☆証2☆~いやしの証人~ | ぶどうの木 Good News

☆証2☆~いやしの証人~

私は、サタンの存在と人間を苦しめる策略を知り、それに対してクリスチャンはみことばをもって戦い、打ち勝つことができるのだ!

ということを身をもって体験しました。そしてその事実を、私と同じように苦しんだり、悩んだりしている人達に知らせたい!聖書に書かれてあることは、本当のことで、サタンがもってくる体の病気も、精神的な病も、生きていく中で起こってくる様々な問題も、すべてイエス様によっていやされ、解決できることを伝えたい!!という気持ちが強くなっていきました。



私は母を通して、一人の男性と出会いました。ある時、彼はタバコ屋さんのレジの鍵を盗んでしまいました。そして、警察に逮捕され、拘置所に入れられてしまいました。

私は、彼が「どうして盗んでしまったのか分からない。気づいたら手に鍵を持っていたから、自分でも驚いてその鍵を川に投げ捨ててしまった。」と話しているのを聞いた時、鍵を盗んだのは彼ではなく、“サタンが彼に入り、彼に盗みをさせた”のだと分かりました。(ヨハネ13:27)

サタンは、『盗み・殺し・滅ぼす』ために私たち人間に働きかけてくるのです。

私は、イエス様に祈りました。彼が、一日でも早く拘置所から出てくることができるように・・・。



当時は窃盗罪に対する量刑が厳しく、警察や弁護士の方からもおそらく実刑になり、刑務所に入ることになる!と言われていました。

しかし裁判の結果、実刑はまぬがれ、4年の執行猶予となり、彼は3ヶ月で拘置所から出てきたのです。この結果を聞き、警察、弁護士の方も「通常はありえない判決だ!」と驚き、当事者である彼自身もビックリしていました。




彼は、拘置所に入っている時から、食べ物がのどにつかえて通らないと、体の異変を訴えていました。病院に行き、検査をしたところ、彼の食道と胃にガンが見つかりました。しかも、末期のガン(ステージ4)だと診断されました。



私は、牧師の体験、自分自身のいやしの体験を思い出し、「イエス様しかないよ!イエス様に祈ったら絶対にいやされるよ!ガンもね、サタンの仕業なんだよ!!私もクリスチャンになってサタンの存在を知ったの!クリスチャンはそのサタンと戦う力を与えられているの!!!そして、そのサタンに勝利することができるんだよ!!勝利することによってガンもいやされていくよ!!実際に牧師も、医者に見放された難病がイエス様によっていやされて、今も生きて、私に聖書を教えてくれているよ!!」と彼に話しました。

彼は「信じる。」と言い、その後すぐに、私は彼と母と共に牧師を訪ねました。

牧師は、イエス様が真の神であって、いやし主であることを語ってくださいました。そして、母と彼はイエス様を信じ救われ、クリスチャンになりました。その時、彼は飲食ができない状態でした。そんな彼を牧師が祈り、悪霊(サタン)を追い出してくださいました。その後、牧師が「もういやされているから、何でも好きなものを食べなさい。」と言い、彼は牧師に言われたとおり堅いおせんべいや果物を食べ、飲み物を何十杯も飲みました。

私は彼がそれまで何も口にすることができなかったことを知っていたので、その様子を目の当たりにし、ただただ驚くばかりでした!!



その後、彼が病院に行き検査を受けると、胃ガンが完全に消えており、いやされていたことがわかりました!!



しかし、食道ガンはいやされず、そのまま残っていました。

このことを、私たちは牧師に報告しました。報告を受けた牧師は、“なぜ食道のガンがいやされずに残ったのか”をイエス様に聞いてくださいました。そして、霊の賜物である【知恵の言葉】によって、「鍵を盗んだタバコ屋さんにまだ謝りに行っていないでしょう?!ちゃんと謝りに行って来なさい。」と言われました。

それを聞いた彼は、勇気を出して一歩踏み出し、タバコ屋さんに謝りに行きました。

すると驚いたことに、タバコ屋さんは彼に対して、

「よく謝りに来てくれたね。」

と言って、迎え入れてくれました。

彼は自分が窃盗を犯したのだから、謝りに行っても責められると思っていました。

しかし、牧師に言われたとおりに行動した時、自分の思っていたこととは全く違ったことが起こったので、大変驚きました。



そして、彼自身もこのことを通して、イエス様が共にいてくださることを知ったのです。



タバコ屋さんに謝罪に行ったあと、彼は咳き込んだと同時に口から血の塊が出る、という体験をしました。そして再度病院へ行き、検査をうけると、今度は食道ガンがなくなっている事がわかりました。驚いた医師は彼に、

