言葉にならない、

いつも見えない何かに焦り続け

追われ続けている感覚が


中学生くらいから

常に私の中にあって


今は幼い時、若い時ほど

感じなくなってきたけれど


でもまだ、私の中で消えずに在る、この感覚。




さっき

ふ、と


【何者かにならなくてもイイ】


と、聴こえてきました。





あぁ…そうか、


私は、ずっと


【何者かにならなければならない】という感覚を持ち続けてきたんだ…。




父と母のもとに産まれ、


本当は、それだけで良かった。




愛し合う2人のもとに

待望の女の子が産まれた、


ただ、それだけで


本当は、良かった。はず。




けれど、

命の尊さを感じてもらえていた期間が

あまりにも短すぎたのでしょう、


産まれた女の子は

【何者かにならないと自分は愛されない】と


間違った認識のまま、生きてゆくことになってしまった。





だから私は

毎日精一杯やっていると頭では思っているのに


自分のことをどこかでまだまだ否定しつづけていたのかもしれない。


【何者か】に、ならなくちゃ!と。





肩書きなんて必要なかった。

ただ、産まれてきただけで良かったはずだった。


ただ、それだけで、愛される存在のはずだった。








去年の年末くらいからか、


以前のように両親のことを考えても

つらいことを思い返しても


【愛されたい】という、欲求を

自分の中で感じなくなっていた。


心の静けさを保てている感じというか。



本当に本当に【諦めがついた】のか。




それもあるから、

無理してまで、年始だからといって

両親に会わなくてもいいや、と

思えたような気もしている。


私は相当、両親を愛してきたと自覚しているんだけれど


両親は多分、そんなに私を愛してはいない。


私が先に死んだらもしかしたら泣くかも?だけど


私のためには泣かないと思う。




私がここで語る【愛している】は

【純粋さ】とか【無償】とかの愛なんで

私の両親は私に対しては持ち合わせていないもの。






何者かにならなくても

いいじゃんね…


今日も生きている、

しかも、結構周りをサポートしているので

だいぶいいじゃんね…


何者って、なんなんだろうか…


何になろうとしていたのだろうか…



【何者かにならないと愛されない】という、

根強い思い込みを

今年中に手放したいと思ったのでした。


もっというと


誰かから愛されたらうれしいけれど

万が一、

誰からも愛されないとしたって


私は生きていてもいいんだと思う。

本当は、それで良かったんだろうなと思ったのでした。