目に見えないながら密林に
住んでいるのは
バクや、ジャガー、
種々のヘビやトカゲ、
オセロット、アルマジロ、
マーモセット、ホエザル、
そしてオオハシや
コンゴウインコをはじめとする
何百種もの鳥。
シカ、コウモリ、ペッカリー、
カピバラ、アグーチやナマケモノ。

さらに、ここにさまざまな
距離をとって存在するのは、
アメリカのテキサコ社の
デリック起重機やパイプライン、
そして世界でも有数の
荒っぽいインディオたち。
吹矢の使い手で、
1956年には宣教師らを殺して
食べたというインディオたちだ。
 
細長い湖が
密林の中できらめいている。
わたしたちはそのうちのひとつを
くり舟のカヌーで巡った。
2インチばかりの乾いた絃があり、
パンヤノキの扶壁を
鉈で切り落として作った櫂で漕ぐか、
剥いだサトウキビか
タケの竿で進めるカヌーだ。

湖までの道を
われわれの混血インディオのガイドが
前日までに切り開いてくれたが、
わたしたちはそこを通るとき、
切り落とされ棒で串刺しにされた、
口を大きく開いたボアの頭が
カヌーの通り道に
飾られているのを見た。
 
―アニー・ディラード
「石に話すことを教える」より
 
 
古代中国で漢字が生まれた時
「道」という字は
首を持って進むと書いた。
 
美しいものさえ怖ろしく
何もない事も不気味で
知っている物が違って見える。
 
未開を進むとは
道を切り開くとは
そういうものだ。
 
人は誰しも、
初めて通る人生の道を往く。
 
何かの首に
頼ることもできる。
 
あるいはそんな
道を歩む自らの矜持を
頼ることもできる。