これは過去にも書いたことなのですが…

健診の日、お医者さんに冷たく言い放たれて
私の心は凍りました。

家に帰って、
長男が学校から帰ってきた時、
がんばって夕飯の支度をしていた私は
サツマイモを切っていました。

保健センターからの心凍る事態を抱えきれなかった私は
まだ、子どもの長男に、
サツマイモを切りながら状況を説明しはじめました。


『あのね…次男はね…
長男のような学校には通えないのかもしれない。大人になった時、結婚とか、そういうのもムズカシイのかもしれない…』と、
サツマイモが涙でゆがませながら…

すると

『え??こんなに可愛いのに??ニコニコ

と、ケロッと長男が言ったのです。


その言葉で
私は我に返りました。
そして、自分が一体なにに傷付いて泣いていたのかがわかりました。

『そうだよねえ?!次男、可愛いよねぇ?!』

そうだよそうだよ!
こんなにとびっきり可愛い、私の大事な次男のことを!!あんな薄笑いで、冷たく【普通じゃない】なんて!!失礼しちゃう!!

これから、世間があんなふうでも何があろうとも
家族で次男をずっと可愛がろう!!
なんて真っ当な意見なのだ長男よ!!ありがとう✨



それでも
次男の発達を医師に指摘されてからの私は
寝ても覚めても
夢の中でも
常に次男の将来のことを考えては不安になっていました。

まもなくして
長野市の保健師さんに勧められて
初期療育に2週間に一度だったかなぁ、行くことになりました。
電車で行かなければならない場所なので
気まぐれな次男を連れて行けたり行けなかったり(連れ出し失敗)だった記憶です。


2歳を過ぎて少し経った頃、
我が家のような転勤族は、
転勤先で次男のことを説明していくのに
【診断】があったりする方がいいのかもしれない?
と、考えるようになりました。

何度も夫婦で話をして、
旦那さんは、
『診断をされることで、次男がその後、どう成長したとしても、その診断名があることで世界を狭めてしまったりしないのだろうか?』と、
心配をしたり。

そうですよね。わかります。

実際、夫婦間でどう話がまとまったのか、なぜだか憶えていないのですが(なんでだろ泣き笑い
意を決して大きめの病院を予約して、行くことになったのです。

しかし

『うーーーーん。なんとも言えない。2歳児だからこんなもんといえばこんなもんだし…また半年後に来てみてください!』

と、言われ、帰ってきました泣き笑い
(でも、ちょっとホッとしたような)


しかし、
半年も経たないうちに仙台へと転勤の話が…。
話が来たら2週間後には長野市から仙台市へと
引っ越しすることになった我が家だったのです…。

つづく