聖書に書いてあること | ぶどうの木 Good News

聖書に書いてあること

こんばんは、さゆりですリボン










今回の集会はガラテヤ6章7~10節から始まりました。




「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを刈り取ることになる。


すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。


だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。」




今の自分は、過去に自分がまいてきたものの集大成です!!


悪いものをまけば悪いものを刈り取り、良いものをまけば良いものを刈り取り、それぞれ自分の身に成就していっています。


例えば、タバコやお酒、暴飲暴食を続ければ、自分の肉体を滅ぼしますし、子育てや対人関係であっても、どんな言葉をかけたか、どのように接してきたか・・・で今の自分と周りの人達との関係も出来上がってきますねヒマワリ




全ての事が霊的(目には見えない世界のこと、聖霊・霊の賜物によってはじめて啓示される世界)なことです。




人間が、神からきていない気持ち・・・ねたみ、そねみ、憎しみ、悲しみ、貪欲などを持っていると、その魂の状態が、体に現れてくるのです叫び


人をねたむ気持ちを持ち続けている人はその思いが癌や潰瘍を来たらし、また、お金を一番としお金を神として生きている人は心臓を悪くします・・・・












神は人間を造られた時、”霊”というものをわたし達の内に入れられました宝石赤


その”霊”とは、造り主である神の御旨、善を行いたいという、神が望まれる清い聖い、本当の自分です宝石赤


人間はその上に”魂”と”体”という着ぐるみを着て生きているのです。






そしてその魂・体(肉)で感じる事は、生まれる前に神からあらかじめ入れられている思いとはまったく異なり、この地上に生まれてから、教育や環境に影響されて、不安定にコロコロと変わるのです。






わたし達日本人もひと昔前は天皇が神だとか、国のために死ぬことが名誉なのだという嘘を当たり前と思わされていましたあせるしかしそれも時代とともに変わり、今だにそんなことを思い続けている日本人は一人もいないでしょう・・・このように魂・体(肉)には確固たる真実はないのです。








この地上に人間が生まれてきて、普段の生活の中で”霊”を感じることは、悲しいかな、ありません。


旧約時代のアダムとエバが犯した罪によって人間の”霊”は死んでしまいました・・・


そして、魂・体(肉)だけで生きる人間はサタンの支配下のこの世の中で、コロコロ変わる魂の思いに振り回されながら、どんどん神から離れていきましたダウン


そしてその結果、肉からくる悪い思い、悪い習慣を自分にまき続け、その刈り取りを絶え間なくし続けているのです爆弾










そんな人間を哀れまれた神は、今から2011年前のクリスマスに、わたし達人間にもう一度、霊の思いにたち返り、神の思いを知り、神との関係が回復できるように、イエス・キリストをお遣わしになりました。


わたし達日本人も12月になるとソワソワ楽しみにしている日です。


サンタからのプレゼントで惑わされている日本ですが、この日は正真正銘、神が、神と人間の和解の使者、イエス様をわたし達にプレゼントしてくださった日なのですプレゼントラブラブ






旧約聖書は、「もうすこししたら、救い主が現れてくださる・・・」とイエス様がお生まれになる時を心待ちにし、実際にイエス様のことについて証した預言の書なのです。ずっと長い間、人間は神との和解の使者、イエス様を待ち望んでいました。






そしてイエス様がこの地上に遣わされた日から始まる現在に至る新約時代・・・


イエス様はこの地上で神と人間の和解のための務めを完璧に果たされました。真理・神の御旨を述べ伝えそれに伴う数々のしるしと奇跡を行い、神の御旨のとおりに十字架上で血を流し、この世の神・サタンに完全に勝利し死人の中からよみがえり、全てを全うされ天に昇られました王冠2






神と人間との和解のために、神側が人間に対してしてくださったこと、それは、2011年前に、イエスさまを地上に遣わしてくださったことビックリマーク


この時、わたし達人間にとっての和解の”土台”は据えられたのです!!






