教えられました
神がご自分のために、私たちを造ってくださり、イエス様が真の神であることが悟れる人間として選んでくださったのです
神は人間に『自由意志』を与えておられますが、その意志さえも神に向けられるようにしてくださったのが、今聖書を学んでいる私たちなのだと語られました。だからこそ、私たちはクリスチャンになってから神と共に歩き始めたのではなく、クリスチャンになる前の自分の人生もすべて神の御手の中だったと言えるのです。そして、早い・遅いではなく、神の決めたタイミングでそれぞれが救われたのだと教えてくださいました
サタンに翻弄されることも神が許したことであり(ヨブ記2:1~6)、その中で経験したことや感情も、クリスチャンになった時、相手のところまで降りていって話ができるように、また、そこからイエス様によってどのように立ち上がり変えられたかを証できるように、神が通して下さった道だったのです
ローマ8:18
「わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。」
ローマ8:28~30
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちにしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである。」
ローマ9:15~18
「神はモーセに言われた、『わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者をいつくしむ』。ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、ただ神のあわれみによるのである。聖書はパロにこう言っている、『わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである』。だから、神はそのあわれもうと思う者をあわれみ、かたくなにしようと思う者を、かたくなになさるのである。」
イエス様のために生まれて、イエス様のために生きる人間として私たちは神に造られました
しかし、そんな私たちをイエス様から離すものがあります
それが、『お金』と『古い自分=ファミリアスピリット』です
お金がなければ生きていけないと思うほど、人間が一番追い求めているのが『お金』です
だからこそ、この世の神であるサタンは、『お金』を使って人間を苦しめます。
最も分かりやすいあらわれは、貧困にすることです。過去に2度、クリスチャンから「貧困のクリスチャンは間違っているのですか?」と質問を受けたことがあります。ぶどうの木の牧師は即答しました、「はい、間違っています
」と。イエス様は祝福の神であり、サタンに勝利していると約束して下さっています。
ヨハネ16:33
「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」
イエス様はすでにサタンがもってくるすべてのことに勝利しておられるのですから、金銭的に祝福を得られないのであれば、どこかサタンに門を開けていないか自分を吟味しなければなりません
もちろんイエス様の訓練の中で、貧に処する道を体験することもあると聖書には書かれています。
ピリピ4:11~13
「わたしは乏しいから、こう言うのではない。わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。わたしは貧に処する道も知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」
貧に処する道を知らなければ、富におる道を感謝することはできません。しかし、訓練ですからずっと貧困で苦しむことは違います。
イエス様がクリスチャンに求めておられるのは、「受けるより与えるほうが幸い」の姿勢です。
使徒行伝20:32~35
「今わたしは、主とその恵みの言とに、あなたがたをゆだねる。御言には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある。わたしは人の金や銀や衣服をほしがったことはない。あなたがた自身が知っているとおり、わたしのこの両手は、自分の生活のためにも、また一緒にいた人たちのためにも、働いてきたのだ。わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである。』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである。」
心はもちろんですが、実際物質的にクリスチャンが貧困であっては、施すことができません。神は誰に対しても与えることができるように、クリスチャンには金銭的な面での祝福も備えてくださるのです
だからと言って与えられたお金を握っていたら、このみことばに従うことはできません
「献金をするのはもったいない」と言って、献金をごまかしたり、「人のために使うよりも、まずは自分のために使いたい
」とお金を出すことをしぶったりすることがないか…神はお金に汚くない心も見られ、試されるのです
また、イエス様よりお金を頼って生きることのほうが確実だと思わせることもサタンの策略です。特にお金を握った祈りで宝くじに当たることほど恐ろしいことはありません
お金を頭(かしら)にさせるのはサタンであり、その時の心はイエス様から遠く離れてしまっているからです。
このように、お金に関しては様々な誘惑がありますが、お金をつくったのは神です
"クリスチャンに最善のものを与えてくださる神"は、まずご自身のためにつくられた神の子供たちに金銭的な祝福も与えて下さろうとしています。お金に祝福されるのはクリスチャンの特権なのです
「お金に祝福されていないのであれば、どこか神に喜ばれない黒い部分があります
」と牧師がおっしゃり、私たちは神に愛され造られた者として、本来受けるべき祝福を得ているかが問われました
神が「祝福されていないのはおかしい
」とおっしゃってくださることにどれだけの希望と愛があるでしょう
そうやって約束されているものを一つ一ついただきながら歩けることは、本当に幸せなことだと思いました
そんな希望と愛に満ちた歩きができると約束されているのにもかかわらず、そこから離そうとするもう1つのものが、古い自分=ファミリアスピリットです
特にお金への愛着心は、人間誰もが持っているファミリアスピリットです
サタンは『お金』で心をつつき、弱みにつけこんでイエス様から私たちを離そうとしてきます
1つ弱みを握られると、一気に古い自分に戻されてしまいます
それは救われる前の自分より7倍悪くなると書かれています
ルカ11:24~26
「汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからないので、出てきた元の家に帰ろうと言って、帰って見ると、その家はそうじがしてある上、飾りつけがしてあった。そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人の後の状態は初めよりももっと悪くなるのである。」
今回、実際お金を握ったがために、サタンに門を開き、古い自分に戻されそうになった姉妹の証を聞きました

