アーティスト交流団体HEART SHARE PARK主催
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『オシャレLOVEカルチャースクール「夢が叶う方法」』https://www.facebook.com/events/610841195935316
第四回は、
関西から来た武術の達人親子、
日本最強忍者の小沢さんと
いじめ撲滅ヒーローの獅子丸君と
僕でお届けしました^^
前回こちらで、
息子さんのことを書いたので
(「いじめを無くすスーパーヒーロー」)
https://ameblo.jp/whiteprizm/entry-12372861109.html
お父さんで武術の達人の
小沢さんをご紹介したい。
小沢さんは今、
武術と姿勢と身体のととのえ方を教える教室を
関西で複数展開されている。
劇団もたくさん興行されていて
各方面から引っ張りだこだ。
小沢さんは、好きなことが
仕事に出来たことには
周りの方との関係性が
一番大事だと話される。
自分の「強み」は
自分では気づけない。
周りの人に
見つけてもらうものだ、と。
さて、僕は聞いてみた。
何故、そう考えるようになったのだろう。
何かきっかけがあったのか。
実は小沢さんは、在日の方だった。
小沢さん曰く差別があるような状況では
子供には二択しかないのだそうだ。
トップになるか、
底辺に落ちるか、である。
小沢さんは幸い、武術が好きでのめり込んだ。
だから喧嘩で負けるわけにはいかない。
学校を15時に終わり、
その後23時まで鍛錬。
毎日それを繰り返したので、
小沢さんに敵う人はいなかった。
(毎日8時間だから、会社員以上だ!)
それで、小沢さんは
日光江戸村で23歳の若さで
武術師範のトップに就いた。
高度成長で盛り上がり、
江戸村が全国展開しようとしていた頃だ。
年上の人も何人もいて、
でも自分の方が強いから
文句を言わせない、という仕事っぷり。
それで皆を連れて銀座で飲み歩く。
その時、連れてっている会社の部下も
お店の女の子たちも
皆、小沢さんのことを嫌ってるって
分かるんだって。
それで、
イライラしてむしゃくしゃして
でも何に腹が立つのか分からない。
そうすると、家に帰って
一人で飲み直す。
今まで取ったトロフィーを全部並べて
その前で悪態をつきながら、
一人で飲むのだそうだ。
小沢さんは、
このままじゃダメだって気づいた。
(それがスゴイ)
それで日光江戸村を辞めて、
自分を見つめ直した。
(それもスゴイ)
沢山本も読んで
頭がパンパンになるくらい悩んだ。
そしてある日。
車に乗って高速を飛ばしていた時に
ふと、思ったのだそうだ。
“ああ、俺、
優しさが、足りなかったんだ”
って。
小沢さんはそこから
他の人との付き合い方が変わった。
そして、頼まれごとに
どんなことでも答えていった。
小沢さんが役者の道で
成功することになったのは
それからだ。
それまで武術一筋で、
役者になろうなんて発想自体無かった。
だけど、ある時
「女形をやってみないか?」
と言われ、試してみたら大はまり。
小柄で容貌もマッチしたし、
着付けから化粧から一人で出来て、
その上大立ち回りも出来るのだ。
そんなように、
頼まれごとから自分の強みが
発展していったのである。
僕は、人生が充足するために
必要なことの一つは
“自立していること”
だと思っている。
とはいえ人は一人では生きられない。
協力しながら生きるのだから、
自立するとはつまり
何か与えられるものを
持っているということだ。
ある人は、
起業家と雇われ人の違いを
「売るもの(商品)を
持っているかいないかだ」
と言った。
売るものは、
別に自分で作らなくてもいいし
対価はお金でなくてもいい。
でも、全ての人に
起業家の視点が必要だと思う。
その商品を新しく作る時
大きく分けて方向性が二つある。
・マーケットイン
・プロダクトアウト
の二つである。
マーケットインは、
市場にニーズがあることから
商品を作るもので、
プロダクトアウトは
研究、製造で積み上げた
新しい知見から
商品を作ることだ。
必要なのは、
この両方の視点を混ぜながら
“今までになく、かつ
隠れた需要があるもの”
を見つけることで、
これは簡単ではない。
だけど実は、
そうやって技術も市場も
発展してきた。
それを体験から
深く教えてくれたのが
小沢さんのお話だったのである。
と、いうわけで
楽しい会のご報告でした。
東京豊島区の自由学園という、
歴史的建造物の学び舎に
ふさわしい夜^^