あけましておめでとうございます。

 

金沢の元旦は、いいお天気でした。

 

午後からみぞれ、そして雪になりましたが、

一番最初におひさまにご挨拶できたのは、ラッキーでした。

 

 

おせち料理には、先を見通すとか、豆々しく働くとか、豊穣とか、

それぞれのアイテムに意味があります。

 

お重の中にたくさんの料理が詰まっていて、特別感やご馳走感が半端なく、

お行儀が悪い迷い箸も、また楽し…(*^_^*)

 

ですが、品数が多い分、年末にこれを作るのは大変です。

 

それでも、我が家の伝統みたいなものを、ちゃんと見せておかなくちゃ…と、

子どもたちが幼い頃は、頑張りました。

 

その当時は、まだ断捨離も知らず、

自分が本当はどう思っているかなんて、どうでもいいことでした。

 

おせち料理は作るものと疑いもしなかった私。

 

でも本当は、心の奥の奥では、実は・・・・

 

 

 

 

 

・・・・・・・・嫌だったのです。

 

みんなが紅白やがき使を見てくつろいでいるのに、

私だけが一人、いつまでもキッチンにこもって、黙々と料理しているなんて、

とてつもなくめんどくさい!

 

でも”これが伝統”だと刷り込まれていたので、辞める勇気もなく、

市販のおせち料理に2万も3万も払う気概もなく、

プリプリしながら、仏頂面で作っていました。

 

義務だったんですね。

 

 

月日は流れ、私は断捨離を知り、嫌々することの無意味さに気づき、

改めて問うてみれば、家族もそれほどおせちにこだわりはなく、

な~~んだということで、それからはかまぼこと出来合いの黒豆とだて巻きと数の子くらいを買って、

お雑煮に添えるスタイルにあっさり変更しました。

 

豪華なおせちは実家で食べさせてもらえるし、

別段なんの差しさわりもありませんでした。

 

おせち作りは主婦の役目と自分を縛っていたのは、自分。

やらなきゃ!…と自分を追いつめていたのも、自分。

手伝って…と言えなくて、不機嫌をためこんで、楽しくなくさせていたのも、自分。

 

全部自分で自分に課したことだったのです。

 

 

 

さらに月日は流れ、昨年の年末、私は久しぶりに、おせちを作ってみたい気持ちになりました。

 

それもお重いっぱいではなく、作りたいと思える分だけ、無理せず作れる分だけ、

お家で手作りしてみたい…。

 

空き家の断捨離を手伝って、出てきた無水鍋を譲り受けたのも、一因でしょう。

 

この鍋に詳しい人たちにレシピを聞いて、少しだけ作りました。

 

黒豆。

 

だて巻き。小さなフライパンで作ったので、ミニサイズ。

 

数の子、日の出海老、あともうひとつなにか…、そうだサツマイモがあるから、栗きんとん!

 

ところが、栗の甘露煮がすでに完売。

 

じゃ、栗きんとんはパス…と思ったら、帰省していた娘が、

「クリームチーズを入れたらいいよ」と、パパッと検索して、作ってくれました。

 

 

今回、なにがよかったかって、私が楽しかったことです。

 

昔は義務で嫌々していたことが、気持ちが変わるだけで、楽しくできるなんて。

 

ささやかなおせち料理ではありますが、私のJOYがいっぱい詰まっています。

 

自然体…という言葉が、ふっと浮かんだお正月でした。