イエス様に救われる前の彼女は、サタンに翻弄されて2人の男性と不倫をしていました。そして、クリスチャンになり、イエス様に悔い改め、家族、特に御主人に悔い改めました。今はイエス様の御手の中で蒔いたものを刈り取り、「離婚
」という形で、サタンが頭(かしら)になっていた土台の家を壊し、新たに御主人と新しい土台の上に家を建て直すために、家族と離れて1人で生活しています
彼女は神のタイミングでもう一度御主人と出会いなおすことを祈り求めて一から自分の足で歩き始めていたのですが、サタンは彼女の中にあったお金に対するファミリアスピリットをつつきました。そしてあっという間に彼女は苦しい状況におかれてしまったのです。サタンはさらに7つの悪霊をひきつれ戻ってきました。そのあらわれが、電話番号を消して音信不通にしていた不倫相手からの突然の電話でした。彼女が一番弱っていた時に、サタンは"古い自分"に引き戻そうと不倫相手を使ってきたのです
古い自分はサタンに翻弄されて最悪だったはずなのに、"古い自分はよかった"と思っていた時の電話だったと彼女は言っていました。本当に門を開いたら、サタンは一瞬にして自分のほう(地獄への道)に引っ張りこもうとしてくるのだと分かり、この世の神・サタンを侮ってはいけないと改めて思いました
サタンから喜びを奪われた状態にいた彼女は、昨日ようやく集会の中で、お金を握っていたことと、救われる前の自分を引きずって歩いていたことを悔い改め、解放されました
こんな賛美があります
『われらは神に 選ばれたもの 愛されている 聖なるもの イエスさま イエスさま その愛を 感謝します 』
私たちは、どんな状況・状態におかれても、神の御手の中で生き、愛されているのだと、とても心があたたかくなりました
同じように、神の計画を成就させるために造られ、働くよう召された私たちの兄弟姉妹となる方々が、これからますます導かれるよう祈ります
イザヤ14:24
「万軍の主は誓って言われる、『わたしが思ったように必ず成り、わたしが定めたように必ず立つ。」
アーメン
Android携帯からの投稿

今日は最初に、イエス様からとても喜ばしいみことばが与えられました

イザヤ43:1~7

「ヤコブよ、あなたを創造された主はこう言われる。イスラエルよ、あなたを造られた主はいまこう言われる、『恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。…あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛するがゆえに、あなたの代りに人を与え、あなたの命の代りに民を与える。…すべてわが名をもってとなえられる者をこさせよ。わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これを造り、これを仕立てた』。」
イザヤ43:10~13

「主は言われる、『あなたはわが証人、わたしが選んだわがしもべである。それゆえ、あなたがたは知って、わたしを信じ、わたしが主であることを悟ることができる。わたしより前に造られた神はなく、わたしより後にもない。ただわたしのみ主である。わたしのほかに救う者はいない。わたしはさきに告げ、かつ救い、かつ聞かせた。あなたがたのうちには、ほかの神はなかった。あなたがたはわが証人である』と主は言われる。『わたしは神である、今より後もわたしは主である。わが手から救い出しうる者はない。わたしがおこなえば、だれが、これをとどめることができよう』。」
イザヤ43:19~21

「見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起こる、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。野の獣はわたしをあがめ、山犬および、だちょうもわたしをあがめる。わたしが荒野に水をいだし、さばくに川を流れさせて、わたしの選んだ民に飲ませるからだ。この民は、わが誉を述べさせるためにわたしが自分のために造ったものである。」
クリスチャンになり、聖書から真理を学ぶこと、自分が騙され捕らわれていた悪霊の存在を知り解放されることは大きな喜びです。しかしそれと同時に、クリスチャンになる以前の人生は、サタンに翻弄されていて何の益もなく無駄な時間だったとサタンがうそつきの声を聞かせてくることもあります。また、救われた年齢が高ければ高いほど、"もっと早く救われたかった"という後悔の思いを入れられたりもします。
でもそんな思いを抱くことは罪であり、神に対しての高ぶりであると、このイザヤのみことばを通して教えられました

