先日、「本居宣長」を読む共読会開催しました。

 

 

小林秀雄が晩年に11年連載した著を通し

日本の思想を探ろうという試みです。

 

本居宣長は最晩年に

自身の葬式を細かに指定して残し

その後は「まくらの山」で

大好きな桜の花を想像で詠んで

心自由に死んだ。

(数年前に吉野山に旅して歌を詠んでいる

夜半に頭に浮かべるから「まくらの山」なのだ)

 

一緒に読んだ仲間たちは

最後まで細かくコントロールするような

日本の家父長制の感じが嫌だとか

色々言っていたのだが、

嫌よ嫌よから始まるのが

著者を好きになる前の我々の通例なのでw

さあここからどうなっていくか。

 

小林秀雄はこうまとめた。

 

“彼は、最初の著述を、

「葦別小舟(あしわけをぶね)」と呼んだが、

彼の学問なり思想なりは、

以来、「万葉」に、

「障り多み」と詠まれた川に乗り出した小舟の、

いつも漕ぎ手は一人といふ姿を

変へはしなかった。

 

幕開きで、もう己の天稟に直面した人の演技が

明らかに感受出来るのだが、

それが幕切れで、その思想を一番良く判読したと

信じた人々の誤解を代償として、

演じられる有様を、まづ書いてしまったわけである。”

 

この一人行く舟の絵から

万葉の時代また中国古代から

人は愛する人との別離の歌を

歌い続けてきたのを思い出した。

 

戦があれば人は取られ

山に登っては故郷を望み、

草を摘んでは大事な人を思い、

それを歌に詠んだのだ。

ポルトガル語、スペイン語で

「サウダージ」という言葉があって

外国語に訳すのが難しいそうなのだが

愛する人と何年も分かれて暮らさねばならない事

その気持ちを指すのだそうだ。

 

本居の舟は孤独であったのか。

 

人と人は異なっているから

完全に分かり合うことはできない。

 

だがその分かり合えないという寂しさが

他の人と繋がる橋頭保となることがある。

万葉の歌が語り継がれ、読み継がれたように

人は誰もが葦別小舟に乗っている。

 

★☆

共読会では一緒に本を読む仲間を募集中です。

 

月2000円でサロンにご加入頂くと

毎月第一水曜日19時からの企画読書と

(現在はシャミッソーの「影をなくした男」)

 

月一予定調整して別日の19時開催している

分科会(現在は小林秀雄の「本居宣長」)

両方にご参加頂けます。

 

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