僕の新興宗教を抜け出した体験を話すと
多くの方は、
僕がどうやって抜け出したかというよりも
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『宗教後』
僕が何を考えて、どうやって
生きてきたのか、
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ということに
興味を持たれるみたいです。
僕がたどり着いた
人間とは何か
についてここまで
多くお伝えしてきました。
(勿論これからもお伝えしていきます)

ただ、宗教について語らないと
そもそも問題提起できないことも
たくさんあります。
その一つが、生死の問題
ではないでしょうか。
日本人は特に
多宗教を容認していて、
特定の宗派へのこだわりは
少ない人が多いです。
家のお寺があっても、
クリスマスも初詣も行きます。
それは全く構わないのですが、
やはりそこに「信仰」があるとは
言い難いかな、と思います。
現代薄れていっている
宗教の役割の一つには、
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有限の存在である
人間の生に意味を与える
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というものがあります。
神話、宗教、迷信、
科学が発展してそれが排除されるのは
当然だとも思うのですが、
宗教が廃れていっても、
人がそこに求めていた何かは
人が同じである限り
残っているはずですよね。
「人間は考える葦である」
という言葉で有名な、
ブレーズ・パスカルという人がいます。
(という人が、とか言わなくても
知ってますよね 笑)
彼は、若くから数学の天才
として有名でした。
その彼が、ある日転向して
学問から宗教の道を進み始めました。
その理由として彼が挙げたものに
【パスカルの賭け】
と言われるものがあります。
そこから、
人が宗教に何を求めてきたか、
見てみたいと思います。
【パスカルの賭け】
については、
また次の記事でお伝えします!