神がご自分のために、私たちを造ってくださり、イエス様が真の神であることが悟れる人間として選んでくださったのです



ローマ8:18

「わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。」
ローマ8:28~30

「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちにしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである。」
ローマ9:15~18

「神はモーセに言われた、『わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者をいつくしむ』。ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、ただ神のあわれみによるのである。聖書はパロにこう言っている、『わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである』。だから、神はそのあわれもうと思う者をあわれみ、かたくなにしようと思う者を、かたくなになさるのである。」
イエス様のために生まれて、イエス様のために生きる人間として私たちは神に造られました

しかし、そんな私たちをイエス様から離すものがあります


お金がなければ生きていけないと思うほど、人間が一番追い求めているのが『お金』です

最も分かりやすいあらわれは、貧困にすることです。過去に2度、クリスチャンから「貧困のクリスチャンは間違っているのですか?」と質問を受けたことがあります。ぶどうの木の牧師は即答しました、「はい、間違っています

ヨハネ16:33

「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」
イエス様はすでにサタンがもってくるすべてのことに勝利しておられるのですから、金銭的に祝福を得られないのであれば、どこかサタンに門を開けていないか自分を吟味しなければなりません

もちろんイエス様の訓練の中で、貧に処する道を体験することもあると聖書には書かれています。
ピリピ4:11~13

「わたしは乏しいから、こう言うのではない。わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。わたしは貧に処する道も知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」
貧に処する道を知らなければ、富におる道を感謝することはできません。しかし、訓練ですからずっと貧困で苦しむことは違います。
イエス様がクリスチャンに求めておられるのは、「受けるより与えるほうが幸い」の姿勢です。
使徒行伝20:32~35

「今わたしは、主とその恵みの言とに、あなたがたをゆだねる。御言には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある。わたしは人の金や銀や衣服をほしがったことはない。あなたがた自身が知っているとおり、わたしのこの両手は、自分の生活のためにも、また一緒にいた人たちのためにも、働いてきたのだ。わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである。』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである。」
心はもちろんですが、実際物質的にクリスチャンが貧困であっては、施すことができません。神は誰に対しても与えることができるように、クリスチャンには金銭的な面での祝福も備えてくださるのです

だからと言って与えられたお金を握っていたら、このみことばに従うことはできません



また、イエス様よりお金を頼って生きることのほうが確実だと思わせることもサタンの策略です。特にお金を握った祈りで宝くじに当たることほど恐ろしいことはありません

お金を頭(かしら)にさせるのはサタンであり、その時の心はイエス様から遠く離れてしまっているからです。
このように、お金に関しては様々な誘惑がありますが、お金をつくったのは神です


「お金に祝福されていないのであれば、どこか神に喜ばれない黒い部分があります


神が「祝福されていないのはおかしい



そんな希望と愛に満ちた歩きができると約束されているのにもかかわらず、そこから離そうとするもう1つのものが、古い自分=ファミリアスピリットです

特にお金への愛着心は、人間誰もが持っているファミリアスピリットです




ルカ11:24~26

「汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからないので、出てきた元の家に帰ろうと言って、帰って見ると、その家はそうじがしてある上、飾りつけがしてあった。そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人の後の状態は初めよりももっと悪くなるのである。」
今回、実際お金を握ったがために、サタンに門を開き、古い自分に戻されそうになった姉妹の証を聞きました


イエス様に救われる前の彼女は、サタンに翻弄されて2人の男性と不倫をしていました。そして、クリスチャンになり、イエス様に悔い改め、家族、特に御主人に悔い改めました。今はイエス様の御手の中で蒔いたものを刈り取り、「離婚
」という形で、サタンが頭(かしら)になっていた土台の家を壊し、新たに御主人と新しい土台の上に家を建て直すために、家族と離れて1人で生活しています




こんな賛美があります

『われらは神に 選ばれたもの 愛されている 聖なるもの イエスさま イエスさま その愛を 感謝します 』
私たちは、どんな状況・状態におかれても、神の御手の中で生き、愛されているのだと、とても心があたたかくなりました


イザヤ14:24

「万軍の主は誓って言われる、『わたしが思ったように必ず成り、わたしが定めたように必ず立つ。」
アーメン

Android携帯からの投稿