神からの和解の恵みを受け、神が据えてくださったその土台に自分たちのこれからの人生を立てあげていくならば・・・すなわち、救い主イエス様を信じ受け入れ救われて、助け主聖霊のバプテスマを受けるならば、私たちの内に神が備えてくださっていた、しかし死んでいた”霊”は復活するのです王冠2


そして、善だけを行いたい本当の自分を知り、それに従って善をまいて人生を歩いていく時、その良いものを刈り取ることができるのです。


知っておいて頂きたいのは、”霊”の思いと魂・体(肉)の思いとは、真反対であるということです。


”霊”が善を行いたいあなたなら、魂・体(肉)はサタンの支配下でサタンによってコロコロ変わり、混乱させられる悪なのです。






この土台に自分の人生を建てあげるのか建てあげないのか・・・どちらの道を選ぶのかはあなた次第なのです。


しかしその選ぶ道によってこれから先の人生、どんなものを刈り取りながら生きていくのか・・・大きく分かれていきます。






ベルここまでのことは、トラクト、「神の国は力である」の人体図(霊・魂・体)を参照してください。この人体図には、イエス様と聖霊によって人間の中にある霊が復活していく過程がかかれていますベル












「イエス様」ときくと、キリスト教?宗教、と思われますが


そもそも宗教とは、祈っても祈りがきかれているかどうか分からないようなものや、いるかいないか分からない神(?)や何の力もない人間にすがることや、その時の気分でコロコロ変わる気休めや、タナボタ御利益を求めて拝み、その願いとひきかえに金銭をささげる・・・自分の内側は結局何にも変わらず実は窮屈さや矛盾、無意味さといった疑問を感じているものではないでしょうか・・・爆弾








以前の新聞に、この度の東日本大震災について、日本人の子どもがローマ法王に質問した記事が載っていました。


「どうして、日本の子どもたちはこんな悲しい思いをしなければならないのですか?」の質問に対して、


ローマ法王の答えは


「わたしも自問自答している・・・なぜかは分からないが、イエスキリストも十字架にかけられ苦難を味わった・・・


日本のために祈っている。」


でした。


ローマ法王とは、カトリックの一番上に立つ権威です。神により近いとされている人です・・・


「分からない」って・・・?神は答えてくれなかったのでしょうか?「祈っている」といわれても、祈りはきかれてはいないではないですか?


質問した、この子に対する答えになっていないのです。この子は納得したでしょうか?この子は、なんと返答したらいいのでしょう・・・


形ばかりの気休め・・神が造られた人間に対して神が望んでおられることの何一つも分からず、ただ無意味にイエス様のお名前を唱えているだけの偽善パンチ!


それが宗教ですハートブレイク








聖書にはそんな、気休めめいたことは書いてありません。


まことのイエス様に従ってきた人間が、その一生の中で自分の内側を変えられ、霊の思いに満たされて聖書のとおりに生きた時、どんなことが起こってきたか、しるしと奇跡を見たか・・・をハッキリ証しているのが聖書であり、真理ですブーケ1


また、クリスチャンになるということは、そこに書かれていることを、同じように体験することが出来るのだということですチョキ








さて、意志を向け、救われ、イエス様と聖霊によって自分の内にある”霊”が復活していくこと・・・


それが”新しく生まれ変わる”ということですが、その時に私たちの性格は9つの性質に変えられていきます。






「愛・喜び・平和・寛容・慈愛・善意・忠実・柔和・自制」   霊にある、”御霊の実”ぶどうです。


人間として、神が最初に与えてくださった、本来の性格です。






そして、この御霊の実が育っていった時、


”霊の賜物”


「啓示の賜物(知恵の言葉・知識の言葉・霊を見分ける力)


 力の賜物(信仰の賜物・奇跡を行う力・いやしの賜物)


 霊感による賜物・交わりの賜物(預言の賜物・異言の賜物・解き明かしの賜物)」


が与えられていくのですブーケ2






これは、とても重要なことです。


なぜなら、これらの賜物がなければ、サタンと戦えないからです!


これらの賜物によって、敵であるサタンの存在と策略を知り、それに打ち勝つ手段を得て強い信仰を持ちサタンと戦い抜きクリスチャンは勝利を得ることができるのですグー






聖書には、真理を知り、それに従っていくということは、これらの性質・能力を神から受ける、そして、それによってサタンに打ち勝つ権威を授かるのだという約束が書かれてあります目ラブラブ










救われる・クリスチャンになるという事は「イエス様」と口だけでいい、日曜日に教会に行く、気の向いた一時だけ厳粛な気持ちで祈る、ということでも、自己満足で人のためにと奉仕するようになる・・・または仏教や神道などの葬式、法事などの行事が出来なくなるから困る・・・という程度のことではないのです。


救われるという事は、自分を造ってくださった神との関係を回復し、神が自分に与えてくださった本当に祝福された道を歩けるようになる、ということです。


サタンの奴隷から解放されて、良いものだけを受けて生きていけるということです。






これは、人間にとって、とても重大な選択です。


周りの人や環境はまったく関係なく、一人一人がしっかりと自分と向き合い、どう生きたいのかを自身に問い、決断すること求められています。






みなさんが、聖書に書かれていることが何なのかを知ることができ、また、神との和解が叶ったことを祈りますリボン