一昨日は、久しぶりに平日のお休み。

 

夕方1時間、職場に顔を出さないといけないけれど、

それまでは完全フリーの私の時間。

 

さて、何をしようかな…。おんぷ。おんぷ。おんぷ。

 

時間があったらしたいと思っていたことの中で、

ふっと頭に浮かんだのは、美味しいパンケーキが食べたいな…ということ。

 

そうだ、誰かとパンケーキを食べに行こう!

 

 

…ということで、誘いをかけてみたけれど、

平日の昼間、突然出てこれる人なんて、そうそういない…。

 

なんだ~~~。残念。

 

では、どうするかな。

 

私が行きたかったパンケーキ屋さんは、駅ビルの中にある。

 

新幹線開業以来、混雑激しい駅周辺。

 

わざわざ車で行って、急なスロープの屋上駐車場(有料)に止めて、

インフルエンザ絶賛拡散中の今、人ごみを縫って、パンケーキ屋さんに行く。

 

人気店なので、たいていすぐには入れず、待たされる。
(それでも都会の系列店よりは、ラクに入れると娘は言う)

 

そんなことを考えたら、なんだか面倒くさくなった。

 

待ち合わせでもないのに、一人でそこまでしなくても…。

 

昨日の残りのおかずもあるし、お昼は家で簡単にすませればいいじゃん。

 

 

…そういう風に9割方傾いた時、ふっと思い出した言葉がある。

 

『自分の小さな願いを叶えてあげる』

 

誰の言葉だったかな…。

 

忘れちゃったけれど、でもこの小さな願いって、まさにこのパンケーキのことでは?

 

もし、娘がパンケーキを食べたいと言えば、

そこにたどり着くまでの諸々を面倒なこととは捉えず、

きっと私は嬉々として、駅に出向くだろう。

 

もし誰かと待ち合わせだったとしたら、

ちゃんとメイクして、時間に遅れないように、出かけるだろう。

 

その同じ行為が100%自分のためとなると、

もういいや…と簡単にあきらめてしまうのは、どうして?

 

それは他人の願いには耳を傾けるし、他人との時間は大切にするけれど、

自分の願いや時間は軽く扱っていることになるのでは?

 

そのメンタリティの中で、自分軸の立ち位置は?

 

身体がすっと動いた。

 

自分の願い、休みの日のランチにパンケーキを食べたいという、このササヤカナ願いを、

ちゃんと叶えてあげよう…。

 

雪がちらちら降っていて、外は寒いけれど、そんなの関係ねーーー!!!!!!

 

かくて私は、混雑する駅まで運転し、急なスロープを上って車を止め、

人ごみをかき分けてJ.S.Pancake Cafeまでたどり着き、

12時10分という、一番混雑するであろう時間帯にもかかわらず、

すぐ席へ案内され、間髪入れずにオーダーも取ってもらい、

自分の願いを叶えた。

 

 

やろうと思えばすぐにでもできること。

 

だけど無視してきたことが、どれだけあることか。

 

ちょっとした手間を惜しんで、あきらめたことが、どれだけあることか。

 

そのために逃してしまった小さな幸せが、どれだけあることか。

 

たかかパンケーキ、されどパンケーキ。

 

この日の午後、私はずっとホカホカした気分で、ごきげんだった。

 

こんな小さなことでね。

 

自分の願いにもっと正直になろうと気づかせてくれた、サーモンとアボカドのパンケーキだった。