「一体何をしたの?何の薬を飲んだの?!」と聞いてきました。

彼は「薬は飲んでいないです。」と答え、クリスチャンになりイエス様によっていやされたのだという事を伝えました。いやされずに残っていた食道ガンも、牧師の指示通り、謝罪に行ったことによっていやされたのです。

そして、予定されていたガンの摘出手術もなくなりました。



こうして彼は、イエス様によって2つのガンがいやされ、健康な体を取り戻しました。



さらに、彼がイエス様のみことばに従って歩き始めた時、執行猶予4年の量刑が少しずつ短くなり、最後にはそれさえも全くなくなってしまったのです。

私は、神は法律まで変えてしまうのだ!と驚きました。

そして、まさに『人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである。』(マルコ10:27)

と聖書に書かれてあるとおりのことが起こり、私は神の偉大さを痛感しました。彼も、神のやり方に驚き、顔を紅潮させ涙をためていました。







そんな中、私の祖母も胃ガンが見つかった、と聞きました。しかも末期のガンであると・・・。  

私は今回の彼のいやしの奇跡を見てきていたので、祖母にも伝えたい!!という思いになり、母と彼と共に祖母の家に行きました。  

「イエス様によって、彼は末期のガンがいやされ、手術の予定もなくなったの!実際に彼、元気でしょ!!だから絶対におばあちゃんのガンもいやされるよ!」と、今まで見てきたいやしの証をしました。  

そして、私たちは再び牧師を訪ねました。祖母はイエス様を信じ、受け入れ、私たちは共に悪霊の追い出しの祈りをしました。

 

その後、祖母は総合病院で胃の精密検査を受けました。検査の結果、医師から、「ガンの大きさは見た目は米粒ほどですが、周囲の部分も取り除かなければいけません。」と言われました。ガンの大きさは小さくなってはいたものの、完全にいやされていなかったのです。 この結果を聞くのに立ちあっていた牧師は“なぜいやされなかったのか”をイエス様に祈り聞いてくださいました。そして祖母に、霊の賜物である【知恵の言葉】によって、「まだ仏壇とか神棚を拝んでいない?!」と質問され、祖母は「拝んでいた。」と答えました。

牧師は「それ!!だから完全に消えていやされなかったの!イエス様以外の偶像を神として拝んでいたから!!すぐに悔い改めてもう二度としないように!」

と語って下さり、祖母は仏壇、神棚を拝んでいたことを悔い改めました。  その後、手術のため入院をし、手術の前日に再度、胃の精密検査を行いました。すると、胃ガンは消えてなくなっていたのです。祖母のガンは完全にいやされていたのです!!しかも手術の前日に!

この日、結果の説明までに時間がかかりました。当初の検査と今回の結果があまりに違うので、医師も驚き、所見を確認するのに時間がかかったようです。実際に母が立ちあい、医師に検査写真を見せていただき、はっきりとガンがなくなっていることの証明を受けました。



予定されていた祖母の手術は取り消しとなり、本来手術日であった翌日に退院しました。

祖母は牧師に「一番おばあちゃんの好きなものを食べにいこう!」

と誘われ、退院したそのあしで、病気でずっと食べることのできなかった大好きな天ぷらを食べに行きました。











こうして私は、2回も身近でイエス様によるガンのいやしの奇跡をみました。







イザヤ43:10





『主は言われる、あなたがたはわが証人、わたしが選んだわがしもべである。それゆえ、あなたがたは知って、私を信じ、わたしが主であることを悟ることができる。わたしより前に造られた神はなく、わたしより後にもない。』









このみことばをもって、私は

“いやしの証人!”

であると牧師を通して語られました。

私自身も『証Ⅰ』で体験した事を書いたように、イエス様によっていやされたからこそ今の生活があります。



そんな私は、今、ガンで苦しんでいる方の話や、精神不安定から自殺してしまったニュースを聞くと、いてもたってもいられません。


だからこうして、

「それは“悪霊の仕業”だよ!イエス様にあって絶対に完全なるいやしがあって、どんな病気でも治っていくんだよ!!どんな問題でも解決していくんだよ!!!」

と声を大にして伝えずにはおれないのです。





使徒行伝4:19~20





『ペテロとヨハネとは、これに対して言った、「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」。』









ヨハネ14:10~11



『わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないらば、わざそのものによって信じなさい。』